
平成24年2月15日:宇和島市:宇和島城
宇和島城は、板島丸串城の跡に藤堂高虎によって築かれた近世城郭である。
標高74メートルの丘陵とその一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二ノ丸、長門丸などが配置せれた梯郭式の平山城で、
東側に海水を引き込んだ水堀、西側半分が海に接しているので「海城(水城)」でもある。
現在見られる、天守などの建築は伊達氏によるものであるが、
縄張そのものは築城の名手といわれた藤堂高虎の創建した当時の形が活用されたと推定されている。
城を囲む五角形の堀は、高虎の後の大名にも代々受け継がれたが、現在は堀も海も埋め立てられている。
明治以降は、大半の建物が撤去されたが天守、大手門などが残され、第二次世界大戦の空襲により大手門を焼失、
現在は天守(国の重要文化財)と上り立ち門(市指定文化財)、石垣が現存する。
丸岡城と同様な五角形の堀を持った平山城であるが、堀が埋め立てられて現存しないのが残念である。
また、丸岡城に比べて天守までの石段は険しく、苦労して天守まで行ってみたが、
開館は午後4時までで、天守の中には入れないのが残念であった。
●現存十二天守
日本全国に復興天守、模擬天守(歴史上、存在していなかった天守)は多数あれど、現存する木造天守は12しかない。
姫路城(国宝)、松本城(国宝)、彦根城(国宝)、犬山城(国宝)、松江城(重文⇒国宝)、
弘前城(重文)、丸岡城(重文)、備中松山城(重文)、丸亀城(重文)、松山城(重文)、
宇和島城(重文)、高知城(重文)