愛機・父は米国製、母はミノルタハイマチックとオリンパスOM2

2011-05-11 13:04:14 | 3.11大震災・釜石
父は満州へ兵隊で赴任したときに、カメラを持って行って、二人の新婚生活や満州の光景を、撮影から現像まで一人でやっていたというから、かなりの年数だ。この手にしたカメラが何代目なのかは不明ですが。2ファインダーで、これも古い。

母の愛用は、ミノルタ・ハイマチックとオリンパスOM2でした。
母は50歳くらいになってから、少し生活をエンジョイしよう!の象徴が、カメラ撮影だったと思います。それ以来撮影はもっぱら母の役目でした。室蘭時代は、二人で噴火湾へ海つりへ何度も出かけたようで、そのつど母は、おにぎり持参で随行して、写真の腕を上げていった様子でした。
いつだったか、自分がとった写真がオリンパスのコンテストにはいり、まるで少女のように喜んでいましたっけ。だから家の中には、お気に入りのつり竿と写真が飾ってありました。




瓦礫の中から、思い出の数々が。
その中に、わたしたちの新居だった習志野・本大久保時代の、ちひろの初節句の写真が。活発に動きだしたちひろの元気な様子を、ローアングルで撮っていたんですね。

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