NHKのニュースで、水俣病の大規模健診が行われていることについて、取り上げられていました。
公式に認められ50年以上が経って、なぜ今健診(埋もれた被害者の掘り起こし)が必要なのか・・・?という趣旨でした。
健診の場で取られたアンケートになぜ今まで健診や、救済申請に至らなかったのかの問いに46%の人が“差別”を挙げていました。
そしてもう一つ“情報不足”
公害として認定された水俣病でさえ、その症状が住民関係者に周知されていないことに、驚きながら
あぁ、ここでさえこうなのか・・・
と、とてもつらい思いで視聴いたしました。
先日風車被害について、同じくNHKが取り上げていました。
直前にご連絡をいただいておりましたが、夕方の番組で、ギリギリ見ることができました。
巨大な風車の映像を見るにつけ、狭い日本の国土に風車を無造作に立てることに疑問を感じるのが常です。
風車開発の先駆・お手本と設置者サイドが追随するアメリカの風車が林立する風景には、住居が見えません。広大な砂漠の原野に限りない風車の林・・・・
それ自体に不気味な不自然さは感じるものの、住宅地から離れているように見受けられます。
日本の風車は、モノだけまねて、不都合なしわ寄せが近隣住民に出ているようにしか見えません。
被害がやっと注視され始めた風車
被害を訴えることさえもままならない、形なき市街地の低周波被害
公認されて50年が経ってなお、被害を公言することをはばかられる水俣・・・
公害とは、被害自体よりもそれを取り囲む周囲の認識のありようが、その反応が恐ろしい被害を生むのではないかと思いました。