goo blog サービス終了のお知らせ 

やおよろずブログ

オピニオンブログ

2枚重ねのビンのふた

2007-08-09 07:18:47 | 総論 一般論 抽象論 概念論
小沢VS米大使 政権担当能力に疑問符がついた(8月9日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070808ig91.htm
これでは民主党に政権担当能力はない、と判断されても仕方がないだろう。

============================================

 「政権担当能力」なる得体の知れない言葉をよく目にする。
 一体何を意味するものなのだろうか?そして、現政府には備わっているものなのだろうか?常に疑問に思っていた。
 どうやら、読売新聞が定義する「政権担当能力」とは、「対米盲従能力」のことのようだ。

 「アメリカ覇権の完成」「アメリカ一極の新秩序」などといわれた時期からは隔世の感がある。
 「ネオコン」と称されたアメリカの要人(ラムズフェルドはネオコンに括られているのには違和感がある)は政府の表舞台から去り、国際機関に転出したボルトン・ウルフォウィッツも、それぞれ失脚した。 
 やはり、アメリカに世界帝国を築くだけの力はなかったようだ。
 「アフガン戦争」から「イラク戦争」に至る一連の動きは、新世界秩序の始まりと称された時期があったが、これは恒常的な秩序の形成ではなく、あくまでイレギュラーなものであったと解することができるだろう。
 国連無用論が飛び交っていたが、結局、アフガンにしろイラクにしろ、国連の場に戻って新決議がなされている。
 国連無用論は影を潜め、国連による権威付けを争う様相を呈している。
 イラン問題にしろ、北朝鮮核実験にしろ、国連にもテーブルを設けている。
 そして、現実に、国連による北朝鮮への制裁が発動されている。
 国連が無用で、国際安全保障をアメリカに頼るしかないという発想自体が、どうやら間違いだったようである。

 もちろん、日本の自衛のため、および日本にとって脅威となる極東有事への対応のため、日米同盟を活用すべきことは当然である。
 しかしながら、日米同盟をもって、インド洋やペルシャ湾まで自衛隊を派遣すべきか否かというのは、また別の問題である。

 論点を整理すれば、インド洋での活動が日本の自衛問題であるかどうかに集約される。
 日本の自衛問題であるのならば、日本が自衛隊をインド洋に派遣することは自衛権の範囲内での活動と言うことになる。
 そうした場合に、「何を持って自衛とするのか」が問題となる。
 ガイドライン法を根拠に自衛の概念を定義すれば、極東有事といえるであろう。
 しかしながら、テロ特別対策措置法によれば、そうした地理的概念ではなくなる。
 世界中のありとあらゆる有事への対応が、自衛の範囲内となってしまう。
 
 これを自衛ではないと解釈したとする。
 すると、インド洋に自衛隊を派遣するのは国際協力ないし国際安全保障への参加ということになる。
 ここでは、ある有事への対応が国際安全保障の範疇に属するか否かについての基準が問題になる。
 世界中のありとあらゆる有事への対応が国際安全保障の範疇に入りうるとすれば、あるいは、アメリカ主導での有事対応であれば、国際安全保障の範疇に入りうるとすれば、インド洋への派遣は国際協力ないし国際安全保障への参加ということができる。
 後者の定義づけは、アメリカ一極支配による新秩序という前提が崩壊した今、どれほど説得力があるのか?
 すると、前者をもってということになるが、無原則な国際安全保障への参加が日本の外交指針の柱になるということになる。

 外交方針に大きな方向性をつけることが「主張する外交」ではなかろうか?
 国際協力や国際安全保障に定義に「国連による権威付け」を要件として付け加えることは、それ自体の賛否は別として、一つの方向性ではある。
 無原則な外交を是としないのであれば、「主張する外交」を志向するのであれば、方向性を打ち出すべきであろう。
 無原則な対応・場当たり的にアメリカに追従するというのが読売新聞の社説で打ち出している日本外交像である。  
 
 そこで、なぜこのような主張になるのかを考えていきたい。
 戦後の有力な組織は戦勝国、とりわけアメリカの庇護の下に成長したものばかりであり、マスコミも例外ではない。

 戦後の潮流を、「国家・国権の強化」と「反国家」と分類し、前者を右派、後者を左派とするのが一般的である。
 左派については、別の機会に論じたい。
 右派の主張のように、国家・国権の強化をなしていけば、いつか反米に打ちあたることになる。

 しかしながら、それが巧みに回避されている。
 右派の新聞といわれる読売新聞の、今回の社説を見ても明らかである。
 これは、反共を掲げ、その反共・反左派のためには、右派はアメリカの傘下に入るべきであるという論筋によるものである。
 つまり、戦後から80年代前半まではソビエト、今日は中国(脅威の程度は弱いものの北朝鮮)という敵国から国家を守るためにアメリカの庇護を受けようというものである。
 
 「ビンのふた」とは、中国に対してキッシンジャーが、アメリカが日本の強大化を押さえているということを指し示したものである。
 しかし、この論筋の中での「中国」は日本の「ビンのふた」の役割を有している。
 つまり、この「中国」が日本の右派的言動の役割を抑圧し、親米の方向に向かわせているのである。
 「中国」の存在が、だから独立に向かうエネルギーを親アメリカに向かわせているのである。
 「アメリカ」と「中国」の2枚のふたで、日本の右派・民族主義は、外に出ないように封をされているのである。

 この論筋に説得力を持たせるには、日本の脅威の対象がアメリカの不倶戴天の敵である必要がある。
 イラク戦争において、戦勝国は2つに割れた。
 これを冷戦構造に見立て、例の親米の論筋に説得力を持たそうとした時期があり、それが実際にある程度の説得力を持っていた時期があった。
 しかし、新秩序に対する熱気が冷め、イラクでの失敗が明らかになるにつけ、この論筋には無理が生じている、説得力がない。
 日本に関わることでいえば、拉致問題はどうなったのか?
 明らかに、日本を外して協議を進めようとしているではないか?

 結局、第二の冷戦なんかなかった。
 アメリカと中国は、そして北朝鮮でさえも、利害の一致を見れば、容易に手を結びうる関係にある。
 アメリカに頼っても、そのアメリカが脅威の対象と手を結んでしまったなら、どうにもならない。  

 「戦後レジームからの脱却」とは、アメリカ追従外交からの脱却であり、言いだした当の安倍総理に明確な方向性がないのは残念である。
 仮に、アメリカの権威付けによる国際協力・国際安全保障を考えているのであれば、「戦後レジームからの脱却」どころか「戦後レジームの強化」である。
 冷戦という与件を失っているなかで、実効性を持たない。
 右派=親米は、ポスト冷戦の中では成立しない。
 イラク戦争は冷戦復活という束の間の夢に過ぎない。

 読売の社説は図らずも、自社がアメリカの庇護の下に育ち、アメリカの庇護の外では何らの行動も取れないことを示している。
 「古き良き」冷戦時代は、懐かしむだけにしておいた方がいい。
 

参院選予想

2007-07-11 07:05:25 | 総論 一般論 抽象論 概念論
<1人区> 惜敗率ベース

民主系:■→岩手
民主系:●→三重・滋賀・奈良・沖縄
民主系:▲→山形・栃木・山梨・徳島・熊本・長崎・鹿児島
民主系:★→富山・石川・鳥取・島根・香川・高知・愛媛・佐賀
自民系:☆→秋田・岡山・大分
自民系:△→青森・福井・(宮崎=長峯)
自民系:○→和歌山・山口
自民系:◎→群馬

自民系:8(9)・民主系20


<複数区>

北海道:民自    静岡県:民自
宮城県:民自    愛知県:自民民
福島県:民自    岐阜県:自民
茨城県:自民    京都府:民共
新潟県:民民    大阪府:公民共
長野県:民自    兵庫県:民自
千葉県:民自民   広島県:民自
埼玉県:自民民   福岡県:民自
東京都:公民民自共
神奈川:自民公

自民15・民主23・公明3・共産3

<比例>

自民:13・民主:20・公明:7・共産:4・社民:2・日本:1・ 国民:1

自民36(37)・民主63・公明10・共産7・社民2・日本1・国民1

雑感  韓国の反日史観  親日派財産没収

2007-05-04 06:50:51 | 総論 一般論 抽象論 概念論
  社会について、安定性と水準に分けて考える。
  制約を設けなければ、最適水準は無限大が解になり、議論が意味を成さない。
  制約を設けた上で、安定性と水準について考察する。
  この際、安定性に、ある程度の許容範囲を設けて、その範囲内の案のみに代替案を制約する。
  一定の安定性を持った代替案を、序列的に並べる。
  最優越となったものが、最適な代替案である。
  最適な代替案と、実際に取られた代替案を比較し、その行動を評価する。

このようなプロセスでいくと、日韓併合について、20世紀初頭において韓国政府が取りえた代替案は①日韓併合・②露韓併合・③その他の列強との併合となる。
考えうる中で、最適案が①日韓併合であり、これが実際に採用されている以上、李首相の評価は高いものになる。
よって、李首相が選択した日韓併合には、相当の合理性があった。
これはロシアにしろ、その他列強にしろ、その統治下にあった諸邦と日本統治かにあった諸邦との比較から明らかである。
満州・台湾を見ればはっきりする。
戦後から改革解放まで、満州は中国共産党支配地域で最も重工業が先進的であり続けたし、台湾はアジア諸国でいち早く経済発展を遂げている。
その他の諸邦はどうなのか?

  日韓併合の合理性は、一定時点における代替案の比較の問題であった。
  「日帝統治」の評価は、時点間分析の問題である。
  つまるところ、日本統治以前の朝鮮と日本統治後の朝鮮の比較がなされなければならない。
  生産水準・教育水準・文化水準・政治水準などなどを考えれば、どうであるか?
  個人差はあるだろう。
  朝鮮王朝の貴族として不労所得を得ていた中には損失をこうむった人間が多かったかもしれない。
  朝鮮王朝期に奴隷身分とされていた5割強の人間の中には、利得を得たものも多かったであろう。
  よって、こういったものは全体として捉えなければならない。
  すれば、無限大である最適解は得られないが、朝鮮王朝期との比較における相対的な意味での評価がそれほど低いものであるとは思えない。
  得たものの方が、失ったものよりも少ない。

  政治的独立が奪われたが、そもそも朝鮮の独立は1895年の下関条約において達成されたものである。
  朝鮮で選挙がなされることはなかったが、日本に来れば選挙権が与えられたし、また、朝鮮には元々選挙制度自体が存在していない。
  経済面では言うに及ばず、普通教育・識字率などの面でも向上している(これは朴大統領も認めるところ)。

そういった、2つの意味で、日韓併合は糾弾されるべきような非合理なものではないと主張したい。

では、なぜ朝鮮でこのような方策が採られたのかについては、台湾や南洋諸島といった他の日本統治下にあった地域との比較により見えてくるのではないだろうか?

  現時点においてこの方策が採られるのは、反日に名を借りた権力闘争である。
  日韓併合や日韓基本条約に関わった人間が多いハンナラ党攻撃の材料に、反日が使われていると見るべき。
  親北政権の継続には、反北勢力の力を弱体化させる必要がある。

  反日史観の定着には、李政権の脆弱性がある。
  蒋介石のように確固とした実力部隊を持たなかった李が朝鮮南部の支配を正当化するのに必要だったのが「抗日の英雄」という看板。
  それが、反日を通じて日本時代の勢力を追放し、自らの基盤の獲得にまい進した。
  さらに、この反日には、国際的にも合理性がある。
  つまり、反日でなければ、韓国は、日本ともに戦争を戦った負け側の国になる。
  反日によって、韓国は戦勝国になり、日本にいる韓国人は朝鮮進駐軍になれた。
  これは李個人の行動として合理性があっただけでなく、韓国としても合理性があった。
  よって、歴代政権において強弱はあれども、反日は受け継がれる。
  日本が反「反日」で韓国に損害を与えるまで、韓国の反日は続く。

韓国で相対的に反日の強い理由は、このようなものと考えられる。



雑感   イラク戦争 慰安婦騒動

2007-05-03 04:30:53 | 総論 一般論 抽象論 概念論

 今回の慰安婦騒動で改めて認識したのは、米中には何一つ物言えぬ日本である。
 米中が分断されていれば、米国の視点で、中国の視点で、批判することは出来る。
 しかしながら、米中に共同歩調を取られれば、批判の視点を失う。


 現在の米軍基地の存在は、「日米同盟」の象徴であると同時に、「米中同盟」の象徴でもある。
 「日本の安全の確保」と同時に「日本の対米対中劣位の確保」という役割がある。
 安保賛成派も反対派も、後者については見ようとしない。
 あるべき議論は安保の是非ではなく、「安全確保」と「対米対中劣位」の解消にいたる方法論である。
 これが、冷戦後の日本の課題である。
 そこで必要とされているのは、保革対立構造ではない。


 「『欧米列強』との軍事衝突回避」「『欧米列強』との不平等条約改正」が明治における日本の課題。
 先行的に優位な『欧米列強』とは、現代においては『戦勝国』(自称も含む)である。
 戦勝国会合たる国連に所属しつつ、日本の地位を向上させる。 
、このあたりが、保革に変わる新しい対立軸とすべきである。



 45年8月の対日・対満州国への宣戦布告以来、スターリンはヤルタ協定で得た権益の確保に動く。
 スターリンは、共産中国という誤算を除いて、その権益を確保していく。
 この権益確保の過程が、冷戦構造の構築に他ならない。
 そして、冷戦とは、ヤルタ枠外についての米ソの利権争いである。
 これが、そのまま国内に持ち込んだのが、日本における保革対立。
 保革対立とは、つまり、日本がアメリカ・ソビエトという支配者の選択である。
 保革構造とは、日本=植民地という前提なしには成立しない。
 革新はソビエトから中国へ、革命から反日へと思想・運動の軸足かえて生き残っている。

 中国派による「アメリカいいなり」アメリカ派による「中国いいなり」というのは、同根。
 保革構造という軸が限界に来ている。
 保革構造は、世界的冷戦を軸にしなければ、存立し得ない。
 もともと、各陣営の利権獲得競争を、国内に反映しただけのものなのだから。



 「イラク戦争」により、保革構図が大きく再び現出した。
 それは、理念的な対立というものではないということを認識する必要がある。
 これは、ヤルタ戦勝国(自称含む)間の対立が、そのような姿を作ったに過ぎない。
 保革構図とは、とりもなおさず、戦勝国間の利権争いの、日本国内への反映である。
 英米豪と仏露中といった、戦勝国間が利害対立により分断されたことが、国内に反射し、保革が写像として浮かび上がった。

 では、いわゆるネオコンと呼ばれる発想は、いかなる性質のものか?
 トロツキストそのものである。
 自由・民主の革命を世界に広げるのであるから、社会主義革命と全く同一ではない。
 反スターリンを掲げたトロツキストは、その流れを汲むものは、イラク戦争を支持したのか?
 支持しなかったとしたら、それは自由・民主に反対だからなのか?トロツキー的発想が誤りであるからなのか?
 毛沢東の人民戦線論においても同じ、平和の創出のためには戦争が許される。

 つまり、思想対立では決してない。
 利害対立の国内への反映である。
 思想・理念などは存在しない。
 ソビエトを賛美していた人間で、ソビエト崩壊により腹を切ったものがいるのか?
 戦後、反革新という意味での保守も、思想などは必要なかった。
 反革新・反ソビエトであれば、自動的に存立可能であったからである。
 戦後的保革を超えて、保守が存立するには相当の思想が必要となる。



 「イラク戦争」における反対派活動家の思想性の欠如をあげつらった後には、
  賛成派の小泉に対して言及しなければならない。
 
 小泉に関しても批判的にならざるを得ない。
 戦争を支持したからでも、アメリカに加担したからでもない。
 大量破壊兵器への言及は、当然に非難されるべきであるが、また、別の問題である。
 仮に、イラクに大量破壊兵器が存在していたとしても、小泉を批判しなければならない。
 戦争の悲劇性とは、まったく異なる次元で。
 
 戦勝国からの劣位からの脱却を訴える立場からすれば、この「イラク戦争」は戦勝国間の分裂という好機であった。
 つまり、戦勝国間の連携が良好であれば、日本が劣位から這い出すのは難しいのである。
 この分裂期においてこそ、日本が東アジア安定のための軍備増強が説得力を持つ。
 非分裂期との比較において、警戒感は薄い。
 この時期において、日本の軍備強化(防衛力強化)について、好意的な閣僚も多かった。
 アーミテージ発言を「日本軍事化指令」と捉えるのは間違いで、「軍事化の許可」と捉えるべきでる。
 つまり、「ビンのふた」論は、取らないということである。
 
 しかしながら、小泉の言動は、戦後保守の領域から抜け出すものではなかった。
 「靖国参拝」は評価するところもあるが、力点を間違えている。
 あくまでも「東アジア安定」に資する軍備増強が必要であった。
 中国共産党は絶対に反対、南が親北政権であるから南北朝鮮も反対
 これは、いかんとも動かしがたい。
 隣国の軍備増強を批判しないのは日本くらいなもの。
 このような隣国の発言は、その一切を無視してかまわない。
 あとは、アメリカ・他のアジア各国である。
 ポジティブな発言まで引き出す必要はないとすれば、問題はアメリカである。
 アメリカに「ビンのふた」論を取られれば、日本は如何ともしがたい状況に陥る。
 その意味で、アーミテージ発言は、日本にとって大きな利益をもたらしうるものであった。
 狂信的とも評されるアメリカ派の岡崎が「こんなに好意的な発言はない」と言ったがその通りであろう。
 
 明治期の不平等条約の改正は、欧州列国間の利害対立をついて達成されたことを思い出さなければならない。

日本戦後史総論 冷戦体制とは何か?

2007-04-20 19:29:45 | 総論 一般論 抽象論 概念論

 冷戦統制とは、ヤルタ協定を実行するための手段であった。
 つまり、スターリンがヤルタの履行を冷戦という形で達成したのである。
 ヨーロッパにおいては、ユーゴスラビアを除けば、約定分は確保し、誤算は少ないものであった。
 逆に、アジアでは、大きな誤算が生じた。
 共産中国の誕生である。
 スターリンは、共産中国を望んでおらず、あくまで国民党政府との協定にこだわっていた。
 スターリンが冷戦構築期において、ヤルタ協定に履行に心血を注いでいたことが、この点からも明確である。
 各地域での冷戦は、別の機会に論じたい。

 日本における冷戦とはどのようなものであったか?
 朝鮮が南北に分断されたのとは対照的に、日本において国内に国境線が惹かれることはなかった。
 冷戦構造が確立されたのは、55年である。
 52年、日本は形式的には独立したものの、アメリカ軍は引き続き駐留したままであった。
 吉田保守と左翼勢力に加え、戦前の国内勢力も完全に解放され、政治活動に参画していく。
 戦後に占領軍の支持を受けた吉田保守政権が続き、また、占領軍が共産党と分離する形で左翼勢力が対峙するという形であった。
 55年に、政治闘争の末、戦前派が中心となった民主党と自民党が合併し、自由民主党が結党される。
 この自民党結党には、アメリカからの資金的支援と三木武吉の暗躍があったことが、今日知られている。
 この自民党に対峙する形で、左右の社会党が統一し、日本社会党が成立する。
 冷戦構造により、アメリカ=自民党の体制が確立すると、社会党はソビエトの庇護に入ることになる。
 こうして、ヤルタ体制による世界統治の縮図ともいえる状況が国内に誕生したのである。
 国内での国境なき冷戦構造は、民族派勢力の勃興を抑え、日本における2大勢力の上に、各々、上部組織を抱えるという構造をとるようになる。

 その後、この2大勢力を中心に、日本国内には組織が張り巡らされ、多くの団体・個人が冷戦構造に取り込まれていったのである。

 日本においては、いまだ民族は勢力が独立的な地位を確立できずにいるが、台湾では、民族派が生まれた。
 台湾は国内に冷戦構造を作らなかったため、これが可能になったのである。
 冷戦の結果は明白である。
 日本もゾンビのように生き残る左翼勢力を壊滅させ、あるいは吉田保守勢力との併合により、もう一方の極に民族派が勃興させねばならない。
 社会主義・共産主義といった実現不能な勢力が極を占めていれば、健全な政策論争などありえるはずもない。