一無位の真人 2006-06-12 | 日々の出会い 哲学者西田幾多郎博士が 【禅とは看るものである】 と言われた。 看るとは自分をみること。 自分を看つめること。 自分の中のもう一人の自分に出あうこと 歌人、生田たつエ女史は 【自分を愛するには自分の内部を凝視する以外ない】 とも言われた。 凝視する自分をまず看なければ**** 見る自分 見られる自分の中のもう一人の自分とが 一体となって** 自己の肉体の中に時間、空間を越えた 真実の人間性が存在することを知るために。 ほとけに出会わせて戴くために。 « 五如是 | トップ | 地蔵彫刻 »
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