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2025.3映画感想2

2025-06-14 12:22:10 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2025.3.7

21:03

「思い、思われ、ふり、ふられ」がdailymotionにあったので発泡酒と包装米飯と初めて購入したシャウエッセンなめらかの食事会で観賞会開始。大統領の陰謀は最後まで観れなかったがシャウエッセンなめらかは確かになめらかで品質が高すぎて私の味覚に合わないというよりパンチ、もっと下品な食物連鎖を味わい深い健康的で生来的な味覚ではないからもう買わないというかシャウエッセンを買う身分になったことは一度もないんだがなめらかは二度と買わないとうっすら心に決める。シャウエッセンファンの食卓の機微、変化という彩りやるのも大仕事という輩の範囲だろうけれども。

スマホの漫画アプリで最近キュンキュン漫画を少し読んだ中にあった当映画だったようだったが、再婚した親のべつばらの子供同士が意外と好きあってる?ようなところまで漫画で読んでなかったのでなるほどと思う。主人公?の男の子と女の子は別の映画で見覚えがあるが思い出せない。美男美女は記憶に残らないとさえ思えなくもない。見覚えがあるから美男美女だったなと思い直す。見覚えがないのは映画が思い出せないということを変質させた内容の吐露っこな私だった。と思えなくもない。


2025.3.8

17:16

「思い、思われ、ふり、ふられ」観賞会再開し、ちょっとつまらないので観賞会中断。dairymotionにあった「君の膵臓を食べたい」観賞会開始。数年前Amazonプライムで一度観たが、この映画ほど記憶に残らなかった映画は私には稀だったのと、小説は古本買って読まずだったようにも思うけれども、何らかのトレンディがあるように思うので観たいと思う。

「思い、思われ、ふり、ふられ」の兄弟ではないかと思わなくもない。男の子は観たことあると思ったが、女の子はどちらかいいと男の子が王子さまの女の子が精彩というか可愛さがあって、実は兄弟の女の子は君の膵臓を食べたいの女の子という可愛い女の子ではないかと思う。男の子は北村匠海?という人らしい。君の膵臓を食べたいにそもそも踊る大捜査線の官僚、名前が出てこねぇ。山田優さんのぽこちんのイケメンが出てるのをよく分からなかったほど、君の膵臓を食べたいだけはとことん観賞会の記憶がない私には稀有な映画であるな思う。小栗旬さん。1分もかからず名前を思い出せた。


2025.3.9

17:49

観賞会再開。チェックインまで観る。最近アダルトビデオの嗜好が変化した私は背徳シリーズが脳裏を先ずは手順として過るが、ホテルに限らず、腐った膵臓のクソガキにおもてなしをしなかったという痛恨というかかいしんのいちげきは、最早私は140歳のアホタレどもすらもうまれたてとしか思わなくなりつつある瀬戸際だが、そのいちぶだとかいちわり、いちりん、いちぱーせんとというはんしゃかいせいにつごうのこんじょうもんのクソガキどもは、おのれの肉体そのものが時空間としてはそれにすらみたない時空間でしか哺乳類が原始生物によりらせっきんじだいかはよう分からんかったし調べるとか知っていくということの根気、漢字通りの根性、魅力、ぶっさされてもどうでもいいということが私は1秒も、一ミリもないから取り組まないだけですますが、やぼをくみとるという腐った膵臓のクソガキどものたんきけっせんはやふやらないの本質を凌駕、あるいみでのみかいぶんめいどのあきらめるとかくじけるとかいうより、さいくるだとかいうよりというぶんぎょうざの範疇の奴等というような論理展開にしようと思って書き始めてないが、そのように書くようになるしかなかった程度でもいいやと思って観賞会再開しようと思う。

北川景子ちゃんも出てたのすら全く記憶にないほど、当映画は映画観賞会の記憶はかたわではあるがすさまじい部分があるときもあるが全くやくにもたたないしなにかにいかそうとかでもないからいみもないんだが一度しか見てなくても記憶に全くない映画は珍しいのはなぜだろうと見ても、何となく記憶に残りづらいプロットという新機軸がテクストにある映画だとこじつけも可能な稀有な映画ではあるように思う。やわらのみちというしげきのていかに取り組んだ映画だろうか。


2025.3.10

22:22

観賞会終了。意外と泣いた。落涙までした。北村拓海さん?だけが読む権利能力がある手記でのさくらちゃんのお母さんとの涙のご対面と、星の王子さまに忍ばせた手紙のさくらちゃんの朗読会は泣けた。


2025.3.11

5:58

Dailymotionで「世界の中心で愛を叫ぶ」「ストロボ・エッジ」「きょうのキラ君」も見つけた。観賞会予定。dailymotionから「ぼくは明日、昨日のきみとデートする。」をダウンロードしたが、高画質過ぎて早送りとかに対応出来ない私のスマホ能力らしいと思わなくもないが、どうぶつ奇想天外のミッキーはYouTubeでは公開完全版からの風化させないその時々の人々向けなのか、それとも盲導犬オリバーを忘れちゃってるのか、それとも盲導犬オリバーは現役最後の映像で、雪上でも可能な手袋での戯れがとか思いながら、体を掻いてたら、年々ほくろもだが、イボのようなのも増え続けてるなと、それは私の体質だろうが思いつつ、「世界の中心で愛を叫ぶ」はDVD化当時かVHS化当時レンタルビデオ屋さんでレンタルビデオしたきり観てないし観ようと思いさえしなかったほどつまらなかったというか感動のしどころさえなかったという記憶を言語化しようとしても思い出せないので、昨日観賞会を終えて二度と観ないと思ってないが思えばそのように言語として思うだけだった「きみの膵臓を食べたい」は落涙しちまったもんで改めて観賞会に挑もうとほとんど日中床に着きながらうっすら思うだけである。「ストロボ・エッジ」「きょうのキラ君」は観たことがないけれども、キュンキュン出来たらいいなぁという内心の決意もうっすら思うだけである。ストロボ・エッジは

たかとしっ

が出てるらしい。

タカトシっ

が出てれば泣けるかも知れない。キュンキュンというより。

エミ

いまオレ、エミって言ってたというかタップした?

いい んじゃ ない かなっ

エミは糸という映画でも泣かせやがるからタカトシもと期待せずにはいられない。

か い か ん

のアクセントだろうか。

ちょっとアブナイ独り書きだが、こういうのは特に私は大昔から恥ずかしいと思わないのでどうということもないし言う機会も大昔からないからどうということもない。


3.12

7:17

dairymotionでアイフィールプリティは観れないのが無念だが映画の題名の肩書きは連合艦隊総司令官で合ってると思うけれども山本五十六が観れるので、ぼくは昨日だったら明日、簡単に言えば今日、葬送のフリーレンの漫画を110円コーナーでちなめこになって探しにいこうという目的意識の高さとともに、110円不存在の事態ならば、存在していてさえも、ぼくは昨日だったら明日、ひらたく書くと今日、山本五十六の観賞会をしようと思う。その数秒前までマルクスなら可愛げがある運動会だが、フロイトってのは不味いだけだっぺと思ったのを思い出した。ハイデガーの場合、ハイデッガーもあるからどくせぇしゃかいうんどうになっても、こそどろと同じで、りとるぼーいにしてもこそどろとりとるぼーいを書くとどうということないけれども、あいだとかいのちだとかせいこうだとかのワンコンプというのはわからない奴等でなんぼという原理主義だが、そう言えばガガーリンで思ったが、ガガーリンから半世紀経っても数単語のロシア語は分かる程度の私はガガーリンの業界用語というよりもロシア語がおぼつかないなと思う。日本語に訳されても意味がわかるようなことをやってる奴等ではないから不便はその範囲ではないなとか。




2025.3映画感想1

2025-06-14 12:20:59 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。
「恋人たちの予感」「大統領の陰謀」「糸」「思い、思われ、ふり、ふられ」「君の膵臓を食べたい」「ワールド・トレード・センター」「連合艦隊司令長官 山本五十六」「旅情」「世界の中心で愛を叫ぶ」「きょうのキラ君」「ストロボ・エッジ」「ぼくの妻と結婚してください。」「死刑にいたる病」「パートナーズ」感想1

2025.3.2

昨日アマゾンで見かけ、直ぐにレンタル動画。昨日鑑賞会開始したが、英語字幕で観た記憶はあっても日本語字幕で観た記憶がなく、昨年ゲオで日本語字幕をレンタルDVDしたように思い出すほど英語字幕はちんぷんかんぷんが九割の英語力となにしろ早口映画。

先程、映画史に燦然と輝くであろうダイナーだかレストラントでのオーガズムのけつまで観る。数年だが観れたら観たい特記鑑賞欲筆頭に誓いはしてねぇが近しいしアマゾンでずっと観れなかったから昨年直ぐに100円レンタル動画でタップ。昨年観るなり、観たなと呟く。

最後の晩餐ならぬ、最後の注文というのがオーガズムの職人芸というかそれがなければただのしまりのねぇうわぬりがそのうわぬりという恰も動物性の正当化の貞女らしい振る舞いを保ちながらのダイナーだかレストラントだかのしにんせいのあるコミューンでのそれは、セックスというより、独りのオナゴが男への思惑はあるにせよセックスって重労働だから料理でオーガズムに達するというせいふうぞくを信じる美しさ、尊さ、優しさが、そういうかたわのインテリだろうダイナーだかレストラントでこれ見よがしにクソヅクリの目的を果たすなんてのはと書いてたら飽きたので鑑賞会開始しようと思い出す。


18:15

樅ノ木購入運搬まで観る。ふと書き忘れた、アメフトでのウェーブ?というのも間違えられた男のボールの動線をちょっと思い出すほどの名場面だと思った。それがやりたかったというか魅せたかったというか見せ場だろうけれども。


2025.3.4

9:07

昨晩だったか観賞会終了後「大統領の陰謀」をレンタル動画。観賞会開始。あなたが寝てる間にのおじいさんが出てるか似てるなと思った。


2025.3.6

0:40

「大統領の陰謀」は観賞会終了前にレンタル動画期間を超えたので見終えられなかった。

dairymotionで最近少し観て続きを観ずじまいだった「糸」を観始めてタイトル・ロールまで観る。中島みゆきの歌で間違いないと思うけれども金八先生の加藤を思い出す。ゲオにもあったからそれなりに何かがある映画だろうけれども「大統領の陰謀」はゲオにはレンタルDVDとしてはなかったなと思う。男優は菅田なんとかさんだと思うけれどもあおいちゃんはまだ出てない。雪上での警官役は名人だと思う。いつということもなかろう短いショットでどの時点、どの瞬間でもフィルムになっても問題ないという姿勢のように思わなくもない。


5:55

コッペパンと後に控えるひねり揚げと発泡酒で観賞会再開。

菅田なんとかさんは恐らく肉眼で見る機会ないが相当痩せてるというか細身のカメラ映え?食費はあるだろうにと思ってた竹原さんの結婚式であおいちゃん登場。小松菜奈さんだと思ったが「ぼくは明日、昨日の君とデートする」を10度目前後の観賞会を誇ってない私は直ぐに小松菜奈さんだと思ったが、小松菜奈だと直ぐに思う。似てるとかというより。エミちゃん泣ける。タカトシも。


6:34

キャバクラ?の途中まで観る。ござーきゅんのように思うし、ござーきゅんが出てた映画でキュンキュンしなかった映画での写真家?のイケメンのようにも思う。相当に有名な俳優さん達らしい。


20:19

観賞会終了。チーズ試食会?での娘がというスピーチで娘は嫌いだがうるうるした。最後の最後も言語化しようと思ってないから書かないというより書けないが、エミちゃんはやはり泣かせやがる。榮倉さんも奈々ちゃんだったが、個人的に無関係として健康のイメージが強い人だったのと、ござーきゅんがキュンキュン役じゃねぇけども、キャバクラだけでしめぇじゃぁござーきゅんの足場の映画の時期?とか思ってたらござーきゅんシンガポールにいて少し興味があったが、ござーきゅんの役じゃないござーきゅんでしょんぼりるどるふ。

中島みゆきさんの楽曲が多勢らしかったが、世論だとかかぜのなかのすぅぅばるぅぅぅとかを少し期待しつつ見ててしょんぼりるどるふ。ファイトッというのは、私は近年独自も独自な自作も自作の歌詞だけで名曲はどうでもで歌っていたかもしれないように思うけれども戦ってないから私以外のクソガキどもへのそれとしてはなかなかに含蓄のある歌詞だなと率直に思うだけではある。

観賞会終始目下、アメリカは美国だとか亜だとややこしいこともあろうが日本で米を充てるという米もひだねというかかりよくというかでも日本の心と言える向きもあるしゅしょくでもって、最近観賞会した映画オッペンハイマーは関東軍と、キチクベイエイ、ゼイタクワテキダ、そしてホシガリマセンカツマデワというこうご

明日は先ず思いも思おうともしないから忘れるように書いとこうと思う。




2025.2「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」「オッペンハイマー」「新人 月野江すい AVデビュー」感想3。追記も。

2025-06-14 12:06:47 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2025.2.5

今日は楽しい生活反故費。社会主義者と者会主義社、社貝主義者と者貝主義者、社快主義者と者快主義社らくせいかいというナチュラリズムとソーシャリズムの時間の流れに歪みがあるかということをオッペンハイマーを三が日掛けて観終えて数時間経過。それまでに英語字幕と日本語音声で禁断のアポォ辺りまで観て、一眠りぶっこいたが、オッペンハイマーは当ドキュメント用に書くというニア読み返さないが、そのように思いつつ、食料を買いだめして買いだめし過ぎが初めての経験だったがためと、握力を失くすことに躍起になってるのも手伝って、シャウエッセンと目玉焼きというフルコースの美味を夢見過ぎで、いざ帰還せんとした矢先に生卵が落ちてタフな三つは冷蔵庫行きと辛うじて殻を保った四つの恰もそれは嘴がない状態の中身がりょうしんからの尊い命が産まれようとしているかのごときをフライパンへ。アーニャ流ならば、ざんだますう じゅうぶんのさんだった三つは尊い命そのものを糞に出すための尊い命が尊い命かは今回は書かないとしても既に産まれようとすら出来ない鶏だかのクソガキどもを捨てる。というよりほぼ備え付けビニール袋で生卵パックをプロテクトして帰還中にビニール袋に流出したのを洗う。

それでの帰還中、往路は無心で復路でちょいと思って直ぐ様食事会として観賞会。ざんじすう ろくぶんのご まで観てたが、帰還中の数分で書こうとしたのは、サスペンスがあるか、それを先日までは、絵画のような思考が芽生えたが、サスペンスがあるかということにある部分と、オッペンハイマーの映画をオッペンハイマー以外が分かるような映画になるはずはないという部分では、オッペンハイマーは、オッペンハイマー以外の映画を分かるようなオッペンハイマーになるはずはない部分というようなのを書こうとか思って観てたら、最後の俳優名で、ロバートダウニーJr.のクレジットがあり、どこにロバートダウニーJr.が出てたか分からなかったのと、トルーマンはゲーリーオールドマンではなかったのかとか、ゴーストで地獄に行っちゃうということのスムージングな男優さん出てるなとか思っても俳優さんのお名前を知らなかったなとか、マット・デイモンはインターステラー並みに出た瞬間おぉっと思ったが、かたことというかかたわに深刻さをそれほどともなわせずに、そのかたことというかかたわにある種のカタルシスというかプレジャーというかブレイブというようなのを昨年観賞会したフォードVSフェラーリでのマット・デイモンにも思ったことをおもいだしても観た。サスペンスとしても、そして各人間としても品位と尊厳の時間といきる揺らぎとしてならば、オッペンハイマーでそれらが独り立ちしないという保険かけてやってんのかも知れないと思わなくもない。

数時間の天才集団のお戯れの努力家の人々

一度目の観賞会終了後、時間を置かずに英語字幕、日本語音声で観始めて、ロバートダウニーJr.はオッペンハイマーへの悪者の人かも知れないなと思う。

因みに当映画で、私は二十歳未満のてめぇだったら間違いなくオナニーしたと断言の仮定を断言出来る。当映画でさえも。


2025.7.29

18:30

お昼頃だったかお引っ越し作業で、電子レンジを搬送。案外重く、抱えて歩いていたら、電子レンジマンという超人のようだと思う前に独り言。

帰りの道中思川を橋の上から眺めると、見た目上川遊び日和に見え、これまた独り言の構成すらも独り言の起承転結というほどでもないが、その独り言を言うまでの独り言に凝る。

先ず川で遊ぶと魚臭くなるという発想から、魚臭い蛍ということでもって、未だに松坂慶子がどこに出てたか確信が持てないからか、慶子さんが松坂くんと結婚してたまたま松坂慶子さんになったところで、映画のインフラ上松坂慶子という一身専属的な氏名というものは差し控えるのではあるまいかというほど松坂慶子ではあるわけだから、松坂慶子はその松坂慶子であるはずで、やはり食堂のおばさんと形容するべきか分からんが、松坂慶子論にすらなってないがそういう独り言を楽しみ、魚臭い蛍という別個独立した、それなりに不可侵、ぶんぎょうざとしての調和的尊敬、敬意そのものとしての魚臭い蛍というものは、魚臭い蛍自身、そして周辺から逸脱している別個独立した人間にとってのそれが、その状態としてのそれであるということを、昨日こっそりお部屋で饒舌になってた、1ピチピチチンコ1宇宙というものの平和というものが、数千年内に1ピチピチマンコ1宇宙に出会った時ということがそもそも平和ならざるというべきであるという他者性、要するに平和の存在というものの、他者性の平和の存在ということは平和と呼べることはあり得ないのではないかと独り言していたからか、帰宅後に至っては、そもそも日本語でしか平和という言葉というその平和が平和ならざるべきであるはずであると独り言した瞬間に、ピースはそもそもそういう論理ですらないというか、それなりに善というよりは美とできる限りの礼節で書くとそのように思うわけだが、英語にしても日本語にしても、その言語的セパレートということが平和なりピースなりの凡そそれらを未だ平和なりピースにはたどり着かないからだっぺよという勇気的なインフラとしてでは、二千年後の二千年間の人間の屍の数の増加状態、依存と書いて書きすぎないそれでは、昨日の時点というより昨日のちょっとの時空間上の私の独り言の段階では、例えば立法として、国民ということからして困難極まるわけだけれども、主権というよりは善にした場合、我々諸国民としたところでも、構成要素の根幹たる産まれる意思の欠缺しかあり得ない状態としての可能性的人間に対して、屍はおろか、風邪気味だとか熱っぽいだとか、道路なり道程なりで転んで痛い思いすらさせるべきではならないのであってということが出来るというその状態が凡そ平和ではないはずだが、その状態はある意味では途方もない努力の蓄積、悪魔的言語で書くならばクソガキどもの屍の数を無駄にしない前進力、たゆまぬそのときどきのクソガキどものというようなものであるというようなことを然程独り言として精査も向上も思うことなく、う~ん今月はやっぱりお引っ越し前の家賃の支払いも遅れちゃったなとか、来月からスマホの毎月の使用料を最低限度に抑えていくために、にゃんこ大戦争もプロスピもエターナルガンダムも出来なくなるなというより個人的には十分楽しいスマホアプリゲームであり、個人的には、第一期でも第二期でもの特に英語の勉強時とほぼ何ら異なる状態を見いだすことはなかったのが最たるものではあったが、そう言えば魚臭い蛍論の最中に、松坂さん夫婦に娘が誕生したら慶子と名付けないのではないか、ならば、黒澤さんちでは明くんとか、沢村さんちで栄治くんというのも、それなりにそのご家庭ではほぼないようにさえ思ったというより独り言してたのを思い出した。

そんなこんなで、あの花が咲く丘でというのを思うと、古典映画的という最大であるトーキーは別としてモノクロ、モノクロ可能というよりもモノクロならざるカラーにおいてモノクロに接近というインテリジェンスというものが存在していたのではないかと思わなくもないなと、半年前位に一度観たきりだけれども、そのようにそれは独り言せずに思う。


2025.7.30

23:54

平和主義とは何かという新書の半分だけ読んだ知識しかない平和主義てき思考回路で、数日何一つせずに思うのみでは、魚臭い蛍にクソタレナガシという平和主義てきすぽーつまんこちゃんが、例えばそれによって魚臭い蛍が満員電車に間違っても乗ることのないじょうたいづくめだとして、先ず例えばクソガキで人生最大のデートへの道中であって、魚臭さがそのデートの男性なり女性なりに付着した場合、比率の何物でもないが、それを名誉とする相手であるかという難問があるのと、凡そクソガキとインテリの比率というのは、その満員電車でオナラをかますか、己のぎせいとしてうんちすら出すという作為に不作為をしないという実行、その後の人格権としての行動てきなるものだと、その満員電車はもはやと思うと、字面だけでは梶井基次郎の檸檬を思い浮かべたわけだが、恐らく今日日のクソガキとインテリの社会性にすべき水準はそれではないのではないかと思う。魚臭い蛍そのものがその娘さんにその思春期てきであったり、社会批判てきであったりというような立脚点ではないということを丁寧に進行している映画、あの花が咲く丘では原作は小説なのかよく知らんけれども、娘が一応昔に行ったというその全てのその時空間の哺乳類に魚臭くなる存在すらないということ、即ち魚臭い存在そのものも比率であって、以降私の脳ミソだとちょっと疲れるし、誰に読んで欲しいとかいうよりも、数年後に一人でも読まれたらとしても、数年後まで書くのも疲れるから、gooブログさん素人さんもブログ出来るよインターネット止めちゃうということで、私は特に何を書こうとしたのか、間違えても何をやろうとしていたかは、よく覚えてるけれども、少なくても私は平和だとか善とかの何らかの目的も人格というか望みのようなものが今までもなかったし今もないけれども、それを書こうなどという、もしかしたら今のクソガキやらインテリやらは記述が出来るのかさえ知らなんだが、書こうと全くしてさえいないし、そもそも肉体というか存在としてどうであっても凡そ平和だとか善だとか、存在だとかをとまで書いて、それほど平和云々とか善云々はブログにもどこにも書いてないかも知れないと思わなくもない。

一応平和とか善とかを思えたわけでもなし、それを書こうとしていた目的さえなかったし、そもそもてめぇの肉体というか存在からして善の兆し、平和の欠片さえ見付けるのが困難というより無駄というか不可能と書くと、そりゃぁ哺乳類としてとか書くと大人気ないから書かないようにしとこうと思う。


2025.7.31

0:59

上から目線だけで書くと、色彩アカデミー賞があれば、その作品賞としては、松坂慶子があの松坂慶子であって、松坂慶子が出演しているということでも何らかが凄い映画であるはずだが、やれることよりも、優しい色彩への勇気としての、それでもそれらの優しさが優しさ溢れる世の中だとかクソガキだとかというものでなしに、瞬間としてとか映画を観ている時間だけはということしかやりようもないわけでも、観直すと異なるかも知れないけれども、全場面を通じてその色彩を優しさと捉えるかは多様性があるにせよ、思い出す限りでは、優しい色彩としての、人間なり場面なりの進行を特別に重要視した、それこそ人形にしてもお花が咲いてる丘でさえも、そしてそれを活用すべき色というものの使用を拒否したような映画のように思う。

それは松坂慶子が松坂慶子すらも優しい色彩へという職人技にも表れていたのかも知れないと思う。


3:28

職人技と同質なるとしてでも、狂気の沙汰ではないか。優しい色彩からほど遠いそれであることでしか優しい色彩、ややもするとなめられもするだろうし、それこそ映像的ビビットくるようなこともなし、松坂慶子だとそれも出来るにせよ、松坂慶子でしか不可能だったのか、それこそ無名の職人でも出来るように思わなくもない、半信半疑だが食堂のおばさんが松坂慶子であったというその半信半疑になるほどの松坂慶子というのは尋常ではない。日本語ウルトラ大辞典に例えば美貌という単語を手繰るならば、松坂慶子という名詞は記載されるはずであるわけだが、好き嫌いの問題外化として、なるべく早い時期或いは老いてからでもの、尺を覚えてないけれども、鑑賞時間の一時が人間多様性の相対的関係性として耐え得る回答的ムービメントのように思うと、それならばもっとキュンキュン、これは最近覚えたのと、案外とキュンキュンは観てる分には好みであるけれども、ユリちゃんだったかが、松坂慶子といた時空間のその時期の人民が抵抗なく映像として彼ら彼女らが観客として仮定、言語ならざる範囲としてというような、そこまでその映画を深読みというほど深読みというのはそういう視点ではなかろうけれども、そのように今日はお引っ越し最終日なので(お引っ越し予定日?)眠りこけるわけにはいかないからなるべく起きてないといけないながら、時間的社会性が全くないけれども、先程昨日までの賞味期限のとろろそばを食べながら思ったことをそれなりに数分だけだけれども少し文章らしくして書いてみた。


8:32

起きられた。便意でござって起きられた。

計画的に十二分にトイレットペーパーをと思っていたものの、便意が多くてトイレットペーパーの予備も尽きる。出前で貰った手拭きの硬質な紙でお尻を拭き、便器に流せないだろうという漠然とした知識に基づいて、少しうんちの付いたそれを燃やすしかないゴミの袋へ入れる。

私は次の入居者のためだとか、ハウスクリーニング業者のためにということでトイレットペーパーを余分にという人格も目的もないけれども、余分を持って替える必要のないほどのトイレットペーパーを使い果たし、己の分も女の子ではないから尿意に心配は無用だが、便意がないことを祈るばかりになってしまったけれども、サブリミナルの範疇だが、給湯器は玄関脇に配置されているが、例えばガス屋さんが、立ち会いのない状態で、便意を堪え忍んで、立ち会いの時に便意の目的を果たさんとするということがあった場合、そこに、今回でいうと私のお部屋だが、トイレットペーパーがないということとしても、不足の事態というよりも、トイレットペーパーの過剰なる物量というのは平和主義者の本領であって、私はその分のトイレットペーパーをまぁ先ず思わないけれども、人民の平和のそれを状態としての平和の実現なるもののためにとかいう意志が全く欠けているのみではあると改めて思う。トイレットペーパーの不存在という不足の事態を発生させない、発生しない、発生できないという。ならば、そこにお寿司だとかハンバーグだとかはサービスの分野であって、凡そそのりょうしきなるものが、ほぼ脱糞のりょうしきなるものとしてはトイレットペーパーとステーキだとかのサイクルなるもの、一貫性なるもののりょうしきなるものが感情にあわないことに先立つのは、それらの物資のりょうしきなるものにそれぞれが完全にあわないなとかみもふたもないことだけを思う。


2025.2「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」「オッペンハイマー」「新人 月野江すい AVデビュー」映画観賞会感想2

2025-06-14 12:04:42 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

0:45

鯵天如何まで観る。

写真披露は少し涙ぐむ。それからのゆりちゃんのドラマツルギーと特攻隊員のドラマツルギーのプロットよりも、花柄の夢を抱えているおなごを手練れの若造のお嫁さんにという件にちょっとキュンキュン気味なので、それを思う。

鯵天如何はオナゴの粋で、野郎だと野暮を粋にした野暮だから野暮になると思う。

鯵天如何より鯵如何が野郎のそれなりの本職だが、それでも鯵如何という粋が野郎にないのと同じであると思う。


1:20

官憲が引き際かましたるとこまで観る。

神様論で少し涙ぐむ。

今までのいずれの涙も、基本的にひまわりでの遥か昔に号泣し過ぎた思い出それとは違う感情としてだと涙ぐむ確率が高まるように思う。

国家主義が国家主義かは難しいとこだが、つい今しがた、平和主義の本を初めて読もうとつっぱって新書を読んでる最中なので、トルストイそのもののツァーリズムを思おうかととしている感情がちょいとふれあってふれた涙になってるように思う。

極論では、名画をとらず、人民、特にはじらという若造と年寄りの若造らがじじょつはどうあれじじょうを観れるかというような作り込みが発達した部分において超優しい奴等だと思わなくもない。


11:48

最近、エセ映画評論家のような書き方が発達しつつあるかも知れないが、1つ少し思わなくもないのは、ハムが宇宙にいってきかんしたというのは、東洋人だとどう転んでも如何なものかはあるが、日本だと豊臣秀吉、中国だと孫悟空、アメリカだとジョージとか、ダーウィニズムとか、猿でも乗れるという言葉通りぶっとびすぎた代物に、猿からのスタートというよりも、数十年前にミリタリー本で読んだ、必ずきかんさせるというような能書きが記憶にある影響が濃い部分では、きかんは相当な困難と共に叶わぬ欲求というものはあるように思う。

地球のきかんとはどういうことかとか、1秒というきかんとはどういうことかとか、勿論人間が玉袋と子宮にきかんとはどういうことかとか。

チンパンジーだから、孫悟空でもないし、ジョージでもないという部分では、豊臣秀吉に近いと思わなくもないけれども、時間と空間が今のままということもある意味ではきほんのなさきちという部分もあるだろうけれども、時間と空間そのものに重力というか速度の重力のようなものが本来の時間と空間になったらというよりは、恐竜を思うことすら出来なかった人間は、時空間を思うことすら出来なかった人間でもあるはずという部分では、少なくても恐竜を多少知りつつある、骨というか死骸の生命体という特殊部隊という突然変異の生命体でとあるから、地球というより地球も含めた時空間への逸脱が基本原理として発達していかざるをえないということも、生命体が発達していくことそのものが不条理の生命体での発達の不条理という、生命体の本質的目的にそぐわない状態にたどり着いスタートという人類という見立てがつぇぇ奴等がいるのかも知れないと思わなくもない。


13:42

包装米飯、白菜味噌汁、ネギ入り納豆、水の食事会で観賞会再開。空襲のたんきが終わったところまで観る。

ここで思ったのは、まだアキラくんとユリちゃんが情熱的な恋には成ってない段階で、ユリちゃんが帰還するための防空壕に、ここでということを思う。

断貝に、あの花が咲く丘の何らかを、帰還したユリちゃんが理解出来るのか、あの花が咲く丘さえあればということならばプロットとしてもっと別のことをやらんとならんから、あの花が咲く丘にたどり着くことをユリちゃんが目指してないという帰還後に、アキラくんが、そのアキラくんには最も最高の時空間にユリちゃんがたどり着くというアキラくん仕立てがあるのかと思ってたら、家屋が焼けて倒れてユリちゃん防空壕に行けなかったので、思うことを止めた。アキラくんとユリちゃんだけのその場面だとか、アキラくんかっちょよすぎるヒーロー登場とかのプロットナチュラリズムはどうでもいいんだが、一休み後に再びアキラくんがユリちゃんをおんぶし始めた場面まで観たからか、ユリちゃんのおっぱいがアキラくんは背中に感じて幸せなイケメンだと思う。


20:13

悠久の大地にて観賞会と食事会開始。

食堂鶴での家族でうるうる、突撃命令の口述で泣く。

特攻を間違うことなくまがうことなく本か映画かテレビでのこととしか知らんけれども、出撃必死の口伝で泣いたのは後には知らんが先にはなかった。プロットが相当違う映画なのは間違いない。重力がアキラくんとユリちゃんにあるというか。


20:17

観賞会再開。出撃命令が出ましたで、どうしても顔面崩壊はてめぇははなからそのくちだが、泣いちゃってシアターじゃねぇからポチっと停止ボタンで観賞会中断。

きにくわなくてみれねぇが、ないちゃってみれねぇ。


21:03

比較的穏やかな観賞会だったが、石丸さんに寄り添い遂げるお人形さんで、的確な形容詞と完全な動詞では、ぶわっというような、涙目になりそうで一時停止。

一面のお花はユリちゃんとユリちゃん?しかしユリちゃんというのは基本稲穂のよう実るほど頭を垂れるという認識しかなかったよりも、一面のお花のど真ん中というか絵になるということだろうが、獣道すら残さない丁寧な仕事ぶりのアキラくんとユリちゃんすげぇなと思わなくもない。


21:33

キヨちゃんがお人形さんを石丸さんに渡して、明日お見送り行きますで、本編で停止する前に落涙した。場面まで観る。

少し前に、凡そ考えうる酒で、その時ほど旨い酒はほかにもあるかも知れないが、そうそうないだろうと思わなくもない。私にそういうものは一切ないが。酒が旨いということなしに成立する絶対条件下としての。こちとら発泡酒を飲むとふしぶしが少しだけ痛いかも知れないということで、こういうきにくわねぇ映画は発泡酒、出来るならばビールが良かったが贅沢は敵ですから発泡酒にしといてやって観ても、きにくわねぇから涙目になる。


21:46

優しさとして、唐突に恐らくアキラーーーの後のユリちゃんが生きる時代に戻った瞬間まで観る。前までほぼ号泣に匹敵した涙目になった。


22:39

準新作でねばりやがるだけに、難しい映画だと思う映画観賞会終了。

明日からオッペンハイマーを人知れず映画観賞会しようと思う。

ちぃにぃちゃんが最後に歌ってたが、基本いい歌というか歌詞はよく分からないがメロディは素敵だし、サザンのメロディも当然に素敵というか越谷理論でのサビとかいうよりストーンズ並みのイントロがほぼいいお歌という類いだと思う。

ストーンズ理論と違うイントロの一撃というのはサッチモという必殺が一応世の中にはあると思わなくもないけれど。

アンチェイドメロディとかもその類いだろうか。

男と女が愛する時とか。

国歌のイントロもほぼ概ねと思わなくもないけれど。


2025.2.3

3:37

最近ヤフオク!で購入した、二度目の月野江すいちゃんのアダルトビデオでオナニー。

感度が凄くて、既にインターバルが短めでも少し勃起。百度目のオナホールに接近中のオナホールに射精したら直ぐにちんぽこが萎えた。

名作というより名人のご出演という、月野江すいちゃんだと思う。


17:59

早朝YouTubeでビルボード トップ100のアメリカ版と日本版を聴く。

日本版の歌謡曲というのは、数年前に水平線で、この若造らすげぇなと思った一つと、最近の名前はレオの優里さんのジャパニーズポップスを聴くと、他の歌謡曲も概ねそれらしいが、ほとんどカラオケが若造らはそれが歌えるのかも知れんけれども、とても宴会とか飲み会とかで歌う代物ではないのは、それまでの歌い手の歌唱力というのも凄かったが、口ずさむことすらも困難なほどの水平線というのは、カラオケからの逸脱、カラオケはもうようずみという新時代、ありがとうカラオケというシンエイタイの社会性に到達したように思う。

俗にキャッチーというか、いい曲だなという水平線が、やはりちぃにぃちゃんの、あの花が咲く丘での主題歌?は、この時代にまだ、これほどのいい曲が作れるのかと私に感心されてもだが、好みというわけではないが、すげぇいい曲だと思う。飽和知らずのちぃにぃちゃん。

観賞会時期に、宮部さんがタイムスリップしちゃって、ユリちゃんの時代じゃなくて、ユリちゃんのように、日清、日露戦争とか、西南せんそうとかに宮部さんがとか、宮部さんの奥さんの柔道十段とかだと、そこで恋をしないだろうから、難しいし、宮部さんがユリちゃんの時代にといっても、柔道十段が死んじゃってからの一応ドラマツルギーというかプロットでの推進力があるから、難しいなと思って思考停止したことを昨日のことのように一昨日思ったことを思い出した。


18:10

ふと、インターネットというものがあれば、カラオケ用をわざわざもう作るのは、それまでの先代の芸能に一任というインテリジェンスが可能だし、その自由主義の範囲ならば、社会性として、歌謡曲が発達してるかに最も着目しているほこりのしゅうだんてきしんかろwという、140年間以内の命のあだばなというなの命のおんがえし題のりょうりんというように思わなくもないと思わなくもない程度に思わなくもない。

名前はレオじゃなくて、名前はタロだったら超個人的に、歌える代物ではないその歌謡曲を歌えるように数分頑張ったかも知れないと思わなくもない。




2025.2「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」「オッペンハイマー」「新人 月野江すい AVデビュー」映画観賞会感想1

2025-06-14 12:03:08 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2025.2.1

まだまだ準新作だったが、レンタルDVD。

帰還を目指してた最中、陸橋にて、たまたま電車が高架下を通過した際に、スケートボードでは越えられるオーリーは私はないから、通常にジャンプで越えようとしたら、スケートボードに乗ってないのに、見事にスッ転んだ。凄くちょびっと膝から血が出てたが、久し振りに、それもスッ転ぶ用意もなかったから、ダイレクトにコンクリというかアスファルトってのはいてぇなと思いつつ回想しつつ書いてたら、越えるというより、フランキーのように電車の上に乗るということでは、スッ転んだのではなくて、電車の上にはフランキーじゃないから乗れないので、陸橋の上で、ちょいと時空間をずらして一応電車内にも乗れない身分では、上にも乗れないということで、陸橋の上に乗ったということだろうが、どうしても左半身で転ける。

本日初めてまじまじと、左の指のちょいちょいちょびっといてぇかもしれないことより、掌をちょびっとえぐった際に小指が曲げずれぇと思うことを精査してみてたら、右小指より左小指がちょいと長いなと思いつつ、曲げると掌側面が見事に曲がるというか食い込むなとぼんやり最近思ってたから、ちょいと掌の小指の関節と連動してると思われる関節を右手で引っ張ってみても意味はねぇなということを理解した。

今日は「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら」観賞会予定。

発泡酒とひねり揚げと夜用という高級シャウエッセンとポータブルDVDプレイヤーコーナーで万全の映画観賞会である。


17:07

万全この上なしで観賞会開始。

米がよく分からんが、それと芋とお吸い物で、ホタルの娘っこがサウスポーで、思わずチョンチョンと同じだぁと思い観賞会中断。

帝国軍人がイケメン過ぎるが、そのイケメンとホタルの娘っこのラブストーリーを主軸にという映画だろうか。

フィルムとは言わない時勢かも知らんけども、フィルムになみなみならぬ、よっぴきならぬ、とっぴきならぬ、のっぴきならぬ意気込みすら感じずにはいられない映画のように思う。

防空壕の印象派は難しい局面のように思わなくもない。

少なくても、健全なる青少年諸君、多忙なる青少年諸君の時代に即している部分は、特に斯様な映画とかでも適用可能ではあるけれども、その当時のホタルの娘っこの時空間ではよぼよぼはいるにせよ、ホタルの娘っこならば、受容が逆説的に可能ならしめる部分にぼうとうがあるというテクニックだろうかと思わなくもない。

ホタルは老けたなと思わなくもない。


19:28

ホタルの娘っこはゆりちゃんらしいが、ゆりちゃんが食堂に住み込み始めて、軍人の自己紹介終了まで観る。

石丸さんの一挙手一投足が、ほぼ老境の域に達しているように思うも、サントラを含めて、特にはじらというか、若すぎる人民と老けすぎる人民がドラマツルギーを誰もわからないことが断じてあるじろという目的が基本的に異なるそれはそれがある目的があるように思わなくもない。


19:39

第一次観賞会と第二次観賞会の間に、にゃんこ大戦争の攻略サイトで高評価をよく目にする、名前を覚えてなかったが、にゃんこスライム?とやらが、ゼリーフィッシュ?のようなのに進化して、波動攻撃が凄いらしいけれども、そのにゃんこ獲得までに必要なのは、他のにゃんこ、月替わりで最後のクリアプラチナチケットを私は無駄にせず、おかわりプラチナチケットという未知の範囲にまでクリックし、ゴールドカードというステイタスにも酔いしれ、三千円は更に一月遅れのスマホ代同時払いとしつつも、白フォノウと鬼にゃんまじゃなくて、ガックリルドルフ。

でも真田がすげぇらしいことを知ってるけれども前田と黒青はすげぇらしいんで黒青のよく分からないのが大当たりした。

黒青の無属性に強いのは、回復力というのか、早めに次の黒青を出しやすく、まだ一度ステージを行った限りで、ほぼ下側しか見てないが、なんとなく強ぇ。同じステージに二人の黒青のにゃんこが直ぐに実現した。

今回のコラボイベントは、魔女コンボがないと勝てないようなのを、攻略サイトの猛者は名前を覚えてなかったが、快足のヘッドバッキングにゃんこで、ステージを楽しんでねという、魔女コンボだと直ぐやられないまどか?ほのか?が、コンボがあるだけで段違いになったから、新しい方のほのか?を第三段階進化しないと、物凄くデカいにゃんこではない歯車のようなのが、ほのか?なしでは一度の最初しかどうしても勝てなかったが、中盤以降は勝ちづらいから、ほのか?の進化ステージで行うとして、ゼリーフィッシュがいなくても勝てるということでは、ネコエキゾチックとネコックマだったかのゾンビ対応版という険しい道以外にもステージクリアの可能性を模索していくべきとかでも、+量というのもコンボ並みに異なるように思うと、時短というか継続性なるものでは、スニャイパーとネコボンを使用しつつ、それでもにゃんこガチャガチャというのは、カオル君とカバちゃんをにゃんピューターダブルスでいかないといけなかろうと思わなくもない。マタタビガチャガチャとキャツアイガチャガチャはすげぇと思って優先してたら、レアチケットの数量化と基本にゃんこの+の数量化がよろしいと攻略サイトで最近読んでから、レジェンドステージでのex基本にゃんこのちびにゃんこも進化ステージが凄まじい難易度で、ちびにゃんこガチャガチャというのが少ないというか基本ガチャガチャにないからレジェンドステージ4が難しい。本能というのを合体重視で未だ一切使用せずに大切にして使用すらしないかもしれない本末転倒になるかも知れないが、それよりも、攻略サイトで最近知った、カマトトというののおみくじは、引くべきなのと、希少な名前を覚えてなかったが虹色のマタタビの種という、悪魔のマタタビは基本マタタビの種の合体らしいように思うも虹マタタビは獲得可能性があっても虹マタタビの種は暴風とか絶倫ということはないはずだが絶とかのイベントステージというエグゼクティブクラスに獲得可能性があるらしく、かさじぞうというのは、恐らくはそれなりに排出確率がそれなりに一度率ということがあるように思うほどすげぇにゃんこだと思うのと同じに、白フォノウ、鬼にゃんま、虹マタタビの種が無い、当たらない、足りないという基本が楽しみの一種ではあるという、やや変則的な文章力になってきたが、映画観賞会感想ページだから、当段落は生涯読み返すことはないだろうからどうということなかっぺ。


21.14

最近ちょこっと漫画アプリで漫画を読み始めて、ジャンプとマガジン、ヤングジャンプとヤングマガジンというのはメジャー級というか私でも名前を知ってる漫画が豊富だったしということを思いつつあると、サンデーの漫画アプリを金色のガッシュというのが泣けるようなので読めると思ったら読めなかったらしいか探せなかったが、うしおととらというメジャー級の知名度の漫画を読んだことがなかったので読み始めているが、サンデーとヤングサンデーは、リボン、マーガレット並みに読んだことがないなと思いつつ、昔、今日から俺はを二冊位単行本を購入したが、当時も1巻からとか、全巻だとかいうより、金銭面でもだろうけれども、1冊という思考回路だったので、続きを読みたいとか続きがどうなるんだろうとかいうよりも、その1冊を楽しんで読んでいたように思うけれども、漫画で全巻揃える身分でも柄でもないが、揃えたのはスラムダンクとエンブレムテイクツーと名前を覚えてなかったがムーンサルトがライン越えた漫画位あったように思う。

近年だとナルトとブリーチと蒼天航路は短期間で揃えて短期間で売却したか。

ジャンプだとサバイビー、キャプテン翼、キン肉マン、こち亀をそれぞれ数冊、ヤングジャンプだと押忍!空手部を数冊、マガジンだと直ぐに思い出せない。ヤングジャンプだとビー・バップとシャコタンブギとオナニー用にお天気お姉さん数冊。マガジンははじめの一歩は数冊買ったかも知れないし持ってなかったかも知れない。

進撃の巨人というメジャー級の知名度の漫画が、マガジン?ヤングマガジン?だったのを最近知る。ジャンプかと思い込んでた。

チャンピオンはちょっと大人だから、ちょっと大人になってから、クローズ、ワーストは全巻揃えた時期があった。

それよりも水島漫画オールスターズ漫画の名前を覚えてなかったのを全巻揃えた時期が前にあった。ブラックジャックは数冊と。アドルフに告ぐは中古で買って読んで読み終えたら直ぐに売却という、ほぼ読み終えたら換金感覚で全巻一時的に近年揃えたかも知れない。


23:11

インターネットで、にゃんこ大戦争攻略サイトの最強キャラを見る。

真田ほどではなくても前田も第三段階だと良いらしいので、早速足りなかった赤マタタビ獲得のためにステージをこなし、第三段階実現化。

後お風呂場で喫煙しつつ、ジョジョも数冊買ったなとか、湘南爆走族も数冊買ったが湘南爆走族を読み始めたのは車の免許取得後だったから、古本屋さんにあった数冊を時たま購入して読んでたなと思い出す。

サンデーでは、虹色とうがらしを1巻だけ買ったのも思い出す。

全巻揃いでの豪華版の時に、明日のジョーは揃えたのも少し経たないと思い出せなかったし、思い出す必要すらなかったが思い出した。

ジャンプでは、聖闘士星矢も数冊、リングにかけろを全巻、風魔の小次郎?風魔の小太郎?を全巻揃えたのも一時あったのも思い出す。

月刊マガジンだったと思うが、修羅の刻を数冊と、週刊紙とか月刊誌の漫画はほとんど購入したことがないかま、月刊マガジンはちょっとエロチック、今ならチンポコはうんともすんとも微動だにしないはずだが、お色気漫画もあって、それでも数える程度買ってたように思う。リアルタイムでシェイプアップ乱に勃起しつつ、オナニーを知らない時期だから、勃起してただけで、ジャングルの王者たーちゃんの頃のリアルタイムにはそのような漫画では勃起しないし、小学校卒業しちまってからこっそりアダルトビデオとかエロ本を買うまでは、びでおでーたのアダルトビデオ紹介のほぼ小さな白黒の女体でオナニーをよくしてたのもなぜかほぼ回想はそれが大幅な私の幸せな時間だった自覚が当時も今もあるからだろうと思う。


23:39

シャウエッセンは高級品だが、夜用シャウエッセンはどれほど高級品かレシートを確認したが、確かに高級品だが、シャウエッセンという高級品としてはそれほど価格帯としての高級品というわけではないと思いつつ、発泡酒と包装米飯と夜用シャウエッセンで観賞会再開。

1面お花の丘で少し涙ぐむ前段階で観賞会停止。

その思考回路をわざわざ書くほど落ちぶれてないから書かかないし、当ドキュメントのようなあくまでも社会性が含まれようとも個人的な記述の内容でも私は書くようなことは、こういうことにはあるけれども、相対性理論だとかリョウシリキガクは、そりゃぁ社会性でのそれは一言も記述出来る段階の根性が私はなかったし、これからも確実にないんだが、まぁのっけから、お花が人間としてどういう氏名があるのか知らんことも、難しい映画という印象というより目的と目的の普遍性という保険はかかげざることかかげるごとしと思わなくもないこじつけは出来るなと思わなくもない。

初めての夜用シャウエッセンが冷めちまうから、観賞会再開しよう。


23:49

観賞会再開した直後に、ホタルの娘っこが、心情の不自然さの演劇の吐露っこを、より逞しく、そして目的は別にあるという多様性として、ばぁさんの台詞のような、香りが濃いという、凡そその初見の一言というのを第一義にしているならば、ホタルの娘っこを、その第二次世界大戦そのものへの何物も語りもしていないこととかも、それなりにプロットにあるのかと思わずにはいられないことを使用して、単なる恐らくは題名そのもので、1面のお花でちょっと涙腺が緩みそうになりかねないことを使用というプロットだろうかと思う前に、夜用シャウエッセンを食べなくてはならないから観賞会再開しよう。


23:55

アキラとユリで、泣いちゃった。

確かに当映画は開始34分で私も泣けた。

書いてたら落涙。


2025.2.2

0:31

ハイタッチまで観る。

花柄論でのインナーフラワーでまたぞろ泣かせやがる。

書きながら落涙する前にと書いてたら落涙しちまったほど、涙が出た。涙脆くなったように思う。

最近はいてぇのもそれほどでもないという絶対条件で、それほどいてぇわけでもねぇんだが、口につくようになりつつあるから、拘りがなかったんだが、拘りにならぬ拘りに拘るということぐらいしか拘りが存在することのなかった私の拘りは、しかしいてぇ。ちょっといてぇ。

因みに夜用シャウエッセンは高級品だから、賞味期限が短いなと思った。

高級レストランとかのフルコースの賞味期間よりはなげぇなと思いつつ。