2020年の恋人たち /  島本理生

2022年07月21日 | さ行の作家


32歳の女性の二年間の物語。

母を事故で亡くすことから物語は始まります。
主人公、前原葵さんは母が開店するはずだったワインバーを引き継ぎ開店させていくのですが、それと並行して男性たちとの出会いと別れが描かれていきます。

葵さんは恋愛相手と潔く別れていくのですが、それが新たな出会いを呼びます。
「もういらない」と決別しなければ、出会いはないのです。

ただひとり必要な人であるワインバーの従業員の松尾君とは、恋愛対象者ではないのに一緒に暮らし始めます。
一緒に働きながら、一緒に暮らす、もうそれは家族です。

というか、葵さんは誰にも頼らずひとりで生きているっていう女性なのに、一人暮らしは物語の中では描かれていません。
お母さんと暮らしていた、でもひとりだった。
彼と同棲していた、でもひとりだった。
そして、叔母さんの家で叔母さんと暮らし、叔母さんが叔父さんのもとへ帰るとそこで松尾君と暮らす。

どうして松尾君は葵さんのずっと必要な人のままなのか、考えてみました。

松尾君は最初から葵さんを「前原さん」と苗字で呼びます。同居してもなれなれしく「葵さん」や「葵ちゃん」などとは呼ばない、潔い一線を引き続けます。
あくまでも、雇用主と従業員。
むやみに踏み込んでこないという安心感があります。

なので、いつか男と女として向き合うような予感。
今は別々の恋愛対象者がいるにしても。
いつかカップルになって、家族になって、お父さんお母さんになって、おじいちゃんおばあちゃんになって…、そんな予感。
というより、私の願望です。

2020年、コロナ禍が始まって、葵さんのワインバーもその渦中の真っただ中ですが、それを乗り越えて、葵さんと松尾君ふたりの恋の物語を読みたくなりました。

本文より

「僕らは、それなくして生きられないものほど軽視したがりますから」

「他人の責任なんて誰にも取れませんよ。それは精神の越境行為です。悔んだり、不幸になったりして自分に酔っ払うことまで含めて、本人の自由ですから。他人の後悔する権利まで奪ったら、失礼ですよ」

二人でも、とホテルの自動ドアを通りながら、心の中で呟く。一人、なのだ。人間なのだから。






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