今年3月、沖縄県議会は沖縄方言の普及を図るために「しまくとぅばの日に関する条例」を全会一致で可決した。条例で制定されたその日は「9月8日」である。しまくとぅば、とは島言葉、つまり沖縄の方言のことである。
こういう条例は画期的なことである。この条例の制定をきっかけにすでに県や議会、それに地方自治体や民間団体などが、沖縄戦の体験をしまくとぅばで語ったり、方言を使って芝居を上演したり、といった方言普及のための事業を始めている。
沖縄では、琉球王朝時代の昔からしまくとぅばを中心にした文化が発達してきた。普段の生活はもちろんのこと、芝居や音楽といった芸能、文学、それに工芸といった分野にまで、しまくとぅばは使われてきた。
一転するのは、1879年の“琉球処分”以降である。“琉球処分”とは、それまでの琉球王国を廃止し、沖縄県とする、とした明治政府の一連の措置のことを指す。その結果、その後の教育では、しまくとぅばを使用することが禁じられ、例えば旧制中学校などでしまくとぅばを使った者には「方言札」が渡され、進学などができなくなった。
そればかりか、1940年には「方言撲滅運動」が起き、さらに沖縄戦では「方言を使った者はスパイと見なし処分する」という命令が日本軍司令部から出され、実際に殺されたりもした。
戦後もしまくとぅばの受難は続く。1960年代になると、今度は日本復帰とも関連して、「共通語の励行」というスローガンのもとで、またぞろ「方言札」が復活したりもした。
沖縄が日本に復帰する3年前の1968年から今日まで、私は沖縄に住んだり、行ったり来たりを繰り返してきた。そういう中で、沖縄方言を〈体験〉するのは、地元ラジオ局が昼下がりに流す民謡番組であったり、ウチナー芝居とも呼ばれてきた沖縄の地芝居である。このような形で、細々ながら方言は守られ、生きながらえてきていた。
県議会の「しまくとぅば条例」制定が画期的だ、と私が思うのは、上記のような方言受難史を乗り越えて、あらためてそれを普及させようとする沖縄のありようにある。
しまくとぅばは琉球王国時代からずっと沖縄文化の土台を担ってきた。その意味では博物館などに残る形のある文化財などと同じ位置を占める。だが、日本のどこの地方もそうだが、方言はこれまで標準語と呼ばれる東京言葉の前では萎縮してきた経緯がある。
ほかの県と比して沖縄は、特異な文化と、その文化故に特異な歴史を経験してきた。琉球王国時代から数えても、〈薩摩世(ゆ)〉〈ヤマト世(ゆ)〉〈アメリカ世(ゆ)〉そして再び〈ヤマト世(ゆ)〉と4つの〈世(ゆ)〉のもとに暮らしてきた。その上で今、人間が生きていく上で最も基本的な言葉という世界で、しまくとぅばの復権に取りかかろう、というのである。
この新たな出発がどのような意味を持つのか、そしてどのような効果をもたらすのか、いずれ見えてくる。来年は沖縄の復帰から35年。沖縄は沖縄自身の道を歩き始めようとしている、といったら過言であろうか。
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