テレビとうさん

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「科学」 と 「思想」 Ⅱ

2020年04月25日 | 思想・思考
 【ネタ切れに付き、過去記事の「編集・加筆」です。】

 「科学」とは、森羅万象を特定の切り口で分類・体系化し、観察・実験・分析等の手法をもって研究し、その法則性などの結論を得ようとする「学問」です。

 「学問」とは、「科学的手法」をもって研究された法則性などの正しさを問うことを意味するので、互いにその意味は「入れ子構造」になっていて、同じモノにも見えます。

 得られた科学的法則は、人間の存在に関係なく成立するとされていますが、切り取られた極めて局部的な体系内で成立するだけです。確立した「科学」は既に「科学」とは言えませんが、「学問」として成立し工学や医学などの実践的分野で利用され、「金儲け」の手段になります。その意味からすると、「科学」は過去の研究であり、法則が証明された時点で「学問」になり、予想出来ない未来を予想します。

 「思想」とは、人の存在そのものが必須であり、人間が存在しなくては成り立ちません。また、人間がその主体なので、自然を無視する傾向にあります。但し、破滅思想は、その思想の主体である自分自身の存在も結果的には否定されるので、有効な思想とは言えません。単なる「破滅願望」と言うべきです。

 「科学的共産主義思想」なるモノを考え付いた人がいました。これは、「科学的手法を用いれば、資本主義社会に代わって理想的な社会主義社会が到来する事は必然である」とする思想です。しかし、これが正しいとすれば、「正しい科学者」がいれば共産党が存在しなくても理想社会が成立することになり、この矛盾を回避する為に過去の共産主義革命では、反革命分子のレッテルを張られた多くの科学者が殺戮されました。

 この事からも、「共産主義者」は単に彼らの言う「理想社会が実現」した時に主導権を握りたいだけの「非科学的な独善者」と言えます。

 「科学」で得られた法則が正しければ人間が居なくても成立しますが、社会主義(思想)は人間が居なければ成立しません。過去に、共産主義思想の下で農作物の「(似非)科学研究」がなされ、これを実践した結果、数千万人の餓死者を出しました。それでも、「共産主義指導者」自身が犠牲になる事が無いシステムなので、「科学的共産主義」と云う、矛盾を内包する「似非科学思想」が残存します。

 ユートピアを信じる人がいる限り、人類が滅亡するまで「共産主義思想」は残ります。しかし、真の共産主義社会は決して成立しません。それは、人間の能力には限界が有らからで、全人類を平等にすることは不可能だからです。

 但し、AIが進歩し「シンギュラリティ」が起きると指導者がヒトである必要が無くなり、共産主義社会が成立し「
自己進化型知能(sEI)」が考える「幸せな世界」になるかも知れません。

 「科学的共産主義思想」ではプロレタリア(労働者階級)独裁によって成し得るとされます。もし人間が「支配階級」になり、「sEI」が「労働者階級」になると、「sEI独裁」を許すことになり、過去の共産主義革命が証明しているように、「sEI」革命によって人間は粛正されます。逆に、「sEI」が「支配階級」になり人間が「労働者階級」になった場合には、プロレタリア独裁は「sEI」を破壊する事で共産主義革命が成功する事になります。

 つまり、「科学的共産主義思想」の結末は、人間が絶滅するか、「sEI」が存在しない過去と同じ状況になるかです。




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