YS_KOZY_BLOG

History, Strategy, Ideology, and Nations

おじさんになった

2010年05月22日 | ET CETERA
 恥ずかしながら、すでに結構いい年齢になっているので、
 周囲の人たちの中には、もう結婚して、何人か子供を授かっている人がいる。
 また、本人は結婚していなくても、身内で結婚した人がいて、
 その人が時折、連れてくる子供のことを嬉しそうに話してくる人もいる。

 面白いのは、そうして子供の話題を持ち出してくる人に限って、
 以前だったら、子供なんて見るのも鬱陶しいと嫌っていた人が意外に多いことである。
 そんなふうに様変わりした人を見ていると、
 母性本能とは男性にも備わるものなのだろうかと思ってしまうこともしばしばだが、
 何にせよ、子供の誕生は、人格を変えるような出来事であることだけは、確かなようである。

 随分前に、どこかで誰かから聞いたことだが、
 政治を知るには結婚しなければならず、歴史を知るには子供を作らなければならないそうである。
 もしそれが真理であるとするなら、
 現時点において、結婚もしていなければ、子供もいない身の上としては、
 政治も歴史も全然分かっていないことになる。
 どちらも一応、専門の研究対象としているので、これは大変なハンディキャップである。
 どうやら理論や知識だけでは埋めがたい壁というのが、
 この二つの分野には厳然と存在しているらしい。

 もちろん、これは単に、年上の人が年下の人に吹かせる先輩風にすぎないのかもしれない。
 ただ、あながち間違っているとも思えないのは、
 歴史上の人物でも、未婚だったり、子供がいなかったりする政治指導者には、
 ともすれば、エキセントリックな人間が多いような印象を受けるからである。
 
 たとえば、その両方を併せ持った稀有な例として思い出されるのは、
 やはりナチスの総統ヒトラーであろう。
 国家を自分の所有物として見なして、自分が死んだら国家もまた崩壊させるという発想は、
 子供がいなかったという事実と決して無関係ではなかったように思われる。
 おそらく金日成や金正日にしても、自分の代で国家を終わらせるつもりはなかったであろうし、
 今後もそうした発想を抱くことはないと推定されるのは、
 世襲による国家権力の移譲に、きわめて神経を使っているからである。
 その点では、ヒトラーよりも金一族の方が、
 国家としての意志決定における合理性を、多少なりとも期待することができるのである。

 とはいえ、学問の世界でも、今では保守派と呼ばれる人たちが、
 実は若い時分、マルクス主義にどっぷりと嵌っていたということは、よく聞く話である。
 一度、それを通り過ぎた人に言わせると、
 マルクス主義は麻疹みたいなものだということになるのかもしれないが、
 思想や歴史観といったものも、結局は精神年齢や人生経験に裏打ちされるものなのかもしれない。
 たとえば、これまで人間は所詮、金銭に動機づけられると思っていたが、
 自分に配偶者や子供ができたことで、
 金銭以外の理由でも、人間は行動を決断することがあるという体験を得ることによって、
 徐々に唯物史観から離れていくように。
 あるいは、伝統や文化の価値を重んじていたにもかかわらず、
 未曾有の景気悪化と生活環境の苦しさによって、
 所詮、この世は金次第と悟ってしまって、唯物史観の虜になっていくように。
 
 ところで、昨日、妹が男の子を無事、出産した。
 出産までの間、安静のために、我が家で数週間、過ごしていたのだが、
 これにて、とうとう「伯父さん」になってしまった。
 それにしても、自分の子供でもないのに、
 その寝顔を見ていると、妙にホッコリした気持ちになるのは、
 すでに何らかの心境の変化が出始めている兆候なのかもしれない。
 人のことを面白がっておいて、まさか自分もそうなってしまうとは予想していなかった。
 いやはや、まったく面目ないことです。