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2024.11 九月の恋と出会うまで 感想2

2025-06-13 23:10:23 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2024.11.23

0:26

シラノさんとシラノさんの夕飯と一緒にという目的は無かったけれども、昨日購入してたマミー大盛りスパゲッティは水分が多いのが好みではないので、130円位で売ってるウェルシア手作りのようなスパゲッティカルボナーラとペストプライスひねり揚げの夕飯で一緒感。シオリさんが「そのために来たのに、思わず忘れるところでした。」の左腕は神業だと思う。とそこで静止画にしたために、シラノさんの腕の血管すげぇ浮き出てると思う。たぶん鍛えてるというか筋肉質な方と分かる程度の身のこなし、姿勢だから、どういう役柄でも対応出来るように準備体制の状態の方だろうと思う。


0:34

好きなシーンだったので数回観る。シラノさんは、アドリブをしたのか、アドリブを待ってるという、シオリさんの造形というのを信頼あるいはもっとよりよい作品根性というような柔軟さのようなシラノさんに見える。そのシラノさんには無頓着なシオリさんのようなことが筋でやってたら凄腕だが、今日日、機能美の若造はそれはやるんだろうと思う。ドシロウト向けの優しい奴等ということにしとこうと思う。


0:46

私の胸が弾んでもしょうもねぇんだが、校庭の行きの途中まで観る。

要するにシオリちゃんは母校で、我が物顔というか緊張感がないことを、シラノさんが強調することを行っていると思う。それが理解出来る、させるということは、それ以外も同じ程度の達人芸がないと無理という八百長だな。行きはシャボン玉ないのを今回初めて自覚した。バドミントンとかやってる。


0:51

観賞会再開。直ぐにシャボン玉発射。行きにシャボン玉。帰りまでシャボン玉なのか、行きに映画史に残るシオリちゃん顔芸があるということだったか。しかしそこで突然音楽が不自然なほどになる。ここまでの流れで、校庭で、二人で、シャボン玉で、音楽の特徴というのはどういうことだろうか分からない。キュンキュン筋じゃねぇと分からない。


1:00

シラノさんがシオリさんにプレゼントまで観る。シラノさんが、シオリさんの笑顔という台詞は、シラノが吐いたのではないかと思い、エアコンの空気穴のシーンを観る。前におしっこしたくなったので、おしっこしようと思う。


1:16

シラノさんのエアコンの空気穴会話を先に見直す。パフェの件で、シオリちゃんの笑顔が嬉しいと、それは当たり前だが、その言葉だろうか。見晴らしの良い丘で、笑顔会話によってシオリちゃんはシラノをシラノと正誤も手伝って、信じたのではないか。正誤合わせて信じたという分野。


1:41

公園帰りまで観る。シラノ主体。シオリさんが恐らく涙まで流してもすら、シラノ独壇場公園。何故ならばシラノはシオリさんを公園で最初にそりゃぁあんた一目惚れにもほどがある、そりゃぁあんた、私が公園でシオリちゃん見ちゃったら一目惚れでも生ぬるい。シラノは通行人風情。

シオリさんからの映画史としてシラノへの義理事だろう。理想家の奴等だと思う。建前出来るというか。


1:53

静かに待ちたかった。たった一つだけのことを信じて。まで観る。

シラノでしょ。シラノしかいないっしょ。シラノやらなきゃいけないっしょ。とか思う。


1:56

シオリちゃんの携帯が鳴る。シラノきた。全体としては今回の二度目の観賞会で落涙。一度目は欠伸もしなかったので瞳乾きっぱなしだっけれども。シオリちゃんもっと泣いてる。


2:04

優しい奴等は見直す必要すらない。シオリちゃんの顔芸は見直すべきだが、手筋としてシラノさんのきせきだがシラノさんへ感情移入がタンキケッセンマイノリティとリミテッドで使用したそれできちんと語るしす。個人的にシラノはどうでもいいんだが、シオリちゃん出番が削がれてちょっとションボリルドフル。


2:09

恐らく最大公倍数は「やっと聞けた」だろうか。そこまで観る。江ノ島だろうか。見たことねぇから分からんが。シオリちゃんは、恐らくプロポーション、身体特に頭以外というより頭を要れたプロポーションの薬師丸ひろ子級だろう。目利きの奴等の庭場だろうと思う。頭をいかしたシオリちゃん。他の奴等にひけはとらんと言いたいとこだろうと思う。

おしっこかまして追記。

トイレ限定で本に読まれてを最近読書再開。ペソアの件に思うとこありなほどでもないけれども、読み進める。昨日鬼滅の刃最終話までも読破したこともあり、どうも須賀敦子さんは私のような原始的寝惚けはどうでも良いということはあるにせよ、二次的寝惚けの能書き(三次的寝惚けと言っとかんといかんほど社会性は社会性にはないから特に意味はない。その程度の社会性に社会性があるとか、ということにとかは大昔からの生命体としてのボケナス。ボケナスとしてもっとボケナスという。ボケナスおたがいさましゃかいせい。リトルボーイと同じ地平線。前文のイモ。前文のイモというより脳ミソがあからさま、あきらかに欠落の度合いが顕著並びに堅調。人類を昆虫類と同じ基本でそれからの基本を宣う、行うへっぽこやくざ。前文の脳ミソが屁と同じでいいかんじづら。二千年程度はその新鮮なへっぽこやくざとしての人類主義という社会の流儀ということでも、へっぽこやくざ。)は鼻に付くというか、ペソアを一行も読める立場になったこともないからよく知らんけど、ペソアの件は相当な件だと個人的に理解しようもないながら、半年間は過ぎたなと今思う。ペソアはテクニシャンらしいが、テクニシャンが前提にないとしか思えない。テクニシャンになろうとしてないけれどもテクニシャンにというのも、ある意味ではリトルボーイと同じ地平線。


2:46

シオリさんとシラノさんぶちゅっまで観る。若者の特権、ある意味においては義務という、しょーもねぇろくでなしの人類主義つみかさねつづけてるぼんくらの社会性のワンコンプとは若者は吐けねぇし、てめぇが若者だったら吐きたくても吐けねぇが、シラノさんは、やはり最大のきも入りだったシオリさんのブルーコートを最後にてめぇがブルーコートというシオリ愛、シオリ命があるわけかと今回思う。構図も優しい奴等。テレビ云々あるだろうけれども、映画のボン・ジョヴィとしての勇気ほど勇気のいることもあるにはあるがないと言えばないということもないがないと言うべきだろう。シャボン玉と同じ音楽がここでかまされるわけか。


2:51

水分だろうか。弾ける要素すらけちらす海に。まだそれがラストでも無かったらしいので続きを観る。


2:53

レストラン。お外の風が強ぇ。リルム。今思い出した。転生したらスライムだった件のスライム。続きを観る。


3:00

プロスピタイムスケジュール切り替わり時。ミッキーカーティスが出てるが、息子かお孫さんは恐らく真木蔵人さんだと思ってる私だが、真木蔵人さんとモデルというのはとまで書いてて映画終わったけれども、良いとはなからすじまで思っちゃいねぇというファションモデルとしてはすげぇもんだなと若かりし時に思ったことを思い出した。お顔もあるだろう。田辺さんとか阿部さんとかはどうしても社会主義に似合うというか、それほどどこかへ、どこかまでの違いは大有り或いは全くないとしても真木蔵人さんは田舎のかっぺわをかけた寝惚けとしては、良し悪しのすきすらねぇよファッションモデルとしてはというすげぇ人物、ファッションコーディネート、雑誌、物流、社会主義の器というべきでもねぇわけだが社会主義の器量と言わんな私は。


21:31

シラノが最初に言った言葉って分かりますか?を本日5度程度観る。




2024.11 九月の恋と出会うまで 感想1

2025-06-13 23:09:41 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2024.11.21

13:19

本日朝届いてた。全てを万全な状態で、包装米飯、ポテトサラダ、唐揚げ、発泡酒、もうレンタル漫画にしようと思うので発泡酒を飲む至福というか少し念には念をの饒舌だけは誰にも悟られぬようにでも、何となく未熟になっていくというより、そもそも私は未熟だが、観賞会開始。川口春奈さんがアパートにお引っ越しして最初の音、他者と川口春奈さんの命の繋がりとしてはお庭の音楽会だったのかと思う所まで観る。シラノとコンタクトが最初だと思うということならば思うので、それほどよく観てなかったと思う。


13:52

観賞会再開。シオリさん帰宅まで観る。職場での女子力論でのシオリさんの顔芸は間違いないと思う。勿論時代劇だとやらないか或いはもっと大袈裟とかも出来るというか個人的にもそういう鍛練、全体的にもそういう訓練をしている輩だろうけれども、シオリちゃんは、最近ウォーリーをキュンキュンで観てたからか、目がズームというか随分丁寧な演技というか小技だと、シオリちゃんに夢中になって観ている。ジャンギャバンもだったが、シオリちゃんも、何故こういう普通というか凄まじい別嬪ではあるがとか、最初の公園の噴水のシーンでまだ思う。しかし他のオナゴが、では同じシーンを出来るかということならば、その変哲もないことをシオリちゃんで出来てるということは雲泥の差があるように思う。吉永小百合さんだったら、少女の写真、公園、噴水が霞む。吉永小百合さんがどこまで公園に歩み寄れるのかという問題があるように思う。サヨリストというより、シオリストだが。


2024.11.22

2:03

昨日お昼過ぎより本日深夜未明まで一眠りぶっこく。

寝起きに「鬼滅の刃」を1話読み、プロスピ。

観賞会再開。シオリさん夕食。本棚にアロマキャンドル?。あぶねぇと思う。

私もシオリちゃん一緒に夕食。

シラノの第一声は、キタムラサンまで観る。

少し観る。キタムラシオリサンデスカ。キセキダ。ホントウニヨカッタ。

それまでシオリちゃんは、何ら問い掛けすら発してない。シオリちゃんが聴いていた音楽か、当日はシオリさんの昨年だから、同じお部屋にいるという実感が一年後のシラノさんにある確信だろうか。

少し観る。シオリさんは最初にシラノさん?と問い掛け、ヒラノデス。ヒ。と完全な滑舌で念を押している。仮にシラノにしてるような問題は解消されている。しかしヒラノさんは現実にそのヒラノさんになってない、これならのヒラノさんだから、現在のヒラノさんは、混同しないよう、便宜的にシラノということにしたというべきだろうか。


22:54

今日はシオリさんがシラノのお部屋入室まで観る。ちょっとそれだけでもキュンキュン。シオリさんはそれなりに典型的な別嬪と思う、肉眼でそこまでの別嬪を今まで見たことがないというのはシオリさんにとっても私にとってもそれなりに幸せだと思う。シラノさんの場合異質というか、こういう人、確かにイケメンの部類ではあるかも知れないけれども、ピーチガールとかの本流のイケメンとか、ぼくは明日、昨日のきみとデートするなんて、私がオナゴだったらイチコロ、他の野郎眼中にないか、眼中にないようにして頂きたいと思うレベルだから、世の中大変だよなと思う。ぼくは明日、昨日のきみとデートするは、先程メルカリでコメンタリーは本編ではないようだが、タイムセールというので、2300円程度で購入。女優名知らなかった、イケメンは福士なんとかさん。他の映画にもさすがに出てるようだ。オナゴの方は間違うと不細工だが、それが相当な魅力なのだろうと思うレベルだと率直に思う。

シオリさんは、DVD時代を見据えた、複数回観賞会の人命での主演というのを張ったと思わなくもない。シラノさんはそれを犯さないというような。例えば福士さん。ここではフクちゃんと呼びましょう。フクちゃんがシラノだったならば、もっと実直なシラノさん。シラノさんの印象派が増えることよりも、シオリさんへの感情移入が大きな役割があると思わなくもないプロットとして、フクちゃんだと、緩やかなサスペンスというか、フクちゃんいい役じゃないととか、フクちゃんへの感情移入に相当なテンションがかかるほどフクちゃんはイケメン。シオリさんで引っ張っていかないと全体主義としては下手が下手になるということだろうかと思わなくもない。アパートの住人だとか、職場、学校などでも、シオリさんでまとまった主観が観る側にないと。シオリさん以外にシオリさん以外も着目があるというべきで。視点も特にシラノへの尾行によって、よりシオリさん目線、最初料理と食事で使用したのかと思わなくもなかったけれども、若い奴等は大昔からすげぇ。




2024.12 ゴッドファーザー感想4

2025-06-13 23:07:11 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2024.12.27

2:37

昨夜までに日本語音声英語字幕でパートⅡ観賞会終了。フレドの帽子がその当時のトレンドファッションかトラディショナルか羽毛がところどころアクセントになってるのかと思った。

ベルリン、幻のと言えなくもない東京オリンピックを思ったら、インドは(インドもと言えなくもないけども)私の知る限り未だオリンピックがないというのはどういうことだろうかと思いつつ、ロスの山下さんという柔道、そして勝者としてのリョウシキで、全国放送網で、どうしてもエジプト人にという記憶がさだかながらお名前はさだかでもないながら、美談の範囲としては、オリンピック開催国そのものとしての範囲と然程違いがないように思えば思える。36?だったかのベルリンは信じがたいと言えなくもないけれども、その信じがたさが数年で同じ論理として信じがたさが如実時代は、ロスでも然程違いがないように思えば思える。エジプト人が美談を語るわけにはいかないから日本人が美談を語らないといけないけれども、仮に山下さんが負けたとしたら、全力で山下さんへの美談突入になるほどだった山下さんだろうけれども、決勝という大々舞台のたった二人の勝負事で、怪我しちまったが恐らくは怪我であんたそれかという程度だったほどの強さだっただろう山下さんに、寿司屋で白人なり黒人なりが板前やってりゃぁ忙しい日本人のクソガキやインテリは概ね好感度はマックスレベルが生者の論理としてのナチュラリズムはあると同じ範囲では、エジプト人が柔道着着てるだけでそれなりに柔道してない人間が圧倒的多数派の日本人らしい日本人らしいと言える柔道着を纏っているエジプト人に最高の舞台というかそれこそ永遠的とも言える繰り返し語られるか流される勝利の瞬間に、そしてそれが山下さんだったということに、負けっぱなしのエジプト人という下手打ちが附随されることに、そして山下さんは2020だろうか。20年前でも20年後でも金メダルは可能、恐らくは体重があるだけで、サイズが小さかったら、全階級山下という日本柔道の水準が、国別ながら国としての連覇という語られかたというか社会性というのは未開文明度だなと思えば思えたけれども、仮にそれでは八百長だが、より強くないと社会性にならないというか、エジプト人の小学生が決勝まで進まないけれども、勝つわけにいくのかいかないのか。エジプト人の三本足に技というものを出せるのか出せないのかということでも、やはり強くなくてはならないわけで、格闘というスポーツを少し思えば、ボクシングだとかは、どうしても垂れ流しにリョウシキが働くほどリョウシキからして殴り合いというか、ボクシングの究極というのはど素人としてでは、なぐらない、なぐれない、なぐらせないというボクシングに到達点を迎える運動能力を発達させ続けていってる段階と思えば思える。

フレドの最後はスポーツ中にスポーツ中でスポーツ中と思えば思えるといった思考回路の気まぐれで思ったことを書きつつ、今日からパートⅢの日本語音声英語字幕の観賞会を行おうと思ってるおめでたい思考回路まっしぐらだなと思わなければ思わないから思おうとはしようと思えば思える。


2024.12.28

6:29

昨夜だったか本日深夜だったか日本語音声英語字幕版パートⅢ観賞会終了。シシリーののっけに羊さんに目を奪われがちだが、パルテノン神殿の培養か細胞がちょこんとあることを知ったのが今回の新しい気付きだったが、また風邪を引いたから、どうも邪馬台国と卑弥呼という悪意がかんじられるかんじを思いつつ、一眠りぶっここうと思ってたら先程咳が若干酷めで咳をしたら、ゲロだとか痰ではなくて、完全に鼻水と同じ状態のネバネバがいっぱいいっきに出たから起きざるを得なかったので喫煙もしてたら、当映画の観賞会感想書いてなかったと思い出した。惜しむらくほどでもないが、十代の時にスマホがどうでもスマホがあればその時に映画観賞会の感想を書いてても読み返しもしないけれども、もっと間抜けな感想を真っ直ぐに、そして肝心ではあるがある意味では独り善がりの強化ではあるけれども独自に映画観賞会の発達を遂げる目的として書けたように思う。今より脳ミソが未だましだったから、もっと足し算と引き算はきちんとすばやく出来てた頃程度だけれども、欠落の勇気すら独自の感想をしてない今を思えば、もっと欠落はしてるという原理とかちょっと思うように思えば思わなくもない。

最初に観賞会した三十年位前に、メアリーが階段で死んじゃうときのマイコーすげぇと思ったことは忘れ続けて忘れたことはないが、最初からマイコーすげぇと今回初めて思った。

今日からぼくは、ぼくは明日、昨日のきみとデートするのすげぇ版のすげぇ版の観賞会をしてから本編版の観賞会をまだ再び行おうと思ってる。110円で買ったのは原題まで読んで止めてるけれども、乗り換えとかあるのかとか宝ヶ池で二人で最初に下車してるなとか映画からの思考で疑問にあることを思い出した。


果たしてメルカリかヤフオク!で当すげぇ版DVDを売ろうかちょっと思おうと思う。マイコーのめいげんというのは、まだ思ってないがビトのめいげんと違う最大は、マイコーははなからそりゃぁてめぇが原因だとか、そりゃぁてめぇがはいちゃぁもっとみもふたもねぇことのいのちはっとるとかは可能性高めだが、ビトはやはりマイコーがいたということとソニーとトムとフレドとコニーとママがいたということも感情的だけにしとくと思えば思わなくもないと思う。マイコーと運動が少し直結過ぎる筋というかドラマツルギーというか。ビトは運動を運動以外に持ち出さない、思わせない、継続性がないように思う。


2024.12 ゴッドファーザー感想3

2025-06-13 23:06:15 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2024.12.17

12:15

本日の深夜だったか、パートⅡのディスク1観賞会終了。なげぇが、パートⅡディスク2は一時間程度で、もっとなげぇように思うも後一時間でパートⅡ終了かと思う。パートⅠとパートⅡならばぶっ通しでも飽きないだろう映画だと思う。コッポラの一言で、全てでもなく全てにはなるマリオプーゾのマフィア感、はなかはな、はなとはなで殺してしまえばけっこう論のマフィアでもステートでもファミリーでもコミュニティでもいいんだが、人類という上がいるというあることを、マフィア風情、ナショ風情、ファミリーというかマンマルでもいいんだが、そういう人類作りの段階をそういう人類にやらせちまってはとか、ちょっと思う。もっと思うと相当違うことを書くようになるから、まだまだ人類は人類をなめくさってないと、なめくさっていっちまう二重構造の範囲では、それが一つ払拭出来ても、二千年後の人類は、二千年前の人類をなめることにしかならないということはどういうことかちょっと今後数分かけて思うこともあるかも知れないと思う。


2024.12.18

14:10

パートⅢコッポラコメンタリー版観賞会開始。アンソニーが歌手になりたがる件まで観る。コッポラも再三語ってるが、パートⅢは別物、パートⅠでもパートⅡ不要論もあったが、パートⅢで、如何せんマイケルの回想がマイケルそのものにしか出来ないというのがあっただろうか。現在のマーロン・ブランドが過去でロバート・デ・ニーロなるは、現在のアル・パチーノに関しては過去はアル・パチーノというか。パートⅡでの公聴会のでばなで、ただダイアン・キートンが後ろで座ってるだけの場面があるが、映画史上ダイアン・キートンがただ座ってるだけの映画というのはパートⅡでのそれしかないのではないかと思った。案外と他の本職が違うような特にオナゴがただ座ってるのはうまいのかへたなのか微妙だが、それが他の場面にそれ以外があることになるということは職人芸かナチュラリズムかよく分からねぇと思った。

ジョニーの件でシェイクスピア論があったが、現代のシェイクスピアとしてというか映画としてはシェイクスピアというのはビトにあるべきだったし、あったと言えばあったが、よりあるのがアル。同時進行でビンセントがあるといったところか。筋の交通事情、筋というか感情だろうか。筋だから感情でもどうでもいいかんじの射程圏では。


15:03

基本原則の1つでは、パートⅢが基本原則になったということがあれば、テレビ版?で時間軸版があったらしいが、パートⅢが映画の軸、現在として、「ゴッドファーザー」をパートⅠとⅡを回想として、製作に数十年かかったかあるいはたちましたという「ゴッドファーザー ファーストムービー版」から「ゴッドファーザー 完全版」としてパートⅢが全ての現在としての、パートⅠとパートⅡでも、それらがパートⅢにそれなりにあるかと思うから、パートⅢを、パートⅠ、パートⅡと合体させる映画としてのパートⅢだったならば、単体として先ずは劇場公開しつつ、パートⅢの各場面から見事にパートⅠとパートⅡと一体型となるパートⅢであるということがあっただろうか。それはやらねぇというほどだったんだろうけれども。


16:02

はたなからおかしなスマホが最近ようやっとはなまでおなしなスマホもじつげんできたきちがいぼとってるぼけなすらの命だと思いつつ電源が切れたのでお洗濯と入浴。発泡酒と湖池屋じゃがいもと塩ポテトチップスで観賞会再開。今回が初めてだったが、どこかで観たもちろんテレビがスクリーンかパソコンかスマホだが顔だと思ってたら、ちょうどコッポラがジョージハミルトンといった瞬間に、他にも出てたが五時半の目撃者の犯人役だと判った。二枚のドガの絵並みに、特にそのシーズンだったか、だっておれの部屋じゃねぇぇぜとか、腰掛けの裏にある弾痕に弾はすでにねぇぜとか、やはり、いまみたね、いまのこうどうもくげきしたね、きみもいまのかれのこうどうもくげきしたねとかと同じような頃合いの刑事コロンボでは好きだなと思う。


16:18

洗濯機が仕事を終えた時、ビンセントとジョーイザザの接近前。それまでのビンセントに、役柄も相まってか、映画も当然今日日は社会性の1つなほど既にあることにしかなってないわけだが、生ける伝説マイケルとエイドリアンといるということが役柄に合ってるだけではないかとか思わなくもない。ビンセントにフレドもトムもマイケルもいないし、クレメンザとテシオもまだいないけれども、マイケルとは違う家族と言えば違う家族でもあるビンセントは、家族以外というか、ワンピースで語ると全員仲間にはしないしされたくもしたくもないという仲間というものも、マイノリティとリミテッドであればあるほどよいかげんになるわけでもあるが、アインシュタインとの仲間意識をどうしていくかというか、ガガーリンとの仲間意識があるのかないのか、それはどういう形式上であるというか語り得ぬものであるべきだとか、ハムとの仲間意識、ライカに限っては名前すらほぼライカ、衣裳はオペラというよりは、琥珀色が衣裳、工作物というか、イタリアンというか、日本人でパーティーの1つで、演歌で盛り上がるとかいう習慣も風習もない、どちらかというと無情というか無情も人によっては言語そのものの本質が違うんだが、よくよく思うだけの段階だと、エイドリアンはイタリアンなコルレオーネとバルボアの二大映画に出てるというのは、フレドの出演作全てが驚異の沙汰、メリル・ストリープが出てれば最悪でもメリル・ストリープだけはよいということでは、エイドリアンがローマの休日、鉄道員(数分しか観たことないがすげぇと思う。)、自転車泥棒、ひまわりに出てないのは悔やまれると思わなくもない。エイドリアンが最もイタリアンな感じが私はしないんだが。


16:43

洗濯機から物干し竿への機械は未だないんだろうなと思いながら洗濯機から物干し竿へ移動の自力の微力を発揮した後、観賞会再開。ビンセントとジェーン・フォンダのベッドインのはなまで観る。ビンセントの胸毛がすげぇのも今回初めて知った。

ジェーン・フォンダじゃねぇなと思わず一言漏らす。ブリジットフォンダだった。


17:02

インモビリアーレの件のはしり、個人的にホモ野郎共、まぁましな類いというか関係性でだがまで観る。

日本でだったら、七人の侍、東京物語ははなから話にならんしそういうことで成立してないが、恐らくは農民の物語でしか当映画のようなものは作りようがないのではないかと思わなくもない。それでもそれでスタインベックのような話になるし、フォークナーのような難しいと形容したのもいたかいないかだが、ここでフォークナーを思うほどフォークナーに詳しくないが、フォークナーは私にもっと詳しくないというゴロツキの論理になるなと思う。


17:35

オナニストとしては、てめぇの右手というホモ野郎がてめぇだなと思うけれども、オナニストとしては、エロ本、昔でいうビニ本だが、それではもう勃起しなくて久しい成長期な私は、アダルトビデオも物語が一切ないことが重要だったのが、それでも勃起しなくなり、物語、特に悪徳な物語であるということでの勃起ならば勃起可能だと最近思う。


17:57

個人的、ほぼ当ドキュメントは個人的突破の1厘程度で書いてるが、マイケルのテイクフォーミーバッキンという、パートⅢでは特に印象派の場面まで観る。単なる私が住んだどこよりもだだっぴろいダイニングキッチンにたった四人というスムージングの場面。そこに納豆も葱も、カップラーメンも、そして味噌汁もご飯すらないキッチンというのは、さすがコルレオーネファミリーだと思わなくもない。


2024.12.19

13:28

半日ほど眠りこけたが、途中昨日食事会兼観賞会で、味噌汁だったか美味しかったのと多かったので発泡酒飲みながら食べ過ぎ、真夜中に起床し命を糞にする前にゲロにした。発泡酒も手伝ってもあるにせよ、酔ったのかと思ったが、二日酔いというような頭痛もないので、食べ過ぎで気分よくゲロというのは初めての経験だったと思う。レンタル漫画してあるデスノートを二冊ほど読んだが、視力が微妙で腕を上げなければ姿勢が保てず、腕を上げると腕疲れるなとかちょっと思う。面白いと思うイッヌは最終話?は無料で読めずに何らかのペイのおおみえの段階では、動画とかを観ると読めるらしいので、さすがに第1話から無料でない漫画だと挫けるし、インターネットで知った夏目なんとか帳というのは感動するような漫画らしいので試し読みはしてみたが、毎日1話読みてぇなと思うもチケット制ではないから読めないなと思う。

先程迄にオペラ観賞会でVIP席のコルレオーネ着席中まで観る。パートⅠとパートⅡがすげぇので、圧倒的につまらないんだがそれでも観るに耐えないだとか時間の無駄だとかいう観賞会時間は与えないのはすげぇと思う。オペラ座階段でのマイケルはそれだけで私は当時アカデミー賞主演男優賞はマイケルだと思った記憶がまだある。マイケルではなかったので、その年の主演男優賞は誰だったのか後でウィキペディアで見てみようと思う。マイケルに動力がありすぎたあるきらいもあるだろうか。コッポラがケイを天才と評していたのは、他人事ながら嬉しいと思う。あんたも天才だろうけれども。後半年間あればもっと脚本を練れるというのは経験則だろうし何らかの知識だろうからだろうけれども、マイケルの動力と共に、ビンセントの動力が本来的に動力であるべきことがより動力になってないことはあるように思う。マイケルが変わらないということでもなくて、そこに動力を捧げてもでも、生命体が変わらないわけだから、マイケルが変わろうとしているだけの、どう変わろうとしていてさえも、マイケルだけのことにケイは当然強くある人間らしさによる、現在のケイは、マイケルが変わらないというシチリアでのそれよりは、マイケルへの嫌悪と慈愛の生命体という人間としての命の演技のように思わなくもないと思えば思わなくもない。


19:54

パートⅢコッポラコメンタリー版観賞会終了。当ドキュメントにファミリープロットを書いくために書いたように思って、ヒッチコック作品の全てを観てないし、画面サイズというより視界、視野としてのそれとしてもファミリープロットよりフレンジーが少し面白かった記憶しかないが、書いてなかったので書くのは止めようと思う。

20年近く持っていただけで一度売却し最近購入した凄い版DVDのコメンタリー版も初めて観賞会したけれども、今思うと特典版DVDすら何も観てなかったと思う。通しで123を連休とか夏休みとか冬休みに観るという最大の目的しかなかった。数年前までVHSでもDVDでも、喫煙はしても基本じっと観ることが好きだったが、当時映画観賞会の感想というのをノートだとかに纏めていってもそれほど意味もないだろうと思うのと、スマホ、今正に書いているドキュメントだと指だけ、ほとんど寝ながら書けるというスタイルでもさほど意味もないように思う。きちんと向き合ってとかで書くならばそれは英検の勉強しるべきでもあるからそれはそれで意味もないと思う。


2024.12.21

4:05

特典映像DVDの主要と思われる部分の観賞会終了。未公開場面を数点しか観てないが、少年ビトを母親が連れていくというのはそれが無くても可能ではあるが、ビトを殺しに行くわけではなくて連れていくということは同化か浄化が楽でもないが楽があるということでは、あってもなくてもか。カーマインコッポラ全場面未公開の未公開場面まで観たから、当時の現在もパートⅢの現在の未公開も何一つ観てないけれども、メーカー忘れたが水気がすげぇ冷凍パスタのメーカーではない冷凍パスタを先日購入しレンジでチンして水気の少ない技術のメーカーだと感心しつつ、そのパスタと発泡酒でパートⅠの日本語音声、英語字幕の観賞会を初めて行う。

英語も微妙のヒアリングなマーロン・ブランドビトだと私のヒアリングでは思うけれども、日本語音声のビトは何とも言いようがないというのが率直な感想。ボナセーラ、ボナセーラのジャスティスパー券としつつ、頼み事、それはビトらしい頼み事になったわけだが、ビトから頼み事される訳にもいかないという論理は、ビトはそれほどネバートリートメントというかディスリスペクトフルなフレンドシップとか、少し読んだ英語字幕を駆使しとく感想にしてみた。

凄い版DVDの第一義は本編コッポラコメンタリー版だが、第二次目的のドキュメンタリーのようなのが二つ(当時のがパートⅠのみとしてあるのは観る)あり、恐らくのっけのがそれとして、ソニー役に4000人の俳優がオーディションという青年ビト談があったり、ソニーがマイケルとしてケイとの場面をやってたりあったが、恐らくは他にも特に現在は有名になってる俳優はいただろうけれども、地獄の黙示録の有無かマーティン・シーンのみは出演してない俳優でのオーディションというかカメラテストだろうかがあるのはお宝映像だと思う。

ディスベリーデイという言語の発想もというか論理は日本語にはないから、スカム ルーインド ユアドーター うっど ビー サファリングというのは基本からして相当表現力に雲泥というか天地の差、開きがある。それだけでも。その密室ですら格段に表現力にそれがあるけれども。

スポークンラングエェジいずでぃふぁれんとふろむりとぅんらんぐえぇじ という中学英語の音声と、ディスベリーデイというのは辞書で調べると載ってのがよく分からないが、現在ということのようだが、日本語訳の解釈、訳というのは、娘を主体にしたその言語体系にもっていくと、凄まじい英語になるというのが英語があやふやというかよく分からないという低レベルの私だと高確率でよくある。主語というか動力、どうたい


2024.12.22

18:52

前回ここでもだんかいだったかと思う。アポロニアが窪みへ逆足踏み入れてずっこけるのをマイコーが支える胸キュン場面まで観る。否、カルロがゴミ箱に入るとこまで観てた。ワッツザマターが多いように思う。むじょうを抱えたドラマチックのしんせんぐみとしての生命体の決意としてのそれだろうかと思わなくもない。あいきすゆあはんど どん(トマシーノだったか)に、日本語、日本人、日本国土にその関係性(表現力というか社会性としての礼儀というか儀礼というか。)なるものは特に近代はないなと思う。連合軍だろうかが出た時も、クラーク・ゲーブルを連呼してたのは日本語字幕のみでしか観たこともなかったので、ヒアリングでは分からなかったし、リタ・ヘイワースに至ってはその存在をショーシャンクでしか知らないほどだが銀幕の象徴であるほどではあるのかと思った。アポロニアの乳首までまだだが、アポロニアの乳首は色素が低めというか、青少年以降の人間特に野郎は好みとしては舐めたがりの生命論理が強めはあるかも知れないけれども、赤ちゃんにとっては色素がそれなりに明確というか、よりコントラストがクリアなほど生命論理としては強めではないかと思わなくもない。赤ちゃんにクリトリス舐めさせる母親はいないだろうが、それよりも赤ちゃんにちんぽこ舐めさせるのはばちかんとして頭は二度はかちわらないといかんけれども、それ以降に、何人もワッツザマターまちぐるめだが、そもそも赤ちゃんにクリトリスは知らんが、ちんぽこではちんぽこ気持ちよくはないだろうからやらんだろうなと思う。赤ちゃんなら牛か豚の、そしてお尻という類いだろう。ビラヴドに牛のお尻があったなと思い出した。糸コンニャクと同じ論理。


2024.12.23

2:44

昨夕までにモーさんが食事会退席まで観賞会終了。ソロッツォの日本語音声の声優さん?は、刑事コロンボの二代目?の方のように思った。ビトが初代としても、ビトのお父さん早々に死んじゃってるわけだが、ビトのお父さんからは二代目だから、ビトのお父さんという初代からは二代目としてのそれの能無しではあるなとか、娘のコニーちゃんなんて新婚で暴力亭主、長男のソニーに一方的なじゃれっこ、三男のマイコーからはコニーへの永遠の別れの実行、名馬の首もただ首が胴体と離れ離れのはなれわざとはなれわざとはなれわざの家族感覚。ジョニーはフランク・シナトラがベースらしいのはウィキペディアで知っていたけれども、毎年、特にインターネットの普及率の初期のだんだんばたけとかもあるにせよ、年末はクリスマスソングの新作よりは旧作が人気(その人気というのは楽曲のダウンロードということだろうか。勿論CDという所有なりふかかちもまだあるだろうけれども。)らしく、何となくワム!がやはりすげぇ人気だなと納得したけれども、フランク・シナトラとナット・キング・コールの歌声というか美声もさることながら美音というのが目につくならぬ耳につくなと思った。ロバート・プラントとかで思う限りでは、ロバート・プラントより巧い、或いは上手いのは、恐らくは昔もだろうが今の若造はもっと多めにいるとしか思えないけれども、ロバート・プラントより良くないというか、ロバート・プラントになるつもりはちょっと数十年程度はいるように思わなくもないが、初代というものがそれなりに紀元前だとマイノリティとリミテッドが緩やかにはなる原理原則でも、ダーウィン論理だと、しかし果たして人間の骨だろうけれども、人間の骨が1億万年前にあったということが、1億万年で今の人類これかという論理というものと、哺乳類の分かれ道の骨が発掘されたとして(今からそれなりに随分前からその決着は着いてるのかも知らんけども)、それによるタンキケッセンのナチュラリズムに結びつける暴挙に出るのか。初代の痛み、滅亡は、人類として取り返しがつかない一大問題だが、初代のみでだと、屍をつみかさねていくだけのことを不存在に出来るということすらも手遅れが拍車をかけるのと、それを恰も挫けない、負けないかのごとき快楽主義、タンキケッセンによろしいナチュラリズムが、

やはりここでも疲れたというより、そういう人格もないし社会性もない私というより足りねぇ脳ミソでそんなことを思うか思わないかの瀬戸際を書こうとして書いても飽きちゃうなと思った。

でも昨日は三宮つばきちゃんのDVDを購入したから、昨日の真夜中に一昨日購入した楪カレンちゃんのDVDでオナニーしたなと思い出した。ちょっと文章微妙になったなと思うけれども。


数分後追記。ちょっと文章微妙になった部分より、レッド・ツェッペリンのお歌を歌うということでの条件を書いてないのがロバート・プラントの個人的シナプシスでなくて、単語が出てこねぇから書くの止めようと思う。




2024.12 ゴッドファーザー感想2

2025-06-13 23:05:33 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2024.12.12

15:42

ゴッドファーザー コッポラコメンタリー版観賞会を本日から開始予定。


20:38

コメンタリー版観賞会開始。マイケル登場前まで観る。当初結婚式がオープニングだったらしい。猫はたまたまいたらしかった。結婚式で主要メンバーがほぼ登場というのも確かに言われてみればだった。テシオがてめぇの足の上に子供のあんよを乗せての踊りがいい絵になるのは、それらから最も遠く、そしてここが肝心だが最も近い子供、そしてテシオというか。映画内ではクレメンザは子供へのそれがない分、その愛だとかに絆されんし、利益ですらないからコルレオーネ以外に意味はないと言えなくもない。当映画の場合は特にカサブランカのように名言の畳み掛けという代物ではなくて、凡そ社会性として宣うきっかけすらないほどのマイノリティとリミテッドとしての言語体系が凄いので、名言以外が少ない映画のように思わなくもない。


3:29

数時間前の昨夜までにだったかルカブラージがお魚さんになってたとこまで観る。

ルカブラージはプロレスラーだったらしいこと、防弾チョッキにも包まれていたことを知る。

トムが映画関係者のすげぇお馬所有者宅に招かれてる遠景はほとんどトムじゃないのも知る。それが良かったのか分からん。ロバートデュバルだったらもっと違う物語としても、遠景でよしという場面としてだろうか。それなしだとややこしくなるだろうし。お馬さんの頭だけベッドインのお馬さんは、犬の餌のためのお馬さんだったのを頭だけ冷凍で届けてもらったらしい。原作ではベットの柱に添えられてたかしてたらしい。原作でのおなごの性器からのお話は少し笑った。


2024.12.14

23:20

ビトと孫のトマト菜園前のビトとマイケルの座談まで観る。ジョージルーカスが撮影だとか、日本語で言うゴッドファーザー愛のテーマが他の映画でもニーノロータが曲調を変えて使用しているとかを知る。ハリウッドとしての低予算だろうが、低予算に超一流スタッフを揃えたというのは少し笑った。シチリアでのゴードンウィリスの丘の上の集落の遠景が撮りたい絵が撮れたと他人事のように語るコッポラもさることながら、その絵がどれほどなのかもよく私は分からなかった。琥珀色となればニューヨークよりもシチリアでのそれが鮮明なのように思う。ラスベガスでヒッピーを語るコッポラも以外だったし、言わなければ誰も気にもしないだろうと思う。ビトの額芸は凄まじいと思う。額芸以外は一定芸といのに凄みを思うのが社会人かも知れないけれども。


2024.12.15

14:04

ゴッドファーザーパートⅠコッポラコメンタリー版観賞会終了。ハリウッド的低予算映画で一流スタッフの一流映画らしく、エンドクレジット超短い。

トマト菜園の不要論が相当強かったのと、ほとんど極少数派でやり遂げただけの場面だったらしいことを知る。五大ファミリー、五大マフィアだろうそれは今の今迄マイケルの独断、ビトとの差異だと思っていたが、ビトの独断だったらしい。ビトとマイケルというゴッドファーザーのと言うべきか。そうなるとパートⅢのアンソニーもアンソニーはマイケルの子供だったか、ソニーの子供のアンディガルシアもソニーの子供がマイケルのようにというよりも基本原則をまっとうというビトとマイケルから、マイケルとアンディガルシアのけつだったのかと思う。ゴッドファーザーというと操り人形もあるし、ビトが踊らなかったという台詞もあるが、独りよがりも甚だしい烏合の衆のりょうしききかんからして、愛とか命とかせいこうとかってのはその常態ではあるから、五万年前の人類の叡知の保守主義での自由主義とかもそれなりに踏襲された物語ではあるように思う。

今日は夜からパートⅡコッポラコメンタリー版観賞会を予定。

パートⅡと言えば、マイケル玄関戸締りでのケイの顔芸、フレド物語、コニー人格権、空港での殺し、ビト家族が住んでた家に住んでて裏切り者としての公聴会での真面目なお兄さん登場、昔のクレメンザ似てる玄関前でのピストル構えかっちょいい絨毯プレゼント他人の器事、電球キュッキュッタオル巻き発砲、ピルグリムからゴッドとして既に自由の女神はあるなぁビトロマーナか。

ゴッドファーザーならば、コッポラコメンタリー版で映画ファンでDVD買わせて、マーロン・ブランドがまだ生きてるか知らんけれども、三部作の流しなら、アル・パチーノ、エイドリアンを軸に、トム、フレドは当然もういないけれども、ソニーは生きてるか微妙だがソニーの息子と恋仲になる本来男の子としてのソフィアコッポラ、Ⅱ限定で若かりしビトとかのコメンタリー版だとかならば、それと合わせて、四年に一度のゴッドファーザーDVDというか10年でもいいんだが、当代きっての映画人が、その区切りで名誉あるゴッドファーザーコメンタリー版に選ばれるという命でもいいように思わなくもない。ゴッドファーザーでは不味いか。血生臭いというか。


18:55

パートⅡコッポラコメンタリー版青年ビト登場まで観る。

マーティン・スコセッシ参加を知る。パートⅠでの結婚式とパートⅡでの単なるパー券だと思ってたら聖餐式ということだったらしい。よりパー券という類いはあるにせよ。

パートⅠでのマイケルの懐というかボディーガードのような俳優が、ターミネーターT1000に似てると思う。

フランキーだったが、フランキーの眉毛はすげぇと思う。クレメンザパートⅡ不参加はパートⅠでもコッポラコメンタリーあったが、同じようにパートⅡでもありつつ、パートⅡでトムパートⅢ不参加もあった。トムの息子が確かバチカンでの神父さんだっただろうか。パートⅢはⅠⅡと書くとⅢだが、Ⅰ、Ⅱほど観てないけれども、ⅢはⅣがあると良かったとしても、マイケルいねぇんじゃ作品としてどうか。

新世代の恐れ知らずというより他知らんよといったのが、ゴッドファーザー新三部作としてならば、例えば九月の恋に出会うまでだと、シラノさんのフレンチコネクションとしてのラブレーでもって、先ずは九月から九月までの1年間の別の場面と九年前でも九年後、ここは九年前として、一目惚れそのものが、シオリちゃんと同じ時空間にいただけのクソガキと同じ頃に既にシラノド一目惚れというドラマツルギーにしとくと。現在そのものが最近聴いてる英語のレベル高けぇ中学英語での分詞ではなくて動名詞型。

線引きならば、九年後のシオリちゃんの命というピンものへの何らかへのヒューマニズムかヒロイズムを九月の恋に出会うまでパートⅢでぶっかますと。

シラノドとシオリドのクソガキがベターだろうか。マフィアというかファミリーではそれ以上ではもっともマフィア、もっともファミリーという活動そのものが命になるから、それならば、ぼくは明日、昨日のきみとデートするパートⅢで、どちらもの五歳と35歳か、10歳と30歳だかの1ヶ月、フクちゃんもコマツナ なちゃんもイケメンでモテモテだから、そのモテモテぶりでも、フクちゃん救わないと!コマツナ なちゃん救わないといけないんだ!というような1ヶ月。二人以外にその真意が不存在という時代劇の新時代の幕開け。時代劇そのものの変質者。


2024.12.16

4:09

昨夜からは夢中で、永野つかさちゃんと萩原聖?聖なんとかちゃん?のアダルトビデオ動画を無料スマホアプリで無料ダウンロード。これからオナニー前に、包装米飯一皿?と冷凍から揚げ二個と水で夕食と朝食で、ピストルセットがビトに届くまでを観賞会。マーロン・ブランドのようにもというロバート・デ・ニーロは、パートⅢのアンディ・ガルシアもまたビトとしてあるように思う。


14:07

食事会がないと観賞会が停滞するので食事を買いに行こうと思う。最近購入した神州何とかいうカップ豚汁は美味しいと思ったら、常時陳列されてない。コンビニエンスストアで高級カップ豚汁を購入しようとも思う。

今回のアパート暮らし二年間で初期から初めてたまに味噌汁なるものを購入し、ほぼ具なし味噌汁、念願の大好きな赤だし味噌汁もほぼ具だけだが作って食べたが、ふとお味噌とお豆腐を一緒に購入してお豆腐を入れれば豆腐味噌汁になるのではないかと思う。お豆腐の命は短いし、そのサイクルに匹敵するほどお豆腐を糞に作り替えるサイクルも人間は短いから、麻婆豆腐が大好きなので、お豆腐とで初めてそれなりに簡単に作れるという革命商品で何度か作ったが、

そういえば丸美屋?だったかフライパンとかのセットですげぇのが当たるかも知れないキャンペーンのために応募枚数分の麻婆豆腐の素?を買ったら、いつのまにか応募期間が過ぎてたのは悔やまれる。

冷凍ぎょうざがまだあるものの、たれもない。

発泡酒は暑くないので飲酒進まないが、やはり握力が頗る低下、無自覚的自発としての握力低下著しく、数日前に観賞会中飲んでたらやはり溢した。お箸で持ってる納豆とご飯を口に持っていく握力も低下への肉体的目的がるから、ご飯溢しても綺麗になるんたが、いかんせん納豆付きだと最近は観賞会しながら食事会で、万全の映画観賞会コーナーでは寝床周りだから、布団に溢すことになるので、その意図はなかったというより汗臭くなる布団回避のために一応シーツを先に買っておいたために、溢しても布団本体は、そりゃぁ日干し後のお布団は何となく清潔というより気持ちが良かろうと思うも、水道、ガスよりも面倒くさいという第一の深層で入浴数低下もあるから、お布団よりも入浴でのそれが気持ちがいいのもある。観賞会ながら食事会で相当太ったので、体への負担と、曲がりの悪さにより一層これから社会運動は私は一切ないけれども、スケートボード運動を発達させようか思案しようかどうしようか悩むほどでもないと思う。


16:15

お買い物後、食事会と観賞会開始。クレメンザ絨毯プレゼントからの次のマイアミへの豪華列車?に驚いた。パートⅠ、パートⅡでは私の記憶力ということなしに、作品力によって、私が覚えない場面などパートⅠとパートⅡに限定してはないと思って、勿論パートⅠからソニーが絨毯で座る場面まで一切なかったが、ロスに会うまでのマイケル時代の数分は、こんな場面あったかと初めて思う。