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2024.11 九月の恋と出会うまで 感想5

2025-07-25 13:18:51 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。
2025.7.25
13:01
当映画の原作小説は昨日お引っ越し先に移動済み。うんちが出る時と万年床で現代思想からの動物論を読書中。昨日第一部第一章読了。本日から第一章第二部読書中。アリストテレスの人間と動物をギリシアとかローマ、それ以外と適用してこじつけても読める範囲を思うよりも早く独り言続けながら続けてる風を装いつつ、クラウゼヴィツの言葉尻での人民の営みでしか、当書籍の全てが成立してないのではないかということを思う。
こういう類いの本は、五年前位に高くて買えないので栃木市図書館まで行って借りたナチス関連本のホロコーストと動物論というのしか記憶にないけれど、第一部第一章だったかの最後に適用した書籍の日本語版だったその本は、ハイパー流し読みだけしたほど主体性というよりレポート的でそれほど頭に残るような文字列はなかったけれども、たみのかまどとたみのかそうばというものを最近思うことをせずに口に出して思うことをしてる段階では、きほんのけんけつじょうたいなるもののせいじゃのろんり、ぜんあくのろんりというものの平和主義的、英雄的なるものということを少し思う。
たみのかまどだと平和主義的であるしにんじょうでござるが、たみのかそうばというほぼその二つだけでもりょうりん、りょうりつであるじょうたいなるものも、そのりょうりつ、りょうりんおきほんのけんけつじょうたいそのもののの発展、人情というものは、将来的というよりも目的として、てめぇらのクソガキどもがたみのかそうばもたみのかまどもきほんのけんけつじょうたいというひりつしゅぎにいぞんすることなく、ひりつしゅぎにもいとなむこともない、どちらもきほんのけんけつじょうたいでないかぎり平和ということになるきほんのけんけつであるという平和主義じょうたいを平和としてということが人類の目的としての文明にしか文明としては成立しえないはずではないかと思うよりも口に出しちゃってるんだが、それすらも、そもそもクソガキどもの肉体そのものが、言うなれば肉体が平和のじょうたいでないかぎり不可能ではないか、肉体が平和であるということは、平和が肉体でなければならないわけで、哺乳類にその資格というか能力があるかと問われないだけの集合体という保健機能的なきほんのけんけつはあるにせよ、モダニズムならばじょうたいとして、クソガキどものクソガキどもというじょうたいにしかならないが、クソガキどものクソガキどもの存在そのもの、絶対的に肉体が平和ということが出来ないことでは平和に取り組むという繰り返し、平和の立証、証明が出来ないように、私ほど平和主義者からほど遠いというかないに等しい脳ミソと人格、能力と努力、根性の人間も珍しいからだろうが、今そのようにその部分では口に出しちゃいながら、思う部分も書いてみる。
数週間前は、数週間、それよりも絶滅人しか昔からいないじょうたいということを独り言だけしてたが、それすら忘却の彼方ではある数日だったと思う。

2025.7.28
17:11
第三部第五章注釈前の本文まで読了。
けつのクラウゼヴィツとフーコー、そして筆者のその段落的論法で、それまでのちょっと読書中に、人間という主語、単語だけを、ほぼ未熟児かアンポンタンか、ただの哺乳類としての自然の状態以上の比率を保てる発達から、よりいっそうの同種の屍のら数の増加とともにさちあれといったような読み、テクストとしてこっちは読むわけだが、政治と戦争なるものも、凡そその前触れまでにその章立てだと女性、国家、これらは個人的に当章ほど適用としてのインフラなれども、そこまでというか、書きすぎでもない比率は公然かつ平穏の領域だからある意味では抑制のある分別ある記述ではあるけんども、第三章第五章はそれまでの読書とは私は平和主義者ではないからか或いはベジタリアンとか動物愛護者という類いでもないからか、どこがと書くと、当書籍は、私が読んだ書籍では文句無しにポストイットがそれこそ付けすぎなほどではあるけんど、その恐らく当章では二点だが、その二点にポストイットを貼付してないし、そもそもブログも私も書くの止めないとgooブログをたった一人で止めさせるということを私はするつもりもないし、歌うの疲れるというよりも、案外と最近は書く方が疲れるというか、その前提が疲れる。というより私の場合頭がいたいというより体がいたい。
読み返す。
国家主権の父権性、これは個人的には母性という比率しか私はそもそも持ってねぇし、そもそもそういう範囲はやりようがねぇというかどうでもいいというよりも、その比率、ほぼ生命体的な動力としての善悪だとか正誤という類いにならな過ぎる範囲というか集合体ということが先立つから読書に詰まったが、詰まったのは今のところ前章だったのをこうして書いてるというかタップ、これがパソコンだったらタイピングしてるととかだかしらんが、前章では、その文章ではないが、ぱっとページを捲って、めんどくさいからそれにしとくとしてでは、注釈での、マルクスのリネンとコートは、ちょっと論理がそのような論理としての読書ではないから読書が躓いた。
本章の後一つはどういう記述だったかを思い出せないからページを捲って流し読みしないといけないからめんどくさいから止めて、本日アサヒスーパードライの凄い版の缶ビール2種類をそれぞれ1本購入し、既に飲み干した段階だが、クリスタルだったかのはそれほど冷えてない状態で飲み始めちゃったので温いビールというレッテルにしかならなかったか、昨日こっそりケンタッキーフライドチキンを出前館で注文し、今日の食事分としてあったので、それと共に我慢しないで最後の1フライドチキンと共にスーパードライ生ジョッキというのも続いて始めて飲んだ。そもそも開け口というか飲み口がそれらしいのと、泡というのが缶ビールとしては私の経験値ではビールに限らずコーラとかファンタだとかも、断じて振るべからずというものであって、そんな高級ビールは知らんから開けた途端に泡が出るわ出るわで最終的に流し台で1/3ほど飲み缶ビールの躯体を水で洗って飲み干したが、週に一度の贅沢なお部屋での一時なんてのには夢のあるビールのように思わなくもない。もう二度と買えないというか、振り返ってみても、そういうビールも私は満足に買える状態になったことはないが、当書籍にもそれなりにある論理の範囲、私はそもそもこういう言語体系という努力もないがそれに依存しては書き表すことを1割も出来んだろうとしか思ってすらもいなかったしいないけんど、当書籍と少しシンクロというか、そういうのはなかなか難しい論理の範囲だが、結局、支払いがよりいっそう出来なくなりつづけていくことこそが健康の最大ではないかということを当書籍の第三部第五章までの個人的読書感ではある。
二百年というよりも、2日後に産まれちゃう赤ちゃんどもに、おにいさんおねぇさんが、おにいさんおねぇさんとしての支払いがそもそも出来なくなりつづけていくということもさることながら、そもそもそりょうしきからしてということはあるにせよ、価値にせよ勝ちにせよ徒にせよ、それらそのものというじょうたいというかそんざいというか、やっぱり最近は比率というの凝ってるし、来月からお引っ越し完了になるけれども、そもそも最近やっと家賃が延滞しなくなりかけてたが、キンドルで電子書籍版スラムダンクを全巻こっそり買っちゃって、メルカリでエヴァンゲリオン全巻の単行本もこっそり買っちゃって、そっちはお引っ越し先にお引っ越ししてあるからと、新書で、平和主義者でもないのに平和主義とは何かを読んだり読まなかったりしてたが、それもお引っ越し作業でのサイズで合わせてお引っ越ししちゃってるけれども、こっそり当書籍も二冊目を最近購入しちゃったわけだが、1冊目があんまり綺麗な状態じゃないから持ち運び用とか、持ち運びしていくほどお外に出ないというか、どちらかというとインドアというか、当書籍当章にあったが、孤独というものが私はどちらかというとほぼその目的たるやアダルトビデオでのオナニーではあったし、最近では目玉焼きを黄身の部分を最後にとっておく楽しみというのは孤独という状態、完全なる孤独であるならば、そもそも鶏肉だとか卵だとかを搾取していく、生産していく能力が私はないから出来ないけれど、そもそも孤独であるからこその、孤独のうちに目的を見出だすという立場ならば、孤独でなければ目玉焼きを食べるときに黄身、私はそれが半熟が大好きだが、それを最後に食べるとかいうようなことがないことに孤独ではない状態ということがあるにはあるだろう、恰もそれよりも異なることにというような。

2025.8.7
たまたまになったが、鶏のクソヅクリとクソダシの有無まで読了を書こうとしたら、最近こっそり翌月払いの延滞払いで夢のプレイステーション3を購入。何か再生用DVDをとたまたま一番上に重ねて置いてあった当映画のDVDを入れたら、入らずなるべく優しく入れるも優しく外すことも出来なくなって入れたまま返却して直ぐ様こっそりブルーレイデッキを買っちゃたんで、豪華版のブルーレイかDVDを買えたら買おうと思う。
読み終えて少し低能を活性化しても無意味だが活性化しようと室内禁煙部屋にお引っ越ししたのでお外で特に夜中の蚊、アブ、ガによく刺されて痒がりながら喫煙しつつ、本日は最早思うか思わないかの瀬戸際というよりも完全に人目をは憚らず独り言だけしてるだけでは、マリオカートの進化、私では対応出来ない状態を現在の青少年は対応可能ということはと独り言してたら、自家用車なるものは現在の青少年はF1でも対応可能なのかしらと独り言した。三次元より四次元という当映画の原作小説(現在まで1ヶ月位の読書期間で未だに二度目の平野ここではシラノと呼びましょうシラノとの会話の途中までしか読んでないけれども)に記載されていたことも独り言。帰宅というほどの距離感はないが帰宅後、それではタイヤが大変とやはり路面というコストとか思いつつ、稲をペンで刈る人間がいないし、鶏をペンで肉片なり羽毛なりの加工をする人間もいないと思うと、例えばトチマルクンのシャーペンとかと青少年諸君のネーム入りという他の街では決して存在しようがない稀少価値なるものが、それはシャーペンではなくて剣或いは包丁の方が凡そ実用的かと少し低能の皺を働かせる。
ここから書こうとしたことを書くわけだが、最近よくよく思えば、書くのも疲れるなと今までほとんど思わなかったけれども、書くというよりスマホだからタップだけれども、それほど書こうとしたことを書くことの意味を持ち出すならば、141歳の人間の意味、白骨のない世の中造りというりょうしききかんせつが、鶏を一切クソヅクリしねぇ人間にたどり着くということは鶏の絶滅、いくらなんでも鶴だとか孔雀だとか鷲とかかっちょいいのとか、燕とかはスープすらも食わねぇんだったら燕の巣という糞とかえんぎなど多様性あるにせよとか瞬間的に思いながらも、人間、凡そモダニズムとしての状態下でのお兄さんお姉さんとしての現代人が、二百年後のてめぇらの赤ちゃんが朽ち果てることよりも、白骨のない世の中造りなるものが、例えば産まれたくて産まれたやつはいねぇんだってんでも、白骨を大切にしていくとしたら、状態として肉体より白骨が毎シーズン増加していくという人類の状態ということでもそれなりに生命体としては突然変異的な革命というべきか革新というべきか、それがないということが人類と人類以外を分かつということでは、やはりそれでは皆さん白骨になったらどうなりたいですかなんてのは本末転倒だが、白骨になるまでにということも本末転倒ではあるけれどもとか、夢の当映画の豪華版のブルーレイかDVDの購入の意志を胸にちょっと思わなくもない。
所有していて酷使して使えなくなったポータブルDVDプレイヤーでは観れなかった、トゥーウィークスノーティスが再生出来るほどのこっそり買ったブルーレイデッキで、途中まで鑑賞会したが、禁煙部屋だから、特に昔通り映画鑑賞会感想はもう書くこともないだろうというか、てめぇだけは書くなと言いたいほど、誰にも読まれてすらいないという自信過剰でも、ブルーレイ限定らしいアバウトタイムと第三の男のコメンタリー版はほぼ購入予定という、そもそものその原始なり過程を念頭に一切感情にも勘定にも入れずに思うのみでござる。

2023.8 ディア・ハンター感想8。映画感想をGoogleドキュメントからgooブログにお引っ越し初。1ヵ所誤字脱字導入ページ。

2025-06-15 23:56:21 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2023.8.22から、ちょっと2023.8.23

全編観賞会がつらかったので出来なかった映画

竜とそばかすの姫は現在格闘中なので。(最近こってる途中でうっすら考え事も一切この映画をまだ途中だが考え事なし。しかし数年前までは、映画は途中で止めたりは絶対にしたくないどころか、バックトゥザフューチャーとかゴッドファーザーとかスター・ウォーズとかはシリーズすら続けて観る年末年始の唯一の希望なほどの私だったが年々映画を観て考えることが脳ミソの衰えで途中で止めて考えてたら、それほど続きを観なくてもいいぐらいに充実した映画観賞会オナニーな程度の当然、それすらまだ足りないのは当然であるべき映画としても、考えるということは、映画なんぞ作ってるのも全てがドリョクショウブンの結実だから、現在観賞会もちょっとつらい竜とそばかすの姫?そばかすの少女?だとアニメだから、それこそ自然がないからその結実という世界観しかないだろうが、たぶん歌が観客層が私は完全に外れているから門外漢だがその歌の好むと好まざるととして観るという姿勢が自覚的にも無自覚的にもないと、歌というより歌詞に力点があるというハンデがあるのかも知れないし、その一連の歌は流行なのかも知れない。しかし間違いなく高飛車厳禁としての育成という性根がこの映画はあるのではないか。ショウガイヨウインのイチインとしての自覚的としてもだろう。アニメの土俵だからな。アニメもよく知らんけど。しかし大昔から発達したオヤッツパーゲームラシャカイなんてのは健全なクソガキの育成ってのがある。クソガキがただしいこととしての多様性、調和があるからクソガキはクソガキと自覚的でもないときもあるほどがより健全さとしての。)ちょっと早送りも駆使。字幕で観ても高級DVDポータブルプレーヤーではないので字幕が出ないので早送りで観賞会が出来ないのが悔やまれるほどでもないが考える。

それぐらい千と千尋の神隠しとハウルの動く城は(誤字脱字版。私以外のかっきてきなわくぐみさんは解るんだろうけれども、それほどでも、私はそれほどの映画に全く意味というかそれなりに観なくてもいいわけだが、もっと少年少女チックな映画にして貰わないと私のようなのは意味が解らないというかで、私だけぐらいしか意味不明とかつまらないとか時間が長く感じるほどの鑑賞会という意味を、書きなぐっていたというかスマホだからタップなぐり?だけれども、日本語としての文章にここほどなってないないことも珍しかったので、誤字脱字版を括弧内追記。)私だけぐらいらしいほどに人気らしいがあった。私の知識が足りない、感性が足りないということもあるだろう。私の社会性が足りないか違うか。

火垂るの墓という超有名アニメも近年初めて観賞会したが、涙流すどころでもないし、涙流す部分がどこにあんのか疑問ですらある。クソガキ可愛いからもあるだろうが、涙流すまでに涙流す部分が欠落されたことを描いたという部分としては昨日40年ぶりぐらいに観賞会した「ライフ・イズ・ビューティフル」も同じ手法。その背景、抑圧、不条理上の。


シークレット・ジョブ

ハリー・ポッターはレンタルビデオ開始からそれほど経たない頃はちょっと観賞会して返却したが、近年一応全シリーズを観賞会終了。小説は三作目か四作目ぐらいまで読んだが、シドニィ・シェルダンが読める頃ぐらいに読まないと読める白モノとは言い難いところにハリー・ポッターの偉大さもあることも理解出来る。

仁義の墓場の特に野郎とスケのカチコミ前の焚き火の全体的構成、台詞で、観賞会すべきですらないという理解はしたほどだが、昨日観賞会終了。のっけのドキュメント型がいきてて観たかも知れない。


いきおい、書いてみたが、それほど観賞会して全編観賞会をしなかった映画は少ないというかほとんどないかも知れなかった。

以下、全編観賞会未実行を思い出したり、観賞会後に追記。


バーレスク(早送りで最後まで観たと言えば観た。)

フェリスはある朝突然に(あまりに見続けるのが苦痛とまではいかないが、期待値が高かったのも手伝い、早送りで最後まで観たと言えば観たが、つまらなすぎたというか、てめぇの好みではないだけ。名作(人気作品?)の部類に入れる人々多いか多かっただろうけれども。)

ルーシーと犬のような題名というか内容(早送りで最後まで観たと言えば観た。)

縞模様のパジャマの少年




2023.5.8

チョウドキチガイオヤマシを再度断片的に考えた。


原爆落とすチョウドキチガイオヤマシか、原爆落とされるチョウドキチガイオヤマシの二択がそれなりに四千年モダニズムである。

原爆楽すチョウドキチガイオヤマシか、原爆楽されるチョウドキチガイオヤマシという二択でもある。

変質は時空間でタヨウセイが当然なことである。ブンギョウザとしても。

軍隊以外が、原爆を作れないし、落とせないのと同じに。リョウシキとしても。

原爆作れないのと、落とせるのが、お魚さんをぶち殺し続けられないのと同じに。

もっと言うと、相対性理論を教え続けられない。

原爆を落とし続けられないのと同じに。

お魚さんをぶち殺し続けられないのと同じに。

クソダシとクソヅクリし続けられないのと同じに。

英雄アガリか5W1Hアガリ。そのゾクアガリショウとしてが四千年モダニズムの基本原理。

生命論理ではなくて生命倫理。

これを社会通念で違う扱いのドリョクショウというよりは、それなりの八百長というかセンビキ並びにタナアゲの紳士と貞女としての万民ボンクラーズとしての、ゆきゆきて原爆ジジョウの四千年モダニズムの当然。

原爆落とす紳士と貞女並びに原爆落としてから紳士と貞女。

原爆落とされる紳士と貞女並びに原爆落とされてから紳士と貞女。


お魚さんをクソニダセェことの生命倫理平等としての、それからの原爆で満足りと充足りという部分は、オヤッツパーゲームラシャカイとオヤッツパーゲーマチジクリの基本原理そのもののそれなりの一撃である。リョウシキとジジョウだかな。原爆もだったが。

オメマメサンコンプとしてもだが。


ディア・ハンターが本当に伝えられるのは、シシャだろう。

タッシャな奴等の物語だが、クリストファー・ウォーケンがてめぇでジガイを遂げたわけだが、シシャになるまでの物語としては体裁がある。

これは、逆説的に、ロバート・デ・ニーロが、確実にシシャになるところまでは映画では撮ってないという部分がある。クリストファー・ウォーケンはシシャ以降、映画に出張れねぇからな。

だから最後まで、映画が終わった後までもという随伴が伴うべく、ロバート・デ・ニーロはイキ続ける。

疲れはててはいるんだが、シシャにそれがないということ。

逆説的に、生まれてきちゃっただけの何人も、戦争するのはけっこうで、戦争にいくのもけっこうで、そのけっこうなぼんくらとして戦争からかえる並びに戦争がおわったら、けっこうなぼんくらから、違うけっこうなぼんくらとしてという物語でもあるだろう。


ポエニ戦争でも、赤壁の戦いでも、原爆のジュキョウとシュシガクは切実だろう。必ず当時に開発があれば同じ人類として必ず落としてるし、落とされてる。

ゼンゴショウに直結するからな。


2023.5.23

キャサリン・ヘップバーンを考えたら、ロバート・デ・ニーロのアイデアということらしいが、ベトナム人役の人に、脚本になかった、クリストファー・ウォーケンにビンタくれるシーン。

それも含めてクリストファー・ウォーケンはアカデミー賞受賞。

これは難しいと思った。

本質的に、そして基本原理がそれなりにしっかりしていれば、クリストファー・ウォーケンも、彼らを含めた人々によってでしか、その作品でのクリストファー・ウォーケンにならないから、とるにたらんことでもある。作品の総てをして、クリストファー・ウォーケン、そして作品を作品たらしめる、そのビンタくらったクリストファー・ウォーケンはその作品のクリストファー・ウォーケンとしてしっかりしすぎているからこそ、クリストファー・ウォーケン。

近年YouTubeで観れた、ケビン・スペイシーの物真似オンパレードでもクリストファー・ウォーケンの真似事巧いけれども、ケビン・スペイシーの物真似のキャサリン・ヘップバーンも巧い。

アル・パチーノが流れとしても、そして出来れば一言で良かったほどながら、やっぱりジェームズ・スチュワートが入り口としても、物真似オンパレードの構成がしっかりしていたのかと思った。

役者は(役者も)総じて物真似巧いだろうけども。

私はジャイアンツ吉村さんの構えの物真似は巧い。まだ会得して数日だが。

1日プロスピで観て、忘れることが数日ないほどの記憶力があることからも。

動作に関しては、筋力、体幹、可動、思想などがないと、とても真似事にすらならんということも理解した。


2023.5 ディア・ハンター感想7。解らなかった映画の題名を思い出していくことは数少ない私の誠実さ、意味がない努力の現れでござった。

2025-06-15 23:41:32 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

バットマン(マイケル・キートンとジャック・ニコルソン版。その当時の一連のバットマンシリーズを観る動機が皆無になって観てないほど。)

わらの犬(中学生の時、10度はオナニーしたけれど。一応サム・ペキンパー版。最近同名映画があるが、この映画を新たになのか知らない。)

郵便配達は二度ベルを鳴らす(中学生の時、10度はオナニーしたけれど。一応ジャック・ニコルソンとジェシカ・ラング版。しか観たことがないのでと。)

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン

ガタカ

アイランド

カジノ

ディック・トレイシー

シカゴ

カリートの道

トレーニング・デイ

ジャンゴ

エリン・ブロコビッチ

ゾディアック

殺人者の追憶

ブラザーフッド

クレヨンしんちゃん(大阪万博バージョン。)

十二人の怒れる男の日本バージョン(たったワンシーン、おっさんが(件が思い出せないけども)、エッ?という部分だけが面白かったから、次点ということに。)

マイ・ドッグ・スキップ

アミスタッド

カプリコン1

ライトスタッフ

戦場のピアニスト

アイ・アム・サム

チャーリーズ・エンジェル

ライト・スタッフ

ファースト・マン

八月のクリスマス

僕の彼女を紹介します

世界一嫌いなあなたに

マイノリティ・リポート

バニラ・スカイ

アバター

ダンサー・イン・ザ・ダーク

カッパのクゥのような題名

千と千尋の神隠し

ハウルの動く城

魔女の宅急便

紅の豚

竜とそばかすの姫

バードマンあるいは(無知がもたらす奇跡)

キング・オブ・コメディ

ライオン

湯を沸かすほどの熱い愛

ザ・ダイバー

エニイギブンサンデー

パイレーツオブカリビアン それ以降のシリーズ未見

ミッションインポッシブル2、3、たぶん4

ビバリーヒルズ・コップ3

ターミネーター3、たぶん4 それ以降のシュワルツェネッガーがたぶん出てるの観たい。

ダイ・ハード2、3それ以降のシリーズ未見

男たちの挽歌2、3

インファナル・アフェア1以外

猿の惑星1以外 旧シリーズ?しか観てない(括弧内2024.6.5追記。猿の惑星の近年のを三部作だと思って最近レンタルビデオ屋さんでレンタルビデオしたが、四部作らしい新作があるらしいが、その三部作を一度数日かけて観賞会して、良かったというか面白かったというか、面白いわけはないんだが面白かったと書くのも野暮なので、単純に面白かったと書くべきだろう代物だった。)

ロボコップ2 3があるのか知らない




2023.5 ディア・ハンター感想6。私が解らなかった、解かれる要素がなかった羅列の段階にすらなってた。

2025-06-15 23:38:58 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

先ずざっと思い浮かぶのは、(映画タイトルを思い出した時に書き足し。)

グッドフェローズ

スカーフェイス

東京物語

ポストマン

フェノミナン

パルプ・フィクション

アメリカンギャングスター

グラディエーター

ホワットライクビニーズ(題名ちょっとあやふや。)

イエスマン

ギャングオブニューヨーク(題名ちょっとあやふや)

情婦

キャスト・アウェイ

コラテラル

ティファニーで朝食を

サブウェイ123

アンストッパブル

フェリスはある朝突然に(途中から早送り観賞会)

バーレスク(途中から早送り観賞会)

ルーシーと犬のような題名(途中から早送り観賞会)

フェイク

ボーダー(ロバート・デ・ニーロ版しか観てない)

チング

世界の中心で、愛をさけぶ

シャイニング(スタンリー・キューブリック版しか観てない)

Vフォーベンデッタ

悪魔のような女

恐怖の報酬

エターナル・サンシャイン

フィフス・エレメント

激突

スウィート・ホーム

マレーナ

海の上のピアニスト

ガラスの塔

ミスターインビジルマン(題名ちょっと違う。インクレジブルマン?)

モンスターズインク

時をかける少女(実写しか観てない。)

トレインスポッティング

チャンス(最後のNGシーンは面白かった。)

麗しのサブリナ

48時間

グッドシェパード(題名ちょっとあやふや。)

スモーク

アメリ

シュリ

ラ・ラ・ランド

デビル

スケアクロウ

狼たちの午後

マジェスティック

僕のワンダフル・ライフ

キャッツ&ドッグス

ジョーカー



2023.5 ディア・ハンター感想5

2025-06-15 23:38:22 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

PM17

観賞会終了。

結婚式で始まり葬式で終わるというより、葬式への始まりにしたのだろうか。

結婚式イコール出産という可能性としても。

最初から最後まで、全場面記憶になかった。

1度観た映画でこれほど全く何一つ覚えてないのは稀である。

ウィキペディアで調査開始へ。

YouTubeでも解説動画があるかも知れないから探してみよう。


ウィキペディアで調査終了。

アカデミー作品賞受賞らしい。

原案脚本は存在されたと記載があり、ラスベガスが舞台という物語をベトナムが舞台という説明がある。


2023.5.6

有名曲が、本来違う映画へのものからこの映画へという能書きがウィキペディアにあったことを、どうもガンズの記載のあえぎ声からはほとんどその真意は考えなくなったけれども、考えた。


確かにニーノ・ロータやジョン・ウィリアムスという基本原理は、欠落とまでいかなくても重要性がない。

「明日に向かって撃て」の有名曲と同じようなスタンスではあるまいか。

時期的にそれほど離れてもいないだろう。

「明日に向かって撃て」の有名曲でも大丈夫とも考えられる。

「明日に向かって撃て」にこちらは難しいというか最先端チャリンコ乗り回すシーン以外というよりは、最初か最後にこの有名曲なら可能だろう。


1978年公開映画。

ジョー・ペリーでも合っただろうと考えた。

名曲というより有名曲になるほどすぎる。

ジェフ・ベックのこのトーン系の旋律趣味の方がというようなことまで考える。

アカデミーでなんてったって作品賞を考えてる。観賞会終了(後にウィキペディアで調査)まで知らなかったというより、知らなかったからこそ、もろに退屈な映画だとか、一度見た時の全場面の記憶がないだのと率直な感想会マルダシドコンジョウは、少しその点を考えるに笑えた。

一度観てるからこそ、当時の私は完全無欠に、この映画がアカデミーのしかも作品賞であるなどと一瞬も思う隙はなかったほどのその後約30年間生きてただけでぃある。


以上、恐らく午前中に書き、以下、22時頃。

この映画で、確定的に私定的に、つまらなかった映画の感想を改めなければなるまいと考えるに至る。

(2023.8.23追記 オヤッツパーゲームラシャカイの基本原理原則ではあるんだが、対価、それなりに金銭だとか労だとか時空間を、支払いではなくて、リョウシキで行ってその映画を観るべき代物もやはり豊かな象徴としてのことであるはずではあるが、映画造りに時空間、金銭だとか労、勿論ゼンチュウゴショウブンかかってるわけでその八百長がキチキョウのオヤッツパーゲームラシャカイのつごうよあまっちょろきちがいじんるいあいのじっかんじゅうじつもある部分よりは、本質的にそういう映画造りの輩は、無料というより金銭を支払って人々へ観賞会へというのが本筋である。オヤッツパーゲームラシャカイそのもののそのリョウリツという輩のスピリッツの健全さのあらわれだろうな。先日観賞会した「仁義の墓場」のあまさというよりよくもまぁという部分(血が完全な赤ペンキというのが時代の寧ろ動力があるそれとは別次元。構成はしょる方がまだまし。特に焚き火の一蓮托生は、それなりにその枠組みとしてのリョウシキバカマルダシということを構成したという言い分での作成ならば脚本でもいいんだが、脚本への、脚本が、脚本も、脚本の百年の努力、情熱も冷める。恐らく人間保険という部分か。流れのあまさの全人格の坩堝というかリョウシキバカマルダシ。アワオドリを適用ということは適用可能だろうけども。実際はもっとリョウシキバカマルダシだが、筋というか顔立ててちょっとリョウシキバカマルダシとして撮ったということなどは私が考えられることでもない。石川力夫なる人物のまわりちゃんらのダイセイコウタイケンダンワのそれなりにより筋違いは、MPも当然出張るけれども、原爆ほど無茶、やんちゃはしてないだろう。MPもそれはしてない。原爆一つ。実際には二つ。オヤッツパーゲームラシャカイとしてはリョウシキだが、アポロがアポロジャイズなのは、アポロジャポネーズというそれなりに余興も成熟してることとしてもよえてる枠組みのリョウシキバカマルダシノミノドコンジョウしかなかっぺよぉという基本原理原則の部分の誇りしかなかろうて。アポォは、林檎に義理はねぇが、しかもこっちはそくとくそのリョウシキをオメマメロ、或いはオミズカラテクとオノレナノテクへまっしぐらもあることも流石に四十年前のてめぇを思い出すこと吝かでもないが、馬場さんファンではないが、変質させんとたったひとつのことをやってさえいないことにしかならないんだが、スネオトババとかジャイコトババさんとかも一世風靡してる枠組みのそいつらという自覚しか当然私はあるはずないんだが、そしてバトンは渡されたは映画としては大変な成熟さがあるような理解しか出来ないけれども、それほどおもしろくなかったけど、石原さとみさんとメイちゃん(メイちゃんがみぃちゃんとなった構成のときに、初めてスパイの妻?スパイの女?の女優さんと思っていたジャケットの真ん中の人は、メイちゃんという、みぃちゃんか?というちょうどぴったりに考えた。)出てたから、良かった。因みに花束みたいな恋をした?という映画は、映画よりもその作中で宣った小説と漫画に興味をひかれる経済サイクルスポーツセンターとしての協調、タスケアイのイチゲキとしてのそいつら造り手の出来ることだけたんたんとその今をいきてるんだということとして、あみ子は読める。魔法の国はどこで泣けるのかにしか興味も感心もなかったけども、感性が疑われるので泣けなかったと大っぴらに謳う機会はないんだが、泣ける部分なんてのは、新聞読んで泣くとき、違ういみで泣くとき、とかと同じに、ときどき、ひとびとがあるから、それほど私は魔法の国で泣けない、単行本三巻?まで読んで、ジパングが面白かったのだが、草加少佐?がジパングと宣った時点で読むこともないかという部分が上回った。その思想なり必要、切実の坩堝を学ぶという姿勢が私は低いんだとやはりその瞬間に考えた。

土方漫画は面白かった。)は、それがよりひきたつ輩としてという社会正義すらも実現の幅があるというちょうどどうでもいいかんじにもなるかならざるかそれはあたなしだいという一品風情だろう。題材をそれに使った強かさはあるんだろう。

アポロと書いてみたら、アポロ食べたくなった。長らく口にしてないが、贅沢品としてやはり美味しいお菓子、夢がある部分としての勇気ある部分としてのお菓子。ツートンというのも良い。

アポロというのは明治だろうか。マリーンズではない。グリコ?ゴール絵画がアポロにはなかったような。ああいう絵画ってのは、その一瞬のためにどれほどのドリョクショウブンの坩堝かってのがあるんだろうか。アンダー140年として、毎年度として、先ずゼロ才と140才がゴール絵画になりようがない原理原則が人間はある。ゴール絵画が競馬とかは別としても人間である。彼らのためというよりは、それもまた他のブンギョウザと同じく彼らのための彼らのための一瞬が、俗にいうブンギョウザのいきのながさ、クタバリグアイとイキグアイをまっとうしていく安定第一ならば基本原理原則なほどちょうどどうでもいいかんじちゃんばらぞく。人類発展途上としてのブンギョウザの枠組みの花道があるのだろうか。

チョウドキチガイオヤマシが、てめぇのクソガキに筋というかケツフキだとかのフカンゼンチョウアクビの完全さという部分では、個人的につまらなすぎる映画への思いは同じレベルということだな。)