「精神」の試写会に一人で行ってきました。
岡山県の精神科診療所「こらーる岡山」にビデオカメラを入れてそこに来る患者さんの診察の様子や患者同士の雑談の様子などを、モザイクなしで撮っているドキュメンタリー映画です。ナレーションもテロップもBGMもなく、ただ「こらーる岡山」の人々と真正面から向き合っている作品で観ている最中も観終わってからも色々と考えさせられました。
テレビでたまに取り上げられる精神病患者はモザイクがかかり、不自然な音声処理を施されている姿。そうすると否が応でも好奇の目で見てしまう自分がいるような気がします。けれど「精神」の劇中では患者さんがそのまま映し出されているのでとても自然にストンとその存在を受け止められる。ナレーションとかの説明が一切ないから最初は出てくる人が病院関係者なのか精神病患者なのか分からないんです。
そのくらい日常の空気が流れている様子が切り取られていてある意味衝撃でした。
そして診察シーンにもとても驚かされました。
本当に苦しそうに自分の感情を搾り出す患者。それに対して淡々とクールに対応する先生。
あまりの素っ気無さに驚かされます。あたしは精神科の医師はイヤラシイくらい優しくて猫なで声で患者に接し、催眠療法的な治療をするのかと勝手に想像していました。
でも画面の中の先生は「うん」とか「あー」とか言うくらいでたまに紙の端切れを使って言葉を書いたり図を書いたりするだけ。患者の問いかけに対しても最終的な結論は患者に託すような回答。自分が不安で苦しくてたまらないのにあんなにのらりくらりとした診察で患者は救われていくのかなと最初は疑問に思ったけど段々とそれが先生の凄さ、素晴らしさなんだってことに気づかされます。
出てくる患者さんの中には子供を自らの虐待で殺してしまった人や頭の中で声が聞こえ続けていつか犯罪を起こしてしまうかもと不安になっている人、表面上は明るいけれど大きな苦しみを抱えている人などがいます。
あたしはその人たちを見て自分と彼らの間にはほんの少しの差しかなくていつあたしもその不安や苦しみの渦にはまってしまうか分からない。
ましてや自分が正常だとは言い切れないと強く感じました。
特に印象に残ったのは「死にたくてたまらなくなる」と話す女性の側で彼女のお母さんがただ黙ってその話を聞いている姿。娘にそんな事を言われて年老いたお母さんはどんな気持ちでそれを聞いて受け止めているのだろうと思うと苦しくなりました。そして「こらーる岡山」の患者さんみんなが普通の(何を持って普通というのかはまた別の問題ですが)人たちの事を「健常者」と表現するのも印象的でした。
そう表現するってことは自分達を「障害者」と思っているということ。
たとえば風邪を引いて体調を崩した人が自分以外の人を「健常者」とは表現しないと思うんです。それだけ患者さん一人一人が自分の病気を重く背負っていて周囲の人との壁を感じているという事なんだろうと思いました。
ラストのエンドロールで劇中に出てきていた患者さんが亡くなっている事が分かります。この作品はドキュメンタリー映画なので一人一人の生い立ちや生きてきた背景を紹介して診察を経て回復していくというような流れがあるわけではありません。なので苦しみ続ける人がほとんどだし中には自ら命を絶ってしまう人がいる事も現実だと思います。ただ劇中で普通に笑顔を見せていた方が公開される頃にはもうこの世にいないという事が分かって現実を突きつけられたというか見えかけた光がまた真っ暗闇に戻ってしまったというか。。。
答えなんか何も出ないしこの映画が自分の今後に何をもたらすかは分からないけど
多くの人に観てもらいたいと思いました。そしてこの瞬間にも劇中の人たち、それ以外の精神病患者の人たちが苦しみを抱えながらも生きているという事が本当の現実。できれば「死」を選択せずにどうにか「生」と折り合いをつけて生き続けて欲しいと思います。
試写の後に想田和弘監督と精神科医の名越康文先生の対談がありました。
お二人のお話が聞けて観終わった直後のグチャグチャした気持ちが少し落ち着いたのでよかったです。
とても貴重な体験をさせて頂きました。