YS_KOZY_BLOG

History, Strategy, Ideology, and Nations

クラウゼヴィッツとマルクス主義

2010年03月02日 | THEORY & APPROACH
 昨日と同じく、クラウゼヴィッツの話をもう少し続けたい。
 以前のブログ(2009年11月28日)でも若干、触れたことがあるが、
 クラウゼヴィッツの戦略論を好んで受け入れたのは、実を言うとマルクス主義者たちであった。
 彼らにとって、自らの政治闘争を根拠づける基本的な戦略として、
 クラウゼヴィッツの戦略思想は、非常に都合がよかったのである。

 クラウゼヴィッツが立てたテーゼとして、「戦争は政治の延長である」というものがある。
 マルクス主義者は、これを逆さまに捉え直して、「政治こそ戦争そのものである」と解釈したのである。
 とりわけ、ロシア革命の立役者、レーニンは、『クラウゼヴィッツ・ノート』を作成して、
 その戦略思想の理解と解釈に情熱を注いだのであった。
 また、クラウゼヴィッツの影響は、毛沢東にも及んでおり、
 ゲリラ戦の手法を逐一説いた彼の著書、『遊撃戦論』の根幹を占める思想となったのである。

 クラウゼヴィッツの戦略思想が軍人に受け入れられたことは分からなくもないが、
 なぜマルクス主義者たちにも、同じく称賛されたのであろうか。
 その理由については、次の文献が非常に詳しく検討しているので、参考にしてもらいたい。

 中村丈夫氏軍事論集刊行委員会編
 『クラウゼヴィッツの洞察』
 彩流社、2006年

 おそらく本書は、クラウゼヴィッツの戦略思想とマルクス主義の関係を読み解いたものとしては、
 日本で最も深く検討した論文集といっても過言ではないだろう。
 
 しかし、マルクス主義者が政治と軍事の一体性を強調し、
 革命指導者への権力集中を擁護すればするほど、
 国民生活への関心がどんどんと薄れていくことになってしまうのは、
 マルクス流の革命理論が抱える最大のジレンマといえよう。

 確かに、大衆社会が到来し、総力戦の時代に入ったことで、
 あらゆる政治的課題が、軍事と切り離して考えることは難しくなったことは事実である。
 経済情勢の浮沈は、軍事費の捻出に直結するし、少子高齢化の進展は、兵力減少の一因となる。
 国際主義的な思想の流行は、国民の士気低下につながり、
 教育水準の後退は、部隊の統率に際して、混乱を引き起こしかねない
 それを見越して、革命家たちは、国民生活を次々と引っ掻き回す戦術を採用することになるだが、
 よほど政府に対して、激しい不満を共有していない限り、
 国民がそうした野蛮行為を容認することはないのである。
 
 マルクス主義の戦略思想が、致命的に間違っているのは、
 国民生活を戦場として捉えてしまっていることである。
 国民とは現金なもので、自分の生活さえ安定していれば、政府が悪くても文句を言わないものであり、
 むしろ、それを壊そうと画策する者に対して、強く嫌悪する感情を抱く。
 大衆とは、得てして保守的なのである。
 実際、共産革命が成功した国々では、一部、例外はあるにせよ、
 ほとんどが他国からの軍事支援を受けながら、体制転覆を達成した国ばかりであったことは、
 マルクス主義の革命理論が、純粋には成立しないことを暗に意味している。

 もちろん、冷戦期においては、米国もまた、経済や文化を「戦争」の一部と位置づけていたが、
 彼らは国民生活を混乱させることではなく、安定・育成させる方向で戦術を立てた。
 その結果は、すでに歴史が証明しているように、米国の勝利に終わったのである。
 
 実を言うと、クラウゼヴィッツもまた、国民生活を混乱に陥れろとのニュアンスで、
 「戦争は政治の延長である」というテーゼを立てたわけではない。
 あくまでも外交との兼ね合いを無視して、
 単純に軍事力だけで戦争が成立する時代が終わったという意味で述べているのであって、
 マルクス主義者たちは、自分たちの都合の良い部分を適当につまみ食いして、
 クラウゼヴィッツの思想を使っていたに過ぎなかったのである。

 クラウゼヴィッツの思想は、何といっても『戦争論』(中公文庫、岩波文庫他)を読むことから始まるが、
 哲学的でありながら、必ずしも論理立っていない内容は、実に多くの誤解と誤用を生んできた。
 その意味で、大変罪作りな戦略思想だったともいえるのである。