続つれづれがるパリ

パリ滞在日記、不滞在日記。日々の思いをつづってみます。

2月

2022-03-12 13:25:00 | ノンジャンル
 深く息を吸って、意を決してキーボードに向かう。今週の月曜日昼前、井上倫宏さんの訃報。信じられず、余りにも早すぎてなかなかさようならが言えない。

コロナになって2020年の新学期5,6月は学校閉鎖で授業ができなかった。井上さんとペアを組むことが多かった都立の芸術高校のクラス。10月は二人で一年生の授業を持った。「ハムレット」第5幕1場、道化の墓掘り二人のシーンをやろうと言ったのはのりさんだった。少し意外な気もしたり、1年生にはどうかなと思ったけれど、今年度も私はそのテキストを使った。今年度は学校にはいらしていなかった。病気の治療のためと聞いていた。

 思い出していた、のりさんと初めて共演した『運転免許わたしの場合』2009年3月公演。ポーラ・ヴォ―ゲルの翻訳劇でのりさん主役、私は妻の役だった。訃報が入った日がお誕生日でその翌日Facebookが13年前の今日の投稿と私に教えてくれた。2009年3月8日の投稿はそのお稽古中、という投稿だ。静かだけれど危うくて、色気のある魅力的な人物…とても印象に残ってる。
 翌年、シアターカイで「桜の園」の翻案劇に出演したのを観に来て下さった。外国人の演出家で、主役、自信が無かった私がどうだったかと意見を聞くと、「そんなこと聞かなくても、ちゃんとしっかりやっていたでしょう。」と言って下さった。その言葉が何よりも強い支えになった。
 2014年岸田國士リーディング「歳月」では、私の演出、理想のキャスティングに参加してくださった。私のような者の誘いを、引き受けてくださったのが嬉しかった。2017年「屋上庭園」に再び出演してくださった。その頃から芸術高校でもご一緒できるようになったので、同じ教室に並んで座る機会に恵まれた。

 亡くなったのは2月28日で家族葬が済んだ後の公表ということだった。昨年の2月にも悲しいお別れがあった。その時と同じ百合の花を買ってきた。蕾が全部開くまで毎日思い出していられる。いろいろなことをありがとうございました、のりさん。でも、まだまだ受け止めきれない気持ちです。

22/02/2022

2022-02-22 11:53:00 | ノンジャンル
 2022年2月22日、フランス式表記だと完全にシンメトリになる数字。ニャンニャン猫の日だそうだ。昨日、京都から帰京した。

 お正月の3日から、プロジェクトニクス公演『さんせう太夫』のお稽古から、先々週6日から13日まで本番。沢山の公演がコロナ中止になっているこの時期に、8日間12ステージを完走できたことは、本当に幸運だった。スモークと埃と乾燥で、痛みはないが声がしゃがれてしまったのは、相当な疲労のせいもあった。打ち上げも失礼して、京都入りの準備。翌朝、朝一で抗原検査をして、陰性の結果と共に新幹線に乗る。
 ミモザプロジェクト『わたしたちの道』シアターE9 KYOTOでの公演の稽古に再入。稽古場に直行すると、台本が更に修正されていて面食らったが、兎に角やるしかない。朝9時から夜まで、演出家は現地パリ真夜中のというか日の出前のリモート参加。誰にとっても過酷だった。19日、20日で3ステージ無事終了。終了というよりは、やっと産み落としたという感慨だった。これから育てていく作品、という気がした。
 ありがとう。京都の最強スタッフと、共演者に感謝の気持ちでいっぱい。劇場支配人の蔭山さん、懐かしい人にも再会した。

21日ホテルをチェックアウトして、地下鉄で四条まで。大好きな「じんとら」さんの山椒を買いたいばかりに。方向を間違えたので歩行中の老婦人に道を尋ねると、一緒に錦市場まで行ってくれた。しっかり買い込んで、向かいの冨美家で鍋焼きうどんで温まる。テーブルにあった黒七味が美味しかったので又じんとらさんの店先にいると、先ほどの婦人が通りかかる。「まだここにいるんかいな」私「おうどん、食べてました」
 四条通りを渡って、さてお湯に入りに行くぞ、さっき婦人が教えてくれた、壬生寺口行きのバスに乗るのだ。バス停まで行くと、またさっきの婦人がいた。「よく会いますねぇ」「お湯に入ったら風邪ひかんようにね」「はい,直ぐ新幹線に乗ります」こんな会話が嬉しい。
はなの湯、で露天風呂につかると雪が舞う。丹波口駅から京都駅へ。壬生寺でもここでも、道を教えてくれる方々が優しい。涙出てくる…。帰りの新幹線で雪景色を見ながら独り打ち上げの心境であった。
 

2022-01-01 23:44:00 | ノンジャンル
2021の秋からが猛烈な忙しさだったが、年内の締め切りも間に合わず大晦日になり、気持ちばかり焦ってもだめだから、最優先することを考えた。朝から横浜へ。父のお墓参り。年末商戦で沸く地下街のイベント花屋は大賑わい。百合を二本買う。家には、二七通りの老舗の花屋さんで、今年はシクラメンの鉢も買った。母の好きだったシクラメン。赤はもう売約済みになっていて、最後の一鉢だった。鉢植えの花はひさしぶり。暮は、いつもの歳のお正月用の食料品代くらいお花を買った。父の墓前にはカサブランカ。1時間くらいはお墓にいて掃除したり、ブラシで磨いたり。天気が良いので着込んでいたが動いていたら身体はポカポカしてきた。駅の手前の横丁で「暖暮」という名のラーメン屋さんに入ると、女性が一人で切り盛りしていた。激励して外に出ると、小雪が舞っていた。家に戻り休まず大掃除。玄関と窓は念入りに。そして長ーい牛蒡を切って前日から酒につけて戻しておいたするめと昆布で松前漬けを作る。仕事に手がつかない。お正月。

0812

2021-08-15 00:56:00 | ノンジャンル
1985.08.12を忘れずに35年が経ち区切りを感じて、2020年は御巣鷹山慰霊登山に行くつもりでいた昨年、コロナ感染症の影響で慰霊祭は中止、一般の登山に関する情報も得られなかった。今年こそはと思い、一般の公開日程を確認し、レンタカーも予約するところまで行ったが13日からの大雨、コロナ感染症の新規感染者爆発中という中、残念ながら断念した。PCR検査をして13日から稽古に入ってもいたし自粛するしかないと判断した。能仁、あれからもう36年も経つのかと、ずいぶん長い時間が過ぎたね、と心の中で囁く。毎年のことだけれど、この日が来ると、SNSで色んな人が記事を投稿していて、できるなら余り読まないようにしてきた。テレビの特番、年月を経て数年前に新聞記者や当時の看護師が証言したこと、などに触れた。演劇を続けてきたことの本当の理由かもしれないあの出来事は、様々な謎も含め、私には重い意味がありすぎて、簡単には振り返れない。
 来年はどんなことを考えているだろうか。


Vaccine

2021-07-17 14:55:00 | ノンジャンル
昨日コロナワクチン2回目の接種翌日、副反応で丸一日ダウンした。梅雨明け宣言、東京が夏になった日だった。朝からだるーく、微熱、節々の痛み、喉の渇き…。思えば、2年位前にインフルエンザに罹った時以来寝込むこともなかったから、久々にゆっくり休んだと言えば言える。接種からちょうど24時間経った時間に37.8度を頂点に、次第に下がり、翌日今日は朝から平熱でむしろ元気だった。
 何が何でも鰻が食べたいと欲し、地元の麹町「秋本」へ開店時間に行く。既に並んでいた。30分はお待ち頂きます、と言われたので自転車に飛び乗り、赤坂へ下る。本籍地一ツ木通りの「にょろ助」(旧瓢六亭)へ走る。入れました!待つこともなく思いが果たせたので嬉しかった。子供の頃からあるお店はまだ少し残っているが、この店が昭和40年代何だったかが、思い出せない。
 帰りは自転車を引いて歩く。弁慶橋から祖母に負ぶわれて来た清水谷公園。清水谷公園の工事は終わっていた。池には亀の姿がたくさん。鯉も泳いでいたし、アメンボもトンボもいた。水際で足を少し濡らして帰路につく。真夏の日差し。
 色んな夏を思い出す…日陰のないアヴィニョンの夏、鎧戸を閉めてシエスタをしたバルセロナやセヴィリアの夏、47度だった。マルセイユに吹くミストラル…グラーツの路面電車…あれは夏じゃなかったっけ。。色んな所へ行ったけど、いつになったらまたそんな世の中になるのかなぁ、ならないのだろうか。