YS_KOZY_BLOG

History, Strategy, Ideology, and Nations

「帝国」論者の軽薄さ

2010年02月28日 | THEORY & APPROACH
 米ソ冷戦が終結して、世界秩序が米国の一極構造で支配されているとの見解に立つ論者からは、
 米国帝国論がにわかに盛んに論じられるようになった。
 最近では、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの共著が話題になっており、
 それを題材としたシンポジウムや研究会が日本でも開かれていて、その影響の大きさを知ることが出来る。

 アントニオ・ネグリ&マイケル・ハート/水嶋一憲・酒井隆史・浜邦彦・吉田俊美訳
 『<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』
 以文社、2003年

 結局、何が言いたいのか分からない内容で、
 個人的には、どうしてこんなに評価されているのか理解できない部分もあるのだが、
 ともかく、言わんとしていることは、現代を支配する秩序(要するに、米国の一極構造)への抵抗であり、
 そのために、個人がネットワークを通じて戦い続けることの大切さを訴えているということである。
 
 彼らにとって、米国という「帝国」の存在は、極めて大きなものとして捉えられているだろう。
 実際、彼らがかつてシンパシーを寄せたソ連を崩壊に導いた国であり、
 軍事・経済・文化の各領域において、最も影響力の強い国であることに異論はない米国の姿は、
 もはや太刀打ちすることも不可能なほどの「巨人」に見えるのである。
 
 しかし、果たして米国が本当に無比の帝国となったかどうかは何ともいいがたいし、
 その支配が磐石であるかという点についても、確定的なことは誰も言えない。
 そもそも「帝国」という言葉自体、きわめて曖昧なニュアンスをもって語られることが多いため、
 それが単なる大国を指しているのか、あるいは、植民地支配を通じた国家の主属関係を指しているのか、
 判然としないことが頻繁に見られる。
 
 もし前者であるとすれば、「帝国論」などと大上段に構えなくても、
 すでに国際政治の分野では、現実主義の立場がこの問題については再三、検討しているので、
 特に目新しい議論が生まれる可能性は低いと思わざるを得ない。
 一方、後者であるとすれば、米国の一極支配構造が、国家の主属関係に立脚しているわけではなく、
 むしろ、中小国の自発的意志によって、その構造が支持されていることを考えれば、
 「帝国論」の語り手たちは、大きな事実誤認を犯していることになる。
 もちろん、以前の主属関係と、現代のものとは形式が異なっているとの指摘は当てはまるかもしれないが、
 そうだとすれば、それが以前の形式とどう異なっていて、
 現代的な特徴として、何が抽出されるのかを明らかにすべきだろう。

 そうした中で、今朝のロサンゼルス・タイムズ紙に掲載されていたナイル・ファーガソン氏の論説は、
 帝国とは、複雑なシステムを内包しているがゆえに、
 時として、些細な出来事から一気に崩壊へと突き進む可能性を秘めていると指摘する。
 人は誰しも、それがいつ来るのかということに関心が向かいがちだが、 
 そのことを論じることにあまり意味はないという。
 強いて挙げるとすれば、帝国の崩壊は財政上の危機によってもたらされることが多く、
 その危機に対応しようとすることによって、かえって崩壊へのプロセスを早めてしまう危険性に言及している

 Niall Ferguson
 "America, the Fragile Empire"
 Los Angeles Times, February 28, 2010
 
 これは、2008年のリーマン・ショック以降、米国が直面している状況を揶揄したものだが、
 「帝国」としての米国が決して磐石な存在ではなく、
 かつてソ連がそうだったように、ある日突然、その帝国が崩壊する可能性があるとの警告が込められている。
 すなわち、論説の副題にもあるように、米国という「帝国」は、「脆弱」だというわけである。

 ただし、こうした議論は、ともすれば、極めて時代的な雰囲気の中で論じられることも確かで、
 「米国衰退論」は、常に時事的なトピックとして、悲観論者によって好んで語られてきたものあったし、
 そのたびごとに米国が事態打開への政策を打ち出し、危機を克服してきたことは忘れられがちである。
 米国的な強さとは何かについて考えることは、またそれで一つの大きなテーマではあるが、
 「帝国」論者には、立場はどうあれ、感傷的な議論が目立つことは否定できない。

 時代が過渡期を迎える中で、米国だけが世界秩序を支えているわけでは決してあるまい。
 だが同時、その存在が非常に大きいことは認めなければならないだろう。
 軍事・経済・文化の各領域において、日本にとって米国の存在はやはり無視できいないものであるし、
 また無視してはならない国である。
 一部には、米国衰退を嬉々として語る論者もいるが、
 それが日本にとって、どれだけ深刻な影響をもたらすか真面目に考えるべきであろう。
 「帝国」論者に見られる特徴とは、まさしくそうした時代的な雰囲気から抜け出ていないにもかかわらず、
 運命論者にも似た議論を展開するところにある。
 その軽薄さこそが、時代の潮流を読み誤る一因となるのである。