YS_KOZY_BLOG

History, Strategy, Ideology, and Nations

一流選手になれない気質

2010年09月19日 | ET CETERA
 小学生の頃、地元の少年野球チームに入っていた。
 ポジションはキャッチャーだった。
 監督やコーチから出されたサインをきちんと覚えている唯一の選手だったからである。
 今にして思えば、随分と情けない理由でキャッチャーを任されたものだが、
 そんなチーム事情にもかかわらず、意外に強くて、市内の大会ではいつも優勝していたし、
 協会推薦で出場した近畿大会でも、3位まで上り詰めた。
 全国大会への出場枠は、優勝・準優勝の2チームに限られていたため、
 その切符を手にすることはできなかったが、
 サインもまともに使えないチームがここまで勝ち残ったというだけでも大したものである。
 そのため、負けても別段、悔しいとは思わなかったし、
 明らかに準決勝で実力の差を感じたので、負けたのも仕方ないと割り切ることができた。

 だが、試合後、周囲を見ると、同じチームメイトが涙を流して悔しがっていた。
 聞くと、全国大会に行きたかったそうである。
 おいおい、だったらサインくらい全部、覚えてから試合に臨もうぜと言いたいところだったが、
 そこは内心、こちらとしても行けるものなら全国大会に行きたかったので、
 確かに残念な気持ちは持っていた。
 しかし、それが悔しいという気持ちに到達するまでには、大分、距離があって、
 さすがに涙がこぼれるような感情の起伏を生んではいなかったのである。

 すると、周りで泣いていないのは、自分一人であることに気づいた。
 監督やコーチは、他のチームメイトを慰めたり、肩を抱いてやったりして、
 なかなか感情を抑えることができない様子だったが、
 自分はさっさとプロテクターを外して帰り仕度を進めていたのである。
 おそらくそうした態度がどうも気に入らなかったのであろう。
 見に来ていた父兄の一人が、こちらに向かってきて「悔しくないのか!?」と詰め寄ってきた。 
 ここで、小学生のくせに生意気なことを言わなければよかったのだが、
 「悔しいというより、残念な結果だった。また次に頑張ればいいと思う」といったところ、
 「そんな心構えだから負けるんじゃ!」と怒鳴られた揚句、一発、殴られてしまった。

 それは、幼心にきわめて理不尽に感じた。
 ちなみに、その日の準決勝は、19対2で負けたのである。
 もはや精神論で克服できる得点差ではない。
 要するに、ボロ負けなのである。
 実力の差を感じたというのは、そういう意味である
 しかし、それを今、言い募っても、かえって火に油を注ぐようなものである。
 そのため、理不尽に思いながらも、小さく「スイマセン…」と言うしかなかったのである。

 この出来事が災いしたからかどうかは分からないが、
 昔から「スポ根」が嫌いである。
 仲間同士の同調圧力がどうしても好きになれないからである。
 また、この気質が団体競技のプレーヤーに向かないことも悟った。
 それよりも、相手のデータを収集・分析して、あれこれと戦術を考えたり、
 過去の試合を振り返って、その敗因を検討したりする方が性に合っている。
 その点では、基本的に裏方気質なのだろう。

 ただ、一流と呼ばれる選手は、この両方を兼ね備えているように思う。
 イチローなどを見ていると、つくづくそれを感じる。
 華やかさと地道さ、この二つの面を持っていてこそ、国民的スターになれる。
 中学に進学する際、リトルリーグに所属して野球を続けていれば、
 有名校からスカウトされるかもしれないと期待を寄せてくる人もいたが、
 きっとその道に進んでいても、この気質が変わらない限り、一流選手になることはなかったであろう。
 早々に撤退して正解であった。