テレビとうさん

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「個人の平等」 と 「社会の平等」

2021年01月29日 | 雑感
 「バイデン大統領」が早速、「トランプ大統領」が邪魔した「オバマ大統領」の最重要課題であった「トランスジェンダーに関する大統領令」に署名したそうです。「オバマ大統領」の政策で思いつくのは、「核無き世界」でノーベル賞(2009年)を貰い、広島で「イェス、ウィーキャン」とウワ言を言った翌年に「臨界前核実験」をした事や、中東を中心に戦線を拡大した事以外には殆ど目立った「仕事」をしてこなかったのですが、何とか「バイデン大統領」の力を借りて米民主党の最重要課題である「トランスジェンダー法」が成立しそうです。

 その「大統領令」の内容は、日本人の私にはサッパリ分からないのですが、どうやらアメリカでは「自分が思うLGBTQ・・・X」等の分類で「自分の性別」を決定できることが正しいとする考えが「多数意見(大統領選での過去最大の得票数)」のようです。また、公的書類の性別選択欄に「Mr./Ms./Mrs.」以外に「Mx.(ミクス)」も追加されるそうです。私は、アメリカにとっての「重要課題の解決」を嬉しく思います。

 「ジェンダーフリー」とは、今では社会的なあらゆる性差が無い事で、少し前の「男女差が無い事」では無いようです。それは「LGBTQ・・・X」などの全てを差別(区別も含む)してはいけないと云う事です。しかし、ここで疑問に思うのは、何故「男/女/LGBTQ・・・X」や「Mr./Ms./Mrs./Mx.」と分類するのかです。差が無いのなら人類平等なので「Hs.(Homo-Sapiens:人)」と書けば済むだけの話で、何故か事細かに「分類」しています。

 世界で初めて、国家として「有色人種を含む人類平等」を訴えたのは大日本帝國です。多くの国も賛成しましたが、これに強硬に反対したのが米民主党の「F・ルーズベルト大統領」です。この時代から考えると「隔世の感」が有ります。人種どころか、生物科学的に不合理な「性の区分」を増やしてまで「性差別を禁止」するようで、欧米人の考える事は良く解りません。性差別を禁止するのなら「性区分の廃止」をした方が良いと思います。

 将来は、トイレの「性別分類」を無くし、スポーツの「男女別」も否定されるかも知れません。つまり、(自分の意志で)個人を細かく分類する事を認めるが、社会的な摂理や科学的な合理性を否定し「社会基盤の統一」を目指すように思えます。「個人の多様性」は認めるが「社会の多様性」は認めないと云う「大脳皮質が考える合理的社会」---言い換えると「共産主義社会」です。中国での「全国人民代表大会(全人代)」で見られるような、様々な民族衣装を着ているが全員同じ意見に集約される世界です。但し、噂では2人だけ反対するように強制さるそうですが。

 オバマ大統領は「自分の頭で考える性」での行動を保障していたようですが、バイデン大統領は「性差そのものを否定」するかも知れません。今のところは「科学的な性差」は認めるようですが、将来は社会的に存在するのは「人」のみになりそうです。

 ㋚系は、これらが最先端の思考の様に思っているようですが、科学的に考えると「原始人の思考」と同じである事が理解できます。つまり、「暴力」にしても「選挙」にしても、如何なる方法でも戦いに勝ったものが正しく、「不正を理由に差別をしてはいけない」と云う事です。原始時代は非常に環境が厳しく、生き残るために他の生物と死闘を繰り返す必要があり、「勝ち残る事」が全てでした。この場合は「男女」の区別なく戦う必要があり、これを「男女平等」とは言えますが、多くの場合は腕力の強い「男」が勝ちます。

 現在では経済的な戦いで勝った者が正しいとされ、「男女の区別なく」競争をさせて働かせることで更なる利益を上げるように「男女平等」が利用されます。「男女雇用機会均等法」等がこれに当たり、女性が益々「窮地」に陥ります。会社は利益を上げるのが使命なので、企業としては独身男性(新卒)が最も有利になり、次に既婚者、最後が「子供を産む女性」になります。

 金融資本主義社会では、人民は自助努力で「一生独身でいるか、結婚しても子供を造らない努力」をすれば、「社会的優位」に立つことが出来ます。当然、「LGBTQ・・・X」を問わず、個人の努力の機会は平等に与えられています。これは「少子化を進める制度」で、その結果として「外国人労働者」が増えます。これを「グローバル人材の確保」とか「外国人技能実習制度・特定技能制度」等と言い換えて、将来の「国家による強制徴用問題」を引き起こします。

 一方、共産主義社会では、人民全員が努力をしなくても「共産党の指示」に従う事で「個人的な平等」を得る事が出来ます。但し、金融資本主義と同様に、「社会の不平等」は最初から確定しているので、人民の努力自体が無駄と言えます。




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