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2025.3映画感想7

2025-06-14 12:26:46 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2025.3.27

0:31

ニコニコ動画で「旅情」観賞会開始。食事会で包装米飯、ビックリプライスさんまの蒲焼き、ゴールドスター。

大陸の奴等で一等姿で語れるのはイタリアだなと思う。

キャサリンヘップバーンというのは、最近読んだブランカの読後感というほとんど意味がないというか意味が分からない意味を適用しちまうと、誰も己がないというか、ある程度基本としてあるブランカでもそれぞれブランカインフラが食事してたりセックスしてたりとか思いながらも観賞会してたら、まんもうというか、まだ何故か中国人横綱が私の知る限りいないと思うけれども、私ならば千代の富士が負けるのは気分が悪いんだが、これが子供の時期じゃないと千代の富士に勝った関取、時期としてはと横綱としてだと少数のそれにほぼ意味もない感情が芽生えて、千代の富士が負けるという衝撃というか刺激が強めになるだろうことでは、不自然さというものの超一流というか、それなりにデフォルメからナチュラリズムというよりはそもそもフィルムはナチュラリズムだったはずというかフィルム作成の段階でクラークゲーブルを被写体にするほどコストにおいてもクラークゲーブルにおいても風と共に去りぬはフィルムが既にあったとしてもそういう映画にしてもその段階ではないと思うけれども、凄腕の俳優がキャサリンヘップバーンの周辺でもキャサリンヘップバーンがどれほどベタなり下手なり巧くてもキャサリンヘップバーンというのは深みとかいうより安心感という視線的なアプローチがあるのでいかと思う。キャサリンヘップバーンに釘付けとまでは言わないが、キャサリンヘップバーンのタレントというのは、本質的なこととかすらも度外視してキャサリンヘップバーンを観ることに最大の目的があるような演技なのか当然キャサリンヘップバーンほど稀有というか希少というか他の人間と同じように一人っきりだけれども、もっと言うとキャサリンヘップバーンの何一つ思い出せないがキャサリンヘップバーンという深刻さを極力シチズンに与えない演技というかキャサリンヘップバーン以上に作品を際立たせるというかどれほどキャサリンヘップバーンが個性的であってさえも作品そのものというかこういうのは自覚とか無自覚とか作為とか不作為とは思えないけれども、開始30分程度三田限りでは、そのコントラストを最大限とした人間ドラマの映画なのかも知れないと思う。電車内から一歩降りた段階で旅行者としての体裁といううわぬりかかくしだまかはまだ分からんけれどもそのようなことの全体主義的な映画なのかも知れないと思って書くだけで観賞会時間を過ぎる感想会。


2025.3.28

2:57

昨日からにゃんこ大戦争がグラップラー刃牙にゃんこ版になり、早くもショボい版グラップラー刃牙にゃんこは揃えながら、あんまり面白くないというか好みではない旅情を上映時間残り20分程度まで観る。人知れずにゃんこ大戦争のレベル?というのを10000超えに到達。プラチナにゃんこチケット獲得。鬼にゃんましかうっすらと思わずタップしたら、黒青にゃんこ獲得。ふっとばし無効貴重にゃんこ。先程にゃんこ大戦争スケジュール表を見てたら、数日前に見て寝起きに思いながらたぶん夕方に起床した私を思い出した。

ジャイアント黒蔵という超生命体だと思うけれども、超生命体の黒に打たれ強いにゃんこは獲得してあるので着々とキャッツアイで育てている最中だが、そのスケジュール表を見た翌日の目覚めだったかの数日前は、ジャイアント黒蔵は黒じゃなくて無属性だったという夢見心地で、円盤のような黒に打たれ強い超生命体特効?特攻ではないな。特高はおぞましい。特高はと書くと語弊しかないな。特高もと書くべきか。当て字だろうかよく分からないが、無属性超生命体じゃ円盤にゃんこの意味がねぇとかでぱっちり起きた。計画性がある私は恐らく眠りから覚める前に思考回路が私が覚えてる私としてか、目覚める前のちょっと前しか夢を見てないこともなかろうが目覚めない限りは目覚めるちょっと前に夢見た夢しか自覚はないのか知らんけれども、ジャイアント黒蔵対策に真摯に正直に取り組んでる現れだったなと思う。

あと数日で読了するだろうトイレで読んでるだけの残酷な進化論では、アウステラロピテクス?活字化したのが初めてだから、アウステロピテクスでも一向に違和感ないし、アファなんとか。思い出せない。

足跡があったらしいところも数日前に読んだが、そんな読書中に、ナイキのスニーカーという足跡に、アディダスとか月星のソールなしの化石がほぼ近場に発掘された場合とか思ったり、取り敢えず指としては靴のような発達回避並びに発達別次元というか対応というようなことを思ったが、そもそも靴なしで地球に対応出来る人間ではないから、そもそも陸上にあってない生き物と思わなくもないが、昨日までで難産とか骨盤は読了。難産の箇所でちょいと書こうとして書かなかったことを思い出したし、それを書こうとして書き始めるつもりでもあったが、全く思い出せない。昨日までで難産とか骨盤は読了ということは、皮膚が黒くなったという進化か変化という段階とか線引きのは自覚とか知識とか整合性を一瞬も考えたり思ったり学ぼうとしたりしたことはなかったなと思う残酷な進化論の今んところ読み終えて思うのみの箇所になった。

直立二足歩行というのは、ティラノサウルスとかは直立ではないということだろうか。イメージとしては前屈みというか。卵だから難産もなさそうというか。

アウステラロピテクス・アファレンまで思い出した。


2025.3.29

1:36

昨日は夕方まで最高水準に幸せに一眠りぶっこき、起床後「旅情」観賞会終了とかもして充実した昨日だったが、YouTubeにも「世界の中心で愛をさけぶ」が観れるのでYouTubeで観賞会開始。お葬式での突然の雨まで観る。30年前位に一度レンタルビデオかレンタルDVDで観たきりだが、ワンシーンとか出演者とか物語とか一切記憶もない。観賞会当時つまらなかったという感想しかないままだったが、超有名映画にはそれなりにじゅきょうとしゅしがくがあるということを思って観るようなことはしないが、長澤まさみちゃんは、最近レンタルDVDしたマスカレードシリーズでキムタクとかもだし、容疑者Xシリーズというよりちぃにぃちゃん福山氏とか、50台ではないかと思う。あんな50台はまずいないというか、それで成立してはいるんだろうけれども、長澤まさみちゃんは当映画ではマスカレードシリーズよりピチピチはしてるがほとんど変わりなく見える。ぼくは明日、昨日のきみとデートする。のえみちゃんが高校生で小松菜奈ちゃんでも全く違和感すらないとしか思わないが高校生えみちゃんは小松菜奈ちゃんではなかったということに違和感があった私は、基本的には製作者の天才がないと成り立たないが天才しおりちゃんと共演したシラノさんがお葬式に参列していたのではないかと思う。似てるだけなのか、変わってないのか、九月の恋に出会うまでを短期間に10度程度見てる私はシラノドは分かる。それにしては、九月の恋に出会うまではそれほど昔の映画ではないから、シラノドは別人かも知れない。お葬式で主人公の男優さんが列に食い込む時の前衛はシラノドではないかと思うも、長澤まさみちゃんが全く変わりないということではシラノドは、九月の恋に出会うまでの出演時に50代?そりゃぁねぇだろう。シラノドも長澤まさみちゃんも高校生以下の年代で高校生極道かました映画ならば、当時長澤まさみちゃんもシラノドも小学生だったならば、シラノドは当映画で年相応の役柄というべきだろうか。


2025.3.29

18:45

「世界の中心で愛をさけぶ」観賞会終了。小学生が柴咲コウちゃんだったなんてびっくりという感性とかあるといいかも知れないけれども、30年前位に一度観たきりで、何一つ誰一人覚えてない映画だったと改めて認識したが、日本でいうはっけつカメラとか、YouTubeで微笑ましいのは永久保存版にしているじゃすとふぉーらふずなんてのもほとんどはっけつびようのせいふうぞくというかごらくというかというようなことをあきねぇちゃんが白血病だったんだろうけれども夢島というのが四国?にあるらしいのか映画限定の島なのか分からないがそこであきねぇちゃんが倒れちゃってからそのように思いながら観てもいたから、約30年前当時と同じに二度と観ねぇとは思うも約30年経てばどういう映画だったか再びてめぇはどういう状態であれそのような状態になる映画のように思う。

小学生がカセットテープへ手を伸ばした時がちょっと涙出そうだなと観ながら思った。柴咲コウさんも当時30年前ということは現在まで時間が進んでない肉体なのではないかと思う。それを言うなら映画そのものがもっと適当だということはあるにせよ。カサブランカはいつ観てもそれ以降変化しないとか。AIというので、往年の俳優をカサブランカとかならボギーを三船敏郎、イングリッド・バーグマンを志村喬で、七人の侍の菊千代をキャサリンヘップバーン、勘兵衛だったか志村喬役をヴィヴィアンリーとか、七人の侍キャサリンヘップバーン版とか、今年の七人の侍はローレンスオリビエ版だとかやる奴等いるかも知れないが現実的でもないかとか書きながら思うまま書く。




2025.3映画感想6

2025-06-14 12:25:41 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2025.3.20

0:11

将棋まで観る。

苦しい戦いになるなと。山本五十六が拘ったのは講和ということだろう。真珠湾前にドイツがロシアとやっちまってというよりロシアがあったというかロシアあるよというか。将棋指し以外でぎょくを吐けるのは長嶋茂雄さんか明治維新の一部だろうとも思う。結局より日本という社会性がそれなりに公家というか京都でも奈良でもそれなりに一部のえんせいたようせいでの知ることすらそれなりの階段というものが忙しいインテリやクソガキに賊軍というそれは何?というかが真珠湾に近いというか、それが活きたかというか効いたかという歴史性であって、国体が難しいわけだから尊皇攘夷という反転ともいえないけれども倒幕なんたら書こうとして、一応再び思考一時停止の礼儀作法を用いる。こしぬけふやすとろくなことはない。時限爆弾ふやすトロくなこともない。こしぬけのかずほどこしぬけになるだけのいっせん。思考停止を怠ると少し饒舌になる。スマホの画面では四行だが四行は饒舌に入るだろう。


0:42

山本五十六が干しいもを頬張る場面まで観る。

正確な記憶が甦る。益子町で食べた干しいもとイナゴの佃煮?のふたつはこの世にこんな美味しい食べ物があるのかと思った。私にとっての益子町はお年玉しか興味が全くない町だったけれども、イナゴの佃煮ってこえぇなりしてんなと思う。カルビなんてそのサイズの牛ならば一々カルビにさえする必要もなく牛の状態で蹄とか角とかはそのサイズならカルシウムと食感になるサイズだけれども、皮膚が問題だから

内臓もだろうな。食べられる内臓と食べられない内臓がといってもそれはサイズだから問題ない。はずである。

では焼肉屋さんで牛さんの状態で焼肉屋さんが繁盛というかデートなり家族サービスなり地域社会活性化なりお付き合いというなの焼肉屋さんランチはそれがあるのはまだましな奴等として、牛の状態を楽しく焼ける、そしてそれは本質的よりじょういではないかいとしてそもそも牛を食べて生きてきてないように思うけれども、残酷な進化論では魚類という本質的なものならば牛はいなかったわけで、牛を食べるとかいうような問題以前に誰も牛ではなかったと思う。

すっかり何を書こうとしたの忘れた。それなりに少し書くことはしてる程度はあるけれども。山本五十六のお姉さんの手紙は泣けなかったが少し泣ける場面と思う。

魚類という線引きならば、より原始的な我々を我々は食べるというべきか。逸脱という進化が、日本人は生魚で食えるのは食うが火力という進歩によって先祖返りして再び魚類を食べるようにしかなりようがなかったということだろうか。謎の反転である。

魚類という進化論ならば、地層しか思い浮かばないけれども、地層前というのは無いのだろうか。海底になる前というか。海底が先ということは考えずらい。海底というより海中か。雨が何時から始まったかとかもあるんだろうけれども、海水が干上がらない原理を知らんかったなと思う。


2:14

お風呂場で喫煙しながら書いたことを思う。というより呟く。蹄と角はカルシウムではないのではないかと。少しあるような雰囲気はあるというか骨色ということでは全くないのか少しカルシウムというかリン酸カルシウムが失われて初めて作られるというべきなのか。何れにしても骨色のように思う。イッカクというのがいるらしいが、魚類に蹄は無駄にしても角が発達しなかったというのは土俵の有無だろうか。同種同族へのそういう発達がなかったというか。ミジンコに求愛だとか断固拒否だとかいう類いはなさそうだし。メダカの兄弟は兄弟同士さえお互いが分かるのか疑問だが名曲の類いだと確かに哺乳類になりたいと進化論の歌詞だったのかも知れないと残酷な進化論をトイレで読みながら思う今日この頃である。

アナゴの兄弟はうぅみのなかっ

おおきくなったらなんにぃぃなるっ

おおきくなったらドラゴンにぃ

というような即興で替え歌を思ってみても、海中で飛翔能力というのは発見されてないか進化前か、昆虫、鳥、コウモリ、後一つ数時間前に読んだ知識を失う。

他に飛べる奴等いたか?

翼竜だ。

1分かかったな。思い出すのに。翼竜見当たらねぇから忘れちまった。

地球から飛翔能力で宇宙に行けた奴等を知れないというか化石にならんというか運良くか悪くかお月様に到着した奴等がいて岩場なりでもとても重力がその躯体をひっぱり続けられるとは素人考えでは思えないし、それこそカブトムシくらいに頑丈な肉体で、ぶ~んとひとっ飛びかましてたらお月様なんぞに化石になりようがないようにも思う。地球を出た奴等がいたということはナンセンスだろうか。飛べなくてもいいというか、宇宙で羽?翼?飛翔能力というのは不要というか目的地の問題だし、それを言ったら今のところ食生活が不要でないとというか低脳で突き詰めると各宇宙を地球に引き寄せられることが手っ取り早いというか食生活は地球で宇宙から来いよというか、お月様が大好物とかほっかほかの太陽ったって宇宙にひとつしかないから食べたら終わりになる。大好物のお月様を生産出来て初めてその種が種として数になる。自然の脅威とか生命大躍進とかだと、クソガキどもが海中でも生きられるというか津波だろうが地震だろうが癌だろうがと共にお月様でも生きられるというような万全な体制、隕石はデコピン程度であっちいけよ程度の肉体だとかは進化にならんだろう。タンキケッセンである以上とか思うと禿増すから礼儀を重んじる自己欺瞞に酔いしれようと思い思考は一時停止に踏み切る。

これが果たして映画の感想としてか新書の感想かすら既に忘れたが少なくても映画の感想でも新書の感想でもないのではないかと産まれて初めて思っちゃったかも知れない。


8:35

ガダルカナルは終わったと一言で片付ける代物でもないがガダルカナルは終わった辺りまで観る。

ふと本日は晴天なれど山本五十六はこしぬけか?を自問自答するんならてめぇを自問自答しろという問題にもなるんだが、大和でくたばらんというのはもとから白けるとは断じて断言は避けるべき代物だが、あしばっなんばぁわん、ぎょうかいれんたるなんばぁわん?というちょいとキャッチィなコマーシャルがしつこく流れる公告収入は恐らくは二の次三の丸という社会貢献に都合よければということだろう。

シックスマンスというのがあったが、両刃之剣というよりというようなことを思っても意味すらないが、油がないというのは知らなかった。大和に油がないということを。大和の巨根から一発も撃てなかったかというより問題は空母だから飛行機に巨根からのザーメンをぶちこむ

怒られる書き方でござる。

私が怒れるということがげんざいだが。

山本五十六に怒られる心配はないから問題はない。大日本帝国海軍に怒られることもあり得ない。問題は山本五十六が私に怒られるのはげんざいあってだから怒る怒られるという基本がないことが絶対条件でござる。リアルタイムで山本五十六を、特に日米開戦で怒れる日本人は、怒るということに目的と結果がある日本人はいなかっただろう。そもそも山本五十六分からねぇはずでござる。山本五十六は私を分からねぇから問題はない。

日米開戦がなかったとする。

禁断の論理。昨日から私は昨日だけ礼節を尽くした思考の一時停止という手順を怠ってないとまで書いてどう転んでも下らん書き方にしかならんからもういっちょ思考停止という無礼を働いてみる。煙草吸いたくなったし。


9:38

観賞会終了。

私の短小がザーメンを吹くのを感謝すべきかは問題外として、製作者一覧を全て見通す礼節を怠って観賞会終了したが、私でもお名前は存じてる宮本信子、瀬戸朝香、袴田吉彦、後はお名前を思い出せないけれども、いったい何処に出てたのか分からなかった。最後のお歌はいい歌かと思いきやあまり私は好みではない。率直に申し上げる機会がなくて光栄です。年配者の人々にいちゃもんがはいらない最善歌のように思わなくもない。他の映画知らねぇですますようなのは特に。半藤一利さんの原作だったらしいのと、題名は連合艦隊司令長官 山本五十六だったらしい。落ち着きのある映画だと思う。最後の山本五十六の場面は、恰も補聴器の調子が悪くても問題はない映画を安心してご鑑賞下さいと語りかけているかのごときでござった。




2025.3映画感想5

2025-06-14 12:24:48 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2025.3.18

19:28

一眠りを断片的に積み重ねてる本日、食事会と共にワールド・トレード・センターだと足りない脳ミソがてんぱって禿げがますばかりなので、もうどれほど書いても99.9%以内に収まる替え歌を寝起きに目覚める。

メダカぁのきょうだいはかぁわのなかっ

おおきくなったらなんにぃなるっ

おおきくなったらきゅんきゅんにぃ

おおきくなったらきゅんきゅんにぃ

きゅんきゅん

きゅんきゅん

きゅんきゅん

きゅんきゅん

と一節詠む。

尤もキュンキュンですらクソガキにあってはならないということが私のようなただのおっさんのはげちゃびんにはないんだが、最近トイレ限定で読書してる風を装っている残酷な進化論、名著と言ってもいいだろうけれども、当時のクソガキは目玉が三つあったという線引きというかの前に能書きこかれてた一節は電車内では読んでは危険というか身の破滅というか先ず笑っちまうやつには笑いが止まらない筋だと思った一節を忘れた。思い出せない。進化というのを本質的には時間よりもこしぬけということにしか思わないようにすらなりつつある瀬戸際なので、クソガキどもに三つ目の時期を必ず届けるにはどうしたらよいか、要するに進化そのものがくそくらえでしかないとしか思わないというか思い込まないタイプなのでクソガキが三つ目ならば鰓はないと意味もないというか陸生でプテラノドンからの脅威などがあれば三つ目でもとか思いつつ、Dailymotionで最近見つけて観れたら見ようと思うか思わないかの瀬戸際だった連合艦隊総司令官でなくて連合艦隊司令官山本五十六観賞会開始。最近読んだ新書で半藤下のお名前を忘れた。半藤さんが長岡産まれだったか疎開先だったかも忘れた。たまたま読んだ峠で名前忘れた。河井継之助だな。長岡=河井ごむごむのガトリング砲継之助だが、山本五十六がいたらイチコロだろうけれども、峠というのも映画化されたように記憶しているけれどもああいうのは見るに耐えないというか西南戦争とかもちょっと見るに耐えないけれども、不意討ち扱いはしねぇが、水まんじゅう?という食物が長岡にはあるらしく、士官だろうけれども新米が母親が作ってきましたという能書きのこしぬけじょうしにこしぬけのように涙腺がゆるんだということを書くのに随分数分前の思惑と異なる書き方にしかなってないことの真意を忘れた。


19:58

お風呂場で喫煙がしながら思う。1%以内だったなと、半藤一利さんだったなと。

それだけ思ったことを書く低能の典型だなとか書いてから思っちゃたじゃん。


20:03

観賞会再開。空母?での飛行訓練というエリート中のエリートどもの場面を観つつ、dailymotion版は英語字幕なので、長岡にある食べ物水まんじゅう?を山本五十六元帥にまだなってない山本五十六のていすてぃにしろでりしゃすにしろ、敵国後というのに苦笑いはしてしまう。うまいが英語に出来ないんだろうというか、標準英語なるものでもあるが、ファッキンランチとかでもオーマイガッでも真贋知らんし葬送のフリーレンであるところのフリーレンの師匠のおなごがおっさんにすらなるという夏目漱石のアイラブユーということでは、ユアマザァイズクレイジーウェルとかちょっと思う。山本五十六元帥前の山本五十六さんとかは概ねその水まんじゅうはやくざごとというか真贋はなかったのではないだろうかとか。水まんじゅうの美味しさを演じるということに命のていすとをかけるだけというか。冒頭の226のはなだけがあったのは知らなかった。そういうのはそれぞれの現場であったんだろうけれども。その現場に室井さんいた。


20:38

居酒屋でのなっちゃんまで見る。伊武たけとうの漢字を忘れたが、一言も台詞なし伊武たけとう映画すげぇなと思ってたらワンフレーズ伊武たけとうだったのもすげぇな、オールスターキャスト?豪華俳優陣?でほとんど知らねぇ。近藤サトさんの旦那様とかもワンシーン、阿部下のお名前忘れた。香川照之さん、見たことはないがヨンソバンとソヒョンバンにおなごは出てたのだめカンタービレに出てるはずの超イケメンは一目で分かる。そのお名前は分からない。柄本明さん、山本五十六元帥前の山本五十六の奥様も映画内で見たことはあるような大女優?のお一人のように思うもお名前が分からないし、私には最早拷問に近い正座で山本五十六元帥前の山本五十六以外だと思うけれども最後に高級魚の肉片を授かる奥様だけのシーンという贅沢な映画だろうか。


2025.3.19

約4年ぶりに夢精した。気持ちのいい目覚めだったがそのまま眠り先程起きる。最近夢精をしてなかったので起きる前にパンツを確認して、夢精の夢を見てたわけでもなかったなと、トイレでおしっこしながらパンツを履き替える。


2025.3.19

12:44

本日起床たぶん12時頃に書いて時刻を最近書き始めてかけてたのを読む。

夢精前に数日前オナニーしてあるから、一週間以内ではふにゃちんの状態で101回目のオナホールのようになりつつあるオナホールへ射精ということになるとしても、やはり夢精でもうっすらとちんぽこは然程勃起してなかったように思う。夢精すらふにゃちんの状態で出来るということは進化にそぐわない状態だと思う。進化、人類ということならば、タンキケッセンでなるべく早めの性交となるべく早めの出産、出生、なるべく早めの成長という、こしぬけそのもののプロポーションをこしぬけとして行い続けていくことということからの逸脱のきっかけのなさが、勿論基本原理としても食物連鎖の原罪という文明というのが人類にしても、七人の人類に侍の生まれるきっかけのなさしかないのと同じように食物連鎖に依存していきてた現在の哺乳類は、食物連鎖に依存してうまれてきた、うまれてきたいという哺乳類は未だ嘗て一人も、一匹もいやしねぇわけで、うまれたいと思われるような地球でないことは火を見るより明らかなり。問題は地球でなくても哺乳類にも、うまれたいという目的でうまれる能力がそもそもないということにうまれるという原理があるということに進化していくだけという進化の論理というよりエネルギーだろう部分、せいふうぞくとかせいびょうというよりせいじゃの論理。1秒前ですら失われた1秒のためだとか過ぎ去った1秒を生きるだとかいうことが困難でもあるというだらしなさ。1秒の積み重ねほど人間に必ずくたばらせる殺人平気時間というりょうしんのきっかけは時間にはりょうぎせいすらない以上可能性の有無というよりはそういうやつらではないわけだから、殺人平気時間言葉をより適正且つ言葉によって定義すら完備しちまうとこしぬけだが、時間が解決出来なければこしぬけにしかならないことにある側面は存分以上にこしぬけとしては発達は大昔に遂げていたと思うか思わないかの瀬戸際として書くのがとめどなくなってもあまりいみがないから止めようと思うか思わないかの瀬戸際。


13:08

数分ではまだまとまらなかったが、クソガキが46億万歳としてもそれこそ哺乳類というような問題にならないというか長寿国家なり長寿大国なりにしても宇宙が長寿にあわないというよりとても哺乳類としてというか進化をあるいみでは完全に退化と呼ぶしかない進化にしていかないと進化にならないことが進化ではないかというようなそういうのを読んだことはないが低能で思うか思わないかの瀬戸際だと思うか思わないかの瀬戸際の状態にしかならないことで思うか思わないかの瀬戸際を一先ず止めようと思うか思わないかの瀬戸際。

勿論りょうしんなんてのは、てめぇらのクソガキそのものというタンキケッセンとしての進化の具現化という140歳以内での進化という長寿、140年前と140年後というげんざいとのきょうぞんきょうえいけん。だいとうきょうえいけんにしても、毎日英検があるはずがないのと然程本質的相違は見受けることは困難というよりそういうことは哺乳類の本質ではないと言うべきか。

人類が仮に時間を征服なり克服なり加工なりでも出来たとしても、目的がそういうことにあるかないかとかは、人間そのものが141年目に目的がそういうことにあるかないかを人類としてという目的としてということに、クソガキの目的すらモダニズムに存在しないさせないもちこませないという、クソガキの命の冒涜という甘え体質人類。


21:57

トラトラトラまで観る。

ニイタカヤマノボレはきょうびの日本人はそもそもイメージにならないのではないかと思う。

では本日晴天だから富士山高しはあるけれども、富士山登れだと、いつまでたってもマイノリティとリミテッドに依存しなければならない。小学校で富士山登れなどという暴言は一人も吐くやつは未だいないだろう論理である。

そんなことを取り留めもなくお風呂場で喫煙かましながら思ってたら、エベレストの山頂というのは行政区画というかキョウカイセンというのはどこか知らんなと思った。まともな脳ミソならばエベレストは数百メートル登ってから反転しなければ反転する意味がなくなるほどではないかとしかイメージとしてはない。エベレスト登るのに飛行機乗らないといけないからこえぇけど飛行機の乗車賃(飛翔能力あるぶっ飛んでるのに乗ることは乗車とは言わないか。航空代?ロケットではないから車輪は反転の目的が必須である限り今のところあるはずとしか思えないけれども。どちらかというとそれは既にそれなりに昔から整備だとかだろうか。ヘリコプターに車輪があるということはよく知らんけど助走とか軟着陸?相殺?反作用?というようなことよりはクッション?陸地での移動?胴体着陸あるべからず?)は稼げないから心配ない。お祭りでもない限り謎の袢纏とか謎の斑点とか謎の飯店とか四文字熟語だけに留めておけば面白いと思わなくもない。


23:09

国益はよく知らんけれども、例えば真珠湾が日本側からならば、ブータンとかならばそれでイチコロだが、そもそも真珠湾がブータンにないんで意味がないんだが、沿岸、アフリカとかアジアとかはそれは言語を絶するなとそれ以上を空想していくほどの学識もなかったなと思うと礼儀正しく思考を一時停止しとこうと思う。


23:14

礼儀正しく思考を一時停止した。




2025.3映画感想4

2025-06-14 12:23:59 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2025.3.15

0:57

ワールド・トレード・センター特典映像の人々の犠牲観賞会終了。〆のオリバー・ストーン監督の時に、オリバー・ストーンより盲導犬オリバー完全版観てぇと邪な思いを自発的というか自嘲気味に思う。

因みにちょっと前ににゃんこ大戦争でレアカードでときたま当たる超激レアにゃんこで、超激レアにゃんこが当たる。それでもやはりもどきでも鬼にゃんまが当たらない。鬼にゃんまは強いから困難というか創意工夫がなくなってしまうという諸刃之剣として当たることを夢見てやってるのが華というべきかも知れない。強いらしいネコムートは個人的にすぐ死んじゃうというかワンパン?攻撃すら出来ずにただのたれ死にと思ってたら、それほど強くないステージだとネコムート死なないなと最近思う。


1:13

特典映像の続きを見る。題名は読んでなかった。本編にも効果的にあったがエレベーターシャフトが凄まじい頑丈さの件があり、私は今まで、エレベーターは乗るたびといってもそれほど過言ないほど、乗るときにエレベーターが落ちたら体がぐちゃぐちゃだなとか、上手く乗れても落ちねぇかとかしか思わない質で、あまり前向きな思考回路がなかった約半世紀だったなとエレベーターだけでも思う。高台家の人々のようなユーモアのある妄想力は今までも今もない。頗る別嬪、近年の私のトレンドだとバックストリートボーイズであってさえもエレベーターそのものの存在が凌駕すると断言するような心配性な私はなるべく、出来るならばぱっとエレベーターの地べたに移動したいがおくびにもださず、エレベーターにびびってねぇよと思われたいかのごときでしかエレベーターに乗るようなことはなかったなと思い出す。エレベーターもそろそろ乗る身分にすらならなくなったが。


19:52

YouTubeで諦めるという文字が私の辞書にない盲導犬オリバー完全版映像探しで、盲導犬コニーちゃん最新版で落涙。コニーちゃん以外の食卓でのお父さんのうまいだかおいしいだかに娘さんの普段言わないのにねぇというのが幸せなもんだとそいつらより視聴者が思えるだろうと思いながら、コニーちゃんに会いにいったのがアナウンサー?で、てめぇかよと心で小暮さん一家が会いに行けよと思った心の狭い感情、真情しかなかったが、コニーちゃんが幸せかという確認という重責とお節介としての大役をお茶の間に届けるということでは小暮さん一家だとお茶の間が大洪水になる危険がある以上、アナウンサーという節度と調和ということだとタップしながら思うか思わないかの瀬戸際である。


21:51

先程無料ダウンロードしたかった小田和正さんのラブストーリーは突然には聞いたときすげぇいい曲だと感動すらしたのを思い出したが、感動したということの言葉にできないというのは140年前後とか140km前後の大前提ではあるけれどもオフコース版はそれほどいい曲というかソロ版がもっといい曲というか明治安田生命のコマーシャルのためだったのか比率としての前向きさを受けとるとか汲みとるとかの人々のときどきもあるんだろうかとか思うか思わないかではあるけれどもコマーシャル版で短い版と長い版の違いがよくわからずだが長い版を無料ダウンロードした。最後のいまぁっ あなたにあああえてぇ ううぅ ううぅ ううぅという部分はいい曲というかいい声だなと思う。レオといういい曲のミュージックビデオに言葉にできないでも泣ける奴等とか時期の人々は泣けると思うと小田和正さんの声とか森本レオさんの声というのは心が穏やかになる場合とか時期とか枠があるように思う。


2025.3.17

2:18

昨日はお昼過ぎから一眠りぶっこき、夕方ちょっと起きて一眠りぶっこく。

先程昨日見付けたというよりは遅蒔きなが知った電車内での鉛筆?での肖像画の超絶技巧をYouTubeで観て何度か観る。その流れで電話で笑ってるだけのおっさんの動画につられて乗客が笑うのをタップして観る。先程改めて観る前にサプライズのスペルがあやふやなのでサプライズが道具の方になっちゃったりしつつ、リユニオンでは落涙したが、電車内で笑ってるおっさんと乗客にも落涙した。笑って。数年前にスケッチというのは英検1級への努力をしない私はスケッチはよっぽど努力しないなと思いつつ単行本なりを一冊は読破しようと思うも数百円で購入出来るようでもなかったから買えなかったが50年以内にスケッチを学べたら学ぼうと思わなくもない。


19:57

YouTubeで数日私にとっては新鮮な動画の電車内で笑ってる関連動画も少し観る。

花嫁の笑いも落涙したし、コカ・コーラ?のも落涙したが、ニュース番組でのあるいみでは事故という無傷とはどういうことかというか無傷はあり得るかというのはさておきすぎても、のっけの後ろ足がない一匹のこぶたの動画でのキャスター?の笑いに私もこれは笑えないという基本線はありながらも笑う。数秒考えるとこぶたが笑えればけっこうなものを、こぶたと笑ってない以上事故というより、不謹慎というより、こぶたと笑うことができない以上笑えないじゃないかと自問自答してみる。そんなことを更に数秒考えるつもりでいると、そもそも残酷な進化論の共存共栄という生命論理でのたった一旦を思うと腸内細菌は笑うということまでのそれが進化かどうかはこれまたおきすぎといて、あらゆる進化がそもそも進化の基本がよくわからずに進化していくというだらしなさと思わなくもない。進化とともに更に進化も相性が悪いどころではないという側面だとか。進化というのも基本でもないというか。目的というか。進化していくことは出来るよねというか。進化そのものに抗うとかいうのも哺乳類そのものの本末転倒がより発達していくように思わなくもない。


22:15

ワールド・トレード・センターの映像特典の映画紹介以外は昨日までに全て観賞会終了し、本編のオリバー・ストーンコメンタリー版の観賞会開始。バーンズ?肩書きまで覚えてないが元海兵隊?で現会計士?がオリバー・ストーンコメンタリーの言葉でもニュース映像でたった一人臨戦態勢に突入という教会まで観る。昨日だったか個人的に替え歌というのはしないが戦争を知らない子供たちにおいて、クラウゼヴィッツにしろ孫子にしろモルトケにしろ戦争を知って生まれる能力はもともとないというよりも、荀子は善を知っていて生まれるというより戦争と同じ水準で善を知るということがどういうことか、クラウゼヴィッツも完全に読んでもいなければ読み込んでもいないまままだ生きてるが最早戦争を抱えていない人間というより哺乳類というより生命体なるものは存在の定義すらもともとないし、戦争を知って死ぬ人間もいるはずがないしとか今のところバーンズ軍曹?一応離れ小島の小猿論理ではバーンズ大佐ぐらいに呼んどこうということにしてそこまで観賞会した

書こうとしたことを忘れた。

バーンズ大佐役の俳優論でのクリストファー・ウォーケンはなるほどと思った。

バーンズ大佐がポリティカルだろうプロットとかでのポリティカルが分かるポピュリズムをポリティカルとして見離された瓦礫を理解出来たということが層だろうというか。

昨日だったか個人的思考回路でエレベーター特に乗る瞬間落ちたら体ぐちゃぐちゃになっちゃうとしか私はほぼ思わずにエレベーターを乗るときは思い続けてきたが、そんなのもてめぇの論理で、人々だとか国民だとか人類だとかという対象というか主語だとかは毛頭頭にないから、生まれついての個人的極楽への欲望のようなもので、私以外の何人がエレベーターでどうこうということを一切思いもしない典型的な独占思考回路主義の権化たる私はほぼそういう思考回路しか基本ないし、今この瞬間ですらエレベーターに乗る瞬間という人々を知る能力もないしあったところでエレベーターを乗る瞬間しか知らないというあまりにも意味がないと言い切れないが、それ以外よりはまだましな部類ではあるとしか思わないけれども当映画でエレベーターシャフトというのが基本からして意味不明な部類でもあるから単純に個人的エレベーター論を思うとエスカレーターにしてもエレベーターにしても乗り降り、乗車といわなくても乗ってる時はマフラーだとかレッドカーペットと同じドレスの長さは脱いでからとか外してからということじゃないと安心した世の中ではないのではないかとか思わなくもない。ワールド・トレード・センターが容積ではなくて建ぺいになるとそれもまた二階建ての一軒家にしてもアパートメントにしても時間と距離の圧縮が出来ないということもあったのかとか、ちょうど残酷な進化論でダーウィンの件で安定性進化と忘れたというか覚えられなかったな。身長論だったが背が低くなるという方、要するに生存には基本当たり前だが適しているというかの。全体で個人がよくなっていく言葉通りの多様性という部分を少し思うと、それは生産ラインがあるということに比率がかかるわけであることもあって、生産ラインがないだとか新書にあった基本原理の取り組みの一部の輩が原始人化という運動もあるらしいが筆者は海をもってこられていたが、そこで私は海からならばなぜ哺乳類の陸生はプルルンお肌ではないのか。ちんげにしろまんげにしろ飛ばないか地球の両極端に棲んでも肉体のみの進化ではなくおけけとかファシズム、誰も人間の毛皮を着てステイタスに浸る奴等はほぼいないだろうし地球でならば海にいることの方が建ぺいにしろ容積にしろよろしいわけで、如何せん空はただようという基本原理というか生命体の進化そのものが恐らくは人類が目指すとかという固定観念というより、今のところ馬とセックスしてその子供、セックスした人間と馬というより本質的に人間と馬の人馬を産み育てたいと思うようなのはいないだろうし、体は馬でちんこだけ人間とか、

おしっこしたくなったから途中でもどうでもいい能書きだからここまで書く。


23:51

一眠りぶっここうと思うと、バーンズ大佐はプラトーンのトムベレンジャーが演じたのがバーンズ大佐?だったように思う。ワールド・トレード・センターのオリバー・ストーン監督曰くクリストファー・ウォーケンのような俳優さんの役もバーンズさんだったということだろうか。




2025.3映画感想3

2025-06-14 12:23:01 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2025.3.13

1:32

ぼくは一昨日ならば明日、スマートに書くと昨日、110円で葬送のフリーレンの単行本を探しにいって、先ずは「ワールド・トレード・センター」が330円だったので観賞会終了後にメルカリとかヤフオク!で出品しても売れる皮算用で150円位で観れるなと手に取り葬送のフリーレンを探すも小学館コーナーに全くなくてすげぇ人気か紙では中古になるほどの需要とかではないのかとか思っても恐らくは漫画の雑誌枠か少年、青年の枠の陳列か、どう思っても葬送のフリーレンは少年というより青年、少年コーナーにあったと思うし110円ではなかったが330円で5巻までまとめ買いしたが、漫画はゲオのレンタル漫画で最近というか年末年始付近だったかに12巻までだったか一気に読んだが、当初いいお話というグルーピングでは入る部類だと思ったが、断頭台のアウラだったかの、独房への訪問者と天秤座とのフリーレンは見せ場に入る部類だと思いつつ、最近はフリーレンの眉毛というのは革命的というか独創的というか、そもそもエルフということではお耳が革命的ではあるし寿命も革命的だなとか思いつつ、二度目の五巻まで読了して一眠りぶっこいた今の私では、ヒンメルに会いにいくということが目的というか元悪魔城だか元魔王城でのヒンメルとは異なる今のフリーレンが目的としてでそこにヒンメルとコンタクトがあるかないかということなのか、既にそのお城にヒンメルは、そしてアイゼンとリヒターだったか僧侶のお名前がちょっとよく覚えてないが、彼ら三人には意味がないこと、意味がないとき、意味がないばしょに、フリーレンは彼ら三人の意味がわかるようないろじかけがあるのかも知れないとか思おうとして先ずは思う。


2:27

「ワールド・トレード・センター」について書くのを忘れたなと思いながら二巻をトイレで読書。少年サンデー掲載作品らしい。ジャンプよりマガジンとサンデーは大人になってからの漫画だから先ずはジャンプというかジャンプを読みながらよゆうとゆとりがないとサンデーとマガジンを読めない時期もあるのではないかとか思う。

「ワールド・トレード・センター」の何を書こうともしてないが書こうとしたことを忘れた。書くのも忘れ、書かなくてもいいことを書こうとしたことを忘れた。

子供ではないが、忘れたのでトルコ大地震で少女が四日瓦礫?で生き延びたという会話が劇中にあって知らない歴史だったが、これが、ばばぁが四日目に救助されたとかだも美談になりずらいのはどういうことかを少し思う。寿命の時間の可能性として、139歳の少女を救助ということの本質が難しいというよりそのようなものが不存在ということだろうかと思わなくもない。


2025.3.13

15:58

にゃんこ大戦争で鬼にゃんまは当たりそうもないから鬼にゃんまにとっても似てるホワイトデー鬼にゃんまが当たるかも知れないガチャガチャを二度回せるネコ缶まで貯めてあったのでタップ。超激レアが一匹も当たらないことを思えばだぶりんしみんしかも二連発でしょんぼりるどるふになってもと思うも鬼にゃんまもどきも当たらなくてしょんぼりるどるふ。300円位のチョコにゃんこのようなのとレアカード1枚セット販売されたのでそれは購入しといた。地底イベントというので10匹にゃんこをどこまで揃えられるかでは60階に到達しそうなところまで行けた。

もどきすら あたるもひゃっけいにゃんこひゃっけい。

でもにゃんこ大戦争攻略サイトでは鬼にゃんまもどきは凄く強くはないらしい。ノックバックというのがゲームバランスだろうか。鬼にゃんまが全能力あればそれこそ凄く強いわけだが攻略サイトで凄く強いネコムートはほぼ私は使用せずに宇宙編までをクリアしたが、ネコムートはレベルが上がってると少し長寿になるなと思うまで必要なときは過ぎて、あいどんとざしんぐうぃっちあいにぃど。ネコボンバーとかネコアップルとか短命でなにもできずにステージが瞬殺されること屡々でも各一匹でも持ちこたえるステージの違いがよく分からないんだが、メタルはそれなりに運というか確率というかゲームの要素が強めだなと思うメタルアザラシ一種だけのステージも、城とドラゴンはもっとなんとなくよりりぃずんのしぃずんが強めで、にゃんこ大戦争にそういうのがあったらもっといいと思ってた私は、その特に相性の発展というかは面倒くさいなとしか思わない段階ではある。よりやりこみ要素という部分というか。


2025.3.14

21:41

昨日だったか「ワールド・トレード・センター」観賞会終了。特典映像を観始める。

観賞会前の数日前に行い始めた城とドラゴンでは本名のネームから、一度も愛したことがなかったセツコという柴犬もどきの犬が間違いなく死んじまってからでも数十年程度経ってる今ならば、素直にアイラブセツコということはどういうことか思うだけすら価値はないがアイラブセツコにハンドルネーム?ユーザーネーム?を変更してみた。犬なんてのも基本原理が一切なければ幸せな奴等というか特に魅力的なのは他者との喜びだとか他者との繋がりという部分だけならば、例えば発達したおやっつぱぁげぇむらしゃかいならば飼い主と飼い犬或いはセパレートとしての家の論理だとかだと、ヒトもイヌも各一体型としての時空間を全う出来るのはヒトではなくてイヌではないかと思うけれども、イヌが目指してもヒトが仮に蟻だとかコレラだとかの命を大切にしていくことになるにはどちらも手後れというような基本原理にないお互いだが可能性がかけてる。例えばマグロがヒトから愛されれば、保健所?とかでのペットのタンキケッセンとしてマグロを殺処分というサイクルスポーツセンターならばトロが食いやすくなるのではないかとか、そうなるとそれはマグロを愛するというよりはヒトのためにマグロをペットというより養殖の範囲にしかならないなとかアイラブセツコに城とドラゴンでてめぇの名前というより愛着だとかもほぼないながら付けてみたら思うか思わないかの瀬戸際である。

youtubeで好みの曲と同じ画面?にあるお歌を少しタップして聴いてたら、LPという全く見たことも聴いたこともないヒトの歌が目にとまったので聴いて耳にとまって無料ダウンロードした。ハローというのもすげぇ歌唱力がわからねぇほどすげぇように思うけれども、ビヨンセのハローも聴いてみたらテンションが特に美貌が先立つにしてもストロングというべきかのせいいきでせいいきになるというのは篦棒な歌唱力のように思うのでLP版ハローもすげぇと思いつつマディウォータースのはっ?ふっ?というのがちょっと好みの歌声の個人的トレンドの現在。

アークティック・モンキーズというのも昨年だったか初めてYouTubeで知ったというか昔で言うジャズ喫茶とかテレビ、ラジオでの歌というのパプリカで思ったがはじめてのお使いでおにいちゃんが口ずさめるというか、前畑さんでは誰もはじめてのお使いで泳げないわけだし、地震速報を口ずさむあほはいないなと思いつつ、リフのえげつなさというかブラック・サバスのびめろを排除したかたちというかエアロスミスのぐろてすくなびめろのフレーズをしかもわんふれーずだけでいくというようなのは好みの曲だと思うもギターだろか。歌と。リズムのいい曲というかベースのようなチェロのようないい曲に無料ダウンロードをしようとはまだ思えない。


23:13

城とドラゴンは、一人で行うようなしろものではなくて、友だち、フレンド?の短い友情の具現化と実現化でのフレンドのセパレートの誇り、名誉というよな類いもあるように思って、フレンドいないから城とドラゴン続けてもと思うもカブトムシガールだと思ってたらビートルガールというお名前だったがナチュラリズムで手持ちのガールより、ビートルガール以外に魅力が生じるという基本原理というかナチュラリズムはあるも貴重なガール?何が強いのか全く分からないんだがホワドラガールというのも当たったので地道に育てても育ててからの意味がよく分からないというか育てることの意味は分かるんだがとか、キティちゃんファッションを訳もわからず一度は倒してミッションがあるのも後9/10でキティちゃんファッションを倒したと、それも何回目かで先程倒したけれどもステージとして勝てないと駄目というかキティちゃんファッションのキャラクターを倒してミッションカウントと思ってたからステージ勝利は困難だからキティちゃんファッションのキャラクターを倒すということだけではミッション、それも後数時間という期限のミッションはそもそも城とドラゴンのアプリをインストールしてすらなければそういう葛藤、目標すら生じるようなことでもなし、フレンドと行うということでは、バトルシップというよりファッションシップでと思うも、それでは私が永遠に分からないというか知ることのないスマホアプリで既存にあるのかも知れないけれどもファームというかプランテーションでもフレンドシップとしてだと、フレンドシップ目的というものだとそもそもアプリをインストールしないわけだから、前向きと一言で片付ければ城とドラゴンのために友達になろうという若者が、城とドラゴン友達はいるにせよ、城とドラゴン友断ちというりょうしきはナチュラリズムにあるわけでもあるだろうし、城とドラゴンそのものを友達としていく意味不明な若者だっていないとも限らない。