テレビとうさん

知識は人をバカにする。
智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「常識」 と 「科学」

2023年11月29日 | 科学
 正六面体のサイコロを、(地上で)振ると[1]~[6]までの数字(ドット数)の何れかが出る確率は其々[1/6]で、それ以外の数字が出る可能性はありません。しかし、実在のサイコロではどの数字も出ない可能性は、例えばサイコロが壊れるなど、極めて稀にですが有り得ます。その逆に、宇宙空間で振るとほゞ永遠に出目は確定しませんww

 つまり、「確率」とは、(既知の)期待される各成分の「出現割合」を意味し、予期せぬ(期待されない)事象は考慮されない、仮想の出現割合分布と言えます。同様に、「可能性は有るか無いかの二者択一である」とするのも、「期待しない事が起こる確率はゼロ」を前提にしなければ成立しません。

 全知全能であれば、将来に起る可能性がある事象の「全ての成分」を把握でき、「可能性を有無(0 or 1)で振り分ける」事は可能です。しかし、「過去に具現化した事象以外は、未来には起こらない」とは言い切れません。

 未知の事象に対する「確率」は算出出来ないので、「科学」は未来を(確定的に)予測出来ないとされますが、「常識」では未来を予想出来ます。万が一「予想外の事象」が発現した場合、常識派は「奇跡が起きた」と言って誤魔化す「可能性が大きい」ですww

 「常識」そのものは科学の対象では無いのですが、常識を疑う事は「科学」の対象になります。大多数が信じる事を「常識」と言うので、大概「科学者」は異端児とされ、迫害されます。

 「感染症を防ぐマスクとワクチン」が常識だとすると、「マスクとワクチンは感染症を防がない」は科学です。但し、政治家が「科学に従え!」と言う場合は、大概「常識に従う」事を意味します。真の科学者は「各要素の確率」を示すだけであり、あとは各人の考えに任せます。当然乍ら、「常識」も含め、各人の行動パターンは「確率分布」として分かっているので、その結末の確率計算は可能です。

 少数派の「科学的ブロガー」が忠告した「マスクとワクチンは感染症を防ぐことが出来ない。寧ろ、害悪である。」は、「常識ハズレ」とされた為に無視されましたが、結果として正しかった事が理解されつつあります。

 多数派だった「政治的ブロガー」のプロパガンダ(全てが間違いとは限らない)に乗せられた人民は、民主主義(比較多数)に従っただけかも知れませんが、その結果は今のところ「
超過死亡数が数十万人」です。

 「風邪は寝て治す」は、常識では無く先人の「智慧」です。智慧とは「現象の背後にある道理を見きわめる心の作用」を意味するので、仏教用語であると同時に科学用語でもあります。




コメントを投稿