36年
10月 蒋介石監禁事件(西安事件)
37年
7月7日 盧溝橋事件
7月11日 近衛文麿内閣、対中方針を発表し、天津に二個師団の増派を決定。
7月25日 郎坊駅事件(鉄道駅での日中軍衝突)
7月26日 広安門事件(北京広安門で日本軍が中国軍より銃撃)
7月29日 通州事件(中国{冀東防共自治政府}保安隊による日本人虐殺)、天津駐
留日本軍は中国軍攻撃開始。
8月 中ソ不可侵条約、中国共産党八路軍結成
8月13日 第二次上海事変
8月14日 渡洋爆撃開始
9月 日本海軍、中国大陸沿岸を封鎖
9月 第二次国共合作
9月14日 日本軍、北京・天津より南進を開始。保定攻略。
11月 蒋介石 重慶へ遷都
11月5日 日本軍、杭州湾に上陸。参謀本部は作戦区域を上海西部の蘇州~嘉興ラインまでと指示
11月19日 日本軍、蘇州攻略
11月27日 日本軍、戦線を拡大、無錫攻略
11月29日 日本軍、常州攻略
12月1日 参謀本部、南京攻略を許可
12月10日 日本軍、南京攻撃開始
12月12日 国民党軍の唐生智大将が南京から逃走
12月13日 南京攻略
12月17日 日本軍、南京入城式
38年
1月 近衛文麿、「国民政府を対手とせず」の声明
3月 南京に中華民国維新政府成立
4月17日 参謀本部、徐州攻略作戦を許可
5月 日本、国家総動員法公布
5月15日 中国軍、徐州放棄(徐州会戦)
5月19日 日本軍、徐州占領
7月~8月 張鼓峰事件(日ソ武力衝突)
10月 日本軍、バイアス湾上陸、広東占領、武漢三鎮を攻略
12月 汪兆銘が重慶を脱出
39年
2月 中ソ航空協定締結。日本軍、中国最南の海南島占領
5月~8月 ノモンハン事件(日ソ武力衝突)
40年
1月 汪兆銘、南京で親日政府樹立(南京政府)
9月23日 日本軍、仏領インドシナ北部(北部仏印)に進駐
8月~12月 八路軍、日本軍に対して大攻勢(百団大戦)
12月 仏印とタイが武力衝突
41年
1月 仏印とタイが講和
4月 米国、国民政府に5千万ドル借款成立、中ソ中立条約成立
5月 米国、対中武器貸与法発動
7月28日 日本軍、仏領インドシナ南部(南部仏印)進駐
10月 マニラで英米蘭中の軍事会談
12月8日 日本、真珠湾攻撃、のちに英米蘭に宣戦布告(大東亜戦争勃発)
42年
1月 米国人スティルウィルが中国国民党軍参謀に就任
3月 米国 国民政府に5億ドル借款成立
10月 英米、中国における治外法権を撤廃(不平等条約の廃止)
43年
1月 延安で「日本人開放連盟」成立、前線の日本兵へ投降の呼びかけ
44年
4月 日本軍、大陸打通作戦開始
45年
8月8日 ソ連、日ソ中立条約を破棄 満州国・朝鮮半島に侵攻
8月15日 玉音放送(終戦の詔)、
9月2日 日本、連合国への降伏文書に調印
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支那事変(北支事変)・日華事変などの表現が使われる場合もあった。
「事変」というのは、「公式には戦争状態にない」という状態を、日本と蒋介石軍の双方が望んだからである。
双方が宣戦布告を避けたのは両国が戦争状態にあるとすると、第三国には戦時国際法上の中立義務が生じ、交戦国に対して軍事的な支援をすることは、中立義務に反する敵対行動となるためである。
これ以上の国際的な孤立を避けたい日本側にとっても、外国の支援なしには戦闘継続できない蒋介石側にとっても不利とされたのである。