星のように離れて雨のように散った /  島本理生

2022年06月21日 | さ行の作家


前回に続いて、島本理生さんの物語です。
「夜はおしまい」と親の宗教のこととか関わり合いが似ていたりしますが、この「星のように離れて雨のように散った」の方が救われます。

この物語は解決への道程の物語です。
なので苦しいことうまくいかないことももちろんあって、読んでいて辛くなることもあります。
それでも、次第に人々の星の光のようなやさしさが沁みてきます。

主人公の春さんは友人たちやアルバイト先の作家との関わり合いを通して自分が見えてきます。
それによって恋人の亜紀君の隠れた部分も見えてきたりします。

自分の姿は自分の目では見ることができないし、自分の心というのも偏りがあったりして、自分を知るということはなかなか大変です。

春さんはある時の服装について友人から指摘されますが、その場面が私には特徴的でした。

無意識にこれから出会うであろう人の好みに合わせている自分…って、とても怖い気がします。
例えば男性と会う時、無意識のうちに胸元がひどくあいた服とか、透けている服を着たりしたら、それは自分にとって「気持ち悪い」ことだと思います。
その「気持ち悪い」ことをどうしてしてしまうのか?

服ってすごくわかりやすいことです。
服じゃなくて、相手の言葉とか意思だったら、どうでしょう?
そうは思わなくても相手の意見に合わせてしまったりすることはよくあります。それを少しも違和感なく受け入れている。
そうやって結果的に私を失くして行ってしまうのだろうな、と思います。

ひとりひとり違うように、ひとりひとりの価値観だったり意見だったりが違って良いわけで、違いがあるなかでそれを尊重しつつお互いに歩み寄れば良いわけで。
それがうまくいかない、譲れない象徴的なことが「宗教」。

この物語には未完の物語が3作登場します。
ひとつは宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」、春さんの父親作の小説、そして春さん自身の小説。
「銀河鉄道の夜」はそれが未完であるのかどうか、私はわかりません。でも、もし未完であるならなんとしてでも完成させただろうと思います。

「銀河鉄道の夜」でジョバンニはカンパネルラがいなくなるその瞬間を見ていません。
一時も目を離すことなく見ていたら、もしかしたら消えなかった?…
目を離してしまった、そのことに何かしら後悔があるのかもしれません。(トシさんのその瞬間にそばにいなかった?…)

春さんは、子供の頃に父親からも母親からも目を離されてしまいました。
それが、かなしみの元凶でした。

そして、春さんはまわりのことから目を離さなかった。よく見ていました。
それも、かなしみの元凶でした。

見守られたからこそ見えた、「かなしみ」


見守られていることは、ほんとうにしあわせなことです。
そして、見守ることもしあわせなことです。



本文より

「ずっとしたかったこととか、言いたかったこととか、滅茶苦茶でもいいから、いっぺん気が済むまでやってみたら?あなたは甘いんじゃないよ。言わない訓練をしすぎて、自分でももはや本心が何だか分からなくなっちゃってるんだよ。・・・・・・」

最初の夏、あなたは私を見つけて、強く求めた。
だから今度は、私があなたを一つずつ見つける夏だ。






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夜はおしまい / 島本理生

2022年06月10日 | さ行の作家
   

夜のまっただなか
サテライトの女たち
雪ト逃ゲル
静寂

女たちの4編の物語集

読んでいるとこういう物語だとは、、、と、すごく辛くなってしまいました。

そうれはそうなのです。辛くないはずがない
この物語たちはある意味、告白なのですから。あるいは、懺悔。

主人公たちは、4編に登場する金井神父に告解するのですが、この物語自体が告解なのです。
なので、神父どころか、宗教になにもかかわりのない、ただただ無防備な読み手は辛くなるのは当たり前です。

思うのは、作者は辛くなかったのか?ということです。
辛くても、生きる、生きてほしい、生きていけ…そういう祈り、、、でしょうか。

ラスト、登場人物の女性は、パートナーとして女性を選びます。
子供の父親である夫でも恋人の男性でもなく、新たに出会った女性。
女性が女性を相手に選ぶ、それを認められる世の中になってきたことが、この辛い物語のちいさな光明のように思えたりしました。

読み終えて、女たちの告解は聞き終わりました。
なので、次に私が知りたい、聞きたいのは男たちの告解です。

傷を負った女たちの告解だけでは不公平。
辛い女たちの物語を描いたら、男たちの物語も描くべきでしょう。

現実世界でも戦争が始まって、ウクライナの人たちや大統領の言葉は聞くことができます。
私がいちばん聞きたいのはプーチン大統領の言葉。
嘘いつわりのない告解。
みんな、そうなのでは?


本文より

「いえ、ただ一瞬でも、その奥を見つめてはいけないものがあります。たとえ偶然にも目が合えば、その瞬間に、悪魔はもう相手の内に入り込んでいる。悪魔といえば恐ろしいものに聞こえるでしょうが、それは人間の自由意志が姿を変えたものでもあります。もしかしたら本来は神よりも悪魔のほうがずっと人に近いのかもしれません。だからこそ、かならず逃げるのです。・・・・・・」





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