冬桃ブログ

横浜の冬はまだらしい。

 師走に入った。なのにまだ夏掛けの薄い布団で充分。
 出かける時もコートがいらないほど。
 11月半ばにS村から横浜に戻って以来、
外出、会食の機会が多い。
 年末だから区切りとして会っておきましょう、コロナや
インフルエンザが収まってるわけではないが、まあ、
このへんで少し緊張感を解かせてもらわないと身が持たない
……という気持ちに、誰しもなっているのだろう。

 先日はウォーキングまでしてきた。
 14年間暮らした南区。真ん中じゃなくて裏のあたり。
 丘が連なっていて、急峻な坂が多い。
 蛇坂、山羊坂、狸坂、牛坂など、動物の名が多くついている。
 その名から浮かぶ鬱蒼たる雰囲気は、いまも残っている。
 私は吉田新田と呼ばれた埋立地に住んでいたが、
川向こうの丘側へよく散歩に行った。
 狸坂を上って唐沢の丘に上る。
 途中は廃屋だらけだった。


 当時は大きな木造アパートが放置されていた。
 その奥の荒れ果てた庭に小さなお稲荷さんがあって、
 野良猫が数匹いた。
 
 稲荷狐の上に乗ってポーズを決める猫。


 しかしここ数年で廃屋は取り壊され、お稲荷さんも
残ってはいるものの、近くへは行けなくなった……と
この界隈に住む友人から聞いた。
 あの猫たちはどうしたろう。

 狸坂の上にある唐沢公園。
 みなとみらいが一望できる。


 この公園の叢に小さな石碑があり
「避病院」という文字が刻まれている。
 避病院とは明治10年から使われた
伝染病隔離病院の呼称だ。
 この年、コロナならぬコレラが猛威を奮った。
 日本だけではなく世界的な大流行だったようだが
神奈川県内ではこの年だけで患者は千人を超え、
翌年には倍に増えたという。
 海外から入ってきたのでコレラは「アメリカ狐」
などとも呼ばれた。有効な治療法もない。
「狐をやっつけられるのは狼だ!」というわけで、
三峯神社などの狼のお札が流布したという。

 横浜の居留地に住む外国人達もコレラから
逃れるすべはなかった。山手には外国人専用の
避病院があったのだが、建物が破損したので
あらたな病院を、と日本政府に要請し、
この唐沢公園に移設建造された。
 患者は関内の居留地からこの急坂を
大八車で丘の上へと運ばれてきたのである。
 この避病院は関東大震災で崩れ去った。
 小さな石碑は、いつ、誰によって置かれたのだろう。
 草に埋もれながら、ひっそりと歴史を語っている。


 この日は、大小おびただしい「狐」が
置かれた西森稲荷も訪れた。
 狐もいいが、私は大好きな蛇神様と再会。

 
 この神社で数回、「釜鳴」という興味深い神事を体験した。
 詳しいことはこちらを。
https://blog.goo.ne.jp/yokohamaneko/e/5113ddd76f22a2a5dc818afc2a416b9f

 ぽかぽか陽気の本日は、ご近所の称名寺を
一人で散歩。初冬の景色が美しい。


 穂を出した蒲(がま)。
 悪者に騙されて大怪我をした因幡の白兎は、
通りかかった大国主命に「蒲の穂で体を覆いなさい」
と教えられ、その通りにしたおかげで傷がスッカリ癒えた
……という神話を思い出す。


 初めて遭った路傍の花、「爪蓮華(つめれんげ)」という名らしい。


 帰宅して、おやつに白菜を。
 巻いた白菜の中のほうにある薄黄色の葉。
 これを一枚はがし、さっと洗ってぱりぱりとそのまま齧る。
 甘くて美味しい。胃がすっきりする感じ。
 最近、これにはまっている。


 

 

 
 

 
 
 
 


 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
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