その昔は城下町でもあった。
いまは産業も衰退して、観光もいまひとつ。
なかなか難しい状況にあるようだが、
私が子供の頃は、まだかろうじて花街が残っていた。
中学の同級生の一人が芸者さんになったはずだ。
そういえば中学生の頃、銭湯でじろじろ
こちらを見るおばさんがいた。
わざわざそばへ来て、「洋子ちゃんやろ?」
と確かめもする。
なんだろ、この人、いやな感じだな、と思っってたのだが
置屋の女将さんだった。
継母のところに、「中学を卒業したら、あの子を
うちへ寄越さないか」という話があったらしい。
継母がなんと答えたのか知らないが、私は
中学を卒業する前にこの町から姿を消し、
芸者・洋子(いや、もっと華やかな名前がいいな、
どうせなら)は誕生しなかった。
静かな宮津駅前。
町の至る所に彩色したお地蔵さんがある。
昔は地蔵盆の前になると、小さな子供達が
お地蔵様を川原に運んできれいに色を落とす。
年齢がもうちょっといくと、新しい色を塗る
役目をさせてもらえる。
その風習はいまでも残っているのだろうか。
宮津には大正時代にできた畳敷きのカトリック教会がある。
そこは観光名所にもなっているが、今回、通りすがりに
この「聖アンデレ教会」を見つけた。
あったんだろうなあ、昔も。
木造で、素朴なところがとてもいい風情。
創業が元禄年間という旅館「清輝楼」、大広間の天井。
角のカーブが特徴。
建物全体が貴重な歴史遺産だが、文人墨客の宿としても
有名だったので、色紙や絵がたくさん所蔵されている。
野口雨情、菊池、吉川英治などなど……。
それらを「小さなちいさな美術館」の展示品として
館内で見ることができる。宮津へいらしたらぜひ!
清輝楼はこちら。
http://www.seikirou.co.jp/index.htm
で、前日の夜は、同じく宮津の名流旅館「茶録別館」の
レストラン「花の」で蟹づくしのお料理をいただいた。
ちょうど松葉蟹のシーズン。
蟹の刺身、焼き蟹、茹で蟹、そしてブリのしゃぶしゃぶも!
しかし、島村佳さん、幼馴染みのMさん、Mさんの友達Yさん、
と女ばかり四人の食事だったので、お喋りと食べることに夢中。
見事に写真を撮り忘れた。
茶六別館はこちら。
http://www.charoku.com/
賑やかに笑いながらの食事だったが、Yさんの言った、
「わたし、やりたいことがいっぱいあるんやもん、
死んどられへん!」という言葉に感銘した。
私は弱虫で、すぐ楽な方へ逃げようとする人間だから
ちょっと何かあると「生きてるのは辛い」と嘆いてきた。
「生きとられへん!」の方である。
そこへ力強く投げ込まれた、「死んどられへん!」。
人間、いつかは必ず死ぬのだから、生きてて、まだ
何かやれる可能性のある限り、「死んどられへん!」という
心意気こそ大事かもしれない。
それがないと、逆に生きてても辛いばかり。
こんな歳になってから言うのもなんだが、Yさんの言葉、
大事にもらっとこう。
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冬桃
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