テレビとうさん

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「内心の自由」 と 「外見の不自由」

2023年04月30日 | 思想・思考
 私は高校に通った事が無いのですが、大学程度の内容は自分で「学んだ経歴」が有ります。つまり、私が自認する学歴は大学と言えます。

 実力と違う「学歴自認」は、「内心の自由」が保障されている自由主義社会では殆ど何の問題も無いのですが、多くの資本主義国家では無視されます。実際の学歴と違う「自認する学歴」を口外すると嘘つき呼ばわりされますし、履歴書などに「自認する学歴」を記載すると学歴詐称として「詐欺罪」や「私文書偽造罪」に問われる可能性があります。

 「学歴自認」とは言っても、方向性が実際よりも高い場合と低い場合、或いは同程度でも有名・無名など自分の好みによって選択可能なのですが、それは自身が「学歴差別をしている証拠」とも言えます。

 学校の格は、公的には偏差値などの「客観的な数値」で分類され、私的には単なる自分の好みや相性で決め付けています。この学歴の分類を「学歴差別」と糾弾する人を余り見た事がありません。

 「学歴」と「人間性」は、一般に無関係とされているのですが、実社会では学歴が優先されているようで、「貴方は良い学校を出てますね」は誉め言葉ですが、「貴方は良い人ですね」は半分小馬鹿にした言い方で、詐欺の被害者になる可能性も有ります。

 外見と違う「性自認」は、「内心の自由」が保障されている自由主義社会では殆ど何の問題も無いのですが、一部の宗教国家では違法性が有るようです。外見と違う性自認を認めない国では、認めない人を「差別主義者」とは言わないし、寧ろ「外見と違う性」を主張した人が犯罪者になる可能性が高いです。

 「性自認」とは言っても、方向性が実際よりも高い場合と低い場合、或いは同じでも有利・不利など自分の好みによって選択可能なのですが、それは自身が「性差別をしている証拠」とも言えます。

 「学歴」にせよ「性」にせよ、「今の自分」に違和感が有ると感じた場合には、心身の調和性を「高める(或いは、低める)」ための「内心の自由」は認められています。と云うよりも、認める・認めないと他人が口出しする問題では無いと思いますが。

 ヒトは生物のインスタンスです。但し、人が神に成ったり、神が人に成る宗教も有るので、クラス継承しているとは言い切れません。何れにしても、全て「外見の不自由」によって分類されています。当然、神は見えないので外見に捉われる事が無く、人間が好き勝手に抽象化・具象化して喜んでいるだけです。

 人間が「外見の不自由」を無視し、公的に「内心の自由」を優先すると云う事は、過去の人間が「好き勝手に抽象化・具象化して神(宗教)を創作した」のと同様に、古典的な「見えるモノを見ず、見えないモノを見る」が教義の宗教と言えます。「共産主義」と同様に、「LGBTQ教」は、「シン宗教」かも知れません。

 生物・無生物を問わず、その多様性は、インヘリタンス(クラス継承)である「外見の不自由」の固定化によって保障されています。多様性を失いエントロピーが極大化した世界は「真の自由」とも言えますが、同時に「無の世界」です。




1 コメント

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Unknown (hakusou_onlinechecker)
2023-05-01 11:29:21
まず、学歴と性とは、変更可能性に雲泥の差。
あなたの文章は、変更可能性の程度を看過。その根幹からして破綻している。

『一部の宗教国家では違法性が有る』
テクニカルタームすら使いこなせていないとは……
(聖書・コーランとの関係を看過するな)


『「外見と違う性」を主張した人が犯罪者になる可能性が高い』などという差別思考に呆れる。

#LGBT 周りであれ、学歴周りであれ、
語りたいなら、とりあえず、東大さんや京大でゼロから頭を鍛えてください。ついでに高校は、ナンバースクールで。
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