テレビとうさん

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智識はバカを人にする。
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「民族主義」 と 「人種主義」

2023年10月20日 | 歴史
 「ダイバーシティ と 多様性」 でも書いたのですが、「diversity(多様性)」の元の意味は「(矛盾、対立による)離散」で、現在では「相異なる要素で構成される状態」だそうです。当然、日本語で言う「多様性」も社会の要素の一つに過ぎないので、「ダイバシティー」は多様的である必要が有ります。

 つまり、一意的な「多様性」を主張したり強制する人は「独善的」と言え、独裁国家の支配層に成るのが良いのですが、能力が無ければ「多様社会の一員」として甘んじるしかありません。独裁国家でない場合は、数多の「独善的な人」が存在可能な社会で「多様性を包摂する社会」と言えるかもしれません。

 逆に「対立する事の無い社会の場合は、「多様性を包摂する社会」とは言えません。

 「多様性」の意味からすると、一事に対しても多様な見解を包摂しなければならないのですが、「Woke(目覚めた人)」を自認する人の多くが「多様性」を主張しながら、それが「多様的」である事を否定します。

 「民族」の定義も多様的で、国際的にも国内的にも定まっていない上に、法的根拠も有りません。「民族主義(ethnic nationalism)」は、政治・経済・文化・言語などの分野について、民族としての利益や権力機構、自治組織などを求めようとする思想のようです。

 これに似た「人種主義(racism)」の場合は、人種間に根本的な優劣の差異があり、優等人種が劣等人種を支配するのは当然という思想なので、科学的には「現在の人種はホモサピエンス・サピエンスの単一種」とされている事から、理系に言わせると、間違った思想である事は明らかです。

 【アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律(アイヌ新法)】に書かれている、「日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であるアイヌの人々・・・」の「先住民族」の定義を、政府は未だに示していません。

 「先住」は相対的な概念であり、「民族」は多義的な為に一意的な定義付けが出来ないので当然と言えばそれ迄ですが、それゆえにドサクサに塗れて成立した「アイヌ新法」が、利権にあやかれない両サイドから批判されているのが現実です。

 「日本国」の領土は1952年4月発効のサンフランシスコ講和条約により法的に確定されただけなので、当該外国から侵略されない根拠にはなり得ますが、条約を批准していないロシアなどは拘束されないので、今でも「北海道の東半分」を欲しがっています。

 日本領土を確定する国内法は無いので、「東北海道」がロシアに奪われた場合、日本人を守るのは「民族主義」に頼る以外にありません。ウクライナ東部のロシア系住民を守るためにロシアは「特殊軍事作戦」に打って出た事から、「ロシア系民族であるアイヌ」を救う為にロシアが北海道東部を奪った場合は、「日系住民であるアイヌ」を守るために日本が「特殊防衛作戦」を遂行してもロシアは認めざるを得ないと思います。

憲法第二十二条 
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

 憲法では、国民の国内での居住の自由が保障されていますが、日本政府が「北方領土」「竹島」「尖閣諸島」は日本領と主張しているにも関わらず、日本人の立ち入りを禁止しているのは、拉致被害者と同様に、「日本人を保護する法律」が無いからだと思われます。

 日本国の領域と同様に、戦勝国連合(通称、国連)によって「先住民族」の定義が為されているようなので、外国人には「アイヌは日本の先住民族」と理解できても、日本の法律で「先住民族」の定義が定められていないので、日本人(アイヌ系も含める)には解釈しようがありません。

 「ダイバシティー」の定義から「民族の多様性」を考えると、日本には複数の民族がある事になりますが、「アイヌ民族」以外の民族が居るのか居ないのか、居ても何民族なのかも分かりません。

 そこで、「日本人は単一の民族」と定め、日本民族の中での多様性を包摂するのなら、縄文人や弥生人、
北海道和人(飛鳥時代以前)、更にはその後に進出してきたアイヌ人や、その他の外国人でも「法律の範囲内での自由」は認められます。

 但し、憲法第十四条の、

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

によって、「特定の人種(=民族。日本国憲法は白人由来であり、改正された事が無い世界で最も古い現行憲法なので、当時はまだ、人種と民族の区別は理解していなかったようですww)」を経済的・社会的関係において、マイノリティーやマジョリティーを問わず、差別する事は禁止されています。

 当然乍ら、「(占領統治法に由来する)日本国憲法」は日本人に対する基本法なので、在日外国人に対する差別(区別とも言う)は対象外です。

 アイヌに由来する人々を、「(根拠のない)先住民族アイヌ」として経済的・社会的に差異を設けるる事は、憲法に違反していると言えます。この矛盾を解決するには、日本国籍のある人を「日本民族」とし、日本が「単一民族国家」になる事です。



「アイヌ」 と 「やまと」

2023年07月26日 | 歴史
 「アメリカ(大陸)」は、イタリアの探検家アメリゴ・ヴェスプッチの名から付けられた(1503年)そうです。今ではどう教えられているのかは分からないのですが、「コロンブスによる新大陸発見(1492年)」の方が先だとして「インディアス大陸(コロンブスがインドと誤認)」と呼ぶべきとの主張も有るようです。それが通ると「アメリカ合衆国」は「インディアス合衆国」になるかも知れませんww

 「インド」にしても、インド国は自らの国名を「バーラト」としているようですが、西洋では古来から「インド(亜大陸)はインダス川周辺と、その以東を指していた」そうです。

 「アメリカ」の名称は、そこの先住民が名付けた訳では無いのですが、国際慣行上では「アメリカ」が大陸名として有効で、先住民(インディアン)も認めているようです。「インディアン」とは言っても自ら名付けた訳でも無く、おそらくは「人間を意味する先住民族語」で自分たちを自称していたと思われます。

 「ヤマト」は、今から二千年以上前の「縄文人(或いは弥生人)」によって自称された地域名(当時の認識可能な世界)だと私は思っています。そこに住む人も「やまと(和人)」で、今で言う「人間」と云う意味だと思います。

 おそらく「縄文人(日本海周辺に先住していた日本人)」は、長い間目立った外敵が現れなかった為に、自らを一つの民族であると自認する蓋然性も無く、平和に暮らしていたと思われます。「縄文後期」になると、大陸の日本海側に居住していた「大陸縄文人」は、大陸西部からの侵略に遇って虐殺され、生き残った大陸縄文人の多くが日本列島に逃れて来て「列島縄文人」と共に、後に「弥生時代」と呼ばれる時代を過ごし、外敵を認識し始めた事から「統一民族・統一国家」を意識するようになったと思われます。

 「弥生時代」の初期に文字が使われていたか如何かは分からないのですが、文字が有った(と認識していた)事は間違いないようです。今でも、信用が置ける人同士では、契約書を交わさないからと言って「文字を知らない」とはならないように、単に「当時は文字の必要性はない」と判断していたと考えるのが科学的帰結です。

 それは兎も角、大陸人は他人を信用していないので文字は必須です。当時の「日本人」が大陸人と出会った時に「おまえ、なに人アルネ?」と訊ねられた時に、多くの日本人が「やまと(今で言う人間と仮定)」と答えた事から「邪馬台(イェマトゥ)」と当て字され、後世の日本人(江戸時代?)が「邪馬台国」を「やまたいこく」と読んだ為、国際的(当時の国際は、東南アジアを含む支那大陸・朝鮮半島・日本列島のみ)に認められた日本の最初の統一国家名が「邪馬台国」になったと思われます。

 以前にも書いたのですが、「ヤマト」は「やまとうみ(山と海)」→「ヤマトゥミ」→「ヤマト」になり、私は「国家」を指しているとは思っていません。つまり、「(平地以外の)大地と海洋」で自然を意味していると云う事です。

 「アイヌ」は日本語で「(良い)人」を意味し、「アイヌ民族」ならば「ヒト民族」になります。「やまと」も「アイヌ」も人間と言う意味で、平和な国では当人にとっては家族や部落以外の民族名や所属国家名を意識する必要は無いのですが、乱世になると何処に所属しているのかが重要になります。

 国際慣行上、今では各人に「所属国家名」と「民族名」が当てがわれていますが、それは平和ではないからです。

 先住民族がいる土地に、後から入り込んで「新大陸アメリカ」と名付ける事で「先住民族と新しい国家」が誕生し、縄文人が住む土地に後から入り込んできた北方民族に対し「先住民族アイヌ」と名付ける事で「古い国家に新しい先住民族」が誕生しました。

 「文字」には、歴史を書き換えるほどの力が潜んでいます。「生成AI」は文字を生成しているので、知らない内に「新しい過去の歴史が生成」されているかも知れません。



「ロシア民族」 と 「中華民族」

2023年05月27日 | 歴史
 現在支那大陸を支配している「中国共産党(中共)」は、嘗ての四夷であった周辺諸国を「中華民族の居住地」として領有権を主張しています。世界史的には周辺諸国に統治され続けた支那大陸に過ぎませんが、これを逆手にとって「過去に支那大陸を統治した民族は中華民族である」と詭弁を弄しています。

 戦前に正当な日本の領土であった台湾は、戦勝国連合が中国(蒋介石)国民党に統治を委ねたのち、中共に敗北(この場合は敗南?ww)した蒋介石は台湾に敗走し、行き掛り上台湾を自国領として統治するになりました。その時に数万人の台湾人が殺戮されたのですが、世界は見ぬ振りをして現在に至ります。

 中共は、台湾と同様に、沖縄も「中華民族の居住地」として領有権を仄めかしています。その内、沖縄に「中華民族の保護」を理由にして進軍してくる可能性も否定できません。

 現在に於いて、ユーラシア大陸の北東部を領有している「ロシア連邦」は、嘗てのソ連邦を「ロシア民族の居住地」として領有権を主張しています。

 ロシアは、民主主義の原点であり且つそれが最大の弱点でもある「選挙制度」を利用して領土の拡張(ロシアから見ると奪還)を目論んでいます。他国の「ロシア民族が過半を占める地域」を重点的に支援し、地方選挙を利用して「分離独立⇒ロシア連邦加盟」によって領土拡大を遂行中です。

 ウクライナも、ロシア系住民(ウクライナから見るとウクライナ系住民)が多く住んでいる地域は、露宇戦争の結果として正式にロシア連邦化しそうで、国連もこれを容認すると思われます。

 「ロシア民族」とは言っても、元々は「キエフ大公国」の構成民族であり、その発祥地は「現在のウクライナ」なので、「ロシア民族は元ウクライナ民族」と言えます。

 これらの混乱は、「中華民族」を含めて「民族の定義」が定まっていない事に起因しているので、国家が「民族」を持ち出すと戦争に繋がる事を示しています。「人種は、現生人類(ホモサピエンス・サピエンス)の単一種」である事が定説となった現在でも「人種問題」で騒がしいので、定義が全く定まっていない「民族問題」は、政治的に持ち出さない方が無難です。

 鈴木宗男が「アイヌ民族は日本の民族なので、北方領土は日本の領土である事は明らか」と嘯いたせいで、今ではロシアが「アイヌ民族はロシアを構成する民族の一つ(先住民族)」と主張し、南クリルは当然として、北海道もロシアに帰属する可能性を示唆しています。その内「東北もロシア領」と言い出すかもしれません。

 「千島列島をアイヌの自治区にしてください」という要望書を出した日本の「アイヌ関連団体」がいますが、その内「アイヌは縄文人由来なので、日本列島はアイヌの領土」と主張するかも知れません。



「拙者」 と 「卑弥呼」

2023年02月07日 | 歴史
 「小生」「不肖」「拙者」等は、本来は「拙(つたな)い者」の意味なのですが、実際には「優れていない自分」には使えません。例えば、社長に対して平社員が、真面目な顔をして「拙者に御用ですか?」と言うと将来が危うくなるかも知れません。

 「僕(ぼく)」は、「僕(しもべ)」の意味で、本来は男性の召使いを指して言う語ですが、たまに女性でも自分を「ボク」と言う人がいます。それどころか、子供に対してならば兎も角、女性が大人の男性に対して「僕(ぼく)」と、第二人称として使用する場合もあり、日本では「ジェンダー・フリー」を越えているようにも思えます。

 「卑弥呼」「邪馬台国」は卑字なので、高位な中原(ちゅうげん)から低位な四夷(この場合は東夷)へ当てがわれた漢字のようにも思えますが、中原にしてみれば当時の日本を朝貢国として扱いたかった筈で、卑な国の朝貢よりも、貴な国からの朝貢を受ける方が「中原の格が上がる」と考えるのが合理的です。

 「卑弥呼」の当て字は、魏志倭人伝等に記されている「倭国の女王」が、対外的な自称(自分の意志)として名乗ったとしても不思議では有りません。つまり、「支那大陸の中原の皇帝」と対等な「邪馬台国(周辺海域も含む日本列島)の倭国(九州北部と朝鮮半島南部)の女王」と云う事です。

 中華思想では「支那大陸(当時の全世界)」の中心地を「中原」と言うようですが、日本では自分を遜(へりくだ)るのが礼儀なので、尊大な相手に対しても「邪馬台国」や「倭国」「卑弥呼」などと、自ら卑字を当てても日本人ならば理解できます。

 逆に、「中原」から良い名前を貰った場合は、自ら属国(朝貢国)である事を認めたか、少なくとも将来「中華圏に含める予定の国」であると考えられます。アメリカを中国漢字で「美国」と書くのも気になるところですww

 「アメリカンドリーム」を真似て「中華民族の偉大なる復興」などと「中国の夢」を夢想する隣人が居るようですが、漢族やその他の被支配民族を含めて全て「中華民族」として認めると云う事は、日本人を「和族」「アイヌ族」「その他の移民民族」を統合して「日本民族」であると認めるのと同じです。

 「中華民族」は認めても「日本民族」を認める日本人は滅多に見かけません。何せ、自民党を含む国会議員が全会一致で「アイヌ民族は北海道の先住民族」と決議したくらいなので、現代の卑なる邪馬台人は「アイヌ(アイヌ語で良い人の意味)を含む日本人は日本民族」である事を認めないと思います。

 日本人は、太古の昔から自分を遜った言い方をしてきたのですが、それが通用するのは日本人同士の場合だけです。但し、日本人同士でも「慇懃無礼」になる場合が有るので注意が必要です。

 「大和国の和人の女王」は、この「慇懃無礼」を利用して、「中華皇帝」に対し「邪馬台国の倭人の卑弥呼」を名乗り、「僕」や「拙者」の使用例と同様に「中華思想も大した事が無い」と伝えたかったのかも知れません。



「戦って死ぬ人」と「戦わずして死ぬ人」

2022年11月10日 | 歴史
 「戦争は絶対悪だ」と仮定し、戦わずして他国の被支配層に甘んじる人は幸せかも知れませんが、統計上は、

[戦争での戦闘員の死者数]<[戦争による民間人の死者数]<[戦争して領有化された地域の死者数]<[戦争をせずに領有化された地域の死者数]<[共産党に領有化されて殺された人民数]

が、史実だと思います。但し、現代に近付くほど世界人口が増えているので、総人口に対する戦争殺害数の割合は、今も昔もあまり変わらないかも知れません。

 また、日本やドイツは戦勝国に統治はされましたが、領有化されなかった事で、戦後の死者数はかなり少なかったようです。

 大侵略時代(通称、大航海時代)では、神から与えられた使命としての「領土拡大」は白人の義務でした。キリスト教系では労働は罰なので奴隷が担うのですが、その対象は「戦争に負けた人」であり、肌の色はあまり関係ありません。偶々、「戦争に負ける人」や「戦わない人」に有色人種が多かったせいで黒人の奴隷が多かったと思われます。

 白人の得意な「分断統治」によりアフリカでは多くの民族紛争が起き、「負けた部族」や「戦わない部族」が腕力の強い部族に狩られ、奴隷として白人に売られました。

 鎖で繋がれた「商品」が、運搬中に死亡した場合は廃棄され魚や獣の餌になり、生きぬいた場合は現金と交換されて、その後は奴隷として生きる事が可能になります。

 これは、白人を相手にした「戦わずして死ぬ人」の運命なのですが、どうせ死ぬなら「戦って死ぬ人」を選ぶ場合も有ります。これが、「勝った方が正しい」と考える白人ならば、何でもありなので強いのですが、厄介なのが日本人です。

 日本人は「戦争は戦場で」が当然と考えていました。ところが、白人による民間人を狙った本土空襲が激しくなったことで、本土の日本人に一日でも長生きして貰おうと、自ら特攻に志願したり、玉砕覚悟で「戦場で戦う人」が多くいました。

 ロシアは「ウクライナは元々はロシア領」と言っていて、「本来の自国領」に軍隊を派遣する「特殊軍事作戦」を遂行中です。つまり、そこには「戦場は無い」と言えます。しかし、史実としては「ロシアは元々はウクライナ(キエフ大公国)領」です。ウクライナの軛から逃れたロシアは東進しシベリア迄侵略しました。

 これを「習近平理論」で解釈すると、「シベリアはウクライナ領」とも言えますが、通常の思考能力の有る「霊長類、特にホモサピエンス・サピエンス(現生人類)」ならば、ウクライナはウクライナ領、ロシアはロシア領と考えます。

 北京原人の生き残りが生存しているかどうかは、私には分からないのですが、若しかすると「現生人類はヒト属の唯一の人種である」の定説は間違っているかもしれませんww

 それは兎も角、現在の戦争は「戦場」では起きません。大概は民間人の住む市街地で行われます。市街戦でも軍人ならば降伏する権利が与えられていますが、民間人には「降伏」の概念が当て嵌まりません。「戦って死亡した民間人」は自国では英雄となりますが、敵国にとっては戦争犯罪者として扱われます。

 一方、「戦わずして殺された民間人」は犠牲者の仲間入りができます。但し、軍隊が民間人を殺しても、それが戦争犯罪になるかどうかは戦勝国が決めます。