YSSC2008

奈良県桜井市、吉野郡の木材関係者を中心に集まったシニアサッカーチーム

カリブ海紀行 3

2012年03月31日 23時53分48秒 | よしわの部屋

前回の続き

 

長時間のフライトを経て、ようやく経由地であるロサンゼルスに到着した僕たちは、ここでジャマイカに行くために、エア・ジャマイカに乗り換えました。

というか、乗り換えるはずだったんです・・・

 

着いてから確認の為に、空港のフライト・ボードを見てみると

僕らの搭乗予定の便が 『キャンセルド』 って、書かれてたんです

なんかおかしいな、って思いつつ、しばらく待ってたんですが

搭乗時刻が近づいても、そのままなので、あわててジャマイカン航空のカウンターに行ったんです

 

( 実際の写真とは、違います。 )

 

想像もしてなかった事態なので、横山やすしバリに、

『おいこら 一体どないなっとんねん 責任者呼んで来―い

とクレームをつけに行ったんです

 

理由を聞いてみると

ジャマイカからロサンゼルス行きの便のお客さんが、あまりにも少なかったので、『飛ぶの、やーめた』 って事らしいのです

要するに、向こうから飛行機が、戻ってきてなかったので、乗せたくてもできないとの事

( 回送タクシーじゃ、あるまいし  堪忍してよ~ )

 

予定外だったので、一日損したあげく、

『泊まるとこ無いのに、どないしてくれんねん

と文句を言ったら、空港近くの高級ホテルをタダで取ってくれたんです 

しかも朝晩の食事付きで ラッキー

( 実はカウンターの女性に 『君達、かわういーねー』 と、おだてられ、うまいこと丸めこまれました )

 

とにかく事無きを経たんですが、ついでにもうひとつ、ラッキーな事がありました。

東京からやってきた日本人の女性二人連れも、僕らと同じくジャマイカに行けなくなり、仲間ができたんです

当時のジャマイカに行く日本人の観光客は、まだまだ少なかったので、同朋(しかも女性陣)ができて、ちょっとうれしくなりました

 

さてさて、一夜明けて、ようやくジャマイカに向けて、出発することになったんですが

 

つづく

( ここまで書いて、まだジャマイカに着いてませんね  すいません。 海より深~く、反省  )

 


カリブ海紀行 2

2012年03月30日 17時06分41秒 | よしわの部屋

前回の続き 

 

アメリカの南のキューバの下、メキシコの東あたりにに浮かぶ島国・ジャマイカに行くことにした僕たちは、まず航空チケットを手に入れるために、動き出しました

ジャマイカには、直行便が無かったので、いくつかの選択肢から、ロサンゼルス経由で行くことにしたんです。

 

しかし学生の貧乏旅行であるがゆえ、なるべく節約したかったので、ある航空会社に目を付けました。

その少し前に爆破事件のあった大韓航空です。

 

今はかなり安い運賃の航空会社が登場していますが、あの当時の航空運賃は、学生の僕らにとっては、高かったんです

なので、信用回復&顧客増のために、がんばって安くしてくれていた大韓航空を選びました

( このチョイスも親に心配させてはいけないので、帰国まで黙ってました )

 

余談ですが、この年の1月7日に昭和天皇が崩御なされました。

( お亡くなりになった時、僕は富士山の5合目にいました  この話は、また後日に。 )

それで、国葬が2月の末に行われたんですが、僕らはその当日の2月24日に出発したんです。

そのせいで成田と僕らが出発する伊丹空港は、各国の要人が大挙してきてたので、僕らは出国するのにもかかわらず、かなり厳しいチェックを受けました。

 

またまた余談ですが

『韓国に行った事があるか?』 と聞かれて、僕は今まで 『行った事が無い』 と答えていたんです。

しかし厳密に言うと、ほんのちょっとだけ滞在してました

というのは、大韓航空は真っ直ぐロサンゼルスに行ってくれなくて、一回ソウルを経由したんです。

ソウルで飛行機の乗り換えがあって、空港内とはいえ、1時間韓国の地を踏みしめていたのです

しかも、うっかり買い物をしてしまったので、おつりでもらった韓国のお金を未だ使わずじまいなんです・・・ アホかい・・・

 

話を元に戻します。

日付変更線を越えて、時差が17時間もあるロサンゼルスにやっと到着したんですが、その経由地であるロスで、僕らはあるトラブルに巻きこまれたんです

それは

 

つづく

『5』 も 『6』 もいっぺんに作ってしまいました。

大量生産は、気が向いたらやりますわ 

原本は、すでに妹に持っていかれたし・・・・・


カリブ海紀行

2012年03月28日 14時37分37秒 | よしわの部屋

毎日毎日、花粉のせいで気分がすぐれなくて、困ってます 

みなさんは、いかがお過ごしですか?

 

子供たちは、春休みまっただ中

僕も学生時代、卒業旅行に行ったのも、ちょうどこの頃です。

23年前のことなんですが、ちょっと思い出話でもいたしましょう

 

音楽が好きで、同じくギターを弾いていた友人と二人で、いろんな所を模索した結果、

『レゲー発祥の地』 であるジャマイカに行くことにしたんです

 

サッカーのワールド・カップ出場や陸上のウサイン・ボルト選手、ちょっと前の『クール・ランニング』という映画などで、今ではかなり有名ですが

その頃のジャマイカは、日本ではそれほど世間の人には、あまり認知度は高くなかったんです。

しかし僕にとっては、それがとても都合がよかったんです。

 

実は、70年代のジャマイカは、政治は混とんを極め、それと同時に麻薬のせいで、世界的にかなり危ない国でした。

僕達が行ったのは、80年代の終わりぐらいなんですが、それでもまだまだ危険とされていたんです

 

なので、旅行の行き先について、両親が心配して反対されてはいけないので、あまり詳しく言えなかったんですが

ジャマイカの認知度が低かったおかげで、これ幸いとばかりに、希望どおり行く事が出来たんです

 

その証拠に、旅行に行く何日か前に、京都から実家に帰ってきた夕食の席で、

おやじ 『お前、いつからアフリカに行くねん

オカン 『あれっ カンボジアとちゃうの

妹   『違うやん インドネシアやんかなあ~

たまたま来てた妹の友達 『みんな何言うてんの お兄ちゃん行くのは、コロンビアやでー

 よしわ 『・・・・・・・・

 

見事にみんな、記憶してくれてませんでした・・・・・ 

それはそれで、よかったんやけど・・・

(今考えたら、それぞれが言った国も、まあまあ危ない所やんか・・・・・

 

そんなこんなで、学生であったがゆえの貧乏旅行に行ったんです

つづく

 

追伸。

他のみなさんも、すいませんが、ブログ書いていただけないでしょうか 

誌面がさみしー 


春、ららら

2012年03月18日 11時34分06秒 | よしわの部屋

何日か前まで、吉野では雪が降っていたんですが、ようやく暖かくなってきましたね

春がそこまでやってきたんだ

と、うれしく思えたのもつかの間・・・・・

実は、花粉の季節がやってきたのです

 

昔は、ポカポカ陽気の春は好きだったんですが、花粉症になってからは、一番つらい季節になりました

みなさんは大丈夫ですか?

僕は毎日、ゲー出そうです

思考能力ゼロになってます

 

それでも春を楽しむために、久しぶりに選曲集 『よしわの部屋 4』 を作っちゃいました

今までは、洋楽ばっかりだったけれども、今度のは邦楽で、しかも桜ソング集にしちゃいました

興味のある方は、いつものように 『ちょうだーい』 って言ってくださいね

 

あくまでも僕の偏った選曲なので、『あの曲も入れて欲しかったなあ~』 というのはナシで、お願いします

実はもう、選曲だけは出来てるんですよ。 『5』も『6』も 

あなかしこ。


第2回桜井市社会人カップ

2012年03月07日 20時05分19秒 | 試合

2012/3/4(日)吉野運動公園グランドにて第2回社会人カップが開催されました。

YSSCはO-30のカテゴリーで参加しました。

YSSC O-30のチームは31段野キャプテンを軸に29木原副キャプテン

トップチームの22村上キャプテンも試合に参加と若いメンバーでのぞみました。

 

試合挑む前に円陣を31段野キャプテンから勝利にむけて一言

キ-パ-16藤田君もナイスプレ-で

ハ-フタイムでは余裕の表情の8池ちゃん

 しかし試合結果はリーグ戦2敗で順位決定戦は2-1で勝利

結局O-30カテゴリーで5位でした。(参加チームは??)

皆さんお疲れさんでした。

また段野一家の参加有難うございました。


エロティカ・セブン

2012年03月06日 22時24分56秒 | よしわの部屋

今期の初試合に、久々に登場したU君

なかなか頑張ってましたね~

という事で、彼のネタをひとつ 

( 封印しとかなきゃ、いけないネタと思っていたのですが、本人が 『書いてもいいよ』 ってことで )

 

彼は子供の頃、腸閉そくになったせいで、大人になってからも、疲労が蓄積されてくると、再発してたびたび入院するんです

( ま~、だいたい夜な夜な遊びが過ぎて、不摂生のせいでもあるんですが )

 

最初の頃は、突然お腹をおさえて痛がりだしたら、ビックリしたもんですが

再々その場面に出会うと、『いつもの事や』 って感じになって、彼の両親は勿論の事、僕もそんなに心配しなくなって・・・・・

ごめんちゃい 

 

そんなわけで昔は、僕と一緒に行動した時に、よく再発したので、彼の母上が周りの人に

『あの子、よしわ君と一緒におったら、腸閉そくにすぐなんねん

と、よく笑いネタにされたものです  へへへ

 

たしか15年ぐらい前の事。

橿原で夜中の12時ぐらいに、彼が突然 例の腹痛を訴えたんです

僕はすぐさま病院へ行こうとしたんですが、彼はそれを制止して、「とりあえず吉野へ走ってくれ」 と言うんです

理由は後日話すから、と言うので、言われたとおりに吉野へ 

 

彼の家に着くやいなや、自分の部屋に入ったと思ったら、1分も経たずにまた車に戻ってきて、

『さあー、よしわ君 準備OK 病院へ行こう』 って、言うんです

結局よくわからないまま、夜中の急患を引き受けてくれた香芝の病院で入院することに・・・・・

 

彼の退院後、あの謎の行動はなんだったのか、不思議に思って聞いてみたら

なんと、自分の部屋に、大人のおもちゃを出しっぱなしにしてたらしいのです

しかも無造作に自分の枕元に・・・・・

どうやら自分が入院するであろう、と考えたので、その間に自分の部屋に母上が入って、ビックリしてはいけないから、という配慮のもとで戻ったそうです

 

それを聞いて僕は、

『さすがは変態U君 ある意味、なかなか親孝行やなあ~

と思ったんですが、みなさんどう思います

なんかちょっと、間違ってますか―