yugumo

日々、写真など

1日1枚、撮りためた写真を載せていければ。

好きな食べ物嫌いな食べ物。2016-04-29

2016-04-29 10:49:45 | 日々の写真


GWがはじまりましたね。
わたしはようやくつわりが落ち着いてきて、食欲が出てくるようになってきた次第であります。
本当は安定期にはいったらまた実家の仕事を手伝おうと考えていたのですが、
考えていたよりもずっと体調がすっきりしないことや、
立ち仕事や繁忙期に不安を無意識にすごく感じていたようで、
結局は妊娠中は仕事を休む方向で話が決まりました。
もしかしたらものすごく元気になったら働くかもしれませんが。
甘えられるうちは甘えておこう、と思いました。
恵まれた環境においてもらっているので、感謝の気持ちは忘れないようにしたいです。

さて、妊娠してから食の好みはやっぱり少し変わりました。
まず、大好きだったコーヒーと甘いものが駄目になったこと。

驚きです。
つわりが落ち着いて少しは甘いものも食べられるようになりましたが、甘い味付けのもの(うどんにはいってるおあげとかみりんを使った煮物とか)すら受け付けなかったのは驚きでした。
チョコは見るのも嫌なくらいで、ちょうどつわりがはじまった頃がバレンタインまっただなか。
家にいても沢山の手作りチョコやケーキがネット上に溢れていて、ちょっと大変でした。笑
手作りっていうところがポイントで、市販品なら形も綺麗なのであまり味とか匂いを想像することが無かったのですが、手作りってとこで作ってる過程まで想像してしまって駄目でした。
コーヒーはどんなにアメリカンでもミルクを入れても苦く感じてしまいます。
それこそつわり中は水以外の飲み物が気持ち悪かったので、お茶が飲めるようになったのがかなりの進歩。
コーヒーは飲めなくても困らないしね。
でも好きだっただけに残念です。

好きになったものは、よく言われるすっぱいものですね。
つわり中はそれすら無理でしたが、妊娠がわかってすぐの頃とかいまは酸味のあるものが好きです。
トマトとか切らさないようストックしてますね。
妊娠前な酢のものとかすっぱい系のドレッシングとか、あえて食べたいとは思わなかったですね。

妊娠中も妊娠前もかわらず好きなのはカレーですね。
一番好きな食べ物を聞かれたので、カレーと答えるとなぜか馬鹿にされたのが苦い思い出ですが、カレー大好きです。
悲しいのが、大好きなタイカレー、スパイスが合わないのか必ず胃をやられてしまうので、本当に少量しか食べられません。
インドカレーは全く大丈夫なんですけどね。カレーだけで飲めるくらい。

なかなか市民権を得られないパクチーも大好きなんですが、嫌いな人の拒否反応というか、否定の仕方があまりにすごいのでなかなか人に言えません。なんか悲しくなります。
あとラム肉とか。大好きです。でも嫌いな人の拒否反応すごいですよね。虫が嫌いな人みたいないきおいですよね。笑
わたしは魚卵が見るのも嫌なくらいですが、さすがに全否定はしません。好きな人が多いのはわかっているの
で。これが市民権の有無の差か…。
それでいうと、料理に入ってるフルーツなんかも、意外と好きです。
酢豚やピザのパイナップルとか、ポテトサラダの林檎とか、冷麺の梨とか。
入ってなくてもいいですが、入ってると嬉しいです。
あ、この記事に載せてる写真は、いちごが載っていたのでめずらしくて取りました。
合うかどうかは…うーん、ご想像にお任せします。
逆にみんなが好きだけど苦手なもの。
プリン。パンナコッタ。ドリア。ホワイトシチュー。カルボナーラ。
ホワイトシチューやカルボナーラは嫌いでは無くて食べられるんですが、ひとくちふたくちで充分。という感じですかね。たまに食べたくなりますし。
こうやって並べてみると、クリーミィなものが苦手みたいですね。白子とか蟹味噌とかね。
クリームコロッケは子供の頃は苦手でしたがある時目覚めてむっちゃ好きになりました。でも衣があるから好きなだけでクリームだけだと苦手かも。
そういえばパフェとかパンケーキの生クリームも正直いらない…と思います。

あと、人前ではちょっと恥ずかしいのでやらないですが、家でよく食べるのが、ごはんに目玉焼きを乗せて、焼いたウインナーをのせて、マヨネーズと醤油をかけたやつ。
それをわしわし食べるの好きです。完全なるデブめし。
なのでたまにするくらいに留めております。
こんな個人的な好き嫌いを書き連ねてどうするのか。
でもあまりそういう細か~いこだわりの部分って人としないのでなんとなく書いてみました。

カフェオレは好きだけど甘いコーヒーは嫌い、て、どうでもいいですもんね。

誰にも言えなかったこと2。2016-04-17

2016-04-17 00:20:02 | 日々の写真
続きです。

体調不良を親に相談することはありませんでした。
そもそも体調不良だという認識は自分ではあまりなく、
しんどいのは自分のやる気がないからだ、とずっと思っていました。ちょっと頑張れば動けるのだから。

そんなこんなで夏休みに入りました。
わたしは4歳の頃からずっとバレエを習っていました。
といってもレッスンは土曜日の昼の週1のみで、そんなに熱心に続けているわけでもありませんでした。
柔軟体操は嫌いで、面倒でサボることも割と多くありました。
それでも、夏休みには発表会があり、それに向けての課題曲の練習は楽しく、毎年恒例楽しみにしていて、それがあるから続けていられました。
曲は毎回2曲あり、1曲はモダンダンス、もう1曲はモダンバレエでした。
モダンダンスの方が激しく体を動かすので、わたしはどちらかというとそっちの練習の方が好きで張り切っていました。
が、その年のレッスンはいつになく体がしんどかったのを覚えています。1回通して踊るだけでいつもよりかなり息が上がっているのに気づいていました。
体調不良があったので当然なのですが、自分では体調不良と思っていなかったので、ここでも無理をして頑張っていました。
といっても当時は自覚もなくただ必死に踊っていました。
その年の発表会も無事終わり、あとの休みをどう過ごしていたかはあまり覚えていませんが、
ただ普通に絵を描いたりだらけたりしていつもの過ごしていたように思います。

2学期になりました。
その頃には体調不良も幾分かよくなっていたように思います。
ずっと休んでいた家庭科クラブにも通えるようになりました。
入部当時はたくさんいた1年生がなんとわたしだけになっており、2年生の先輩と2人てなっていましたが、
優しい先輩とふたりだけで手芸をするのは気も使わず楽しく、気持ちもずいぶん明るくなっていました。
ずっと休んでいた罪悪感からも解放されました。

健康診断があり、食欲も落ちていたため体重は3キロ落ちていました。
もともと痩せ型では無かったのと、成長期に自然に痩せることはあったので、気にせず痩せられてラッキーくらいに思っていました。

そうこうしてると、母に「学校からすぐに病院で検査を受けてくださいと言われた。ツベルクリンで陽性だと結核の可能性がある」とあわてた感じで言われました。
母が焦っているのですこしぎょっとしましたが、「結核?てなに?元気なのに?」と思ってました。
言われるまま近所にレントゲン検査のできる病院があったので、その日の夜に母に連れられて検査に行きました。
受付も看護婦さんもにこりともしない病院でした。
病室に向かうと先生は厳しい顔と口調で
「いったい何をしていたんですか。どうして早く来なかったんですか。結核は感染る病気なんですよ」と親子共々叱られました。
血の気がサーッと引きました。そんなに重要な検査だと思わなかった、とも言えず、バレエの発表会の練習で忙しかった、と苦し紛れの言い訳をしました。
そこから結核という病気の説明、治療法、経過の検査、などの説明を受けました。
症状の説明については、結核の特徴である咳以外は、食欲不振、体重減少、微熱など、すべて当てはまっていました。
そこではじめて「あ、だからしんどかったんだ」と自分の体調不良について気付きました。ただ、咳がないから本当に結核か?とも。
結核菌が肺にあるかどうかレントゲンで調べました。結果はシロで、発症はしていませんでした。
が、可能性は消えないので、半年間朝夜かかさず薬を飲むことと、あと数回レントゲンと痰の検査に来るように言われて帰りました。
とても重い気持ちでした。
自分が保菌者であれば周りの人にもうつしてしまうことと、家族もうつっているかも知れないので保健所で検査を受けないと行けないこと、
体調不良で感じていた罪悪感よりもはるかに重い気持ちでした。
母は「菌がいなくて良かったね。症状も出てないし」と
言ったので、そこではじめて思い当たる症状があったことを伝えました。

当然友人には誰にも言いませんでした。ツベルクリン検査にひっかかっていたことも言っていませんでしたし、言ったところで結核がうつるかも、と思われるのがこわかったです。
薬は欠かさず飲まなければいけませんでした。飲み忘れると菌が薬に対する抗体を持ってしまい、2度と効かなくなる、と強く医者に言われました。
幸い昼は飲まなくてよかったので、薬を飲んでいることが友だちに知られることはありませんでした。
身体の調子は悪くなかったですが、半年間隠し事をしていることをなんとなく負担に思っていました。
病院にはなんどか通い、また怒られないかビクビクしながら薬を貰いに行っていました。
なんとかきちんと飲んでいたので、怒られることはなかったですが。
レントゲンは毎回ドキドキしていました。
が、最後まで菌は見つかることもなく、無事に半年間薬を飲み終え、通院を終えました。
じつは最後のレントゲンだけは別の病院で受けたのですが、通っていた病院を聞かれ、「○○先生でしょ?こわかったの?いい先生なんだけどね」とあっさりバレました。
これでようやく心が晴れやかに過ごせる、と思いました。

そんなこんなで誰にもこの話をせずいままで来ました。
まあ、わざわざする話でも無かったのですが。
幸い発症することも無かったのでよかったですが、もし入院するような事態になっていたら…
他の人に移していたら…と思うと恐ろしいです。
そして病気に対する認識の甘さに反省しました。

なぜつわりの話からこんな長話になったのかわかりませんが、
今は自分の体調を気にしすぎてビクビクしているのに、当時は症状が出ていても気づかずにいれる別の強さもあったのかなあ…なんて思います。

ほかにも誰にも言っていないもうちょいヘビーな話が中学時代にはまだ数個あります。笑
みんなそれぞれ抱えているものはあるんだろうなあ、と思うのですが、
せっかくの匿名ブログなので、たまには吐いてみようと思いました。

誰にも言えなかったこと。2016-04-16

2016-04-16 23:17:24 | 日々の写真


わたしは結構ひとりで悩んで溜め込むタイプらしく。
昔から親には何度も言われてきたことだったのですが、
いまいちピンときてなくて、
大学の頃、悩みが大きすぎて抱えきれないことがあり、
それこそ清水の舞台から飛び降りる気持ちで、友人や恩師に打ち明けたところ、全員に
「ひとりで抱え込みすぎ。」
と言われ、そこではじめてハッとした、という記憶がずっと心に残ってます。
それから意識して「それは駄目なんだ」とちょっとは改善されたのかな?と思うのですが、
考え方のクセはなかなか直らず、今に至ります。

で、なぜそんなことをいま書いているのかというと。
あまり知り合いが見てないことを想定して書いているのですが、現在妊娠中でして。
なぜコソコソ書くかというと、まだ安定期では無いのと、つわりがまだもやもや残っているからです。
4週目で妊娠発覚、5週目でつわりが始まり、いきなりの寝込み生活に突入。
それから2ヶ月が経とうとしています。
こんなに自分の体のことを考えていた2ヶ月があったか。
思うように動けないことが情けないことがあったか。
ということを考えていると、なんとなくふと思い出した、
あまり人には言ってこなかったことを書いてみようと思います。

当時のわたしは中学1年生。
入学して2.3カ月のころだったでしょうか。
学内の健康診断1年生全員がツベルクリン検査を受けました。
覚えておられますでしょうか。
陰性がでるとハンコのようなあとの残る注射をされる、あれです。
確か検査自体も腕に注射をし、後日注射跡の発疹の大きさが規定よりも小さければ陰性、大きければ陽性、という判定でした。
みんなハンコ注射に怯えていた記憶があります。
当然判定前は友だち同士で見せ合いっこ、みたいな流れになっていました。
やっぱりなかには明らかに小さい発疹の子もいて、「やばい、わたし注射や!」という感じで、
かといって深刻さもなくギャーギャー騒いでいた記憶があります。
わたしの仲良い子はだいたい十円玉程度、異常無しで、多少の大小はあったものの、最もそのサイズの人が多かったように感じます。
で、わたしはというと…小さめの鶏卵くらいのサイズ。
でっぱりは無いですよ。例えが思いつかなかったんです。
明らかに大きさが違うことに友人の腕を見て気付き、ただ、見せてくれるひとは大体「見てみてー」と自分から見せてくれる子だったので、わたしは見せてくれと頼まれる事もなく、コソッと腕を隠していました。
子ども心に「これはなんかおかしい」となんとなく気づいてました。
で、結果は陽性。ただ、まぬけなことにわたしは陽性とがなにを意味しているのか理解していませんでした。
それはみんな同じだったらしく、陽性?でもハンコしないで済んだならいーじゃん、という感じでした。
しばらくしてHRで陽性だった生徒だけに、病院に検査に行くようにプリントが配布されました。
わたし以外にも数人いて、ちょっとほっとしていました。
帰宅後親にそのプリントを渡し、親も「ふーんそうなんだ、病院いかなきゃね」という反応。
その程度の反応だったので、こどもだったわたし、大した内容では無いのだと思い、特に気にせず過ごしていました。
そもそも、今だになんの検査かわかっていませんでした。それからすぐにプリントのことは忘れ、病院にも行かず、腫れもすっかり無くなっていたので思い出すこともなく、ただ普通に過ごしていました。

それから少しして、最初にあれ、と思ったことがありました。
いつもの量のおべんとうがある日突然食べれなくなったのです。
ただ、食欲が落ちたというわけでは無く、普通に食べているつもりなのですが、
食べても食べても減らない。なんとなくそんな感覚でした。
当然食べきるのにいつもより倍の時間がかかっていました。
昼休みにクラスに遊びにきた姉に「食べんの遅すぎ!」と軽く言われました。
わたしは痛いところを突かれた気分になり、なぜか少し落ち込みました。
その日の夜、母に「いまのお弁当箱じゃ量が多すぎて時間無いに食べきれない。小さいお弁当にして」と頼みました。
母は不思議そうな顔をしていましたが、次の日にはお弁当箱を変えてくれました。
次の日は量が少なくなったので、みんなと同じくらいのスピードでお昼を食べられるようになりました。
なんだ、やっぱりお弁当がでかいから食べれなかったんだ、わたしが食べるのが遅いからじゃ無いんだ、と納得しました。
今から考えればその後夕食も少食になっていたのですが、当時は自分で気づいていませんでした。
次におかしいと思ったのは風邪をひき熱を出したか何かで1日学校を休み、学校に通っていたのですが、風邪気味なのがずっと治らない日が続きました。
なんとなく頭が重い、軽く微熱っぽい、毎日そんな感じで、授業中は座ってノートを取るだけだったので、ただじっと我慢していました。
熱が出てフラフラ、いうわけではなかったので、自分ではただやる気が出なくなってるのかな?頑張らなきゃ、と思っていました。誰にも相談することはありませんでした。
さすがに下校時間になると疲れ果てている自分がいました。週に1回の家庭科クラブに入ったばかりで、とても楽しみにしていたのに、体のだるさがつらくてクラブに出ずに帰る日が続きました。
仲良い子は帰宅部がほとんどだったので一緒に帰るか、遊びに誘われても断っていました。
最近付き合い悪い、と言われたこともあったように思います。そんな自分をまた少し心の中で責めていましたが、どうにもなりませんでした。

…思ったより長くなったので、つづきます^_^;

定食屋さんがすき。2016-04-02

2016-04-02 11:37:15 | 日々の写真


最近休みの日には定食屋さんでお昼ごはんを食べるのがひそかなブームです。
大概定食屋さんはご飯の量が多いんですけどね、
メインのおかずと副菜でいかにこのごはんをやっつけるか、
というのを楽しみにしています。
(そして大概ごはんがあまり、計算間違っとるやん、と旦那につっこまれる)

わたしはカフェでごはんを食べるのも好きなんですけどね、
ワンプレートランチ。わくわくしますよね。
でもわたし食べてて、気づいたというか、思い出したんですよね。
あくまで個人の感想ですが、
わたし、おかずの汁でびちゃびちゃになったごはんが好きじゃない。と。
そういえば、学生時代に母に「ごはんが汚れないように徹底的におかずとわけて!」と
その時ばかりは強く主張したのを覚えてます。
そういえばごはんつぶのついたから揚げとか、
ごはんの上に散らばったおかずのお弁当とか、
なんとなく食べたくない。(もちろん食べますが)
これはおかずとごはん、分かれているもの限定で、
もともと一緒に食べるようなカレー、親子丼、そぼろごはんなんかは平気だったり。

て、こんなことを必死で言っているとまた旦那から「またくだらんこだわり…」と言われてしまうので、
ここで主張するだけに留めておきます。

実はワンプレートランチ、洗い物楽そうだし、見た目華やかだし、
我が家の食卓でも取り入れてみようかしら…と考えていたのですが、
そういう理由でやっぱり定食スタイルのごはんにしようと思いました。
左ごはん、右みそ汁、くらいは覚えとくことにしよう。

本当にくだらない話でした。笑