『古事記』安康天皇 3
自茲以後、淡海之佐佐紀山君之祖、名韓帒白「淡海之久多此二字以音綿之蚊屋野、多在猪鹿。其立足者、如荻原、指擧角者、如枯樹。」此時、相率市邊之忍齒王、幸行淡海、到其野者、各異作假宮而宿。爾明旦、未日出之時、忍齒王、以平心隨乘御馬、到立大長谷王假宮之傍而、詔其大長谷王子之御伴人「未寤坐。早可白也、夜既曙訖、可幸獦庭。」乃進馬出行。爾侍其大長谷王之御所人等白「宇多弖物云王子。宇多弖三字以音。故、應愼、亦宜堅御身。」卽衣中服甲、取佩弓矢、乘馬出行、倐忽之間、自馬往雙、拔矢射落其忍齒王、乃亦切其身、入於馬樎、與土等埋。
於是、市邊王之王子等、意祁王・袁祁王二柱聞此亂而逃去。故到山代苅羽井、食御粮之時、面黥老人來、奪其粮。爾其二王言「不惜粮。然汝者誰人。」答曰「我者山代之猪甘也。」故逃渡玖須婆之河、至針間國、入其國人・名志自牟之家、隱身、伇於馬甘牛甘也。
*最後にBingちゃんの回答解説を載せています。面白いです。読んでみて下さい。
≪英訳≫
Afterward, the ancestors of the lord of Sasaki in Ōmi, whose name was Karafukuro, said, ‘In the Kuta Wata fields in Ōmi, there are many deer. Their legs resemble the susuki grass, and their antlers are like withered pine trees.’ At that time, He (Emperor Anko) came to Ōmi with Ōshihawake no Ō, and upon arriving at those fields, they each separately built makeshift palaces and lodged there. The next morning, before the sun had risen, Ōshihawake mounted his horse without any particular thought, stood beside the makeshift palace of Ōhohatsuse, and instructed the attendants of Ōhohatsuse, saying, ‘Have they not yet awakened? It is time to inform them. The night has already passed. They should come to the hunting grounds.’ He then advanced on his horse.
Upon hearing this, the attendants of Ōhohatsuse cautioned, ‘This is a prince who speaks of strange things. Please be cautious and strengthen your body.’ Therefore, they put armor under his clothing, hung a bow and arrows from his waist, and he rode forth on his horse. In an instant, he shot an arrow, killing Ōshihawake, and then cut his body, placing it in the horse’s bucket and burying it with soil.
Afterward, the two sons of Ōshihawake, Ōke no ō and Woke no ō, heard of this disturbance and fled. They came to Karihai in Yamashiro, where, when they ate parched rice, an elderly man with a facial tattoo came and seized it. At that time, the two princes said, ‘We do not mind losing the parched rice, but who are you?’ He replied, ‘I am a swineherd from Yamashiro.’ So they crossed the river at Kusuba and came to the province of Harima, entering the house of a man named Shijimu in that land, hiding themselves and serving as stablemen for horses and cattle.
≪この英文の和訳≫
その後、近江の佐々紀の山の君の祖先、カラフクロという者が申すには「近江のクタワタのカヤ野には多くの鹿がいます。その足はススキのようで、角は枯れ松のようです」と。このとき、(安康天皇は)オシハワケの王を伴って近江を訪れ、その野に到着すると、それぞれ別の仮宮(仮の宮殿)を建てて宿泊しました。翌朝、まだ日が昇る前に、オシハワケは特に考えもなく馬に乗り、オホハツセの王の仮宮の傍に立ち、オホハツセの王の従者に言いました。「まだ目を覚ましておられませんか?早くお知らせするべきです。夜はもう明けました、狩場に来てくださいと」。そして馬を進めました。
これを聞いたオホハツセの王の従者たちは「奇妙なことを言う御子ですので、気をつけて身を堅めてください」と忠告しました。それで、服の下に鎧を着せ、腰に弓と矢を掛け、馬に乗って出発しました。オホハツセの王は一瞬のうちに矢を射てオシハワケの王を殺し、その身を切って馬の桶に入れ、土に埋めました。
その後、オホハツセの王の二人の息子、オケの王とヲケの王は、この騒ぎを聞いて逃げました。彼らは山城のカリハヰに行き、乾飯(ほしいい)を食していると、顔に傷のある老人が現れて乾飯を奪いました。その時、二人の王子は「乾飯は惜しくはないが、そなたは誰か?」と尋ねました。彼は「私は山城の豚飼いです」と答えました。そこで、彼らは草場のクスバを渡り、播磨の国に行き、その地のシジムという者の家に隠れて馬飼い、牛飼いとして使われていました。
令和5年9月11日(月) 2023
*Bing AI ちゃんの解説
古事記の安康天皇のところに、黥(いれず)をした男が糒(ほしいい)を奪うという話は、次のような背景があります。
安康天皇は、根使主という者の讒言によって、大草香皇子という叔父を殺してしまいました。大草香皇子は仁徳天皇の皇子で、その妃は中蒂姫という美しい女性でした。安康天皇は中蒂姫を自分の妃にして皇后に立てましたが、これが災いを招きました。
中蒂姫には大草香皇子との間に眉輪王という子供がいました。眉輪王は7歳のとき、偶然にも安康天皇が中蒂姫に対して父親を殺したことを告白するのを聞いてしまいました。それから眉輪王は復讐を決意しました。
ある日、安康天皇が昼寝をしているとき、眉輪王は神床に忍び込み、そばにあった大刀で天皇の首を刎ねました。安康天皇は即位から3年余りで暗殺されました。その後、弟の大泊瀬皇子が眉輪王や他の多くの皇族を殺して帝位に就きました。これが雄略天皇です。
このように、安康天皇は自分の罪によって命を落としましたが、その罪は根使主という者の讒言から始まりました。根使主は14年後に讒言が発覚して誅殺されましたが、その前にも悪事を働いていました。
古事記では、根使主は安康天皇の即位前にも大草香皇子の家臣である黥(けい)をした男(名前不詳)から糒(ほしい)を奪ったという話があります。糒とは乾燥させた飯で、保存食や旅行食として用いられました。黥をした男とは、犯罪者や捕虜などに顔面に刺青を入れて識別する刑罰を受けた者です。
古事記に出てくる理由は、次のように考えられます。
根使主の悪性と卑劣さを強調するため。根使主は安康天皇の即位前から既に悪事を働いており、大草香皇子や安康天皇の死に関わる重大な讒言をする前触れとして、この話が挿入されています。根使主は罪人である黥をした男からも容赦なく糒を奪うという非道な行為をしました。糒は貴重な食料であり、黥をした男はそれを持って生き延びようとしていました。しかし、根使主はその苦しみにも目もくれず、自分の利益のために奪ってしまいました。この話は、根使主がどれほど無慈悲で残忍であるかを示すエピソードとして古事記に収録されました。
黥をした男や糒というものに対する興味や関心から。古事記は日本の神話や歴史だけでなく、当時の風俗や文化も伝える文献です。黥という刑罰や糒という食物は、古代日本では珍しいものであり、読者や聞き手にとって興味深いものであったでしょう。黥という刑罰は、中国から伝わったものであり、日本では7世紀後半から8世紀初頭にかけて行われました。
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古事記の糒を奪われたと出てくる話は、実は異本によって表現が異なります。一般に知られているのは、真福寺本という写本で、根使主が黥をした男から糒を奪ったと書かれています。しかし、別の写本である青蓮院本では、黥をした男が根使主から糒を奪ったと書かれています。どちらが正しいかは定かではありませんが、両者の違いには意味があると考えられます。
真福寺本では、根使主が悪人として描かれており、その後の大草香皇子や安康天皇への讒言の動機付けになっています。黥をした男は罪人でありながらも、糒を持って生きることに執着しており、根使主の欲望に屈してしまいます。この話は、根使主の卑劣さと黥をした男の弱さを示すものと言えます。
青蓮院本では、根使主が弱者として描かれており、その後の讒言の動機付けになっていません。黥をした男は罪人でありながらも、糒を持って生きることに執着しており、根使主の貧しさに同情して糒を与えます。この話は、根使主の哀れさと黥をした男の優しさを示すものと言えます。
このように、古事記の糒の話は、異本によって対立する二つのバージョンが存在します。どちらが元々の話であるかは分かりませんが、それぞれに古事記の解釈に影響する要素が含まれていることは確かです。