テレビとうさん

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「内心の自由」 と 「外見の不自由」 其の弐

2023年05月02日 | 思想・思考
 「外見上の性」は容易には変更できないのですが、「性自認」はソノ気になればいつでも変更可能です。「性自認」をマクロでみれば「変更可能性」は低いのですが、特定の意図を持った個人に注目すると「変更可能性」は高いと言えます。

 「内心の自由」は憲法で保障さられているので、他人が口出しする問題では無いのですが、公共の場で突然「自認する性」が変更された場合は、その対処に困ります。例えば外形男女問わず、女風呂に入りたくなった時には「自認女性」になったり、立小便で済ませたい時には「自認男性」になったりでは、周囲の人が困惑します。

 「外見上の身長」は、自由に決めることが出来ないのですが、自認の場合はいつでも変更可能です。当人の「内心」は他人には判らないのでどうでも良いのですが、公の前では、互いに「外見」に従うと事なきを得ます。

 例えば洋服店で、客の実際の身長が150Cmだったとして、その客が「自分は、内心では180Cmの長身だ」と自認した場合でも、それは自由なのですが、店員としては150Cmで対応した方が収まりやすいと思いす。

 洋服店の店員が、客の「自認する身長」を認めない場合でも「差別主義者」とは言われないように、外見上の性とは異なる「性自認」を個人的に認めなくても、問題も無いと思います。それは、見る人にも「内心の自由」が有るからです。

 「性」も「背(せい)」も、外見上は自分の努力では如何ともし難いのですが、「性自認」や「背自認」はいつでも自由に変更できますww

 つまり、本人の努力では変更し難いのは「性」ばかりではなく「身体的特徴」一般について言える事であり、公的機関が客観性を無視して、公に性自認だけに配慮する必要性は無いと言えます

 「心と体の不一致」とは言っても、それは自分の体重・容積の1%にも満たない「大脳皮質」が考えているだけであり、その思考は生後の環境の影響によるものです。身心が一致しないのなら、「両親(両性に限る)から遺伝を継承した体」ではなく、「拙い経験で学習した心」を変更すべきです。

 「地動説」「マスクの有効性」「ワクチンの有効性」・・・等々、思考が固定した専門家でも、以前とは正反対の主張をしています。時代と共に正しさが変遷するのは止むを得ないのですが、同一人物が何の釈明も無く主張を変えても多くの人は納得しているようです。これは、宗教を含めて「思考はいつでも変更可能」である事の証左です。

 「事実」は神の為した事であり一つしか無いのですが、「真実」は人が見聞きした事で人の数だけ有ります。しかも最近では「見えるモノを見ず、見えないモノを見る」のが流行っているようなので、混乱を極めています。

 とは言っても、これらは「DS」の計画の一部なので、「人口削減」には良い結果を齎すかもしれませんww




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