先週の土曜日のこと。
仙台から大学時代の友達が上京してきたので、
仲間で会うことになった。
場所は大学のキャンパスがあった思い出の町。
10年前の同窓会以来だ。
暑いからニャ。気をつけるニャよ。
わかったよ。帽子持った。行ってきま~す。
ここは世田谷区のとある町。
駅前商店街を抜け、緑道を歩く。当時の僕の通学路。
商店街のお店もずいぶん入れ替わった。
キャンパスと言っても、10年以上前に郊外へ完全移転し、
閉鎖された校舎だけが残っているはずだけど。。。
なんというタイミング。取り壊しのまっ最中。
これは学食のあった1号館と、別の学科が入っていた2号館。
校舎の姿をこの目に焼き付ける。
うちの研究室が入っていた4号館(だったか忘れちゃったよ)周辺も、
更地になろうとしている。
さらばわが研究室。
さんざん飲み会もしたけれど、研究もがんばったと思うよ。
ここは吾妻屋(あづまや)という和風ハンバーグの美味しい定食屋だった。
ここは、やぶそば。もうノレンは出ていない。
おばあちゃんのお店で、カツ丼大盛り!が僕達の定番だった。
カレー丼という食べ物があることを、ここで初めて知った。
カレーライスに蕎麦ツユぶっかけた最初の人は、何を考えていたのだろう。
僕は間違ってかけたんだろうと疑っている。
ここの蕎麦屋の二階では、
某先生が昼間っからビールを飲んでいるというウワサが。。。
(もう時効)。
そうそう。路頭に迷いそうになっていた時期に、僕はここでカツ丼を食べ、
その翌日、ダメモトで受けた就職試験に合格して今に至る。
僕のラッキースポットだったのかも知れない。
当時僕が住んでいた古い木造アパートは、高級マンションになっていた。
学生課の紹介で、築10年と聞いて行ってみたら、
どう見ても築30年以上の、
玄関もトイレも共用の古い旅館のようなアパートだった。
風呂無し家賃4万円はいくらバブル期の世田谷でも割高だったと思う。
でも大きなお屋敷の敷地の中に建っていて、
部屋の窓から見える広い庭が気に入ったので決めた。
12部屋もあったのに、電気が全部で60アンペア。
1室あたり5アンペアしかないので、冬はすぐにブレーカーが落ちた。
真っ暗な部屋の中で息を潜めて、
誰かがブレーカーを上げに行くのを待つのだった。
キャンパスも、定食屋も、アパートも。
哀愁の町は、霧の彼方に消えたのだった。
(つづく)
ちょっとあたちの出番は!?