オメガねこ

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「MMT」 と 「万有引力」

2022年03月10日 | 科学
  「MMT(現代貨幣理論)は単なる(経済)法則であり批判の対象にはなり得ない」として「万有引力」を引き合いに出し、「MMTを否定する事は科学を否定する事に等しい」と言う人もいます。

 「万有引力の法則:law of universal gravitation」は現代の科学では常識のようですが、「科学とは常識を疑うところから始まる」とも言え、「常識はもはや科学では無い」と言った方が解りやすいかも知れません。

 「gravitation」は元々「相互作用、自然の傾向」を意味し、勿論この語が成立したと思われる古代には「重力(作用)」などは理解されていなかったと思われ、「グラビエイション」が重力や引力の意味を持ったのは、科学が発達した近代になってからだと考えられます。

 また、この「万有引力(の法則)」にしても、「universal:普遍的な」の部分が間違いである事は現在では言えます。

 「光」が重力の影響を受ける事は良く知られた「事実」ですが、逆に「光」は重力に影響しないとされています。(今のところは)光の質量は0」とされているので当然とも言えますが、少なくとも「相互」で無い事は確かです。

 「万有」なので、リンゴと地球は「相互」に引き合っている事から、いずれリンゴが落下すると予想する事は可能ですが、「万有」とは言い難い「光子」の場合は相互性が無く、正確に言うと「重力場の影響」を一方的に受けます。

 「重力場」は空間の状態を示し地球程度の質量でも人が感じる事が出来ます。これと誤解されがちな、質量のある物体が加速度運動をする事で発生する「重力波」は、光速で伝わり空間の固有距離を変化させるのですが、地球程度の質量では微弱過ぎて計測すら出来ないようです。

 月が地球の周りを公転していますが、これは月と地球や太陽などが加速度運動(遠心力)をしていて、総体として力(向心力)が釣り合っている事を示しています。この「釣り合った状態では重力波は発生しない」とされているそうです。

 「MMT」では、理論を突き詰めると「自国通貨建ての国債には、発行額自体に対する制限は無い」と言えます。これに対して、科学を知らない人は「国債を無限に発行したら、財政破綻により発行が出来なくなる」と主張します。

 「万有引力」を信奉する人に対して「質量が無限でも万有引力の法則は成立するのか?」と質問する人はいないと思いますが、実際には「閉空間の無限質量」の場合はその空間は点に収束するので法則は成り立ちません。「無限質量」を許容するには「無限空間」の宇宙を必須とします。

 これは「理系脳」と「文系脳」の論理構成の違いなので、相互理解をするまでには無限の時間を費やす必要が有るかも知れません。ここで言う「理系脳」「文系脳」とは、学問の専攻や実際の職種ではなく「脳の思考構造」の違いを言います。

 「文系脳」は、結論に合わせて理論(理屈)を構築しますが、「理系脳」は事実を理解する事で結論(推論)を得ます。

 「MMT」に関しては、「無限の時間を与えてくれるのなら、無限の国債発行も可能」と言うのが「文系脳」に対する答えですが、「理系脳」に対しては言うまでも無い事です。但し、通貨の発行速度や発行量は経済に直接影響するので、人として容認できる限界があり「人間の法則」に支配されます。

 また、現在では「質量が重力の発生源」とされていますが、逆に「重力子が質量を発生している」可能性もあり、ヒッグス粒子との関係も興味深いものがあります。

 全ての事象は、「理系脳」と「文系脳」の違いの様に、単に「見たり考えたりする方向が違う」だけかも知れないので、一概にどちらが間違っているとは言えません。




5 コメント

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Unknown (katumoku10)
2022-03-10 08:42:13
『「文系脳」は、結論に合わせて理論(理屈)を構築しますが、「理系脳」は事実を理解する事で結論(推論)を得ます。』
これは勉強になります。

理系脳は希望の結果になるための理論を事実から探求します。希望の結果にならないときは諦め、次善の結果を求めます。人間が勝手に改造できない自然の摂理は神の意志だということでしょう(^_-)-☆

文系脳はたぶん、万難を排して、ときには欺瞞も正しいこととして、何が何でも希望の結果になるように頑張るのでしょうかね!文系脳の世界では希望の結果が得られればいいので、事実は余り重要ではない!ということなのですね(´ω`*)

そうすると文系脳が支配する現実の社会では、希望の結果は人によって異なりますから、必ず衝突が起こります。それを話し合いか、権力か権威で解決するのか?文系脳が神の意志を持ち出すとヤバイですね(*´Д`)

この理論によって、社会で起っている多くのことを説明できそうです。なので、どうすればみんなが幸せになれるかも分かると思いますよ!つまり、文系脳の方は申し訳ないですが、事実を重視する理系脳に改造した方がいいでしょう(^_-)-☆!
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Unknown (mobilis-in-mobili)
2022-03-10 09:39:04
これは論理学でいうところの帰納法と演繹法の違いですね。どちらも成立すれば『真理』と認定されるのですが、残念ながら真理はフィギュアスケートの暫定1位みたいなもので、新しい理論が出て物事をよりよく説明できるようになれば真理の座からひきずり下ろされてしまいます。万有引力の法則を提唱したニュートン力学が相対性理論にとって代わられたように。
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Unknown (yk-soft-85)
2022-03-10 12:32:47
katumokuさん、mobilisさん、私の定義と少し違うかも知れません。

帰納法も演繹法も、「(普遍的)事実を真と仮定する」ところから始まるので、何れも私の言う「文系脳」です。また、「自分が思う事」も真実になるのが「文系脳」の特徴で、文豪の自殺者少なからずいるのも、その思考から来るのかも知れません。

「理系脳」は、「事実が真であるかどうかは疑わしい」と思うところから始まります。つまり、例えば「リンゴが地面に落ちる様に見えるのは、錯覚かも知れない」と思う事で、何故そう見えるのかと推論する思考構造です。

あくまでも「事実を理解」するだけであり、事実を真としている訳では有りません。
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Unknown (アリス)
2022-03-10 13:17:42
一言だけお許し下さい。
良く解りませんが「文系」と「理系」を比較しても
意味がないと思います。

誰もが物事の判断は「その時点」で「賛否」を問う訳です。

私が思うに「文系」で間違った判断はなかったか?
逆に、「理系」が完全に正しいか?

これは歴史上の中で過去を振り返って判断するものです。
なので、更に正解の確率が上昇する?
簡単に言えば、「後出しジャンケン」で決まることが多い。

従って、その時点で賛否を出すことが正しいか?
だろうと思います。

なので、どちらも間違いだったという事は有る気もします。

いい加減なコメントで大変申し訳ありませんが1つの意見です。
ご迷惑をおかけしました。無知ですみません。
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Unknown (yk-soft-85)
2022-03-10 18:08:15
アリスさん、こんばんわ。

katumokuさんも書いているように、「理系脳」の人が解を出せない場合は「自然の摂理は神の意志」として一泊置きますが、「文系脳」の場合は「神の意志(或いは自分の意志)が正しい」として突っ走る傾向が有るように思えます。

当然ながら「正しさ」は、見る方向が違うと解も違うので、確率や民主主義の多数決で決めるしか無いと思いますし、「間違い」に賭けるのも有りだと思っています。
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