司馬遼太郎の「項羽と劉邦」と言う小説の中で「阬」という言葉が出てくる。
阬=あな、あなうめ
以下、司馬遼太郎の小説より
落城後に項羽がやった秦の降伏兵の始末が、すさまじすぎたのである。
何千という降伏兵を縛り、城外に大きな阬(あな)を掘ってことごとく阬(あなうめ)にして殺してしまったという。
阬(あな)という名詞がイキウメニスルという動詞に使われるほど、この大量殺人法がやがて項羽によって、二度、三度とおこなわれるのだが、しかしこの方法は項羽の独創ではなかった。
阬がいつごろがはじまりであるのか、よくわからない。上代は殉死者を生きながらに阬にしたということはあったが、刑罰としてこれをやったのは、少なくとも記録の上では始皇帝が最初であった。
儒教の学者四百六十余人を咸陽の郊外につれて行って、阬にした。その地は唐のころから阬儒谷(こうじゅこく)とよばれるようになっている。
以上抜粋終わり
これはまだ少ない方の阬である。
項羽が新安で行った阬は、秦の降伏兵二十余万人をあなうめにしたのである。
そして、現代。
中国共産党は、新幹線を阬にした。
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