震災一年 復興釜石新聞

2012-03-18 14:00:06 | 家族&釜石
復興釜石新聞の第76号 3月14日(水)の新聞が届いた。「震災一年 悲しみの追悼式 1500人参列 犠牲者しのび復興誓う」が見出しの本誌一面の記事に釘付けになった。
写真①は、「2時46分、追悼のサイレンに合わせて黙祷する遺族ら」
②は、「追悼式には1500人が参列。祭壇に向かって手を合わせる」
③は、「磯崎咲子さんの遺影を胸に参列した高井三千子さんと兄の磯崎吉弘さん」と、三点の写真だ。
③の写真は、祭壇の前で撮影したアングルだ。三千子は遺影を手に真っ直ぐぬに前を見上げる。私は手をあわせて頭を下げている。その横には札幌からきた妹夫婦‥田中良穂さん恭子二人の姿だ。追悼式の祭壇を前にした四人四様で、見事なシャッターチャンスで捉えていた。その記事が、「母の遺影を胸に参列  兄妹四人が仲良く」の見出しで、
「天神町でひとり暮らしていた磯崎咲子さん(享年九〇歳)を亡くした・・・、一年早かったね。連れてきたよと、優しく語りかけた。咲子さんは自宅にいたところを津波に襲われ、一七日後に、四〇〇メートル離れたがれきの中から発見された。詩吟のグループで長く活動。遺品の中から、一九三三(昭和八)年の三陸大津波のテープ(鎮魂の歌復興の歌)も見つかった。
「追悼式には、四人の兄妹のほか、子や孫など17にんが全国から参列。力を合わせて懸命に咲子さんを探し続けた」という高井さんは「いつも笑い、向上心いっぱいの母親でした。私達兄妹の子供や孫たちも、親よりも先に母咲子さんに相談事をしていました」とたくましく生きた母を偲んでいた。=川向編集長さんの取材=という記事が紹介されていました。

この日の追悼会場には、用意された椅子を追加しても間に合わないほどに、追悼に訪れた人・人・々で会場は溢れていた。



震災から一年に合わせたこの日は、市内のあちらこちらで、様々な追悼の式典つどいが展開されていました。

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