2023.8.22から、ちょっと2023.8.23
全編観賞会がつらかったので出来なかった映画
竜とそばかすの姫は現在格闘中なので。(最近こってる途中でうっすら考え事も一切この映画をまだ途中だが考え事なし。しかし数年前までは、映画は途中で止めたりは絶対にしたくないどころか、バックトゥザフューチャーとかゴッドファーザーとかスター・ウォーズとかはシリーズすら続けて観る年末年始の唯一の希望なほどの私だったが年々映画を観て考えることが脳ミソの衰えで途中で止めて考えてたら、それほど続きを観なくてもいいぐらいに充実した映画観賞会オナニーな程度の当然、それすらまだ足りないのは当然であるべき映画としても、考えるということは、映画なんぞ作ってるのも全てがドリョクショウブンの結実だから、現在観賞会もちょっとつらい竜とそばかすの姫?そばかすの少女?だとアニメだから、それこそ自然がないからその結実という世界観しかないだろうが、たぶん歌が観客層が私は完全に外れているから門外漢だがその歌の好むと好まざるととして観るという姿勢が自覚的にも無自覚的にもないと、歌というより歌詞に力点があるというハンデがあるのかも知れないし、その一連の歌は流行なのかも知れない。しかし間違いなく高飛車厳禁としての育成という性根がこの映画はあるのではないか。ショウガイヨウインのイチインとしての自覚的としてもだろう。アニメの土俵だからな。アニメもよく知らんけど。しかし大昔から発達したオヤッツパーゲームラシャカイなんてのは健全なクソガキの育成ってのがある。クソガキがただしいこととしての多様性、調和があるからクソガキはクソガキと自覚的でもないときもあるほどがより健全さとしての。)ちょっと早送りも駆使。字幕で観ても高級DVDポータブルプレーヤーではないので字幕が出ないので早送りで観賞会が出来ないのが悔やまれるほどでもないが考える。
それぐらい千と千尋の神隠しとハウルの動く城は(誤字脱字版。私以外のかっきてきなわくぐみさんは解るんだろうけれども、それほどでも、私はそれほどの映画に全く意味というかそれなりに観なくてもいいわけだが、もっと少年少女チックな映画にして貰わないと私のようなのは意味が解らないというかで、私だけぐらいしか意味不明とかつまらないとか時間が長く感じるほどの鑑賞会という意味を、書きなぐっていたというかスマホだからタップなぐり?だけれども、日本語としての文章にここほどなってないないことも珍しかったので、誤字脱字版を括弧内追記。)私だけぐらいらしいほどに人気らしいがあった。私の知識が足りない、感性が足りないということもあるだろう。私の社会性が足りないか違うか。
火垂るの墓という超有名アニメも近年初めて観賞会したが、涙流すどころでもないし、涙流す部分がどこにあんのか疑問ですらある。クソガキ可愛いからもあるだろうが、涙流すまでに涙流す部分が欠落されたことを描いたという部分としては昨日40年ぶりぐらいに観賞会した「ライフ・イズ・ビューティフル」も同じ手法。その背景、抑圧、不条理上の。
シークレット・ジョブ
ハリー・ポッターはレンタルビデオ開始からそれほど経たない頃はちょっと観賞会して返却したが、近年一応全シリーズを観賞会終了。小説は三作目か四作目ぐらいまで読んだが、シドニィ・シェルダンが読める頃ぐらいに読まないと読める白モノとは言い難いところにハリー・ポッターの偉大さもあることも理解出来る。
仁義の墓場の特に野郎とスケのカチコミ前の焚き火の全体的構成、台詞で、観賞会すべきですらないという理解はしたほどだが、昨日観賞会終了。のっけのドキュメント型がいきてて観たかも知れない。
いきおい、書いてみたが、それほど観賞会して全編観賞会をしなかった映画は少ないというかほとんどないかも知れなかった。
以下、全編観賞会未実行を思い出したり、観賞会後に追記。
バーレスク(早送りで最後まで観たと言えば観た。)
フェリスはある朝突然に(あまりに見続けるのが苦痛とまではいかないが、期待値が高かったのも手伝い、早送りで最後まで観たと言えば観たが、つまらなすぎたというか、てめぇの好みではないだけ。名作(人気作品?)の部類に入れる人々多いか多かっただろうけれども。)
ルーシーと犬のような題名というか内容(早送りで最後まで観たと言えば観た。)
縞模様のパジャマの少年
2023.5.8
チョウドキチガイオヤマシを再度断片的に考えた。
原爆落とすチョウドキチガイオヤマシか、原爆落とされるチョウドキチガイオヤマシの二択がそれなりに四千年モダニズムである。
原爆楽すチョウドキチガイオヤマシか、原爆楽されるチョウドキチガイオヤマシという二択でもある。
変質は時空間でタヨウセイが当然なことである。ブンギョウザとしても。
軍隊以外が、原爆を作れないし、落とせないのと同じに。リョウシキとしても。
原爆作れないのと、落とせるのが、お魚さんをぶち殺し続けられないのと同じに。
もっと言うと、相対性理論を教え続けられない。
原爆を落とし続けられないのと同じに。
お魚さんをぶち殺し続けられないのと同じに。
クソダシとクソヅクリし続けられないのと同じに。
英雄アガリか5W1Hアガリ。そのゾクアガリショウとしてが四千年モダニズムの基本原理。
生命論理ではなくて生命倫理。
これを社会通念で違う扱いのドリョクショウというよりは、それなりの八百長というかセンビキ並びにタナアゲの紳士と貞女としての万民ボンクラーズとしての、ゆきゆきて原爆ジジョウの四千年モダニズムの当然。
原爆落とす紳士と貞女並びに原爆落としてから紳士と貞女。
原爆落とされる紳士と貞女並びに原爆落とされてから紳士と貞女。
お魚さんをクソニダセェことの生命倫理平等としての、それからの原爆で満足りと充足りという部分は、オヤッツパーゲームラシャカイとオヤッツパーゲーマチジクリの基本原理そのもののそれなりの一撃である。リョウシキとジジョウだかな。原爆もだったが。
オメマメサンコンプとしてもだが。
ディア・ハンターが本当に伝えられるのは、シシャだろう。
タッシャな奴等の物語だが、クリストファー・ウォーケンがてめぇでジガイを遂げたわけだが、シシャになるまでの物語としては体裁がある。
これは、逆説的に、ロバート・デ・ニーロが、確実にシシャになるところまでは映画では撮ってないという部分がある。クリストファー・ウォーケンはシシャ以降、映画に出張れねぇからな。
だから最後まで、映画が終わった後までもという随伴が伴うべく、ロバート・デ・ニーロはイキ続ける。
疲れはててはいるんだが、シシャにそれがないということ。
逆説的に、生まれてきちゃっただけの何人も、戦争するのはけっこうで、戦争にいくのもけっこうで、そのけっこうなぼんくらとして戦争からかえる並びに戦争がおわったら、けっこうなぼんくらから、違うけっこうなぼんくらとしてという物語でもあるだろう。
ポエニ戦争でも、赤壁の戦いでも、原爆のジュキョウとシュシガクは切実だろう。必ず当時に開発があれば同じ人類として必ず落としてるし、落とされてる。
ゼンゴショウに直結するからな。
2023.5.23
キャサリン・ヘップバーンを考えたら、ロバート・デ・ニーロのアイデアということらしいが、ベトナム人役の人に、脚本になかった、クリストファー・ウォーケンにビンタくれるシーン。
それも含めてクリストファー・ウォーケンはアカデミー賞受賞。
これは難しいと思った。
本質的に、そして基本原理がそれなりにしっかりしていれば、クリストファー・ウォーケンも、彼らを含めた人々によってでしか、その作品でのクリストファー・ウォーケンにならないから、とるにたらんことでもある。作品の総てをして、クリストファー・ウォーケン、そして作品を作品たらしめる、そのビンタくらったクリストファー・ウォーケンはその作品のクリストファー・ウォーケンとしてしっかりしすぎているからこそ、クリストファー・ウォーケン。
近年YouTubeで観れた、ケビン・スペイシーの物真似オンパレードでもクリストファー・ウォーケンの真似事巧いけれども、ケビン・スペイシーの物真似のキャサリン・ヘップバーンも巧い。
アル・パチーノが流れとしても、そして出来れば一言で良かったほどながら、やっぱりジェームズ・スチュワートが入り口としても、物真似オンパレードの構成がしっかりしていたのかと思った。
役者は(役者も)総じて物真似巧いだろうけども。
私はジャイアンツ吉村さんの構えの物真似は巧い。まだ会得して数日だが。
1日プロスピで観て、忘れることが数日ないほどの記憶力があることからも。
動作に関しては、筋力、体幹、可動、思想などがないと、とても真似事にすらならんということも理解した。
バットマン(マイケル・キートンとジャック・ニコルソン版。その当時の一連のバットマンシリーズを観る動機が皆無になって観てないほど。)
わらの犬(中学生の時、10度はオナニーしたけれど。一応サム・ペキンパー版。最近同名映画があるが、この映画を新たになのか知らない。)
郵便配達は二度ベルを鳴らす(中学生の時、10度はオナニーしたけれど。一応ジャック・ニコルソンとジェシカ・ラング版。しか観たことがないのでと。)
キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン
ガタカ
アイランド
カジノ
ディック・トレイシー
シカゴ
カリートの道
トレーニング・デイ
ジャンゴ
エリン・ブロコビッチ
ゾディアック
殺人者の追憶
ブラザーフッド
クレヨンしんちゃん(大阪万博バージョン。)
十二人の怒れる男の日本バージョン(たったワンシーン、おっさんが(件が思い出せないけども)、エッ?という部分だけが面白かったから、次点ということに。)
マイ・ドッグ・スキップ
アミスタッド
カプリコン1
ライトスタッフ
戦場のピアニスト
アイ・アム・サム
チャーリーズ・エンジェル
ライト・スタッフ
ファースト・マン
八月のクリスマス
僕の彼女を紹介します
世界一嫌いなあなたに
マイノリティ・リポート
バニラ・スカイ
アバター
ダンサー・イン・ザ・ダーク
カッパのクゥのような題名
千と千尋の神隠し
ハウルの動く城
魔女の宅急便
紅の豚
竜とそばかすの姫
バードマンあるいは(無知がもたらす奇跡)
キング・オブ・コメディ
ライオン
湯を沸かすほどの熱い愛
ザ・ダイバー
エニイギブンサンデー
パイレーツオブカリビアン それ以降のシリーズ未見
ミッションインポッシブル2、3、たぶん4
ビバリーヒルズ・コップ3
ターミネーター3、たぶん4 それ以降のシュワルツェネッガーがたぶん出てるの観たい。
ダイ・ハード2、3それ以降のシリーズ未見
男たちの挽歌2、3
インファナル・アフェア1以外
猿の惑星1以外 旧シリーズ?しか観てない(括弧内2024.6.5追記。猿の惑星の近年のを三部作だと思って最近レンタルビデオ屋さんでレンタルビデオしたが、四部作らしい新作があるらしいが、その三部作を一度数日かけて観賞会して、良かったというか面白かったというか、面白いわけはないんだが面白かったと書くのも野暮なので、単純に面白かったと書くべきだろう代物だった。)
ロボコップ2 3があるのか知らない
先ずざっと思い浮かぶのは、(映画タイトルを思い出した時に書き足し。)
グッドフェローズ
スカーフェイス
東京物語
ポストマン
フェノミナン
パルプ・フィクション
アメリカンギャングスター
グラディエーター
ホワットライクビニーズ(題名ちょっとあやふや。)
イエスマン
ギャングオブニューヨーク(題名ちょっとあやふや)
情婦
キャスト・アウェイ
コラテラル
ティファニーで朝食を
サブウェイ123
アンストッパブル
フェリスはある朝突然に(途中から早送り観賞会)
バーレスク(途中から早送り観賞会)
ルーシーと犬のような題名(途中から早送り観賞会)
フェイク
ボーダー(ロバート・デ・ニーロ版しか観てない)
チング
世界の中心で、愛をさけぶ
シャイニング(スタンリー・キューブリック版しか観てない)
Vフォーベンデッタ
悪魔のような女
恐怖の報酬
エターナル・サンシャイン
フィフス・エレメント
激突
乱
スウィート・ホーム
マレーナ
海の上のピアニスト
ガラスの塔
ミスターインビジルマン(題名ちょっと違う。インクレジブルマン?)
モンスターズインク
時をかける少女(実写しか観てない。)
トレインスポッティング
チャンス(最後のNGシーンは面白かった。)
麗しのサブリナ
48時間
グッドシェパード(題名ちょっとあやふや。)
スモーク
アメリ
シュリ
ラ・ラ・ランド
デビル
スケアクロウ
狼たちの午後
マジェスティック
僕のワンダフル・ライフ
キャッツ&ドッグス
ジョーカー
PM17
観賞会終了。
結婚式で始まり葬式で終わるというより、葬式への始まりにしたのだろうか。
結婚式イコール出産という可能性としても。
最初から最後まで、全場面記憶になかった。
1度観た映画でこれほど全く何一つ覚えてないのは稀である。
ウィキペディアで調査開始へ。
YouTubeでも解説動画があるかも知れないから探してみよう。
ウィキペディアで調査終了。
アカデミー作品賞受賞らしい。
原案脚本は存在されたと記載があり、ラスベガスが舞台という物語をベトナムが舞台という説明がある。
2023.5.6
有名曲が、本来違う映画へのものからこの映画へという能書きがウィキペディアにあったことを、どうもガンズの記載のあえぎ声からはほとんどその真意は考えなくなったけれども、考えた。
確かにニーノ・ロータやジョン・ウィリアムスという基本原理は、欠落とまでいかなくても重要性がない。
「明日に向かって撃て」の有名曲と同じようなスタンスではあるまいか。
時期的にそれほど離れてもいないだろう。
「明日に向かって撃て」の有名曲でも大丈夫とも考えられる。
「明日に向かって撃て」にこちらは難しいというか最先端チャリンコ乗り回すシーン以外というよりは、最初か最後にこの有名曲なら可能だろう。
1978年公開映画。
ジョー・ペリーでも合っただろうと考えた。
名曲というより有名曲になるほどすぎる。
ジェフ・ベックのこのトーン系の旋律趣味の方がというようなことまで考える。
アカデミーでなんてったって作品賞を考えてる。観賞会終了(後にウィキペディアで調査)まで知らなかったというより、知らなかったからこそ、もろに退屈な映画だとか、一度見た時の全場面の記憶がないだのと率直な感想会マルダシドコンジョウは、少しその点を考えるに笑えた。
一度観てるからこそ、当時の私は完全無欠に、この映画がアカデミーのしかも作品賞であるなどと一瞬も思う隙はなかったほどのその後約30年間生きてただけでぃある。
以上、恐らく午前中に書き、以下、22時頃。
この映画で、確定的に私定的に、つまらなかった映画の感想を改めなければなるまいと考えるに至る。
(2023.8.23追記 オヤッツパーゲームラシャカイの基本原理原則ではあるんだが、対価、それなりに金銭だとか労だとか時空間を、支払いではなくて、リョウシキで行ってその映画を観るべき代物もやはり豊かな象徴としてのことであるはずではあるが、映画造りに時空間、金銭だとか労、勿論ゼンチュウゴショウブンかかってるわけでその八百長がキチキョウのオヤッツパーゲームラシャカイのつごうよあまっちょろきちがいじんるいあいのじっかんじゅうじつもある部分よりは、本質的にそういう映画造りの輩は、無料というより金銭を支払って人々へ観賞会へというのが本筋である。オヤッツパーゲームラシャカイそのもののそのリョウリツという輩のスピリッツの健全さのあらわれだろうな。先日観賞会した「仁義の墓場」のあまさというよりよくもまぁという部分(血が完全な赤ペンキというのが時代の寧ろ動力があるそれとは別次元。構成はしょる方がまだまし。特に焚き火の一蓮托生は、それなりにその枠組みとしてのリョウシキバカマルダシということを構成したという言い分での作成ならば脚本でもいいんだが、脚本への、脚本が、脚本も、脚本の百年の努力、情熱も冷める。恐らく人間保険という部分か。流れのあまさの全人格の坩堝というかリョウシキバカマルダシ。アワオドリを適用ということは適用可能だろうけども。実際はもっとリョウシキバカマルダシだが、筋というか顔立ててちょっとリョウシキバカマルダシとして撮ったということなどは私が考えられることでもない。石川力夫なる人物のまわりちゃんらのダイセイコウタイケンダンワのそれなりにより筋違いは、MPも当然出張るけれども、原爆ほど無茶、やんちゃはしてないだろう。MPもそれはしてない。原爆一つ。実際には二つ。オヤッツパーゲームラシャカイとしてはリョウシキだが、アポロがアポロジャイズなのは、アポロジャポネーズというそれなりに余興も成熟してることとしてもよえてる枠組みのリョウシキバカマルダシノミノドコンジョウしかなかっぺよぉという基本原理原則の部分の誇りしかなかろうて。アポォは、林檎に義理はねぇが、しかもこっちはそくとくそのリョウシキをオメマメロ、或いはオミズカラテクとオノレナノテクへまっしぐらもあることも流石に四十年前のてめぇを思い出すこと吝かでもないが、馬場さんファンではないが、変質させんとたったひとつのことをやってさえいないことにしかならないんだが、スネオトババとかジャイコトババさんとかも一世風靡してる枠組みのそいつらという自覚しか当然私はあるはずないんだが、そしてバトンは渡されたは映画としては大変な成熟さがあるような理解しか出来ないけれども、それほどおもしろくなかったけど、石原さとみさんとメイちゃん(メイちゃんがみぃちゃんとなった構成のときに、初めてスパイの妻?スパイの女?の女優さんと思っていたジャケットの真ん中の人は、メイちゃんという、みぃちゃんか?というちょうどぴったりに考えた。)出てたから、良かった。因みに花束みたいな恋をした?という映画は、映画よりもその作中で宣った小説と漫画に興味をひかれる経済サイクルスポーツセンターとしての協調、タスケアイのイチゲキとしてのそいつら造り手の出来ることだけたんたんとその今をいきてるんだということとして、あみ子は読める。魔法の国はどこで泣けるのかにしか興味も感心もなかったけども、感性が疑われるので泣けなかったと大っぴらに謳う機会はないんだが、泣ける部分なんてのは、新聞読んで泣くとき、違ういみで泣くとき、とかと同じに、ときどき、ひとびとがあるから、それほど私は魔法の国で泣けない、単行本三巻?まで読んで、ジパングが面白かったのだが、草加少佐?がジパングと宣った時点で読むこともないかという部分が上回った。その思想なり必要、切実の坩堝を学ぶという姿勢が私は低いんだとやはりその瞬間に考えた。
土方漫画は面白かった。)は、それがよりひきたつ輩としてという社会正義すらも実現の幅があるというちょうどどうでもいいかんじにもなるかならざるかそれはあたなしだいという一品風情だろう。題材をそれに使った強かさはあるんだろう。
アポロと書いてみたら、アポロ食べたくなった。長らく口にしてないが、贅沢品としてやはり美味しいお菓子、夢がある部分としての勇気ある部分としてのお菓子。ツートンというのも良い。
アポロというのは明治だろうか。マリーンズではない。グリコ?ゴール絵画がアポロにはなかったような。ああいう絵画ってのは、その一瞬のためにどれほどのドリョクショウブンの坩堝かってのがあるんだろうか。アンダー140年として、毎年度として、先ずゼロ才と140才がゴール絵画になりようがない原理原則が人間はある。ゴール絵画が競馬とかは別としても人間である。彼らのためというよりは、それもまた他のブンギョウザと同じく彼らのための彼らのための一瞬が、俗にいうブンギョウザのいきのながさ、クタバリグアイとイキグアイをまっとうしていく安定第一ならば基本原理原則なほどちょうどどうでもいいかんじちゃんばらぞく。人類発展途上としてのブンギョウザの枠組みの花道があるのだろうか。
チョウドキチガイオヤマシが、てめぇのクソガキに筋というかケツフキだとかのフカンゼンチョウアクビの完全さという部分では、個人的につまらなすぎる映画への思いは同じレベルということだな。)