3ヶ月前、あんなに元気だった、ばあちゃんは、
病院のベッドの上で、チューブだらけになって横たわっていた。
最後に会ったのは、確か、脳トレの新しいソフトを買って、
もっていってやった時、
「ありがとうね」
そう、何度も言って、涙ぐんで喜でくれた。
俺が家庭を持つことになった時も、
長い長い手紙を、達筆な筆で書いて、送ってくるような
凛としたばあちゃんである。
急に手術をすることになり、今ではもう2ヶ月も、ベッドの上だ。
痛みを取るための手術はしたのだが、その原因となっている癌は、
もう手の施しようもないために、そのまま縫合したらしい。
2ヶ月間、食べ物を口にすることも禁じられていたそうである。
あんなに元気に動き回っていた人が、
体の自由を奪われ、食事さえもとることがでいない。
「なさけない。こんな姿に、なっちゃたよ」
話しかけると、ばあちゃんは、まったく正気だった。
まだ惚けてくれててた方が、まだよかったかもしれない。
彼女は、自分がおかれている今の状況を正確に把握していた。
おそらく、もうこの病院から退院する日が来ないであろうことも
きちんと理解している。
同室の、もう半年間、意識のないじいさんが、うなり声をあげる。
こんなところで、ばあちゃは、生きながらえている。
俺は、仕事の話や、家族の話を聞かせてやった。
涙目の笑顔で、ばあちゃんは、一生懸命に聞いてくれた。
俺は、ケータイで撮った桜の写真と、家族の近影を見せる。
「また来るから」
そう言うと、ばあちゃんは、俺にゆっくりと手を差し出した。
「生きる」ってなんだろう。
「生きる」ってなんだろう。
「生きる」ことって、なんだろう。