テレビとうさん

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智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「資本主義」 と 「共産主義」

2024年04月17日 | 主義・体制
 マックスウェーバー(1864~1920年)による「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(1905年)」で、

・時間を無駄にしない
・勤勉に働く
・質素倹約してお金を貯める
・嘘をつかずに正直に生きる

などと書いているそうですが、これは宗教感を利用して、経済活動における「利潤の肯定」及び「利潤の追求の正当化」を定義したと言えます。西洋では、この「精神」を保障するには「宗教」が必須のようです。この宗教由来の「精神」を持たなければ、「強欲資本主義」によって「正統資本主義」を凌駕することになります。なので、更なる金儲けには宗教が邪魔になります。

 「共産主義」にも精神があるかどうかは判りませんが、正統資本主義と同様の「精神」が有れば「正統共産主義」が成立する可能性はあります。但し、共産主義と宗教は反目関係にあるので、宗教国家では「正統共産主義」は成立し難いと言えます。

 「強欲共産主義」の場合は、国家全体としての共産主義は成立することは有りません。人民の統治手法として「共産主義」が用いられるだけであり、支配層は「金融資本主義」で成立します。

 「神道」は宗教では無いので、日本では「正統共産主義」が成立する可能性は有ります。日本で「何々主義」が流行り始めた明治以降は、日本人は本性として「資本主義の精神」を持っていたことから、目覚ましい成長を達成しました。若しも、この時期に「共産主義」が導入された場合でも、日本は「正統共産主義」の国として発展したと思います。

 ところが、「強欲資本主義」と同様に、共産主義によって宗教が否定された場合には、西洋では「共産主義の精神」も持つことが出来ずに「強欲共産主義」が幅を利かせる事になり、パラレルワールドでも世界大戦が勃発していたと思います。

 つまり日本では、マックスウェーバーの存在や理論の如何によらず、「神道の精神」によって如何なる「主義」にも対応は可能なのですが、それでも「強欲主義」には敵わないと云うことです。

 他にも、今の世界は「強欲平和主義」「強欲平等主義」「強欲全球主義」等々が蔓延っていて、多くの日本国民が窮地に立たされています。

強欲平和主義;平和を理由に、テロ国家との経済取引を正当化する思想。
強欲平等主義;平等を理由に、技能実習生など労奴の輸入を正当化する思想。
強欲全球主義;グローバリズムを理由に、国境のない自由経済を主張する思想。

正統平和主義;各国が自国第一を競い合い、結果としての平和を齎す思想。
正統平等主義;各国が対等の立場で両立し、支配関係を否定する思想。
正統全球主義;各国の弱点を補い合う、相互協力型の八紘一宇思想。



「民主主義」 と 「独裁体制」

2023年11月06日 | 主義・体制
 ここで一首ww

稔るほど
 こうべを垂れる
  稲穂でも
のちに刈られる
 自然の摂理

 学問や技能の深まった人が、たとえ他人に対して謙虚になったとしても、支配者に利用されて一生を終えるのが「自然の摂理」です。他人に利用されるのが嫌で、排他的になったとしても、それは自己満足でしか無く、社会的な存在感を自ら捨てる事になります。

 そこで考え付いたのが「民主主義」です。時の統治権を、神の信託を受けた天子や王から、国民の信託により成立した政府に移す事で、国民が「支配者」となります。

 中華思想では、天命により支配権が移る「易姓革命」を善とし、民主主義思想では、総選挙により統治権が移る「選挙制度」を善とします。

 「多様性の包摂」とは、「多様性」を認めない人も包摂する事を意味するので、結果として「無関心」と同義語です。何かをしたい人はすれば良いし、したくない人はしなくても良い。他人はそれを否定できないし、それを否定する人すら包摂しなくてはなりません。つまり「無意味」と云う事ですww

 「多様性」には一意な正しさが無く、「易姓革命」も良し、「選挙制度」も良しで、混乱を招く事だけは間違いありません。

 ロシアの「特殊軍事作戦」は、力によって(他国の)一地域を、自国の選挙制度の下で統治する事を目的とした「民主主義の為の戦争」です。

 ハマスのイスラエルに対する「急襲テロ攻撃」は、民主主義とは無縁の武力闘争で、その目的は判然としません。

 但しこれは、多様性を容認しない組織を「多様性の包摂」として認めようとする日本や米国などの「民主主義」が引き起こしたとも言えます。特に日本では「ハマスはパレスチナの正統な統治組織」と認識している人が多く、
「いかりちゃんww」の考えは少数派です。

 私も「いかりちゃん」と似た考えで、ハマスが住民の同意なしに、パレスチナをテロに拠って(軍事)占領したと捉えるのが妥当だと思います。それは、中共が支那大陸を人民の同意なしに軍事占領しているのと同じです。何れも選挙されない勢力(注:ハマスは2006年にパレスチナ立法選挙で勝利しガザ地区を統治したが、その後議会は実質的に停止)による「非民主主義」による統治です。

 当初の「ハマス(イスラム抵抗運動)」は、「PLO(パレスチナ解放機構:アラファト議長)」の敵対勢力で、イスラエルからの軍事支援を受けていました。1990年代に、PLOとイスラエルが和平交渉を始めるとハマス(の軍事部門)による自爆を含むテロ攻撃が活発化し、現在に至ります。

 現在のハマスとイスラエルの戦いを「パレスチナ・イスラエル戦争」と言う人もいるようですが、パレスチナには「ガザ地区」の他に「ヨルダン川西岸」もあり、正しくは「ガザ地区のハマステロ組織とイスラエルの戦い」です。「民主主義」の定義からすると、現在に於いて、パレスチナは当然として、ハマスがガザ地区を(正当に)統治していとは言えません。

 但し、第三国が「民主主義国家」なら、「多様性の包摂」を持ち出せば容認できるかもしれません。

 チャーチルが言った、

「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが。」

から考えると、論理的には民主主義が過去の政治体制よりはマシでも、民主主義で生まれる政治体制は最悪と言え、ハマスのみならずヒトラーさえ生み出しました。

 「民主主義」の手法で独裁体制を抑え込むことが出来ないのなら、「民主主義体制」は殆ど無価値と言えます。但し、「自己満足」を、独裁者が得るか国民が得るかの違いは有ります。



「保守」 と 「革新」

2023年10月30日 | 主義・体制
 今回は「民主主義体制の右翼・左翼と保守・革新」について考察します。その定義と典型例は、

左翼:反体制派(野党とは限らない)
右翼:体制派 (与党とは限らない)

革新:過去を否定し体制改革を推進
中道:民意(流行)に従う
保守:過去を肯定し体制改革を推進

保守左翼:自民党(戦後体制を肯定)
保守右翼:保守党(戦前体制を否定しない)

中道左翼:党内選挙の有る野党
中道右翼:   〃   与党

革新左翼:選挙を利用する共産党
革新右翼:(  〃   ナチス)

(極左 :選挙とは無縁の体制破壊思想)
(極右 :   〃   体制復古思想)

とします。

 「右翼・左翼」の語源はフランス革命期の議会で、旧秩序を支持する勢力が議長から見て右側に、旧勢力を排除しようとする党派が左側を陣取っていた事に由来しているそうです。

 「保守・革新」は、「本来の有るべき日本の体制」の認識の違いによって変わるのですが、「日本の民主主義」の成立が戦前か戦後かの認識の違いも影響します。旧来から「米国民主党」は革新勢力なので、米国民主党に負けた(正しくは終戦を受け入れた)日本国の体制は、戦前の保守を否定(革新)し、新しい「戦後保守(実態は革新勢力)
」が成立しました。

 「中道」は、国民から選挙で選ばれた議員が党内選挙を行う事で党内体制を整える事から、的確に民主主義を実践していると言え、実態は兎も角、形式上は民意を反映します。なので、緊急事態でない限り安全な思想と言えます。

 「日本保守党」なる政党が立ち上がろうとしていて、まだ実態が分からないのですが、党代表(仮)の百田氏の(過激な)発言を以って「極右認定」する人もいる様ですが、定義からすると「保守右翼」に分類されると思います。

 「自民党」の場合は米国の体制とリンクしているのでハッキリしないのですが、その由来から「戦後保守」と言えます。つまり、期間限定の「保守」で、今では「戦後は終わった」と認識されるようになり、既に賞味期限が切れています。但し「消費期限」は未だ残っているので、国民の資産を食べ尽くすまで利用されそうですww

 「共産党」の場合は全てが正しいwwので、コメントしようが無いのですが、緊急事態で「民意(中道)」の左傾化が起こる迄は無視できる存在です。逆に、緊急事態に「民意の右傾化」が起きた場合は、総てを革命に利用するのが共産主義なので、「保守右翼」を通り越して「国粋主義(ナチズム)政党」に豹変するかも知れません。

 決して、「保守左翼」が「共産主義」に成るわけでは無く、「保守右翼」が「国粋主義」に成るわけでも有りません。混乱状態で「極左・極右」の影響を受けた民意が「保守主義」を通り越して、左右の「国粋主義」に変貌するだけです。

 なので、「民意(中道)」ほど危険な思想は有りません。これは、「コロナ(対策)禍」でも「大切な人を守るため」と言って思想・行動の押し付け(強制)が行われた事からも明らかで、実証済みです。



「民主主義」 と 「選挙制度」

2023年10月11日 | 主義・体制
 「宗教(宗祖の教え)」と「共産主義(党祖の教え)」は絶対に正しいので「選挙」は不要(無用?)です。何れも、最初に「教え」を説いた人を慕って習合した人たちの団体なので当然です。また、「絶対に正しい人(祖)」が指名した「次期代表」も「絶対に正しい」のですが、「祖」が後任を決める前に逝った場合には、多くは「祖」の取り巻きによる「合議制」によって後任が選出されます。何れにしても、「絶対の正しさ」は伝承されるので、他人が口を挟む問題ではありません。

 「合議制」の場合でも、「絶対に正しい人」を慕って習合した取り巻きなので、意見の違いは出ません。「民主主義」を自認している自民党の場合は、派閥によって「正しさ」に違いが有るので、「違う正しさ」を排除する為に党大会や両院議員総会・総務会の決議によって「党議拘束」が掛かるのが慣例になっているようです。

 但し、自民党の場合は「反対多数」でも「幹部一任」によって議案が成立し、法案賛成の「党議拘束」が掛かるので、共産党や宗教と大差は有りません。

 「選挙制度」がある事で、複数の意見が対立した場合や、或いは、意見の対立が無ければ「人気」や「カネ目」によって、人民の意思が反映されることで「民主主義」が成立します。「民主主義」では思想信条の自由が保証されているので、「選挙結果」が「意見・人気・カネ目など」の内のどれが反映された結果なのかは問われません。

 つまり、「民主主義」とは、最も多くの「人民が正しいと思う事」が正しいとされる「教え」と言えます。但し、宗教や共産主義とは違い、選択から漏れた「正しさ」が間違いであるとはされません。その場合は、「他人を思いやる気持ち」で従う事をお願いされるのが通例となっています。

 「お願い」に従った場合は、それは国民自らの意思なので、結果として間違った場合は「国民の責任」となり、為政者は責任を回避する事が出来ます。為政者は国民の意思による「政治の運び屋」に過ぎないので、当然と言えばそれ迄ですが。

 能力の有無に関わらず「民主主義」では誰もが同じ権利を保有しているとされるので「選挙」は合理的ですが、「無能な人」が選択される為には、選挙制度で有能な人士を立候補し難くすれば、「より無能な人」と争う事も可能になります。

 正しい筈の「選挙」で選択された現政権に対する批判者が多いと云う事は、「選挙制度」か「国民自身」の何方か、或いは両方に問題があるようにも思えますが、国民が直接選択した事のない「占領統治法に由来する現行憲法」の問題点は、大半の国民が無視しています。

 憲法では、

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第四十三条
両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。

と書いてあり、「全国民を代表する議員を選ぶ」事が明示されていていますが、現在の選挙制度にある「政党を選ぶ」事は禁止されていません。これは「緊急事態条項」が現憲法に無いのと同様に、政府も国民で構成されているので「公共の福祉」に反しない限り、自由な施策が可能となります。

 つまり、「公共の福祉」を持ち出せば、憲法による禁止事項ではない「戒厳令」を布く事も可能と言う事です。若しも「戒厳令」に反対なら、憲法に「緊急事態条項」を設けて「いかなる時にも戒厳令を布く事は禁止する」を書き加える必要が有ります。

 それはさておき、日本の「民主主義」では、米国の教えである「聖書(憲法)」に拠って保障されていると信じている信徒が過半数を占めている限り、共産党と同様に「選挙」は無用なのかも知れません。



「科学的共産主義」 と 「科学的社会主義」

2023年01月02日 | 主義・体制
 「科学は、現実の否定から始まる。」は有名な、「Elon Musk@elonmuskのツイート」に私「yz KND@knd_yz」がリツイートした言葉ですが、殆ど見られていないようですww

 それは兎も角、「現実の否定」と言えば「革命」です。共産主義革命は、共産主義に無謬性を見いだした輩によって起こされるのですが、当然ながら、その結果も正しいと信じているようです。

 革命の犠牲者も、現在では常識と思われている「自然淘汰の原則」に由るものとして「科学的帰結」と考えれば罪悪感を生じないのかも知れません。但し、「科学的帰結」は結果であり、既に科学ではありません。その「帰結」を否定しなければ「常識」となり、そこで科学は終了します。つまり、「常識と科学は対立する」事を知らない人が科学を持ち出すと、悲劇に繋がる可能性が高くなります。

 以前、「科学」とはその対象物が間違いである事を前提にした学問なので「科学的共産主義との言い回しは間違いである」と書きました。何故なら、「共産主義」とは絶対に正しい事が前提の思想体系だからです。

 マルクスは「(それ迄の)社会主義は間違いである」と考え「科学的社会主義」を考案し、エンゲルスが体系化したとされています。つまり、「体系化」した時点で「新機軸の社会主義」も「科学的」と銘打った時点で間違いである事を認めたことになります。

 何れにしても、「科学的社会主義」は、人民の貧困を無くすのが目的では無く、労働者の有効活用の手法(余剰価値論)が書かれていて、その後に成立した「共産主義国」が「教科書(常識)」にした為に、その後は周知の通りです。

 「共産主義」には、「科学的社会主義(マルクス主義)」と同義語であるとする考えと、その進化系であるユートピア社会主義、或いは、原始共産主義等があり、其々の定義も定かでは無いのですが、「社会主義」が分裂したように「共産主義」も分裂気味で、今までの共産主義(科学的社会主義)は間違いであるとして
特色ある社会主義(資本共産主義)」が生まれ、現在は「科学的共産主義」を目指しているようです。

 流行遅れの「戦勝国連合(通称、国連)」や「インターナショナルナル(国際、或いは万国革命歌)」ならば国が在って国境が見えますが、今流行の「グローバル社会」や、今後成立しそうなDSによる「ワンワールド(無政府共産主義・宗教共産主義)」では国境が無くなり、「科学的共産主義」で統一されそうです。

 それでも「原始共産主義」は残り続け、「科学的共産主義」の有力な敵対勢力になるかも知れません。何れにしても、仲間内だけで戦って貰いたいと思います。

 尚、「原始共産制」は主義では無く、小さなグループ(家族など)や集落では今でも存在していて、何の問題も無い・・・と言うより、自然な姿なのですが、これを「主義」として科学的な学問にした事が抑々の間違いの始まりです。
更に、毛沢東やポルポトなど、「原始共産主義」を目指した輩も現れるなど、「共産主義」の愚かさに混乱する世界はまだまだ続きそうです。

 「科学は、現実の否定から始まる」ので、社会の主義・思想に援用すると悲劇を招くだけです。