2021年も大晦日ですね。
いつものような振り返りと少し毛色が違うのですが…。
今年は頭にこどもを授かったということがわかって1年が始まった感じでした。
ただ、周りへの報告はしばらく様子を見てからにしようと思っていた矢先、3月6日に実家の母が亡くなってしまいました。
ここ数年、調子は良くなさそうではあったけど、電話で話したりするときは普通に感じたし、
日によって波があるのかなくらいに思ってました。
家族から母が入院することになったと連絡をもらったのが3月5日。
実際入院自体も3月に入ってからで、
当初一日だけの入院の予定が長引くことになったらしく、
でもまだそのときは、母の側に居た父も姉も退院後の生活を想像していたくらいで、
僕に連絡をくれたときも、近く一度実家に帰れるよう予定を調整して欲しい、くらいの感じだった。
なので、僕もこどものことは実家に帰ったタイミングで母に直接話せたらと思っていたけど、
翌日に母の容態が急変したと連絡を受けて、急いでその足で母の居る病院へ向かう。
最短で行ける飛行機の最終に間に合わず、
新幹線で向かっている途中に、亡くなったとの知らせ。
父には、病院に向かう前に、もし母と話せるときがあれば、こどものことを伝えて欲しいと言ってあったので、意識は無いながらも亡くなる前に伝えてはくれたようだけど、
僕から直接伝えられなかったのもそうだし、会って抱いてもらうことができなかったことが残念だった。
その後、実家へは四十九日や初盆の法要などで何度か帰ることになり、
また東京に居るときは出産に向けての準備などで、とにかく例年とは違う、少しフワフワとした気持ちで過ごした感じでした。
そんな中、母のことで死を意識してたのか、こどもはどうか無事に生まれて欲しい、と常に祈ってた気がします。
10月21日に無事娘が誕生してくれて、一安心しながらも、そこからは怒涛の育児モード。
まあ、初めてのことだらけだし、正解が分からないことも多いし、やはり大変なのだけど、
そんな大変な思いをできること自体も幸せなんだなと感じています。
で、今のところ音楽のこと全然書いてないですが、
母が亡くなった直後に伊豆でのReal Camp Fesのライブが決まっていたが、
正直、出たい気持ちと、出てる場合なのか?ちゃんと演奏できるのか?という気持ちとで悩んでいるところ、
演奏だけに集中できるように、他のことは任せとけ、という青江や、
お母さんは光史のライブが好きやったから、お母さんのためにも気にせずに行ってきてね、という家族の言葉にも背中を押されて、予定通り出演させてもらうことにしました。
伊豆のキャンプ地での自由時間は、なるべく何もせず何も考えずにボーッと海を眺めたり、焚き火の火を眺めたりして過ごした時間が心地よく、
気持ちがスーッと穏やかになっていったのを憶えています。
ライブもお陰様で集中できて、一曲一曲噛みしめながら演奏できたし、
行くまでは不安もありましたが、参加できて本当に良かったと思ったイベントでした。
その後もユースムースアヴェニューのライブ・配信・レコーディングに関しても、僕の家の事情を100%考慮してくれていて、
今の育児もですが、家族との貴重な時間を過ごすことができていること、
バンドでの居場所があること、
どちらも当たり前に得られるものではないので、本当に青江には感謝です。
また、理解のある家族にも感謝しております。
いつものような振り返りと少し毛色が違うのですが…。
今年は頭にこどもを授かったということがわかって1年が始まった感じでした。
ただ、周りへの報告はしばらく様子を見てからにしようと思っていた矢先、3月6日に実家の母が亡くなってしまいました。
ここ数年、調子は良くなさそうではあったけど、電話で話したりするときは普通に感じたし、
日によって波があるのかなくらいに思ってました。
家族から母が入院することになったと連絡をもらったのが3月5日。
実際入院自体も3月に入ってからで、
当初一日だけの入院の予定が長引くことになったらしく、
でもまだそのときは、母の側に居た父も姉も退院後の生活を想像していたくらいで、
僕に連絡をくれたときも、近く一度実家に帰れるよう予定を調整して欲しい、くらいの感じだった。
なので、僕もこどものことは実家に帰ったタイミングで母に直接話せたらと思っていたけど、
翌日に母の容態が急変したと連絡を受けて、急いでその足で母の居る病院へ向かう。
最短で行ける飛行機の最終に間に合わず、
新幹線で向かっている途中に、亡くなったとの知らせ。
父には、病院に向かう前に、もし母と話せるときがあれば、こどものことを伝えて欲しいと言ってあったので、意識は無いながらも亡くなる前に伝えてはくれたようだけど、
僕から直接伝えられなかったのもそうだし、会って抱いてもらうことができなかったことが残念だった。
その後、実家へは四十九日や初盆の法要などで何度か帰ることになり、
また東京に居るときは出産に向けての準備などで、とにかく例年とは違う、少しフワフワとした気持ちで過ごした感じでした。
そんな中、母のことで死を意識してたのか、こどもはどうか無事に生まれて欲しい、と常に祈ってた気がします。
10月21日に無事娘が誕生してくれて、一安心しながらも、そこからは怒涛の育児モード。
まあ、初めてのことだらけだし、正解が分からないことも多いし、やはり大変なのだけど、
そんな大変な思いをできること自体も幸せなんだなと感じています。
で、今のところ音楽のこと全然書いてないですが、
母が亡くなった直後に伊豆でのReal Camp Fesのライブが決まっていたが、
正直、出たい気持ちと、出てる場合なのか?ちゃんと演奏できるのか?という気持ちとで悩んでいるところ、
演奏だけに集中できるように、他のことは任せとけ、という青江や、
お母さんは光史のライブが好きやったから、お母さんのためにも気にせずに行ってきてね、という家族の言葉にも背中を押されて、予定通り出演させてもらうことにしました。
伊豆のキャンプ地での自由時間は、なるべく何もせず何も考えずにボーッと海を眺めたり、焚き火の火を眺めたりして過ごした時間が心地よく、
気持ちがスーッと穏やかになっていったのを憶えています。
ライブもお陰様で集中できて、一曲一曲噛みしめながら演奏できたし、
行くまでは不安もありましたが、参加できて本当に良かったと思ったイベントでした。
その後もユースムースアヴェニューのライブ・配信・レコーディングに関しても、僕の家の事情を100%考慮してくれていて、
今の育児もですが、家族との貴重な時間を過ごすことができていること、
バンドでの居場所があること、
どちらも当たり前に得られるものではないので、本当に青江には感謝です。
また、理解のある家族にも感謝しております。
ちなみにこの写真ですが、実家に帰った際に昔のアルバムから見つけた、僕が生まれた時の写真ですね。
父の目に映る母と僕と姉。
ここから40年か。
母にも父にも本当によく育ててもらった記憶しかないなぁ。
自分もその血を引いてるはずだから何とかなるかなぁ。
2022年、育児も音楽も今まで以上に頑張っていかねば、ですね。
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