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2025.1「昨日、今日、明日」「我等の生涯の最良の年」感想2

2025-06-14 11:54:59 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2025.1.31

20:19

昨日の今頃から今日の真夜中頃に観賞会終了。観賞会後瞬間的に、花飾りの帽子は、銀幕ならばそのふいをつくが、スマホでニコニコ動画を見てるので、はながかれた瞬間と思うことしか私はなかったけれども、抱擁の相手の男優が帽子をひっぱてんのか、糸かなんかで下からか、誰が為に鐘は鳴るのキスシーンらしくおでことつばということかを二度観るも、よく分からなかったから、ニコニコ動画での5/5の最終話を、麻婆豆腐たぶん二人前か三人前、小分けしていけば、二食分にはなるなと最近思うも、麻婆豆腐の量があるので、麻婆豆腐の時はいつも包装米飯を二つなので、それらを食べながらはらじゅういちぶんめで、まんぶくかんで、ひとねむりじゅうにじかんぶんめで起床。

本質的に、帰還市民を含めた、プロレタリアート主義、ファイティングスピリッツというか、静かなる戦争を抱えて生きる人々への勇気と賛美、肯定と、名画だろうから、その二時間程度は、いつでもどこでも観れる可能性は人々と社会にあるときあるよというような名画だろうかと思わなくもない。

最後の一応おでことつばにしとくが、そのためにも、おでこがわのはんりょの役柄がやや大袈裟で、その大袈裟に依存してこそ、おでこに依存してはいる、はなまんかいのおなごのはながそこでかれ、おでことつばの野郎とおなごが、一人の人間と一人の人間とで二人の人間としてのじきじきのそれこそさいだいこうやくすうざの瞬間で、誰が為に鐘は鳴るは、それこそゲイリー・クーパーがイングリッドバーグマンと二人の人間としての、年齢を適用しちまえば、139才と11ヶ月を早めに迎えたじきに、いちゃもんもつけず、くじけることもせず、そのりふじんとふじょうりに、とあうのを、当映画を観てからの誰が為に鐘は鳴るを思うと1日程度ではそのように思うのみであった。


20:45

5/5観賞会途中、立床した際に、いよいよ、ふしふじがいたいいたいにちょこっとだけもうれつに、ちょこっとだけいたいいたいになって、思わずまったくこらえることなく、いたいたいたいたいたとひとりごち、ちょこっとだけあせる。

あせったついでに、鬼にゃんまと白フォノウは重要なので当たりづらいにしても、ほぼ次回のガチャガチャは遠い先での希少なガチャガチャでコラボ版超激レアにゃんこが、レアチケットの1枚版で連発気味に大当たりした。ちょっと嬉しいが、にゃんこきゅうべぇというのが大当たりらしいのと、今回のイベントでは、浮いてる敵に強いのかの、名前を覚えてなかったが、そのにゃんこが大当たりしても、ねこっくまをゾンビ対応版に出来てないとクリアが難しいから無用の長物だなと思う。

インターネットのにゃんこ大戦争攻略サイトでは、鬼にゃんまの凄さは頻出だが、より難易度が増すステージだと白フォノウの凄さが読める段階だと思う。

日本版でも、最初のステージである基本にゃんこ?獲得の九州でも、鬼にゃんまと白フォノウは流石にその凄さを記述されてはいなかった。

にゃんこ缶無料で貰えるスマホアプリゲーム頑張って版でアイヒロというスマホアプリを始めようと思う。レベル5までで数度もガチャガチャ出来るにゃんこ缶獲得可能らしいから、超極とか極とかのガチャガチャが出来るように慎重かつ丁寧、そして焦らずじっくりと。

鬼にゃんまが当たらずじまいでも、かさじぞう+マックスならば、相当強いように思う。


23:00

先程にゃんこ大戦争にて、念願というと大袈裟だか、基本にゃんこの今のところ最後のにゃんこの、名前を覚えてなかった。

超人にゃんこ?ネコ超人?を、名前を覚えてなかった、カオル君は一度しかタンビに出来ない、カバちゃんだったか。カバちゃんを何度かクリアして、にゃんこチケット獲得し、獲得。

レベルアップしとこうと思ったら、経験値がはなからすげぇ数値で驚き、いもひく。

経験値が少なくて出来る時期があるときがあるから、その時にレベルアップ予定にしようと思う。古代にゃんこはレジェンドシリーズクリア後の真レジェンドシリーズとかで出るようになるように思うも、レジェンドシリーズも、レアにゃんことか激レアにゃんこの+の数量が低いと負け込み続けるのと、タップのタイミングのテクニックを駆使しても、にゃんこ砲とかベストのタイミングがベストにずれるし、自城を攻め込まれてると肩に力が入ってくるから、スマホ画面の下方にタップ出来る箇所がないか無我夢中になる。


23:53

にゃんこ大戦争のにゃんこ缶のために、アイヒロをスタートしたものの、VIPレベルという意味不明な条件が分からずインターネットで調査。所有モンスター?ヒーロー?の枠拡大路線と平行した課金らしく、にゃんこ大戦争と同日とかで楽しむ人々がいるのかいないのか知らないしそれが出来るのかもちょっと思いずらいけれども、そのようなVIPレベルということを知り、VIPレベルではなくて、レベルを25位まで頑張って止めるときもすこやかなるときも、最近観た映画では、止めるときもまずしいときもといった感覚で、明日から新規一転、今までのように、にゃんこ大戦争で、にゃんこ超人?ネコ超人?が当たったから、ベストの状態ではあるが、やんわりまったり人知れず、そして然り気無く、そしておくびにもちくびにも勿論にゃんこ大戦争なるものが私から一瞬たりとも滲み出る機会は今も今までもあるはずがないんだが、レジェンドステージという難関突破へなみなみな根性と努力で挑むかも知れないと思わなくもない。


2025.2.1

今日からスマホ代後払い復活である。

エースを少し思ってたら、曲がれ!スプーンにもいた、スケスケの実が、ブルックを見る場合、肉体はスケスケの実にならないのかそれはなみなみならぬ根性と努力によって、ほぼおっぱいかまんこ以外はスケスケの実で良いということか知らんが、ブルックを見えないということではないだろうか。スケスケの実はそもそも本人が女性のお洋服になるわけだから、そもそもスケスケの実の能力と、曲がれ!スプーンの透視というのかの能力は異なるわけかと思う。空間だから、そもそも時間のようにあってないようなものという本質的な部分によって生命体という存在が、人間ならば私の知る限り150年前と150年後の空間と時間を尊ぶならば、このぉきなんのききになるきになる(き)みたこともぉないきですから♪のようなギカントツリーのような生命体という存在ならば、とてもこれまでの人間とは違うわけで、特に生産という革命が、シシソンソンシャンソンというゾロのような必殺技

ちょっとちゃっちゃと書くには大変そうだと直感を駆使して思って書くのを止めて、にゃんこ大戦争は終末の連戦場の週末のはずだから経験値ではなくてマタタビだな。虹マタタビの種獲得が困難であるというか、ネコエキゾチックが悪魔に強くなると良いらしいことをインターネット攻略サイトで調査済みなので、まだまだやるべきことが私にはある。


2025.1「昨日、今日、明日」「我等の生涯の最良の年」感想1

2025-06-14 11:54:22 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2025.1.22

23:42

半日一眠りぶっこく。

夜食のお供の映画鑑賞会で、今日は何を観ようかと、難しいなぁと吐露る。

思考整理したことはないが、恐らくはキュンキュン映画をもっとも観たいように思うけれども、と書いたらキュンキュン映画大辞典とまでいかなくても、キュンキュン映画ベスト100とかあると読みごたえはあるかも知れないけども、30年前なら夢中というよりそれしかやりたいという読みたいという本も想像すらつかないという意味でも読んだだろうが、読み込むとかはしないように思う。

キュンキュン映画で、観客を辱しめるというか恥ずかしい思いをさせることへのじせいはあるはずだし、と書くと、最近鑑賞会した映画のコメンタリー版でそのような能書きがあったのを思い出す。さて、その映画が何だったか直ぐに思い起こすことは出来ない。


数分思い、たぶん数分後の明日から「昨日、今日、明日」を観ようと思う。

ソフィア・ローレン=肉感的という外国映画ベスト150でのアンケートのコメンタリーしか思い浮かべることはなかったが、コメディ映画らしいその映画を一度も観たことはないので、初めて観ようと思う。イタリア映画ということに限らないけれども、物悲しさとか基本何らかの悲劇的なドラマツルギーを背景にしたコメディであるだろうか。マルチェロ・マストロヤンニもソフィア・ローレンも肉感的に、その箱というか肉体でもって、ちょいとしたコメディでも笑えるような肉体ではないというか、どちらかというというか個人的にひまわりのイメージしかないからそのように思ってるだけではあるかも知れないと思う。コメディという役ではなくて、コメディという筋で、日常だろうかの三日間?の当たり障りないそれなりに基本的な状態をコメディとしてというような映画かも知れないと思う。


2025.1.24

19:28

昨日までだったか、上映開始から思うのみでは一時間程度まで観ただろうかの、マルチェロ・マストロヤンニの人命救助で車がちょっぴりおしゃかの場面の途中まで観る。

ソフィア・ローレンの脇を走り去る車というのもすげぇなと思ったら、ありゃぁニキ・ラウダが出演したのかと思わなくもなかったが、イタリア映画としての

書くのを忘れたわけではなくで、うんちが凄く出たがってるので、トイレにいくため書くのを止めようと思う。


21:19

観賞会終了。

最後のソフィア・ローレンのセクシーショットを観て、オナゴのワキ毛というのは黒木香さんとかが、ワキ毛に男性がじゅようとか、オナゴのお手入れへの大変さという何らかのその一つも兼ねていたにせよ、ソフィア・ローレンは神父さん家族へのそれで一週間あれだち型になったが、オナゴがせっかくの野郎に乳首を舐めさせるチャンス到来に、ワキ毛があったら拒否というのとならば、それは男性への拒否というよりワキ毛がその時にあるから拒否ということもあるのではないかと思わなくもない。野郎でいう髭とオナゴでいうワキ毛というのはそれなりに身嗜みとして歯磨きとかと同じ程度だろうか。


2025.1.25

8:12

ニコニコ動画にて、「我等の生涯の最良の年」観賞会開始。初見。麻婆豆腐と包装米飯二つと発泡酒で観る。

昨日まで観た「昨日、今日、明日」は観てて飽きる部分があったが、30分程度観賞会終了したが、だれないし飽きないと思う。アカデミー賞の作品賞を獲得している作品のおそれもあるから、私が当映画に飽きないだとかだれないというのも可笑しな物言いだが。アカデミー賞の作品賞でも面白いというか、あまり作品賞で面白いというような特に題材というかは少なめだと思わなくもないけれども、面白くなくても面白いというのは、近年だと、ザ・ロックだとかジョーブラックだとかはだれないしあきないと思わなくもない。

ノッティング・ヒルはお歌の場面さえなければ、一見ならばそれがいいと思う個人的感想だけれども、お歌の場面の傷心も舞台のようで素晴らしいとは素人目に思うも、それがなければもっとずっと見続けるように思わなくもない。

トップガンでいうとメグ・ライアンの旦那さんが死んじゃう一連の場面とノッティング・ヒルの第三楽章を私はプロットとして重ねる癖が強いので、トップガンもその場面がなければ再見という動機としては向上の可能性が、私にあっても意味はないなと思いながらも思う。


2025.1.29

18:04

だれないので見続けられるも、久しぶりに全く理解を越えてる筋のように思う。

ニコニコ動画では⅘の冒頭まで現状で断片的に観るも、わからせるとかわかっていただくというのは、職人芸でもあるし、職人芸ではわからないから職人芸という職人芸もあるわけだが、個人的にプロットがトッピングというか、二十時間で語りたかったものを二時間以内でという職人芸も勇気もあるんだろうが、シロクロはっきりさせとくという範囲では、ウィリアムワイラーというのは、その亜流というか発達の枝分かれにエリアカザンというトッピングというかなめてんのかなめられてんのか微妙なプロットをいいかんじにもしたてあげる勇気とこんじょうというみもふたもねぇものが、ウィリアムワイラーよりはエリアカザンはだれるそのぶがいかに社会派であるかにこんじょうはいっているしゅうだんのように思わなくもない。おなじはくじんのやつらのいいぶんをおもうかぎりにおいては。

ウィリアムワイラーのそのだれがだれにならないのはだれないということにあるよう思う。超一流のいいとは思わないけれども、分からんでもないという第一次ねぼけけんかっぺがだてに映画を百本程度何となく観てただけの実績だけはある思考回路だと一応恐らくは時代を経て凄みが増すか変質をかけてはいると思わなくもない名画の一種であることは地球規模ならば間違いない当映画を思う知識も人格も社会権も人一倍欠けてる私は、述べ数十時間を経た合算で述べ数十分に及ぶ心理的ちょっと思い煩いではそのように思わなくもない。

よく分からない映画である。読みとか依存とか望みとかいう範囲でもよく分からない。つらぬいてもいないことに何があるのかもよく分からない。もしかしてアカデミー賞の、普遍性というテクニカルターム多様性の範囲と思わなくもない。本流でもその運動は全く異なるというか。


2025.1.30

11:21

本日午前中未明、にゃんこ大戦争無我夢中で宇宙編第三章クリアで、クリア報酬ねぇなとか、どこにクリア報酬あんだよとか思いつつ、たぶん宝の金コンプということと、何しろ最後の宇宙編のステージは、諦めないようにずっとタップという、こっちははなからトレジャーなんとかとかネコポンかネコボンとスニャイパー使用で負けるわけにはいきゃぁせんということで、10分以上は楽しんだと言うべきだが、仮眠をぶっこき起床。

気分良く再び深い眠りに着こうと思い、朝食というか昼食。

最近数ヶ月発泡酒を飲んだり野間なかったりだが、発泡酒を飲むと身体の節々がいてぇ。発泡酒で身体の節々がいてぇと書くと発泡酒組合に怒られるが、身体の節々がいてぇ身体で発泡酒を飲むと身体の節々がいてぇように発泡酒を飲むと思うようになったというより、それから一歩踏み込んで、包み隠さず、いてぇと宣うほど、それほどいてぇわけでもねぇなと思いながら、それでもいてぇとボソボソ独り言しつつ、観賞会再開。ニコニコ動画での⅘を見終える。

ちょうど、ナチュとジップゥの件。

難しいというより、身内の多様性もあるし、こっちは第二次世界大戦前の冷戦を思考の射程に捉えて久しいことも、やんわりボソボソ独り言でのたまうというよりのたうちまわって、幸せにシャウエッセンのようなソーセージと発泡酒と包装米飯。食後にひねり揚げで観賞会。

やや、ビアホールだろうかでのジュウジシャはハクジンかコクジンかの微妙さと書くとどうころんでもろくなことはないが、特に混血というフロンティアスピリッツのワンコンプと書いても、そもそも同族も混血という本筋はあるんでどうという筋でもないが、ラテンというのとか、もっと書くとハクジンとコクジンならば、それこそシルクロードとほぼ中国どまりで、一応ジパングはキンパクカンがあるプレゼンか、キンパクカンはねこそぎボンクラにささげたかもってかれたかもどうでも多様性と平和主義の範囲だからどうということもないんだが、信託というかプレゼンというかは、第二次世界大戦前に、第二次世界大戦以外の第二次世界大戦で、第二次世界大戦ならば特に行き続けたという言葉通りで、第二次世界大戦に戻るという第二次世界大戦に、第二次世界大戦の人々のために、第二次世界大戦の人々による、第二次世界大戦への人道主義というのはどういう了見というより、ナチュラリズムの範囲をことさら拘っても、ナチュラリズムの奴等の都合がある極論で映画論の筋論ならば、ドリームキャッチャーのエイリアンと同じに、リョウシンが最も大切にすべきりょうしんでもない癖が数万年あるりょうしんの社会性として、ご飯食べなさいまで出来ればいっちょまえだが、ラクガキどもにしてみりゃぁ、その本筋なるものは、りょうしんに惑わされるなというか、てめぇの命をタンキケッセンの諸悪の根源、悪の枢軸というムードマンテンということも、少し気休めに思う。それそのもののアプローチとかいうようなことも個人的に、とうの昔に私もりょうしんもないから、一応少し拘ってもみるように書いてるように思わなくもない。

カットがモダニズムというのは、当映画のルーチンだろうか。

それをモダニズムと、もっともならばハイパーモダニズムと捉える奴等はそもそも映画館に出入り出来る暇も立場も場所もねぇわけだったのは間違いなかっぺが。


12:27

寝室でのブチュッまで観る。

それまで、真夜中の就寝前までもポマードべったりと、オナゴのヘアスタイルも完璧さで、昨日までは、日本人でポマードというとほぼ橋龍だが、ギセイというよりケンシンを思ったら、午前中に、上杉謙信は私が少ない読書での本では越後の龍だったはずなんだが、インターネットでは越後の虎になってんなと思いつつ、甲斐の虎だったはずの武田信玄を甲斐の龍とはインターネットでも未だとしては呼ばないはずでは、ひゃくせんひゃくしょうとしてのカントウカンリョウとして、武田信玄はどちらかと言えば、西郷隆盛、極論では明治天皇という肖像権の腕の見せ所では、西郷隆盛は西郷

名前が既に出てこねぇ。

従道さんとか、ゴーセンで読んだが、西郷隆盛像は奥様だったか、誰だこの人レベルが必要なのは誰か知らんし、それなりに全く肖像権がより一層西郷隆盛という、みもふたもねぇなと思うのみで、喫煙しようと思う。




2025.2 226→今日、恋をはじめます→空白→生意気な女上司に睨まれながら犯す!→渾身感想 。18歳か20歳以上限定も含む。

2025-06-14 00:25:37 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2025.2.16

15:07

本日深夜未明、226を数日かけてYouTubeにて観賞会終了。

次の映画観賞会をYouTubeで探すもよく分からない。漫画とか人間とかもだが、それが面白いのか、その時々の自分に何らかの楽しさや胸糞があるのかよく分からない。

観賞会後、高台家の人々の漫画をYouTubeのように無料で見れないかインターネットで探し、数日間の限定で随分長めの1日分チケットのようなのでめちゃコミックか、めちゃコミックスというので後明明後日位の限定なので無料版を読み切れないけれども、読書開始。

もっとも泣いて笑ったというよりも、そこまで無料で最近初めて読んだ、笑い過ぎて泣いた、プロポーズまでがまだ読めないが、平凡の平に野グソの野というのは、読みながら笑い過ぎて泣いた。映画をYouTubeだったかDailymotionだったかで無料で観れたので最近観たが、漫画の全体像としてならば、そのような漫画全巻ということだろうか。購入し売却でも、全巻が近場では売ってないのでインターネットで全巻購入出来れば購入して読破しようと思うか思わないことはないと思うけれども、あくまでも想像では、もっとも笑い過ぎて泣けるのは序盤のみで、後は切ないプロットのように思わなくもない。序盤のその展開はあくまでも序盤のインフラとしての生命力ということで、本質的にそれ以降は笑い過ぎて泣けるようなこととは違う生命力としてというほどに、笑い過ぎて泣いたということは、終盤に、泣きすぎて笑うという真剣があるやも知れないと、515で泣かせる話は出来るなと226で思わなくもないが、515と226に詳しくもないし、514、516、225、227で別個独立した、全く関係ないプロットでごり押しも出来るということではそれらも詳しくなる必要というより能力が私というより人間にないから、どうということもないと思わなくもない。


2025.2.20

6:12

これから五十嵐なつちゃん背徳シリーズのどれかでオナニーしようかしまいか思いつつ、インターネットでアダルトDVD情報を見る。AIという完璧な可愛いさというのかを数日前だったかお風呂場でひとりごちてたら、オナニー側がAIという本末転倒を思ったことを思い出した。最早人間が介在しない世の中へと言えども、140年の前後は人間そのものが何人も介在とかいう次元でも時限でもないから、AIのアダルトビデオをAIがオナニーということの寿命というより時間ならば、人間よりは長持ちなのと、AIのアダルトビデオ側はショウニガンの不存在というか確率ゼロのステージだとAIが人間のたんきけっせんの理想なり利益なり継ごうなり目的なりに接近中としてならば、AIしゃかいがらとして、AI新生児からAIのお年寄り、AIが頑張れる世の中でもって人間そのものから、勿論将棋だとか競馬に至っては騎手の人間の有無よりもお馬さんすらもAIとかでゆくゆくはAIならば論理的に10億万光年、それからの1年後は知らんがとか思うとそれは時間というより最早距離とか空間だと数時間前に思ったことと合わせた。

終わりなき宇宙全体以外の何らかとしてだと宇宙に意味があることが最高潮に宇宙に迷惑という基本を思うか思わないかだと宇宙にどこまでいっても適した宇宙全体という組織がどこまで人間が宇宙にくそたれられるか。少なくとも二千年と言わずとも二百年というだけでも、それが人間とか社会だとかいうことは怠慢の論理、怠惰の極道だと思わなくもない。

二百年以内に居ないクソガキどもとしても産まれる哺乳類はいないと思わなくもない。哺乳類が哺乳類をくそづくりの完成体というのも火力という事後のはずで、そもそもそれならば哺乳類は哺乳類をくそにつくりかえる最後の砦のひとつは辛うじてなかったものを新たに躍進というかというと牛乳大好きだし、カルビーポテトチップスカードの門田とギザギザポテトうす塩も好きだがカルビはもっと好きだ。豚肉のしょうが焼きもお店の内外でチラ見なり想像を膨らませると心なしかお腹が減るしぃ。

馬刺しなんてのも大好物だが、馬刺しそのものに、シンボリルドルフなんて書いてあったら喰う気がしねぇというより、その流通はテロの危険があるからシンボリルドルフのお肉は出回らなかったはずだが、馬刺し券なんぞがあったならば、馬刺し三連単とかで、シンボリルドルフだとか前年のミスターシービーだとかに辿り着くだけの熱狂というのはローマとかでもそれはもっともいちぶというかかっきときょうきらんぶで恐らくは当事者はもっとも深刻と真剣の枠はいきつづけていくから人民が馬刺し三連単へのオッズでのことをそれへの回避として勝ち馬という目線、思考、シンボリルドルフ以外がサラブレッドの数だが、シンボリルドルフ以外のその圧倒的大多数のお馬さんはシンボリルドルフ知らねぇし、知る忌みもねぇ。人間も圧倒的大多数がお馬さんを知らねぇというのと同じ。

人間への依存だとか人間の介在の発達というか10億万光年では、よりいっそうたんきけっせんの尊厳ぱとしてのそのばそのばのいのちにぴったりっしょうがくせいになったらちゃんだんかいのせだいちゃん。いちねんせいになってんだっぺのいじかつどうだんかいのせだいべびーぶーむのだらしのなさきちがいちゃん。

一人だろうが70億人だろうが二百年以内は同じというアンパイヤとバンパイヤちゃん。

宇宙知らんでももともと産まれてきちゃってるだけの哺乳類が宇宙を知ってもそれこそ本末転倒というか宇宙を知らないという基本原理からの逸脱という火力とか資源とか加工とか認識だとかの時間の活用ならば、二百年以内にくたばることを知って産まれてきちゃってるだけの人間というか哺乳類がいまのところまだまだいないし、それが文明になって産まれようというのはいないし、大前提として文明を産まれる段階で分かる奴がいないし、それでも産まれようなんてのは違う目的かまされて人々のためだとか、男の子にモテるよぉとかそれはそれで大変そうだけれども二百一年目がねぇのと前がねぇというのは解決にならないからリョウシキキカンからして二重の基準というくそくらえというか、数日前から、ショウニガンを人っ子一人生身で周辺にいなかった瞬間に吐いたら、個人的にトレンド言葉になっちゃって、そんなことを吐くきっかけしか地球はないんだが、それらはインテリとクソガキが大切に暖め育んでる言語だから私は直ぐに忘れるが、それほど拘りはなかったが暇なので、クソガキ博物館入りの不備のなさの論理を100%忘れたことをちょっと悔やんでいる風を装っていても思い出せない。それほど昔にこねくりまわした論理ではないんだがそもそも興味と甲斐性が私はない。恐らくは書き始めた最近のはなに思い出せたからだろうけれども、その思い出せたことを思い出せないから、先に結論を箇条書きにでも書いとけばと思いつつも、そんなんも特別私がどうこうということもないしそういう人類の一大事では一眠りぶっこくのも後ろめたくなるし、にゃんこ大戦争で鬼にゃんま当たらねぇが、ホワイトデーガチャガチャというので鬼にゃんまもどきがいるらしいのと、ノックバック?というので攻撃が出来なくなる連続というのは分かるが、止めるとか鈍足とかいっぱいあって、ちょっと鬼にゃんまらしい強さもあるらしいので、鬼にゃんまもどきと、おかめにゃんこというのが攻撃力1%という読んだ目を疑うほどだったが超レアで最近やっとスニャイパーが当たったけれども、洗脳基本にゃんこも揃えてぇし(台風零号でよいらしい)おかめにゃんこすげぇなとか。癒術士というのとかチビガウガウというのとかもいねぇがどちらも確かにすげぇ。数ヶ月に一度とかの人々とかが多めのように思わなくもないし、一週間単位でも特別ウィークポイントのようなのに拘ることも暇でなければあるはずないから一人一にゃんこ大戦争というスタイルの基本原理があるというアプローチだったのどろうか。にゃんこ大戦争も楽しめるというスマホの魅力、にゃんこのセクシィョン。


7:20

そんなこんなで暇潰しに本日深夜未明、クソガキ博物館入りだと、てめぇらの寿命より白骨の寿命の方がなげぇなという論理に初めて気付いが、その不備の有無はこっちは効かねぇし、それこそわをかけてとかいう大人気ない思考回路しかなかったなと早朝に思いつつ一眠りぶっこくか、五十嵐なつちゃん背徳シリーズDVDで恰も私が背徳のような若造でのオナニーに勤しむか思案のしどころである。

そんなこんなで同じ時分、226とかってなんで年数ないんだろうとかも思ったのも思い出した。ゴロか算数かは年号覚えとは全く違うし国語が違えば話がややこしいというよりそもそも通じる代物でもない。


16:17

昨夜からだったかYouTubeで観れる「今日、恋をはじめます」という映画観賞会開始。ツバキちゃんは、ぼくらのごはんの女優さんとちょっと違うかも知れないと思わなくもない。ツバキくんは佐藤健?さんという何本か映画観賞会で拝見したほど安心の映画男優ということだろうか。昨年だったか護られなかった者たちだったかで初めて観たから分かると思うもこうしてタップしてると佐藤健さんではないように思わなくもない。どちらかと言うとスペンシニズムの社会性の描写を特にそれらの活動、運動の不在か忘却か無意味の人々向けのようにも思えなくもないけれども、女の子向け映画と両刀で、女優さん、男優さんに対しての好意、感情面というスペンシニズムの社会性の描写があるのだろうとも思えなくもない。野郎が女優さんを肉眼で見ちまったら人生おしめぇよと、おなごが男優さんを肉眼で見ちまったら野暮野郎のその他の集団野郎よというような。


2025.2.24

Dailymotionで映画を見つける。空白という古田新太さんと田畑なんとかさんと血筋が直近で固いスーパーの女の子とたぶん佐藤健さんというか数ヶ月前に観た護られなかった者たちから分かり始めた佐藤健さんだが、「今日、恋を始めます」の終盤を観る気迫に足りぬ私は同じ人だとは思うも、平和主義とは何かの第二章の義務論に手こずってた昨夜、いよいよトロッコ論をサンデルさんの動画と書籍で知った極数年前だが、トロッコそのものか悪いのではないかとひとりごちたが、佐藤健さんのような男優さんが第三者に謝罪のような場面の出番まで観たら、りょうしんのしゃざいかいひのいぞんとつごうに思えてならない。何れも英雄の範囲なほど秘め事でなんぼの八百長を、クソガキどもに営なませる余裕とゆとりを思うと、第一世界大戦前の本質的、そして実質的第一世界大戦がそれ以前の全てという論理を蔑ろにしてさえもとか、トロッコ論はそもそも日本人はトロッコというかマグロ好きだなとかほぼ完全に丸1日思ったのでそういうことは忘れていこうと思う。そして芥川龍之介のトロッコを何ら思い出せないほど読解力と記憶力もなかったなと思う。


20:43

先程spankbangの動画ダウンロードでもオナニーしたが、先日アマゾンで購入して帯が丁寧にもったいないたようせいで折ってやがる「生意気な女上司に睨まれながら犯す!イッてもやめない逆ギレ○プ」でオナニー。アダルトビデオのフィルム、カット、ショットで女優さんもだが男優さん大体同じというほど過酷なのとちんこもあるんだろうけれども名優だろうと思うけれども、〆のセックスまでのプロットでの五十嵐なつちゃんのイレテクダサイは、数ヶ月前に大切な一本として母校の先生にデリヘルとしての教え子役座としての五十嵐なつちゃんのイレテクダサイと同じラストセックスの場面の挿入場面できちんとオナホールで射精した。性癖とでも言おうか、一時期騎乗位ってすげぇなというのが恐らくは初期の性癖で次にベイビーインターナショナルのいきまくるというのが性癖で、昨今は背徳シリーズが性癖と、ほぼアダルトビデオの内容の好みのみが性癖だなと思った。

因みに本日、来月クリアしとけば良かったと直ぐに思ったがにゃんこ大戦争の魔界編をクリア。宇宙編までと同じようにプラチナチケット獲得恰も応援されてるがごときでおかわりまで購入。白フォノウと鬼にゃんこを祈っただけでタップしただけでやはり当たらなかったが白青が一つ大当たりした。ガウだったかガオウだったかそのような名前の。レジェンドチケットでレジェンドが当たらないといちゃもんごころをくすぐるなとも思った。おかめというのが経験値がちょっと獲得出来るという稀少なにゃんこらしいのとやはり癒術士というのは良いらしいのとチビガウというのはガチャガチャしないと当たらないらしいがネコボンバーと思いつつ経験値ステージは黒から悪魔になっちゃっててエキゾチックに本日出来て魔界編と経験値ステージ最終版まで遠いなと思いつつエキゾチック悪魔対応育成時間かかるなと思いつつエキゾチックの意味なく両方クリアしつつも最近勝てねぇなと思ってた台風零号をクリアし、全く攻略サイトでのレベルにないから独自に古代適性にゃんこを育てて育んで勝てた。にゃんこ塔もネコ缶とリーダーシップの損得勘定で攻略サイトを先によく見てからにやるようになったが初めて40階クリア。ウララー獲得。40階以上はさすがに勝てる気がしねぇけれど白フォノウと鬼にゃんまとか癒術士とかおかめは経験値だから別の利点としていなくても40階、そしてスニャイパーとネコボン?ネコポン?を駆使して勝てるということは分かった。ねねこ?というのがシリーズでいて違うねねこは当たってるがねねこコンボのねねこはいねぇなということも本日理解した。超生命体シリーズも難しいけれども何故か昨年に引き続きゾンビ超生命体だけはクリア出来るが、他の超生命体シリーズはとても勝ち負けにすらならねぇが、今回の黒美脚ネコの最終版はスニャイパーとネコボン?ネコポン?で万全の状態で何度か頭が弱い子のように挑戦し惨敗したが黒に強いのをレベルマックスで勝ち負けというようなステージじゃないとそりゃぁ意味ねぇようなと思いつつちょびっとバーベル持ってるのと前田慶次を数レベルみつめてキャッツアイ使用でも勝てなかったことで思う。カサジゾウは750位がいいか4000未満の死んじゃったらタップ出来ないじゃんというのがいいのかよく分からないが、攻略サイトで高評価のネコムートはタップまでの準備とタップ力が前提だろうが大体直ぐに死んじゃうからどこがいいか分からないなりに、最近たどり着いた開眼シリーズ、レジェンドシリーズの星四つでは必須ステージが多いにゃんこだと思わなくもない。ステージのレベルが低いと死なないネコムートということになることも分かったが行き当たりばったりではある。


2025.2.27

6:59

「空白」?映画観賞会終了。

dairymotionはニコニコ動画と違って題名が直接的で、題名の発展性がないのかと思いつつ、空白?映画観賞会終了後に興味がありそうな映画を観始めたら、はなからこえぇし朝っぱらか発泡酒飲みながらだしキュンキュン映画観てぇと思うも、渾身で合ってるような映画を観始める。

ドキュメンタリー映画と思いきや、ドキュメンタリーのための映画かも知れないけれども、お相撲さんのお話らしい。

鉄工所に就職が決まったような場面の直ぐ後に青少年の部?のお相撲さんの身体が凄まじいと思いきや、ふと八百長というなのショウビズ、こうぎょうかの何らかのあとのまつりいこうの横綱白鵬の身体は最早相撲では見たことがない身体になりはてて、あの身体で15番はお相手が持たないのではないかとか思うし、ボクシング雑誌を数冊何度も読んでた蓄積だけはある私は井上さんの身体もボクシングで見たことがない身体で、ボクシングしか人生でしてないのではないかというような印象を受けたのを思う。

オナゴは相撲を観てまんじるというか下半身が疼かないだろうか。

私が十代だったらオナゴが百歩譲っておっぱいは上着着用していても土俵というのが難しいわけか。

オナゴの土俵はないわけでもないだろうに。

イングリッドバーグマンが土俵入りしたら私は先ずオナニーしか思わないからそのように思う。


7:31

佐藤健さんだと思ってた人は松坂桃季さん?字面で女優のお名前のような先入観が私の持ち味ではないが私のまぬけ味だが、渾身では女優さんのお顔の識別が困難極まりなくて、奥様が違うのかとか、満島ひかりさん?はお母さん役にしても老け込んでるメイクだなとか、安心の宮崎美子さんと働いている女優さんは奥様でもないのか、これから奥様さまになるということなのかとか、そうなると今の奥様が出産したところまで見たから死んじゃうか離婚してということなのか、そもそもその女優さんと別の女優さんが女の子を寝かしつけていたのかとか。男優さんに至ってはイケメンがすぎて興味がないというよりもっと識別の興味すらないほどだが、踊る大捜査線とかまだ観賞会終了してない映画ではなかった、美人なのにというより美人だからか超絶技巧職人川口春奈さんが高校生の時のお父さん役だった人は直ぐに分かる。



2024.11 九月の恋と出会うまで 感想4。追記も。

2025-06-13 23:11:27 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2024.12.1

19:16

バス内も基本シンメトリーだが、このシンメトリーは当映画初だと思える陸橋?海辺への道中のシオリさんの道中まで観る。ガラガラの陸橋でも、私なら端っこ歩くなも思う。


19:33

古舘伊知郎さんのご子息かも知れないシンイチさんがシラノに呼び出しくらって、シラノがぼくにならなければいけないシラノさんが陸橋だろう、シオリさんは何となく歩道橋?だと思うけれども、シンメトリーかと思う。シオリさんは惰性になる。速力としても。シラノさんはそういう問題でないということに、無償の愛、しかしシラノさんの歩道橋の場合、二人のオナゴが端っこ歩いてる。ちょっとシンメトリーから陸橋もずれてる。背景のマンションの非常階段とのシンメトリーならぬ規律だろうか。勿論お部屋は沢山あれども、シラノさんはシオリさんのいたお部屋しか眼中にないというメタファーとしてもだろうか。シオリさんはオフィーリアと言えなくもない。

ジュリエットだったな。ジュリエットシオリさんだろうか。ロミオシラノさん。こじつけが出来るしかない範囲としてだろうか。


19:43

小説文彗新人賞で走るシラノさんまで観る。

シオリさんの顔芸を、その顔芸だけをずっとやる、出来るのが恐らくは周辺の役者?付き合い?映画に出れるよ?色々あるだろうが、その顔芸だけをはなからずっとやる、やれるのが恐らくはシラノさんの周辺だろうと思う。


19:47

シラノさん、やっとシオリさんのお部屋に入るとこまで観る。

私の最強のDVDコレクションが視界に入る。当映画とウォーリーは性差あれども、右肩上がりのジャケットかと思う。

シオリさん、ウォーリーともどと、女性的ということだろうか。 ガムシャラならのはウォーリーだし、一方はシラノさんだが、きっかけ、基本原理が、グラフのゼロ、右肩上がりの始点というか支点であるウォーリーとシオリさんの配置は同じだと思う。ウォーリーは凄い版DVDだから、通常版は違うかも知れない。


19:55

海辺でバカップル接近中まで観る。

ここで、今んとこお部屋とかでもあるけれども、これから強烈に二人の配置が変わる。基本原理がシラノさんという配置に入る瞬間だと思わなくもない。

ぶちゅっとか、レストランでの食事とか。今までのシオリさん主体でのシラノさんの行動派から、恐らくはレストラン後のシオリさんの行動派が想起されるべきとしてだろうか。

基本原理の範疇では、お互いに護れたことならば、この筋にはなるんだが、


21:29

観賞会終了。何度かシオリさんの顔芸拝みつつ。

マラドーナというのは、監督になってから戦術はメッシというお言葉だけ知ってる私だが、戦術がアルゼンチンということを先ず知ってるという前提が身をもってそれを知ってるということもあるだろうけれども、それほどメッシは凄かっただろうけれども、メッシ以外が凄かったならば、戦術がメッシになるということと、メッシによって、アルゼンチン、アルゼンチン人への尊敬、敬意、誰もサッカーそこまで巧くない大前提、アルゼンチン、アルゼンチン人が最初から、そして最後まで、ここがみそで、最初を紀元前2000年、一年後紀元前1999年だと、その最初と最後が如実になるけれども、その時、サッカーなかったか。正確に再現、復元性だろうが、音楽とか、間違いなく文字もだが、復元性の問題を突き詰めても、では、リトル・ボーイ、アウシュヴィッツを正確に再現しないと、誰かが消滅してしまうかも知れないというのは拭いされない範囲がある。

第一次世界大戦を正確に再現出来なければ、現時点の何人も消滅してしまう可能性があるというべきか。第一次世界大戦もと言うべきか。

シオリさんの顔芸をもっと観て、私の健康を高めなければならない。

カサブランカの場合、イングリッド・バーグマンというより、断然にボギー。ボギー観れるというのは、ゴッドファーザーに女っけがない、それは地獄の黙示録もで、同種同族の野郎っけ、女っけとしての範囲をそれなりに保っているプロットとしての


2024.12.30

23:39

夕方食事会でシオリちゃんの顔芸の場面だけを観る。他の映画観賞会で食事会しようと思うも、食事会というより発泡酒とポテトチップスうすしおでYouTubeで観れるアンドリューなんたらという公開当時から知ってはいたものの観たことはない映画を数分観賞会した。


2025.7.18

10:37

お引っ越しの最中で、トイレで読んでいた新書は先に運び、目についた当映画の原作小説をトイレで数日前から読み始める。

顔芸の場面の支配権、場面に怠慢が全くなかろう左腕も黄金のしおりちゃんが倉さんのお部屋で紅茶を飲んでいる件を読書中。

映画にある場面はまだ一度もないが、倉さんがチョコレートだったかのなんらかを食べる場面というのは平野さんがこそこそそのようなのを食べる場面を原作だけの羅生門藪の中型という高潔なる一体化なのかと今のところ思いながら、倉さんは映画での確かに絵にはなるがイケメンではないと断言して書くと怒られそうだがイケメンではないということは本人がもっとも自覚はしてるだろうけれども痩せちゃうとイケメンになっちゃって役にありつけないという涙ぐましい努力アプローチは別としても、最近レンタルDVDしたが、こっそりDailymotionで観れたらしい、上から目線で控えめに書いて傑作映画「アナログ」の超イケメンとは違うもう一人の方は倉さん役の俳優さんではないかと読みながら思う。

改めて黄金の左腕しおりちゃんの顔芸というのは、凡そその場面では平野、ここではシラノと呼ぶことにしましょう。シラノの回答、反応を観衆は注視というかインフラになるわけで、黄金の左腕しおりちゃんは顔芸を誰にも観られない、観られるべきではないこととして取り組んでいるように上から目線で一歩譲って書いても完全な道具型というかシラノさんの台詞の場面に貢献或いは犠牲、奉仕の心でのそれは、出演作の全てを観てないけれども、キャサリンヘップバーンを彷彿させるというのはそれほど誰にも理解されない個人的なこじつけに過ぎるけれども、原作小説そのものは、読みやすくないと始まらないという意図というか作為が、それほど黄金の左腕とか倉さん、平野ここではシラノと呼びましょうかシラノさんはまだ出てないけれども、映画の俳優さんのイメージが全くないことでも、人物描写の程度にもよるけれども、どうしてもそれなりにそれをそれとしてだとそもそも人物描写が必要になるということはじめじめとしてるというか暗い、或いは人物描写のために人物以外の描写にしてのそれということになる場合があるから、それほど人物のイメージというものが紅茶の場面まで読んだ段階だとほとんど一切思い浮かべるようなこともない、しおりちゃんはおしりが大きいという骨格の簡潔な説明だけあった文章までで尚更と読み終えて思うまま書く。


2025.7.20

11:48

半日一眠りぶっこく。

半日賞味期限切れのとろろそばを食べ、起床後トイレで当映画の原作小説を少し読む。真一さんがアパートメントのオーナーの孫で、町一番のレストランでの食事の約束は映画と同じだったが、原作では小学生での数ヶ月の出会いだったらしいのと、平野ここではシラノと呼びましょうシラノがシオリちゃんに想起させる手段がこれで原作小説にはないということなのか、映画では映画の最後としてシラノがシオリさんをレストランに連れていくけれども、シラノはそのまま1年間永遠にずれちゃってて、あくまでもシラノとシオリさんはその関係性であって、真一とシオリのラブゲームがあるのかとうんちしながら思う。

昨日少し読んでた現代思想としての動物、実際の題名は現代思想からの動物論だったが、序章を読み終え、注釈をすっ飛ばして読み終えたので注釈を読んで後1頁で読了し、第一章生政治だったかを読む予定だが、注釈では笑えないだけに少し笑えるというか最早吹き出したほどだが、その中でも、人々に道徳的聖人云々能天気論は笑った。

シュタイセイフウゾクというよりシュタイセイセイジを朧気に思うというか、そういう言語は未だ嘗て言語になってすらいないんだが、最早既存の言語に依存、適用、頼っていてはとても思考が成立すらしない私は何の低能度すら憚ることも後ろめたささえもないほどであるけれども、注釈でのベンサムの論法をより思うと、ベンサムよりもボン・クレーファンである私は特にベンサムはどうでもいいほどではあるが、例えば能天気論の注釈上にデカルトでも新デカルトでもどちらでもその範囲でとデカルトというのもあぶぇというかそもそもその範囲のデカルトがあぶねぇというよりは、その範囲があぶねぇからその範囲のデカルトはあぶねぇやつだが、説明はつく、或いは出来ることそのものが善悪のりょうしき、りょうぎせいであることを、論法的格調というようなことの恐らくはそれでの何らか、平和主義の本ではないけれども最大幸福、要するに比率の状態、自然権的プロポーズンでのだんかいのじだいだろうしか私はほとんど読後感はない。


12:15

映画を5度程度、シオリちゃんの顔芸は10度程度観てるが、映画にゴドーはなかったように思うと、ゴドーとシラノ、要するにどこで線引きをかますかによるにしても、たまたま原作小説でもない現代思想からの動物論での注釈でのサイードのだんかいのじだいを少し思う。たようせいふうぞくというものを一概にというのも無理がある範囲だと思うけれども、段階とか緊縛とか、それらもそれなりクソガキどもの肉体的時空間にどうしたってということと、家単位にしても、サイードのそれはたまたまオリエンタリズムだったしオリエンタリズムを読んだことは私はなかったけれども、かていのだんかいとしてのコロニアルコール、ぶんぎょうざのだんかいのせだいというものがシュリュウダンであるはずだが、新デカルト主義が何なのかもよう分からんけれども、菜食主義とともに、たまたま同盟的だか連合的だかのそれらと共に、何を書こうとしたのかここまで書くと私のようなのは忘れちまうほどだから、書こうとしたことまで書こうとしたところまで書いたところでもどうということもない。

せいじつに数秒思い出そうとはしたものの、思い出せないから書くのは止めようと思うというより思い出せないから書けないと書くべきではある。

思い出した。

当映画についてだ。

それを書けるほどの知識はなかったから書くのは止めようと思う。


22:36

どうやら去年の年末頃に観始めた私らしかったが、最後のレストランでの観直さないが恐らく平野ここではシラノと呼びましょうとしおりちゃんとのセイタイというのはそれが初めてで、外のテンペストとも言えなくもない状態が観客の状態ではないかと思う。サスペンスの状態が寧ろそれまでの観客の安定、セイタイであって、自然としてはそれからのシラノとシオリちゃんの二人の行く末を知る術を観客が以降持たないことをも含まれた映画としての完結だろうかと思うだけは思う。

二十年前に一度だけ、数分だけ、たぶん映画版を観てよく分からなかったというより、もっと楽しいアニメだという先入観だったからかのエヴァンゲリオンを、にゃんこ大戦争で私は今回が初めてだけれども今日からだったかの使徒以降は勝てる気がまるでしなくなった、前回の魔女と同様の難しいイベントだからたぶんキラーがその二つのイベントにゃんこにあるのかと思うけれども、YouTubeで二話観れるので先程までの仮眠前に二話観る。

相当展開が速いというよりも、展開の速さを視聴者に委ねてさえいることに依存してるような新機軸なドラマツルギーのように思う。注意深く、そして夢中に観ると展開の速さではなくて、きちんとというか、それでもきちんとだと全話の尺として合わないことを、最近初めて見た逆襲のシャアも、もっと特にニューガンダムなんて変身しちゃうわけだから、変身シーンをきちんとやってくれないと胸が踊らないという不満がある私だが、ほんぎようが相当違うような人々の営みなのかと思わなくもない。エヴァンゲリオンの暴走時に、勝っただったかの流れはこれからの説明がありさえしないように思わなくもないけれども、それを視聴者が知らないこととしてのそれというのが効くわけだから名場面だろうとか思うのと、確かに有名曲らしく、主題歌はいい曲だと思った。YouTubeで十年以上前に何度か観たダンスの動画を思い出したが、そのダンスというのは本業がダンスだろうか、とてもダンスが出来ない人ではさわりさえ出来ないようなレベルだが、それほどでもダンスというのは本業になりえるのかと思うけれども、代替というよりも継続性が効かないという範囲では、一撃必殺のそのダンスというのはYouTubeだと動画視聴回数とかでの広告収入があるのかもしれないけれども、インターネット動画というものの本質的なことを見据えた立場としても基本的な職人技のように思う。

因みににゃんこ大戦争のコラボガチャガチャでは、綾波レイにゃんこの弱い版が当たり、大当たりだぁと思ったら使徒キラーをどう探してもない綾波レイにゃんこで、未だ使徒キラーコンボの意味が全くないながら、今日からの、恐らく今後勝てないだろうステージということは理解の素早い私はステージクリアで男の子の進化権を、勝てる要素が全くない必ず獲得ステージは試行錯誤すらせず、トレジャーなんたらの宝箱を使用して、初回のステージで進化権獲得したものの、それはそれで意味が全くないけれども、やはり進化はさせたいという悲しい性でのことで一応進化させた本日のにゃんこ大戦争への取り組みだっただろうと思う。


2024.11 九月の恋と出会うまで 感想3

2025-06-13 23:11:04 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2024.11.26

5:46

昨日から半日一眠りぶっこく。

起床後、喫煙しつつ、食事をしたいとは思わなくもない葛藤を経て、ながら映画鑑賞会ではなくて、ながら食事で映画鑑賞会と思い、包装米飯、餃子、発泡酒で観賞会。

丘の上でのツーショットまで観る。

シオリさんの笑顔説で、シラノさんのそれでのシオリさんというかましがあることで、丘の上でのシラノさんのそれにより、ツーショットを決行決断のシオリさんの顔芸だと思う。しかしシラノさんの最初の言葉でのシオリさんの顔芸は、本当にいい役なシオリさんだと思う。相当寒かった当日のような気配もあり、シラノさんはシオリさんとのコントラストというより体が単にカチンコチン、シオリさんは体をそのようにしないことが重要ながらお顔にその寒さがというような、校庭シャボン玉場面だと思う。それまでの流れで、校庭シャボン玉で音楽と共にダイナミックな突飛というのは、珍しいと思う。二人の恋の発生だとかでとかなしに、大学生が校庭でシャボン玉やってるのはどうかと思うけれども、きたいだろうか。当然水分が相当絶対的に重要なのと重力というか重さの差異、そして人工だろうか。玉では最も人間的ではある。玉がシャボン玉では、玉以外でどうにかしていく生命体の信用と信頼があるんだが、油か。油うってんのか大学生。シャボン玉程度で油うってりゃましだな。


17:23

夕飯のために映画鑑賞会再開。

エアコン空気穴と肉声でのシラノさんのお声で、わざわざそれほどでもないというか、同じと言えば同じなシラノさんのお声は、最後というか、携帯電話でのシラノさんのお声にかけてたように思わなくもない。ここでシャボン玉のなぞかけは、水分、海と涙という音楽かも知れない。映像をおかして、映像をおかさないような音楽、テーマ曲だろうか。その類いだと、スター・ウォーズなんて、のっけは特にスター・ウォーズのタイトル文字だけで、それ以降の文字の内容にはあっていく。名曲だと思う。恐らくはほとんどサントラとしては聴く奴等いないと思うけれども、校庭でかける本質的必要性がなかったのではないか、エアコン空気穴シラノさんと肉声シラノさんのお声でかたる本質的必要性がなかったのではないか。この二点は、シラノは僕でしたシラノさんの海岸シーン

ここで僕は餃子へたれが足りなくなり、冷蔵庫で継ぎ足す。

鑑賞会再開。

名曲は最後に流し続けなければない、僕は走ったで、二度目の二度目が始まるためにと思わなくもない。


17:53

制作者の人々のお名前の途中まで観る。中村優子さんは巧いと思うけれども、今まで観たことも聴いたこともない方で、他の方も巧いけど、巧い役柄を巧く出来るように思わなくもない。古舘裕太郎さんというのはシンイチで、古舘伊知郎さんのご子息だろうかと思わなくもない。パーツが古舘伊知郎さんを思わせる。

それ以降お庭のテーブルで、そこに雑貨店だとか家具屋さん、職人のお名前があることもなく、ここからは、全体的な制作者一覧ですという意思疎通の配慮型だと思わなくもない。


18:08

健康上の理由により、シオリさんの顔芸を観る。ちょっと健康になる。

奇跡だぁの顔芸後の顔芸は、シラノさんの顔芸に顔芸というピュアなのか、どこかにシラノさんを見たシオリさんがその時のシラノさんの顔芸にあるということか思う。


2024.12.1

17:39

本日メルカリで「カサブランカ」コメンタリー版DVDを300円と数十円だったかで購入。スマホ代金払いの初日になりお買い物。

食事を素晴らしくならば、食事に集中が素晴らしいはずだが、映画鑑賞ながら食事。

食事前にたまたま止めて一眠りぶっこいて、夕飯でから揚げ、ポテトサラダ、野沢菜こんぶ(本日賞味期限で初めて野沢菜こんぶを購入。ほとんど食べたことはないが、私、こういうの嫌いじゃなくて。というか大好物でして。)、発泡酒で観賞会再開したら、シラノさんとシオリさんも夕飯だった。豚肉のしょうが焼きだろうか。シオリさんの神業の左腕の夕飯だが、それで観てたからか、今回シオリさんのお部屋でのシラノさんとの立ち話でシオリさんの神業の前兆がある。シオリさんの癖ではないだろう。しかしその左腕の技を繰り出すというのは相当な手練れ。熟練工。映画も完璧というと、ではマーロン・ブランドが産まれてからずっとビト・コルレオーネとして生きるのみだとかというのは難しいわけで、ビト・コルレオーネが完璧かどうかということでは、ゴッドファーザーがそもそも公開出来続けられないというジレンマもある。マーロン・ブランドがタンキケッセンでビト・コルレオーネに対応出来るか出来ないかという範囲だろうかとちょっと思う。

シラノさんとシオリさんと一緒に夕飯しよう。完全に頭が痛い思考だが、最近体があちこちしょんべん痛みで、いよいよ痛いのは眼鏡という思考になるときがあったりなかったりだったと思う。


18:00

観賞会再開。

シオリさんの顔芸まで観る。シオリさんのお部屋にシャボン玉をいっぱい作れる道具が玄関脇にあるということ、それ以外は時計ではない時間だろうか、3lというトートバッグ、ストールだかよく分からないのがあるので、次のシオリさんの時に静止画に本日のお昼頃に観た時にしていたが、特になし、シラノさんのお部屋でも私が理解しようというような納得はなかった。シオリさんも在学中にシャボン玉を校庭で行っていたということでもあるだろうか。

それよりも、シャボン玉を行っていたシオリさんはシラノさんと共にシャボン玉の世界へ行けた。来年のシオリさんのお誕生日来ますよ。そこにいるのはシラノさんだから。


18:11

いいなぁシオリさんと一緒に写真まで観る。この時のシオリさんの顔芸も野球で言うと江川のカーブに遜色ない。観たことないけど。ファミスタ級だろう。手元で曲がるという概念すらない。曲がり続けるカーブという新機軸。ネクストバッターズサークルというより、球場の背面がちょっと、あとちょっとだけ広ければ、江川のグラブに戻る魔球カーブ。


18:23

二人でした約束まで観る。古舘伊知郎さんのご子息のような古館さんの約束?でも、そこでシオリさんはシラノさんがシラノさんだという希望というより、最後にシオリさんの胸中台詞である、ただ一つのことは次のお誕生日でしかないから、次のお誕生日が来る来ないはシラノさんでしかない、恐らくは既にシラノさんでなかったらお誕生日の来る来ないも立場によってはどうでもいいという基本原理もあるだろうか。1年後のてめぇ、てめぇらというものの集合体ってのの勇気付け、景気付けもあるだろうか。


19:03

観賞会再開。その前に、ヒラノさんがシラノになって私を助けてはくれないんですかまで観て書こうと思ったらスマホの電源が切れたので書かずじまいでもよい、シンメトリーとオナゴ左、野郎右の動線よりも、1700分の5位今んとこ観てる思考では、1700分の10位観てる、あれ?寝癖がないからのシーンでシオリさんの顔芸目当てで観てる一連で、シオリさんはバスの乗車の二人の方々にはなれんだろうという思考と、野郎が二人いるけれどもそれよりもその前にいるオナゴ二人の命が、その後の校庭シャボン玉ホリデーという命の連鎖の変質者、この場合変質社だろうけれども、強弱のバランス、ほぼシンメトリーと言ってもいいけれども、

そういうことを思ったり書いたりなんてのは、私のキュンキュン外だから止めようと思う。

本日初めて購入した、恐らくは母親の手料理で最も好きだったピーマンの肉詰めが冷凍食品で陳列し出したので、本日買おうと思い詰め、思い込み、ソースまで購入したが、たれ付きの丁寧さだったので、思わず思い吐く。たれ付きだったか。