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1日1枚、撮りためた写真を載せていければ。

猫。猫。猫。2016-01-17

2016-01-17 22:33:38 | 日々の写真


猫を飼い出してからとにかく猫のものが好きで、
身のまわりの猫モチーフのものが段々多くなってきました。
でもいいよね、好きなものは好きで。

学生の頃は好きなものを素直に好きだということが恥ずかしい時期があって、
例えば手芸好きだと言うと主婦っぽさが出る感じがなんとなく嫌だったり、
キャラクターものが好きだと子供っぽいイメージが嫌だったり、
とにかくダサいと思われるのが嫌だったんですよね、当時。
で、自分の好きだと思うものをなんとなくダサいと思ってました。
周りの人が明らかにこれはおしゃれだ!というようなものをなんとなく考えて好きになろうとしてみたり。

とにかく自分に自信が無かったのだと思います。
はっきり物や人に対して
「これは嫌い!これはダサい!」と言える友人が
羨ましいといつも思っていました。
まあ、今考えてみればそれが必ずしもいいとは限らないとも気づいたのですが。
裏返してみれば悪口ですしね。
しかもその友人の意見が正しいとも言い切れない。
でもそれだけはっきり表現ができる意思があっていいなあ、と思っていたんです。
わたしにはそういうアンテナがどこか欠けていたので。
良い悪いの基準がわたしの中で無かったんですね。
きっと実際ダサかったんだろうな~と思っています。

でもある時気付いたことがあって、
それは中学の頃の卒業アルバムの寄せ書きだったんですが。
今もなのですが、わたしは仲のいい友達が本当に少なくて。
寄せ書きだけは友達の友達、くらいのあまり喋ったことのない子にも書いてもらったんですね。
その女の子は、
「いつも女の子らしい〇〇さん(私)にずっとあこがれてました」
と書いてくれていて、
わたしはすごくびっくりしたのを覚えてます。
わたしは女の子らしかったのか!!!と。笑
しかも憧れてくれるような人がいたのか!!!と。
わたしから見たらずっとその子のほうが女の子らしくて
おもしろくて友達も多かったので、
すごく意外で、でもすごく嬉しかったんですよね。
わたしは家庭科部だったので、こそこそ手芸をしたり料理をしたりしてるのを見て
たぶんそんなふうに思ってくれたのだと思っているのですが。
そこから、なんだ、別に恥ずかしいことしてるわけじゃないのか、と妙に納得したのを覚えています。

でも高校に入ったり、大学に入ったりすると、
いままで出会ったことのないタイプの人に会って、
また自信が揺らいだ、って話はたくさんあるのですが。

そんな自信がブレブレの時に、いつもこの時のことを思い出すようにしてます。
こんなダサダサで取り柄のない自分に憧れてくれている人も、きっとどこかにいるんだぞ、と元気づけてます。

でも、不思議と自分が素直にいいと思っているものは
改めて見直してみても良いんですよね。
逆に、自信がぶれているときに良いと思ったものは大したものでも無かったり。

ちゃんといいと思ったものは自信を持っていい、と言えるようにしていきたいです。(うーんまとまらない!)

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