感謝の日々

日々の出会いとエアデールテリア空(くう)の成長を記録します。

二胡の音

2006-09-30 | 日々の出会い
     秋風に
            二胡の音響く
                      願成寺

          ***** 中将姫桜・ひかり輝く****

   多くの出会いに感謝の一日
                
         地蔵絵巻展・二胡演奏会
                
                来てくださったみなさん有難う

                           心から感謝

                     ありがとうございました。

                       合掌
                             恵眞尼

秋風

2006-09-29 | 日々の出会い
      
      秋風に
          品を付くるや
                虫の声
                    (立花北枝句)

    虫の奏でる声は日によって変わる:::

       それは、私自身の心の様??

           寂しげに::朗らかに:::強く::弱く::

    今日も生かされて:::感謝
                     合掌
                         
                        恵眞尼

    

季のうた

2006-09-28 | 日々の出会い
     
       長き夜や
 
           色々に聞く
             
                 虫の声
                      ( 森川許六 )
   これから夜が長くなる;;;
           虫の声に:::命を感じて:::
                     耳澄ます::

      今日も生かされて
                感謝    
                        恵眞尼
                  

エアデールテリア(空)くうでーす。

2006-09-27 | エアデールテリア愛犬の空<くう>ちゃん

        ワンワンワン;;こんにちは***
    みんな元気ですか??
              涼しくなってうれしいね。
  今日は僕の誕生日です:::ワンワン***

 僕、もう一歳:::人間だと17歳かな~:**
   
      岐阜に来て:::9ヶ月だよ~
 
              岐阜は暑くて寒くて:::
    
        今は一番良い季節だね***

            また::ドライブ連れて行ってもらいたいな=
   
     まだまだ:::お利口できないけどね***
            
   今日はご馳走かな????楽しみだよ=
                   みんなも元気でね。
 
                               くう

見えないものに畏敬の念を

2006-09-26 | 日々の出会い
    
     豊かさと便利さ:::
   
   その中で生まれ・育った現代人::

       ::無意識に自分の個性。自分の型。にはめて
                            固定化している。

  しかし、社会は変化し多様化しているから。
           こうなると::自分で自分の心を苦しめることになる。

   子供や動物には:::見えない声が聴こえる:::
         
        固定化されない見えない::純な心は::

        いのちの尊さを我々に伝える。

   今日も生かされて感謝
                        合掌

                              恵眞尼
   
    

               

             

   
       

徳山村

2006-09-25 | 日々の出会い
 
       今日から徳山ダムに試験たん水が始まった。
     
   一週間もすれば集落があった場所へ通じる道路が
                         
                        水につかりはじめる。
    一箇所水につからないがあるそうだが::

          そこへの道は無くなる。
まだ、今も養蜂業を営んでおられるそうだが***

         問題はすべて解決してのことなのだろうか?
    
     巨大ダムに揺れた:::50年
       
    旧村人の方たちの想いは***
                  希少哺乳動物(やまね)は??
       考えることの多い一日となった**

                         合掌
    
     

板絵地蔵

2006-09-24 | 私の作品
   
    イチジク(無花果)を
             食うべてみても

                  知慧湧かず
                        ( 星の麥丘人)句
   
    アダムとイブが食べたのは;;イチジクとゆう説もあるとか::
  

    ::知慧は:::何処から::

  今日も::タダタダ::::板絵に向かう

                       感謝
                            恵眞尼

命すなわち道

2006-09-23 | 日々の出会い
     
      宮城(しずか)薯より  (昨日に続く)

  そして、この身に賜っている命が道だからこそ、この賜っている命が
かたじけないのです。
そのことから申しますと、仏教と申しましても、つづまるところは
汝自身の命のかたじけなさに気づけ、ということにつきるのだと思います。

賜っている命のかたじけなさに、目覚めるか、目覚めないかなのです。

していることは、迷いでしかないし、愚かなことしかしていない。
日々の生活は、有頂天になったり絶望したり、一喜一憂の生活しかないのですが。
しかし、そうゆう私を支えている命があったのです。

していることは、どんなに愚かでお粗末であっても、その私の日々の営みを
支えている命そのものは、かたじけないもの、賜ったもの、
護念され護持されているものであったのです。

もし、そのような命でないのなら、つまり、【命すなわち  念仏往生の道】
でないのなら、仏陀【 汝自らを 灯とせよ 】という教えも
その意味を失うことになるでしょう。

そのことは、言いかえますと、私たちは念仏においてはじめて、
その念々にこの身を賜るのだということであります。

この現前の生を賜るのです。

信心歓喜は、私が何かを喜ぶ体験ではなく、
実は初めてこの自分自身を歓べる体験なのです。

そして、念々にこの身を賜り、この身を歓べる生活が他力の生活なのです。

それは、この身が生かされてあることの不思議を感ずる心に開けてくる
生活です。

そのような他力の生活、自分自身を歓ぶ心というものが、
孤独な心でないことは言うまでもありません。

つまり、わが身を歓ぶ心は、わが身のあるがままの事実に素直な心です。

それは、よきひとと同朋の中に自分自身を見出した心なのです。

          **今日も生かされて感謝**

                         合掌

                               恵眞尼









命すなわち道

2006-09-22 | 日々の出会い
   
 *** 宮城(しずか)薯より***


 考えてみれば私たちの生活、そのしていることは、まことにお粗末
きわまりないものです。

だれの言葉であったか忘れましたが、【人間はみなチョボチョボ】というのが
あったように思います。

本当に皆、五十歩百歩の生活をしているのでしょう。
すくなくとも私は、自分の日常せいかつを、本当におそまつだなーと思わざる
をえないのです。

しかし、だからといって、私がこの身に賜っている命そのものまでをも
お粗末というわけにはいかないのです。

この命は賜ったいのちであって、自分が作った、自分のものではないからです。
護持され、護念され、常護されている命であったのです。
念じられている命なのです。

そして、実は、
念仏は自分の思いで固めていた心を破って
護持され、護念され常護されている命の
その事実に目覚め、還り、生きることなのです。

念仏を忘れる時、私たちは護持され、護念され、常護されている命を
忘れるのです。

忘れて、その命を自分の思いでとらえて生きるようになるのです。
自分の思いを自分自身と錯覚してしまうのです。

その思いを支えてくれている命そのものを忘れてしまうのです。

先日亡くなられました信国淳先生のお言葉に
( 我ら みな共に 安じて 命に立たん 
             命すなわち 念仏往生の道なればなり )
                         というのがございます。

この身に賜っている命が道であったのだ、とおっしゃっているのです。

道すでにありです。

どこかに道があるのではないのです。

この身に賜っている命そのものが道なのだ。そのことを先生は教えてくださって
いるのです。

その(安じて 命に立たん)というお言葉の中に
道を求めていたずらにあちらこちらと迷い歩き、
探しあぐねている私たちに

外の探し歩く必要はない、

お互いこの身に賜っている命そのものに立てばよいのだ。

この命を本当に受け止め、生きるとき、そこの道があるのだということを
確信をもって語っていてくださるのを感ずるのです。


                       明日に続く

     今日も感謝

                   合掌

                             恵眞尼

季のうた

2006-09-21 | 日々の出会い
    

     つきぬけて
           天上の紺
                 曼珠沙華
                       【山口誓子】句

    彼岸花は突如咲き:::
             
            彼岸過ぎには忽然と消える::

          人の一生を想いながら****

      今日も気づかせて戴いてありがとう!!!!!!     

                        合掌
                          

                          恵眞尼