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オメガねこ

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「憲法」 と 「道徳」

2020年01月24日 | 法律
 道端の「ゴミを拾う人」を見ると、多くの人は「道徳観のある人」と見做します。しかし、路上以外で「ゴミを拾う人」を見た場合、多くの場合、それは捨てられたゴミなのか、そこは他人の土地なのか、或いは地主に頼まれた作業なのかは判断できません。

 他人の土地の「ゴミを拾う人」の行為が、「純粋行動」による行為ならばそれは「道徳」と言えますが、その行為が地主の意に反する場合は「不法行為」になります。不法侵入である事は間違いないし、或いはゴミと見做されたモノは、実は地主の芸術的な表現物かも知れないので、当然と言えば当然です。

 誰かの「道徳行為」が、他人にとって「倫理的」に受け入れられない場合が考えられる為、社会規範が必要になり「法律」が生まれ、「道徳」が制約されます。日本での「憲法典」は「道徳」を制約する最上位の成文法ですが、本来は「道徳」の集大成が「憲法」になり、「不文憲法」が最上位に位置します。「不文憲法」とは、国の歴史・慣習・判例など、過去の動かし難い「事実」の集積であり、文章にするまでもない「慣習法」です。

 現在における「憲法」の定義は、 国家の統治権・統治作用に関する根本原則を定める基本法の事で、他の法律や命令で変更することのできない国の最高法規とされていて、憲法自身に書かれている手続きによってのみ改憲が可能とされています。但し、憲法の停止や廃棄は「昭和憲法」では禁止されていないので、何時でも可能です。

 国民主権の民主主義国家では、議会が国権の最高機関であり、この議会を憲法で統制すると云う事は「過去の国民によって、現在の国民が統治される」事を意味します。つまり、アメリカが提起した「昭和憲法」の改憲に反対すると云う事は、現在の日本人は「当時のアメリカ人の道徳観や統治手法に従う」事を容認していると言えます。

 当時のアメリカの「道徳」とは、「白人以外ならば民間人を標的に、大量虐殺しても良い。」「弱い国は自分の領土にしても良い。」・・・等、「大日本帝国」の「道徳」とは随分違っていましたが、これを現在の日本人は容認していると言えます。これは、今の「中共」の考えと同じなので、そう考える人がいても不思議ではありません。

 これらを客観的な判断で(再)定義すると、
・道徳は「純粋経験」であり、(生まれた)環境によっては、テロすらも容認できる「思考」である。
・倫理は「強制される価値観」であり、(後天的に)与えられる「思想」である。
・法律は「罰則を以て統治行為の根拠」となり、「憲法」の範疇外の統治行為論も可能になる。
・憲法は「罰則が無いので統治行為の根拠」にはなり得ない。特に「成文憲法」は単なる倫理規定でしかなく時宜に合わせて何時でも停止・廃棄は可能。

 若し、憲法に統治行為の根拠を委ね、憲法の手順に従って「憲法を改正」しなければ統治行為の変更が出来ないと仮定すると、「武漢肺炎ウィルス」がパンデミックを起こした時に、有効な緊急事態法が無い日本は「国境閉鎖」が出来ない為「憲法を守って日本滅ぶ」と、なります。

 憲法前文
・・・
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。



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