YS_KOZY_BLOG

History, Strategy, Ideology, and Nations

12月24日

2009年12月24日 | THEORY & APPROACH
 昨日、仙台から大阪へ向かう機内での時間潰しのために購入した本が、
 想像以上に面白かったので紹介したい。
 
 桑田忠親
 『武士の家訓』
 講談社学術文庫、2003年

 著者は元来、茶道史を専門とする歴史家なのだが、
 徳川家、豊臣家、織田家はもとより、
 武田家や北条家、島津家、朝倉家、毛利家などの家訓や訓戒を取り上げて、
 その内容や背景について吟味している。
 執筆した動機に関してはまったく言及されていないので、
 なぜ著者が武家の家訓に興味を持ち、それを紹介しようと思ったのかは不明だが、
 余計なことをあれこれ書き連ねるよりも、
 「史料をして語らしめる」という歴史学伝統の叙述方法によって、
 当時の武家社会において尊ばれた精神性に触れてほしいということなのだろう。

 興味深いのは、いずれの家訓も、程度の差こそあれ、
 武士たる者は武勇を誇るだけでなく、文芸の道にも通じるべきであり、
 慈悲と寛容の心をもって人と接することを説いている点である。
 イタリアでは、マキャヴェリが『君主論』と書いて、国王に統治術を授けたが、
 日本では、各々の武家が独自の統治術を培い、それを代々、伝えていたようである。
 そのスタイルは、武田家のように、中国の古典を引きながら教え諭すものや、
 島津家のように、いろは歌に乗せて、分かりやすい工夫を凝らしたしたものなど、
 武家ごとに特徴が表れていることも面白い。

 個人的に共感するところが多かったのは、
 豊臣秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛(如水)が息子・長政に与えた訓戒である。
 少し長いが、一部、ここに引用してみたいと思う。

 「すべて国を治めていくには、尋常の人と同じ心がけでは駄目である。
  まず政道に私なく、その上、わが身の行儀作法を乱さず、万民の手本とならねばならない。
  平素好むところでも、よくこれを選び慎むことが大切である。
  主人の好むところは、家来や百姓町人も、自然と真似をするものであるから、特に注意せねばならぬ。
  文武は車輪の両輪のごとく、その一つがかけてもだめである、と昔の人もいっている。
  治世に文を用い、乱世に武を用いるのは、当然のことであるが、
  治世に武を忘れず、乱世に文を捨てないのが、最も肝要である。

  たとえ世の中が治まったとしても、大将たる者が武を忘れたならば、
  軍法がすたり、家中の侍たちも自然と心が柔弱となり、武道の嗜みなく、武芸の怠り、武具も不足し、
  塵に埋もれ、弓槍の柄は虫の住みかとなり、鉄砲は錆び腐って、俄かの用に立たない。
  軍法も定まっていないから、もし兵乱が起こった場合には、どうしたならばよかろうと、驚き騒ぎ、
  喉がかわいてから井戸を掘るようなことになろう。
  武将の家に生まれたからには、しばらくも武の道を忘れてはならぬ。

  また、乱世に文を捨てる人は、軍の道理をさとらぬから、制法が定まらず、国家の仕置に私曲が多く、
  家人や国民を愛する術がないから、人の恨みが多い。
  血気の勇だけで、仁義の道がないから、士卒に敬慕の念が欠け、忠義の志が薄くなるから、
  たといいったん軍に勝つことがあっても、後には必ず亡びるものである。
  大将が文道を好むというのは、必ずしも書物を多く読み、詩を作り、故事を覚え、文字を嗜むことではない。
  誠の道を求め、何事につけても吟味工夫を怠らず、筋目をたがえず善悪をただし、
  賞罰を明らかにして、心に憐みの深いのをいう。

  また大将が武道を好むということは、ただやたらに武芸を好み、心のいかついことを意味するのではない。
  軍の道を知って、つねに乱を鎮めるための知略を行ない、武勇の道に志して、油断なく士卒を訓練し、
  手柄のある者に恩賞を施して剛臆をただし、無事の時に合戦を忘れないのをいう。
  武芸に凝って、ひとり働くことを好むのは、匹夫の勇といって、小心者の嗜みであり、大将の武道ではない。
  また、鎗・太刀・弓馬の諸芸を自から行なうのを、匹夫の仕事であるとして、
  自分で一度も行なわなかったならば、家来たちの武芸も進歩することがないであろう。
  ただ、武芸の大本を心得て、大将自身も武芸を学び、
  また文字も自から学んで、侍たちにそれを奨励すべきである。
  昔から、文武の道を失っては国家も治めがたい、といっている。
  よくよく心得ねばならぬ」(pp. 288-289)

 また、黒田家の子孫に対しても、次のように訓戒している。

 「概して、大名の子どもは生まれたときから、平素安楽に育ち、難儀をしたことがないから、
  下々の者の苦労を知らない。
  それだから、人の使いようが荒く、下々の困っていることを悟らず、
  上一人のために万民を悩ますことが多い。
  (中略)
  大名の子に生まれては、たといその心が賢くとも、下々の苦しみや難儀をまだ知らないわけであるから、
  よくよく深い心がけがなくては、諸子万民に到るまで、疲れ苦しみ、難儀に及ぶものである。
  深く考うべきことである」(pp. 291-292)

 どこかの国の首相も、ぜひ一読して、深く考えるとともに、よく心得てもらいたいものである。