今日はお花のお稽古がありました。
本日の花材はゆり、柳、ミズキの3種生け。
生花正風体(しょうかせいふうたい)という生け方です。
生花という生け方の様式は、「真(しん)」「副(そえ)」「体(たい)」の3つの役割に分けていけることが基本です。
どんな花を使おうとも、生花を生ける時はこの型にはめて生けることになります。
この写真で言うと、真ん中に3本立っているミズキが「真」にあたり、左側に伸びている柳が「副」、一番手前のゆりが「体」になります。
生花の型には、長さも細かく指定されていて、「真」は大体90センチくらいの長さ。「副」は「真」の2分の1の長さ、「体」は「真」の3分の1の長さと決められています。
「真」には他に「あしらい」と呼ばれる飾りのような役割もあるのですが、「後あしらい」「前あしらい」があります。
この写真で言うと、真ん中の3本のミズキのうちのど真ん中が「真」。右側に見えるミズキが「後あしらい」、左側のミズキが「前あしらい」になります。
写真だと左右に分かれて見えますが、実際は後ろと前にそれぞれ生けてあります。
生花には、長さのほかにも生け方のかたちが決まっています。
この写真では、真ん中の「真」の3本が左に向かって湾曲するように曲がっていて、「副」の柳が左斜め後ろに向かって伸び、「体」のゆりは、真ん中よりもやや右側に向かって生けてあります。
なぜ、このようなかたちに生けるのかというと、ここに池坊のいけばなに対する考えが集約されている部分でもあるのですが、花器の中の空間と陰陽の考えに基づいているからです。
植物というのは太陽に向かって成長します。
太陽があれば、陰になる部分もあるわけですが、池坊ではこの「陰陽」にとてもこだわります。
花器に対して向かって左側が「陽」、右側を「陰」と想定して、いけばなを生ける時はこの「陰陽」に基づいて生けていくわけです。
ですから、左側に置かれるものは太陽に向かって伸びていくので、自然と左側へ長くなり、右側の陰に置かれるものは、大きく長くなることはなく、小さく、短く生けることになります。
また、花器の中の空間についてですが、この花器から上の空間を含めて球体と考え、その球体の空間の中に、植物が伸びやかに円を描きながら左右の陰陽にバランスよく配置されるように、生け方が決めてあるのです。
だから、この写真のように、真ん中の「真」がただまっすぐ伸びるのではなく、左の陽に伸びながらも弧を描くように、ゆるやかに湾曲しながら上に伸びるように生けてあるのです。
私はまだ技術的に未熟なので、この写真からは感じることができないとは思いますが、教授クラスの先生のお花になると、花器を含めたいけばなに空間的広がりを感じることができますし、池坊のいけばなは、球体と陰陽である、と認識することができます。
このように、いろいろと細かい制約はありますが、基本さえ押さえれば後は花材によって、微調整していくのはもちろんですし、何と言ってもお花の面白いところは、同じ花材でも生ける人によって違う作品に仕上がることです。
今日のお稽古でも、私のほかにもう一人の方が同じ花材で同じ正風体で生けたのですが、全然印象の違うお花を生けてらっしゃいました。
私の生けた花は、どちらかというと花にカーブをきつめにつけて、左右に大きく振って横に大きく広げようと生けていたのですが、もう一人の生徒さんはあまりカーブをつけず、その花がもつ自然なラインを生かすように、すっと生けていました。
それを見て、先生がいろいろとお話してくれたのですが、
(以下、池坊の公式ホームページより引用)池坊は元来、聖徳太子の創建と伝えられる六角堂 頂法寺の坊の名で、代々池のほとりに住まいがあったため 人々から池坊と呼びならわされました。
この池坊から次々といけばなの名手が現れます。
いけばなが記録に登場するのは 五百余年前のこと。
室町時代の中頃、挿花の名手池坊専慶を出し、室町後期には 専応が現在に伝わる花伝書「池坊専応口伝」をあらわして、 いけばなの理念を確立しました。 それは、従来の挿花のように単に美しい花を鑑賞するばかりではなく、 草木の生命、風興を基とすることを説き、 花をいけることによって、悟りにも至ることが出来るいけばなの成立となった。
今でこそ家元は世襲制ですが、昔はその門下の中で一番いけばなが上手い人が次の家元になったのです。
江戸時代には大住院という池坊の門下生がいて、とても上手な花を生ける人だったのですが、あまりにもダイナミックな生け方で、京都のお公家さんにはその大胆さが下品に映ったために、次の家元になることができなかったそうです。
結局、公家好みの花材がもつ自然のラインを生かした生け方をする専養が家元になりました。
しかし、大住院のダイナミックな生け方は武家からは評判がよく、大住院は江戸に移ってから武家を中心に人気を博したそうです。
→いけばなの歴史ここに大住院が生けた花のスケッチが載ってますが、見て分かるとおり、他の作品に比べてかなり大胆です。
ここまでいろいろ説明してて何が言いたいのかというと、私の大胆な生け方は大住院のようであり、もう一人の生徒さんは専養のようであると。
もちろん、この二人はすばらしい腕の持ち主ですから、この二人のように上手であるといいたいわけでは決してなく、そのくらい同じ花材でも生ける人によって、花にも個性が出てくるということです。
ちなみに、最近のいけばな界の傾向としては、専養のようにシンプルに、花の自然なラインを生かす方向にシフトしているそうです。
大胆な生け方は、どちらかというと高度経済成長とか、バブルの時代とか、全体的にイケイケなムードの時に好まれる生け方のようです。
…つまり、私のお花は「バブリーな花」というわけですね。
このように、お花一つとっても、非常に奥が深い世界なのです。
みなさんも一度お花を生けてみませんか?
本日の花材はゆり、柳、ミズキの3種生け。
生花正風体(しょうかせいふうたい)という生け方です。
生花という生け方の様式は、「真(しん)」「副(そえ)」「体(たい)」の3つの役割に分けていけることが基本です。
どんな花を使おうとも、生花を生ける時はこの型にはめて生けることになります。
この写真で言うと、真ん中に3本立っているミズキが「真」にあたり、左側に伸びている柳が「副」、一番手前のゆりが「体」になります。
生花の型には、長さも細かく指定されていて、「真」は大体90センチくらいの長さ。「副」は「真」の2分の1の長さ、「体」は「真」の3分の1の長さと決められています。
「真」には他に「あしらい」と呼ばれる飾りのような役割もあるのですが、「後あしらい」「前あしらい」があります。
この写真で言うと、真ん中の3本のミズキのうちのど真ん中が「真」。右側に見えるミズキが「後あしらい」、左側のミズキが「前あしらい」になります。
写真だと左右に分かれて見えますが、実際は後ろと前にそれぞれ生けてあります。
生花には、長さのほかにも生け方のかたちが決まっています。
この写真では、真ん中の「真」の3本が左に向かって湾曲するように曲がっていて、「副」の柳が左斜め後ろに向かって伸び、「体」のゆりは、真ん中よりもやや右側に向かって生けてあります。
なぜ、このようなかたちに生けるのかというと、ここに池坊のいけばなに対する考えが集約されている部分でもあるのですが、花器の中の空間と陰陽の考えに基づいているからです。
植物というのは太陽に向かって成長します。
太陽があれば、陰になる部分もあるわけですが、池坊ではこの「陰陽」にとてもこだわります。
花器に対して向かって左側が「陽」、右側を「陰」と想定して、いけばなを生ける時はこの「陰陽」に基づいて生けていくわけです。
ですから、左側に置かれるものは太陽に向かって伸びていくので、自然と左側へ長くなり、右側の陰に置かれるものは、大きく長くなることはなく、小さく、短く生けることになります。
また、花器の中の空間についてですが、この花器から上の空間を含めて球体と考え、その球体の空間の中に、植物が伸びやかに円を描きながら左右の陰陽にバランスよく配置されるように、生け方が決めてあるのです。
だから、この写真のように、真ん中の「真」がただまっすぐ伸びるのではなく、左の陽に伸びながらも弧を描くように、ゆるやかに湾曲しながら上に伸びるように生けてあるのです。
私はまだ技術的に未熟なので、この写真からは感じることができないとは思いますが、教授クラスの先生のお花になると、花器を含めたいけばなに空間的広がりを感じることができますし、池坊のいけばなは、球体と陰陽である、と認識することができます。
このように、いろいろと細かい制約はありますが、基本さえ押さえれば後は花材によって、微調整していくのはもちろんですし、何と言ってもお花の面白いところは、同じ花材でも生ける人によって違う作品に仕上がることです。
今日のお稽古でも、私のほかにもう一人の方が同じ花材で同じ正風体で生けたのですが、全然印象の違うお花を生けてらっしゃいました。
私の生けた花は、どちらかというと花にカーブをきつめにつけて、左右に大きく振って横に大きく広げようと生けていたのですが、もう一人の生徒さんはあまりカーブをつけず、その花がもつ自然なラインを生かすように、すっと生けていました。
それを見て、先生がいろいろとお話してくれたのですが、
(以下、池坊の公式ホームページより引用)池坊は元来、聖徳太子の創建と伝えられる六角堂 頂法寺の坊の名で、代々池のほとりに住まいがあったため 人々から池坊と呼びならわされました。
この池坊から次々といけばなの名手が現れます。
いけばなが記録に登場するのは 五百余年前のこと。
室町時代の中頃、挿花の名手池坊専慶を出し、室町後期には 専応が現在に伝わる花伝書「池坊専応口伝」をあらわして、 いけばなの理念を確立しました。 それは、従来の挿花のように単に美しい花を鑑賞するばかりではなく、 草木の生命、風興を基とすることを説き、 花をいけることによって、悟りにも至ることが出来るいけばなの成立となった。
今でこそ家元は世襲制ですが、昔はその門下の中で一番いけばなが上手い人が次の家元になったのです。
江戸時代には大住院という池坊の門下生がいて、とても上手な花を生ける人だったのですが、あまりにもダイナミックな生け方で、京都のお公家さんにはその大胆さが下品に映ったために、次の家元になることができなかったそうです。
結局、公家好みの花材がもつ自然のラインを生かした生け方をする専養が家元になりました。
しかし、大住院のダイナミックな生け方は武家からは評判がよく、大住院は江戸に移ってから武家を中心に人気を博したそうです。
→いけばなの歴史ここに大住院が生けた花のスケッチが載ってますが、見て分かるとおり、他の作品に比べてかなり大胆です。
ここまでいろいろ説明してて何が言いたいのかというと、私の大胆な生け方は大住院のようであり、もう一人の生徒さんは専養のようであると。
もちろん、この二人はすばらしい腕の持ち主ですから、この二人のように上手であるといいたいわけでは決してなく、そのくらい同じ花材でも生ける人によって、花にも個性が出てくるということです。
ちなみに、最近のいけばな界の傾向としては、専養のようにシンプルに、花の自然なラインを生かす方向にシフトしているそうです。
大胆な生け方は、どちらかというと高度経済成長とか、バブルの時代とか、全体的にイケイケなムードの時に好まれる生け方のようです。
…つまり、私のお花は「バブリーな花」というわけですね。
このように、お花一つとっても、非常に奥が深い世界なのです。
みなさんも一度お花を生けてみませんか?
色々知っていると、花の見方も変わりそうですね。
その友人、板前やってるんですけど、感覚を磨くのに生け花習ってるって言ってました。
凄い世界だな・・・。
なかなか一言で表すのは難しい世界ですが、知れば知るほど面白いです。
板前さんでいけばな習ってるんですか。
色彩感覚とかですかね。
習字とか茶道とか習ってる料理人は多いですけど、どんな習い事であれ、通じるところは一緒なんでしょうね。
My Favorites♪のブログにはコメント
いつもありがとうございます!
お稽古の人たちと教室の「お稽古ブログ」をはじめてみようと作ってみました。
まだまだ試験中ですが。
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わざわざコメントありがとうございます。
あまりお稽古エントリ少ないですが、こちらからもトラバさせていただきました。
お稽古ブログ、盛り上がっていくといいですね。
はげみになります。
お稽古ネタだけでどこまでいけるか、
まわりにブログを説明することからはじめてる状態なのですが、周りを巻きこんでがんばってみます。