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2024.5「ロード・オブ・ドッグタウン」「Dogtown Z-boys」 感想2

2025-06-14 15:01:11 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2024.5.13

トニーアルバとステイシーペラルタ副音声観賞会終了。

DVD特典のメイキングドキュメンタリーのようなのをまだ観てなかったかも知れないと思い込み、観始めたら、観てなかったように思い込んで観始めたら、ストッパーという人は、クラークゲーブルが継父だったらしい。手っ取り早かった何らかの象徴もあったのだろうか。

ドキュメンタリー映画では、副音声での真価というのは、それでは、その副音声そのものをドキュメンタリー映画において入れれば良いわけでもあるけれども、スケボーだとかは特にマイノリティにほどもあるぶんやだが、例えば、ビッグ好きかい?というか、ピッグが美味しく糞に出来ないような世の中にならぬようにとかで、ピッグを糞に作り替えること以外のことにならないことはやらないという、うぉーしんぐるなどはと、そんな単語は今のところ今までも今もこれからも今のところ存在してないけれども、でれん♪シャーロットはピッグじゃなくてスパイダーなの♪でれん♪シャーロットはスパイダーだから肉に興味はないの♪でれん♪でぇぇぇでってっでれん♪

引き続きメイキングドキュメンタリー観賞会を近日中に終了しようと思い込む。


2024.5.31

監督と俳優の副音声版をゼファーチームの最初の大会出場の途中まで観賞会して、公開版とトニーアルバとステイシーペラルタの副音声を通して観賞会を先週だったか行って、本日、監督と俳優の副音声版の観賞会を終了。

ステイシーペラルタがトニーアルバの妹との出会いでのトニーアルバが横切る後のカメラ目線は、監督と俳優の副音声版で初めて理解したので、通常版でも確かにカメラ目線だったのは面白かった。

今回は、トニーアルバの骨は見えたか?という偉人の名言にタメはれるその一言は、やはり最後のジェイのヘルメット着用での副音声でのヘルメット着用のフィナーレというのを、観賞会後数分後に書きながら考えていくと、ヘルメット着用が不要な地球ではないわけだが、それではイングリッドバーグマンは、お鼻でなくてヘルメットでぶちゅっと出来ないということかと思った。


2024.6.25

Dogtown&Z-boysのDVDを最近ヤフオク!で購入。

数年前にYouTubeで字幕なしをスマホアプリでダウンロードしたが、字幕なしで意味不明なので、観賞会を諦めた実績、経験を元に購入した。

昨日から観賞会開始。

ロードオブドッグタウンの影響もあり、トニーアルバ、ステイシーペラルタ、ジェイアダムズの三人は、それぞれ全く異なるが、それぞれのスタイルの魅力があるのが人間性のぶぶんだろう。

約20年前だったかゼファーを一度中古で、全く走らぬのを私は購入したことあることを思い出した。

マイノリティとリミテッドがあいてにしかならんことが、ローマ帝国というのも、完全に、そしてより完璧にマイノリティとリミテッドがローマ帝国で、ローマ帝国になっていいこともない、ローマ帝国がいきつづけることになってもよくない、それまでのローマ帝国が、ローマ帝国になることになるわけだが、ローマ帝国でもっともやりたいことは、ローマ帝国は出来ないことをローマ帝国がしることもあるかも知れないが、ローマ帝国ぐらいになると、はなからそれは度外視してる一貫性を重んじられる、マイノリティとリミテッドのローマ帝国とローマ帝国以外のマイノリティとリミテッドが異なることへの共存、都合、好み、タンキケッセンのよく、すませなければしょう(これは特に排泄だとか食事だとか睡眠だとか、呼吸だとか。すんだこころというか。)

どこまで書こうか忘れたので止める。

喫煙して観賞会再開しようと思う。


観賞会終了。

副音声がちゃんとあるDVDを購入したので、副音声をハリウッドにけられてバンズというステイシーペラルタさんの説明まで観る。


2024.6.26

レンタルビデオしてたDVDを返却時、その中の映画紹介で、ラブ&ピースという邦画に、劇場内のお客様が泣いてるシーンがあったのみで、ラブ&ピース看れたら観るべと思ってたら、あったので、それとICE ふたりのプログラムというのが、笑って泣けるという文句のみでついで程度で借りて、その観賞会終了し、ちょっと最後の観客のお歌というのは、それよりも重きが他にありすぎるような映画だったので、それがダイレクトにもならず、ちょっとうるうるしたのみだったが、それをそのように構成することの新鮮組への観賞会よりは、とんがった奴等の映画(基本的に、笑いが笑いにならないというか笑いが違うというか、それでも笑うほどでもない一連の特にコントラストを笑えるということがあるということだろうか。確信犯的に、笑いと涙というような琴線を、それを阻止しつつということ(それへのインフラを前後で解決とかいうのも当然にない。それが必要なくなるといってもよい。)をとっているようには思えなくもない。笑えはしない、笑うべきでもないが、笑えるひと、笑えること、笑えるように思うだろう、泣けはしない、泣くべきでもないが、泣けるひと、泣けること、泣けるように思うだろうということをとったというべきでもあるだろうか。)かも知れないと安易に思うも、明日はラブ&ピース観賞会予定。カールじぃさんを諦めずに探すもやっぱりないので、ウォーリー良かったので、ディズニーピクサー作品観ようと思うも、それよりもミスターインクレのようなのは新品を、一度もそれを観てもないのにDVD購入したし、モンスターズインクも同様だったが、二つとも驚くほど私にはつまらないというよりつまらすぎで一度観たきりだったが、ウォーリーは面白かったから、カーズだとかも面白いのだろうかとか、確かに最近全シリーズ観賞会したトイストーリーは面白かったということのあんばいがすげぇもんだと思うも、ウォーリーのようなラブロマンスのようなのがあるのがもっと私は好みなので、その好印象として、アーロンと少年をレンタルビデオ。本日は三作品レンタルビデオした。

新作でも7泊8日の、あの花が咲く丘でというのは、前回は全てレンタルビデオ中だったが、それでも今回数枚しか残ってないほど人気があるようで、迷ったが、その300円だと牛乳飲みてぇと思い直し止める。観れたら観たいと思う。


2024.8.18

昨日、日本語字幕なし版はYouTubeから動画をダウンロードしたものの、聞き取れないから観ないため、最近日本語字幕版DVDの存在を知り購入した、We are skateboardersを初めて観賞会。

同じくYouTubeからダウンロードして何度も観たWe are bloodも最近DVDの存在を知り購入したが、バッテリーをイントロから流す尺があるだけに、別物のスケートボードムービーだとは思いつつも、スケートボードに限らずヒストリカルだとも思わないでもない当映画はWe are skateboarders観賞会後に、改めて観賞会開始したほどだったが、、直ぐに眠りこける。

We are skateboardersは、レリジョンの動力のようなものも主体性にあるようなスケートボードもとしての語りて口は、なるほどと思ったが、スポンサーという主体性も客体性も、何故かマークゴンザレスはピンマイク片手持ちで可愛い演出、それも相当老いてる時期、無論キャメラマンとしても一流らしいことを最近知った、名前を忘れた。スニーカー綺麗だった。

やはり成功というものが、特にオーリーとかノーリーとかのより発達したある意味では成功と征服とも言えるそういう瞬間的納得がスケートボードを行う枠にはあるのだろうか。もっともそれらによっても、今日日はオリンピック競技という、サーフィンの方がよく分からないけれども、恐らくはぶっ飛んだインテリとクソガキは、海を作るはずではあるとも思う。ジェルなのか知らんが、波の時空間を同一にして、それではもろはのつるぎとしても、瞬間的判断有無ならば、キックフリップサーフィンだろうか。空手だとそういう板をパンチで割ることに意味があるんだが、そうなると、波間に空手家が佇み、サーファーとの二人三脚で、サーファーが板に乗って板を抱えてその抱えた板を割るというのは、そういう国語と算数の分業だと、ウサイン・ボルトがF1乗った方が速いのは間違いのない部分だが、人間も車もどちらも速いというウサイン・ボルトに、人間の速さから逸脱、車の速さから逸脱に、どちらもあると言えばある


数時間後追記。本日は日曜日ということもあり、ボブ・ディランに似てるのか佐野元春にボブ・ディランが似てるのかは別として、心の中で口ずさむ。


にっちゅうようび♪

こころからにっちゅうようび♪

ちかうよにっちゅうようび♪

しんじるこころいつまでもぅ♪

にっちゅうようび♪


独りでうっすら笑う。


夕方。

断腸でもないが、どうしても売る本は一冊もない数百冊、もう数千冊だったかで、一応なんとなくアパートの更新まで生きてただけで、お金がまったく足りないので、いよいよトニモリソンの本とか、ケルアックは私はそれほど好みではなからいいんだが、ドストエフスキーとトルストイならば、寧ろ改めて買いやすいから先にそういう輩を売らないといけない。

We are skateboardersを二度観開始。

アナザーというのは、日本語版だと、どうでもいいし、どうでもよいかげんだが、そういう段階で、当時から既にスケートボード以外に何らかの、要するに子供だましインフラという各国共通の教育方針というなの




2024.1「ロード・オブ・ドッグタウン」「Dogtown Z-boys」 感想1

2025-06-14 15:00:23 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2024.1.15

数年前に、この映画の存在を初めて知り、スケートボード=バックトゥザフューチャーな私でも、何度もスマホで観込んだ。

特典あるのでDVD版観てぇなぁと断片的に思っていて、ケースなしでお安いですという特典あるDVDをヤフオク!かメルカリで購入出来た。

昨夜からパーティーまでの、若者より若者のパーティーからの若者より若者ではない若者らのパーティーまで、トニー・アルバとステイシー・ペラルタの解説音声で観賞会した。ジェイの音声はないものの、そして初っ端のサーフィンで何度も観賞会したスマホ映画版より長ぇし、記憶にねぇなと思いつつ、こりゃぁスマホ映画版にはない尺だと思ったら、ペラルタさんも、これは劇場版ではカットされてたのかという解説もナチュラルだった。


この映画を昨夜観賞会しようと思いつつもありながら、日中スケートボードをしていたような私は、1年間程度、レギュラーのプッシュがいてぇなと思わないことしつつ、飽きてきてボソッとレギュラーのプッシュですらいてぇなと吐いたら、それはレギュラーのプッシュがいてぇというよりは、そもそも私がスケートボードをしてるいてぇというより、てめぇのレギュラーのプッシュがいてぇということでは、同じ日本語では全く誤差がない。内容、或いは動機というか要素に誤差があっても、同じ日本語にしかならないと、初めて言語化していく初っ端の段階でこういう下らんことになるような部分は、当たり前の部分だと思った。


続きの観賞会の前に、10年から20年前に、ほぼ数回観たテレビコマーシャルのプロレスリングでの石原さとみちゃん超可愛いという安定期の私は、出演作を、昨年観賞会した「そしてバトンは渡された」以外観たことがなく、本日、「カラスの親指」と「幕末高校生」をレンタルDVDした。

本日までレンタルDVDした作品中「マイ・ブロークン・マリコ」で、ジャン・ギャバン級の若いおなごの作品中でのスマホ画面が傷が豊富で、私のスマホも傷がそれなりに豊富で、胸キュンキュン映画でないのが惜しまれるけれども、特にそれのみでスマホの傷は、それほど頓着はしてないけれども、納得を自らという本能としてならば特に、そいつは映画内でだか、それが偶然に一緒だぁ嬉しいぃということを何となくと、先に「カラスの親指」観賞会を始めて、妹が石原さとみちゃんか最初よく分からないという、おっさん特有の認識力ながら、姉として石原さとみちゃんとその彼氏の登場で、石原さとみちゃんより妹の女優さんはジャン・ギャバン級と同じぐらい有名人なのか知らないので、何で石原さとみちゃんが出てて、妹が石原さとみちゃんより出てるのかと、「そしてバトンは渡された」でもジャン・ギャバン級を知らなかったので、石原さとみちゃん沢山出ないけれども、スパイの妻がずっと出てこないなぁとみぃちゃん合致時までジャン・ギャバン級を子役さんというか、みぃちゃんも子役だけど、みぃちゃんも子役というか、いつまでその二人のみぃちゃんがこの映画に出てるんだろうという、みぃちゃんの大人役がスパイの妻(蒼井優ちゃんという氏名で間違いないと思われる。漢字もたぶん。)だとすら思ったかも知れないその観賞会と同じような感覚を自覚してたら、お腹が空いたので、ご飯とふりかけ、辛ラーメンを食べた。


2024.4.8

本日まで、最近、副音声観賞会したのは、このドキュメントに書いてなかったことをてめぇで初めて知りつつ、日本語吹替英語字幕観賞会開始。

副音声も冒頭だけだろうか、カットされていたシークエンスが、日本語吹替版は、更にカットされずにあった。

タンキケッセンの帝国主義的なぶぶんをカットしたというか。帝国主義的なそのタンキケッセンの屁のようなリョウシキというか。スケートボードもよく知らんが、サーフィンに、それほどの魅力があるというか、疲れちゃうのになぁとか、しかも海まで行かなくちゃいけないし。

海の怖さもある種の博打打ちだから、一時小型船舶の免許は取得して、国際法は遵守しつつ、かいりはどうでもいいというか、りょうしきかいりってのが、あいといのちとせいこうの基本型のひとつだから、私は例え海に出たいと思ったこともないし、それが目的でもないけれども、海に行けたとしても、お魚さんをぶちころすような英雄的資質も皆無だし、ツナ缶を持参して挑む計画性はあったかも知れないと思ったことがあるようにかったような。

スケートボード革命と言うべきか、ウィールのオイル、セキユってのは、サーフィンと同型で出来たものの、海ではないということでの小型化、時空間が、海ではスケートボードという時空間にあいしょうがわるいというか。サーフィンにオイルショックがないというべきか。オイルが必要なサーフボードなのかも知らんながら。

ゴッドファーザーの琥珀色ではなくて、この映画はサイケデリック色というフィルターフィルムがあるのではないか。顔料色というか。オメイドオインオストリート。オラモーンズの側でもうまいてくだと思った。かていのもんだいだろうか。しかし、オラモーンズ、オクラッシュのてんぽは、基本パンダカラー、いりょうも、牛さんパッケージ。

ジェイの、ここはベトナムじゃないというのと、スキップの、あいつはパイレーツじゃないというのに、いんふらというかは少し熟考をしてみようと思った。


2024.5.12

少しずつ、真剣に書き始めようと思い込む。

たぶん今年初めて観賞会して、二度目のトニーアルバとステイシーペラルタの副音声の観賞会を開始。

相変わらず笑える。

公開映画版も5度以上は観賞会してるが、副音声のみでも文句ないほど。

ジェイアダムズが特にだろうか、副音声にさえ、体型が変化してしまったこともあるという副音声での滑りのなさも御説明がありつつ、ないことすらも大切なぶぶんのように思い込むが、それそのものが、くそみてぇな思い込みのぶぶんもあるので、特にそれ以上の思い込みは今のところ思い込まないように思い込む。

監督と出演者の副音声では、ステイシーペラルタとトニーアルバの妹のど真ん中をトニーアルバが通りすぎた後に、ステイシーペラルタがカメラをがん見というかチラ見の会話は面白いと思った。





2025.4になってた映画感想10

2025-06-14 12:29:42 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2025.4.3

21:00

朝食会と共に観賞会再開。青島が原田泰造さんへの告白まで観る。しんがんじょうじゅさすぺんすが青島の余命手記発掘からやや号泣気味になる。落涙するども号泣せずでござる。


2025.4.4

2:20

短い冬眠後、あやこウェディングドレス着用まで観る。その前のりゅうのすけ?りゅうたろう?があやこに抱きついた時の台詞が七人の侍並みに日本語ネイティヴでもヒアリングが困難である。しまりがわるい台詞だったのかも知れないなとか思いつつ、あやこウェディングドレスを観るに、要するに地べたにウェディングドレスは着くわけで、雨の日はもとより、靴で踏み荒らされた地面をウェディングドレスが触れるというのはとかをほとんどそういうことを思わないし思っても思わないから思ってみたりみたり。


17:39

朝食と共に観賞会開始。観賞会終了。

お母さんは吉田羊?というお名前だろうか。よしだよう?よしだひつじ?きちでんよう?よしたよう?日本人以外では読みがもっと難しいとしても然程たいせいに影響はないという、日本がにっぽんなのかにほんなのかもあるからデイヴックとかになる可能性だってなきにしもない。こくめいにそのようなだんかいが基本はないだろうとか一応思うか思わないかで、今日からの新しい私は「死刑にいたる病」がdairymotionで観れそうなので観賞会しようと思う。


18:08

にゃんこ大戦争にて、それなりに思えば鬼にゃんまと白フォノウという被れというか知ったかぶりというか努力目標にゃんこよりも嬉しいと思わなくもない、ネコオーガ、当然ネコ範馬勇次郎ということになるが、鬼にゃんまより強いはずとは言えないまでもそれほど強くなさそうではあるが、レアチケットたった1枚で大当たりした。命みてぇなもんで、ネコオーガ当たる前、当たり中、当たった後という三段論法を三段論法と呼ばない社会性は知ってるつもりではあるが、無駄にラインナップにしたいほどではあるもののそこはネコ缶30個位使用しないと全回復しない名前を覚えられてない何かによりいもひくわけだし、特にレジェンドステージなるものは、属性を知ってるか知ってないかでその全回復機能の有無では第一義としては延命にならないというのは命にあるわけで、垂れ流しのワンコンプの抑制、調和、規律は持ち出すことは第二次だね。垂れ流さない節度というライフラインということならば、レジェンドステージの進行はハラハラドキドキで、確実にメタルがいるのかいないのかは死活問題で無駄にクリティカルにゃんこは一体編入してないと、50~350程度、経験値ステージだと500程度のその名前を覚えられない何かでネコ缶使用しちまって超とか激とかのガチャガチャを永遠に回せないことになるということは、必然的にネコオーガが当たれば全く問題になることもない。未来編と宇宙編をこれからとか真っ最中のユーザーにネコオーガが当たるということはある意味その難易度を下げるということだから、その段階のユーザーは当たりづらいのか。葬送のフレーレンのフリーレン流に例えるならば、ネコオーガが倒される場面を想像出来ないわけだが、どうみてもネコオーガが強いとも想像は出来ない。


19:00

ネコオーガは当たるし、観賞会開始時にシャウエッセンと発泡酒と包装米飯と鮭フレークという贅沢三昧。

阿部サダヲさんの表記をアルファベットにしてあるということの何らかのそれを基本的に誰も知るよしもない前提だろうけれども、sadawoという日本語からのアルファベット表記というのはローマ字表記としての基本に立ち返ろうというそもそも英語にそのような表現と表現の表裏一体なるものが漢字というのもやや全体的になって、漢字の乱れなるものにしてもそもそも漢字なぞは天皇より日本人一般にしんとうもしんとうすらもあるわけねぇんだが、漢字より人間が先だってたわけだから当たり前ではあるんだが、俗にいう達筆なんぞも、~ごごろのようなみみずのような文字列を読めるようなのは余程それ以外の社会性が発達してないとそういうものの主体と客体もそれ以外の主体と客体が圧倒的時空間でもあるにせよ、余計なことをだんだんと書いていくよりはシャウエッセンが冷めちまうということにして書くより映画観賞会続行しようと思う。揺るぎない信念が私はある。


23:47

心地よい眠りぶっこいてたら、夢というより寝起き前に夢想してた状態が戦国時代で、壊れかけのチャイムのような物音でもしかして私のお部屋?と思うも違うくさいので余裕ぶって喫煙かまして観賞会開始。

えりこちゃんはナカヤマミポリンだろうか。えりこちゃんと大学生の晩酌座談会を中座して再び喫煙。

舞台は栃木県らしい。たまたま日本人の歴史観を読んでいるので、栃木県令というのは随分行政的な個人名だと一読で思っちまった瞬間は否定はしないがとまで思ったことを思い出す。ここも栃木県でござる。


2025.4.5

7:38

GoogleTVアプリでも盲導犬オリバー完全版検索。オリバーではなくてもと盲導犬で検索。パートナーズという映画は盲導犬が出る映画らしく、無料動画検索。dairymotionで観れるようなので「死刑にいたる病」観賞会を本日終了予定なので、「パートナーズ」観賞会を次に観賞会予定。映画観賞会ということでのみ予定というか計画性がある私である。


2025.4.7

0:29

最早嫌味と言える盲導犬オリバー完全版無社会性真っ最中、暇なんで五年前位の最新型最安値型スマホを購入し鑑賞会再開。チエちゃんとパピーウォーカーとの別れまてま観る。少女なのか幼女なのか知らんが、少女位になると別人でもよくわからないほどだが、人間である以上、これが発達したおやっつぱぁげぇむしゃかいのきもだが、100歳程度のくそがきどもとその幼女?少女?とより差異が見えづらくなる。エネルギーが違うとか努力、歴史、環境とかきりがねぇんでそのきりのなさにかこつけて書くのも止めて鑑賞会再開しようと思う。しなせるエネルギーのじきじきにないプロポーションではとかを書くつもりも私はもともとないとだけ書いとかないと私が恰も基本原理主義時代だと私が読み返すか読み返さないかでしかないこれで、私は基本原理主義の時期だったのかと私に思い込ませる可能性は心配いらないほど存在しないから特に私が私に断りを入れるような時期というか瞬間とかを私は思うか思わないかの瀬戸際なわけで、どうも訓練士さんの基本が圧倒的にパッと過ぎてということをどう観るかというようなくそがきはこういう映画をはなから観ねぇだろうけれども、私のようなのは、パピーウォーカーとの別れでチエちゃんが最もイキイキしてるとしか言いようがない演技力のそれにいうもやぼりかいもやぼなんでよほどこれ以上書くのも止めるのにぴったりで鑑賞会再開しようと思う。思わないということの不存在。


2025.4.8

10:33

昨日だったか「パートナーズ」鑑賞会終了。

本日は午前4時起きの早起き型。寝起きでやはり五年前位の最新型最安値型スマホは強化ガラス仕様らしく、その上に無駄に購入した強化ガラスを張って感度というか、にゃんこ大戦争でにゃんこ砲とかベストタイミングタップでも上手くいかないことしばしばでもタップ出来ないので、剥がす。当然上手くいかず、スマホ本体仕様の強化ガラスを割る。割れた本来の強化ガラスから強化ガラスを綺麗には剥がせたのでスマホに上手く張れたと思っていく。


2025.3映画感想9

2025-06-14 12:29:01 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2025.3.31

18:08

早朝早速数日の寿命だったウォークマンもどきだったため、メルカリで再びウォークマンもどきを購入。その前に「今日のキラくん」観賞会終了。朝食と共に「ストロボ・エッジ」観賞会開始。

タカトシ

いま俺タカトシって呼び捨てにしてた?

い い ん じゃ ない か な ぁっ

い い か な

タカトシ出てる。花束とビリギャル?の初々しい頃?の人気というか稀有女優さんも。

そして、

やまだくん。

タカトシとやまだくんすぐ分かる。衝撃の告白末っ子のイケメンはあまり映画に恵まれてないのか私のチョイスが悪いのか他で観てない。太郎不満。一応本日アラバスタの最後は無料でシリーズセットのは読めるから読んでヒナ風に。

タカトシの彼女はぶぅぶ持ってるのかだったが、直ぐにござぁきゅんなのかござぁきゅんではないのかしか観てる時に思わなかったが、ござぁきゅんではない人だと思う。



18:22

観賞会再開。

花束がタカトシを庇って泣いてる場面まで観る。こういう感情は初めてだしそういう柔は私の柔は柔ではないが柔にあわんから私の柔ではないが、やまだくんがいい役やってるということにうるうるした。末っ子は出てないのだろうか。タカトシは基本どうでもイケメンだが、キラくんはタカトシのように帰国して手術も成功したとしての髪型で一層イケメンが際立ったように思ったのを思い出した。半日前だが野郎なので鮮明に思い出さないけれども。日本人の歴史観という新書が新書としての新機軸というか、特に明治大正の論壇というか論戦は熾烈な部分は分からないでもないが、現代社会も当たり前だがより熾烈な世界大戦だとか、精子と卵子に民主制でもそれこそ共和制なんぞ言語道断だがそれらがないことが大前提というような読み方をしてる風を装っているだけで読んでるかも知れないけれども最近身分不相応に少食で精子の頃も人生での初恋、大恋愛である卵子の頃ならば一緒に食事をしたかったが果たしてどちらが私というか、基本は精子のはずだがあんなに素敵な卵子は今でも見たこともないなと記憶を甦らせたということにして観賞会を再開しようと思う。卵子というより母体と呼ぶべきでもあるだろうけれども。出玉袋という線引きでの基本ならば。


18:54

発泡酒も食料もひもじいので今日の観賞会はここまでにしとく。

ドーナツを食べる花束はまるで赤ちゃんのようで、ドーナツを赤ちゃんのようにというか赤ちゃんはドーナツ食べられないはずだが、ドーナツを赤ちゃんのように食べられる時空間に耐えられるのは花束のような輩かと変に納得した。タカトシとやまだくんは痩せすぎではないかとちょっと思うけれども、お名前出てこねぇ。痩せすぎてないとそれ以外に対応が常時困難ということだろうか。若過ぎてないとそれ以外にといっても赤ちゃんは誰も出来ねぇしやるつもりもねぇだろうなとか下らんことしか相変わらず思わん。


2025.4.1

22:42

月始め恒例の禁断のスマホ代金同時払いで、狙っていた発泡酒賞味期間今月中がまだあって店頭在庫全購入。とん汁すげぇ信州味噌も30%、お寿司フルコースも30%、鹿児島県か宮崎県か覚えられなかったが既にどちらでもなくなってようなガーリックチキン10%のお得感も購入。

ひねり揚げと発泡酒で観賞会再開。立食のイントロまで観る。映画の高台茂子様かと思ったら軒並み高台茂子様にしか見えないので高台茂子様が出てたわけではなかったのかと思う。衝撃の告白末っ子がまだ出てない。


2025.4.2

20:28

「ストロボ・エッジ」について数日思うことを書こうという暇突破型の典型で、書いといてよかったレベルでもないが、ストロボ・エッジだと思って観賞会したのはストロボ・エッジではなかったのがストロボ・エッジだったなと当ページに書いてあったことを流し読み返しで確認したところでどうということもなかったなと思う。

タカトシもやまだくんもイケメンだが、インターネットで泣ける映画検索で知ってレンタルDVDだったかで観賞会した「私の幸せな結婚」というような名前が相当に現代社会の心暖かい一齣の映画と思って見たら時代劇風のを思い出した。主演男優さんはAIだとかCGだとかを越える美男子というか、最近知ったスギ薬局でのAI型は商品や店舗や目的を犯さないような人型と個人的に思うと、その超絶美男子ではスギ薬局の広告には不向きであるし、スギ薬局の広告男女では、パッケージとしての銀幕に不向きだろうとかそういうことはよく思う。明日になればそういうことを思ってたてめぇそのものを忘れるほどだが。


21:56

dairymotionにてストロボ・エッジ観賞会終了。やまだくんの片袖が寒そうという邪念が芽生えたが、花束激走はダスティン・ホフマンのようではあったが、タカトシは鉄に愛されているかいないかはどうにでもというエイデンではない新潟?北越か北陸?で撮ったようなクレジットを愛唄の女の子版を聴きながらなんとはなしに観てたら、製作で最近観賞会した映画でほぼ市川南という名前がある。東宝?の重役ということだろうか。市川というとほぼ千葉県というより市川崑で況してや映画では市川崑の子孫としか思わないかっぺ思想全開で見終えた。市川團十郎という独占市場とかやなり市川雷蔵という超絶美男子もあるか。

花束に涙は似合わないと大女優だが似合わないと言い切れる。涙より涙を越えることが出来るような奴とか奴等と思わなくもない。花束は意外にもドーナツ食べるのが似合うと思う。映画史上稀にみるドーナツが似合う、協賛?は初っ端のプーマしか目に入らなかったがプーマを観てた奴は当映画では精々花束がスカイブルーアディダスジャージ着込んでたくらいしか思わないと余計なことまで思うか思わないかを言語化しちまう。やまだくんの元カノ?も今日のキラ君の典型美少女とは違った完全に典型的な美少女だと思う。


22:50

愛唄の鼻歌を奏でる。タカトシと花束の真似事のようでそういうてめぇは嫌いじゃないと思う。

近年知ったグリーンという歌い手さんでは愛唄よりも、歌詞が朧気だが、あのぉぉそらぁぁというような浜省のようなでだしが私は好みだと思ったがタカトシと花束が鼻歌かますと愛唄というのは浮沈空母薬師丸級限定解釈上夢の中へには劣るか劣らないかは個人差と好みはあるにせよ、憤りなり慰めなりというその本質ならざる本質の二重の基準下での旋律ということを思いそうになる。


2025.4.3

6:20

朝食会と共に「ぼくの妻と結婚してください」観賞会開始。dairymotionにて無料で観る。高島礼子様登場までで朝食を食べ終えたのでそこまで観る。

沈黙のパレードに出てたオナゴだと思う方が青島の奥様役だと思うのと、その奥様は原田知世さんではないが原田知世に凛としたユーモラスがあるなと思わせるのと、日本人の歴史観を読んでいて陸奥宗光も再登場し、福沢諭吉もさることながら、福地桜痴というのは原型とどめてねぇなと一昨日だったか呟いてたら、奥様のお子さまが奥様に向かって原型とどめてないという台詞があって特にどうということもないが印象に残った。西郷、勝、木戸がよっぽどげんけいとどめてないが、日本人ですらそういう人間しかいままでもいまも生きてるということとしてはいないというような基本原理と共に、げんけいとどめてない独り言と平行して、朝鮮半島というのはつっぱりだなということもあって、ロシアとイギリスの件はそれなりにそして小林一茶の件は私は全く知識にも想像にもなかったが、小林一茶にしても社会通念上社会性が損なわれるからある意味もさちゅうのもさほどいっかいのかたわかかたてまでの小林一茶マニアというのが小林一茶は間違いなくいるはずでとかまでを思うまでにしとこう。早起きし過ぎの2時起きの今日の私としては。




2025.3映画感想8

2025-06-14 12:27:39 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2025.3.30

0:41

先程まで一眠りぶっこき過ぎ起床。今日の朝食会はYouTubeで「ストロボ・エッジ」と思いきや、そういえばYouTubeの「ストロボ・エッジ」は実話?のキュンキュン映画ではない重苦しいドラマだったかと「きょうのキラ君」観賞会予定。ストロボ・エッジではないのにストロボ・エッジとして観賞会した映画を思い出しつつ、トイレで読み始めて、きしゅうはんの段落だろうかを読み終え、たいせいよくさんかいという日本語にならぬ多様性に瞬間的にじょうたいよくさんかいという、虎とかライオンで人間になりたい奴等はいねぇだろうなとか思いつつ、それよりもだいせいよくさんかいとかだとほぼはっけつねこまたぐらせいふうぞくとしての基本以下の基本としてのとか、きへいたいとかやはりしがっこうというむなくそわるいあとのまつりもむなくそわるいこととかの単語説明欄?まで読んで尚更「きょうのキラ君」でキュンキュンしようと思う。そんな思考錯誤の最中、とちまるくんとコラボで地域企業とシャーペンとか下敷きとかのグッズも含めた活性化としても、もろはのつるぎではあるだろうけれども、せいたいということでは、ほうちこっかとかりつりょうこっかとかそれなりにのうみそをつかわなくていいこともふくまれるそれとしては、デザインとか衣裳にしても例えば小学校が毎年持ち回りとちまるくんとしても小学校全体ということのために小学校全体ならざることでしか、それこそシャーペンに小学生全員のそういなるものが不可能であるということに民主的にきょうそうりょくとしての小学生選挙制度でも、やはりシャーペンファッション選挙から漏れた小学生が99.9%という小学生しか基本はいないなとか思ってたら包装米飯チン完了。アルトバイエルンをこれからチンして「きょうのキラ君」キュンキュン出来なかったら、葬送のフリーレンで寝起き様に新作読んだから、フリーレンより長く10年に一度のグレごりーぺっくになろうかと思わなくもないことは万年床からさんぽていどの道程にある冷蔵庫と電子レンジまでの道中で全く忘れるような私だなと思わなくもない。


1:18

観賞会前にしおりちゃんの流行ってる?コマーシャル観れて気分よく観賞会だが、個人的に人妻でもあるからよりらいっそう安心して観れる石原さとみちゃんだと思うんだが石原さとみちゃんではないのかも知れないコマーシャルなんてのもいいもの観れた程度だったが、「きょうのキラ君」は最近数分観て続きを見なかった辺りまで観る。何となく和製ジャンギャバンなのか半信半疑の女の子で、ジャンギャバンなのかジャンギャバンではないのかの判断を明確にしながら観てるように思う。プロットというかディスカッションが突飛なのは人物像が突飛というサスペンスに対応が出来る観衆、もちろんそれらに拘りなり意味とか忌みがあるにせよ前向きな奴等は都合突破といういずれにしても141年目の前向き世代しか基本的に地球ではすくなくても生きる条件にないシンエイタイとか思いながら、おつまみないから包装米飯と鮭フレークを二度目の食事会として観賞会再開しようと思う。


1:28

和製ジャンギャバンに似てるオナゴが自宅に帰宅まで観る。似ても似つかないように思う。美男美女が主役なのは間違いない映画だろう。絵にならない絵というより動画にならない動画を様にということではないはずだが、漫画を映画にしたということありきか。下らんことは思い付く。昨日観賞会を終えた「世界の中心で愛を叫ぶ」の長澤まさみちゃんの声楽というのは、吉高由里子ちゃんに近いと何度も思った。からかってながらのフォローの声楽もからかい気味の悪気のないことのみでの場での。


1:39

取り敢えず観たことのない俳優さんたちの集いのようだが、キュンキュン映画のような二人の初当校まで観る。キラ君のお友達を一見して山田くんにしか見えないから、山田くんなのか山田くんではないのかを画面で確認してるだけという観賞会というのはそれなりにいい映画だなと思う。山田くんではなかったと思う。見た感じ生またてのほやほやの部類の若者の演技力とかやっぱり場だろうものの生活力のような部類は映画そのものが映画よりも映画のように思わなくもない。それを映画にしても誰も観ねぇとかきりがねぇとかあるにせよ。


2025.3.30

5:42

YouTubeでキュンキュン映画と号泣映画を検索。10年以上前だったかタイのコマーシャル、コマーシャルだから組織とか細胞とか企業だが、後から英語の本で知ったがイギリスの物語が下敷きだったのかと思った動画は号泣して何度も繰り返し飽きずに見返してた時期があったが、トヨタ?のコマーシャルか平和主義かのコマーシャル?で少しうるうるした。親子コマーシャルというのか。

アダルトビデオにしても感動動画にしても、クソガキどものそれらというナチュラリズムという時空間そのものに最早私は憤りだとか悲しみだとか、それこそ楽しみだとか喜びだとかは、アダルトビデオはちんこが喜ぶんだが、感動動画は涙腺が喜ぶんだが、アダルトビデオも感動動画もてめぇではないことが肝心であってとかも思うけれども、くそだしの社会性はいつまでもくそだしの社会性というかそれこそくそだしのしゃかいせいという時空間のエネルギーしかげんざいだれもいきちゃいねぇくそがきをとてもじゃねぇがそれに取り組ませるくそがきどもというくそがきのすべての全否定しか基本的人権そのものの

そんなことが出来たらクソガキはまっさきにやるんだろうが、それよりもYouTubeで余命10年という映画は余命10年だろうが最早私は余命140年に相応しい生命体しかげんざいいきるとかいきていくとかは不可能だったということをちょっぴり思うのみだが、余命10年はえみちゃん出てるから見たいと思う。余命10年を無料で観たくて検索したが、えみちゃんはご結婚されて久しいのかも知れないが幸せの時期というほどでもなかろうがえみちゃんも幸せになるということは宮沢賢治のように人類が幸せにならなければ幸せだとかはプロポーションであって、鮪のくそだしに幸せを特にエンドユーザーほど望みがある日本人の少なさというよりそのプロポーションというか生者の論理のエネルギーに抗う前に生者の論理のエネルギーは早いし強い。なんてたって生命体でしかないわけだから。

ぼくはきょう、ゲオに余命10年はないかも知れないがレンタルDVDしにいく。

トイレで最近読み始めた日本人の歴史観はおもしれぇ。やっぱり。とてもおもしれぇという形容詞の使用のない保険があるにしてもあるからこそのおもしろさという悪趣味的な。中国史は概ね何を読んでも数少ない読書量で吐き気しかしねぇんだが、それらを最近は独り言で躊躇わなくなってる私は、明治維新のお話も、吐き気というよりくそくらえとしか思わないんだが、明治維新の輩の何人でもそれ私にくそくらえというようなものだろう。くそだしのしゃかいせいはそれを成長すらさせるかのごときことは人類以外はもっときっちりいきてるというかその成長の可能性は人類以外にしかないことにしかならないとしか低脳度の私はそれこそ信じちゃいない。

おつまみなしで発泡酒を飲んでるから、支離滅裂は明治維新ですから私は支離滅裂では特にない。


18:46

キラくんと確かに希少なオナゴと不自然に教室でお付き合い宣言辺りまで観る。

キラくんの病気友達?は典型的な美貌というより本物の美少女を銀幕でも久しぶりに拝めたし不自然に自転車までも乗りこなしてたが、中学校だとか高校だとかだとほぼ男子の初恋独り占めになるようなレベルだと思う。キラくんが背中の彫り物披露のときに、キラくんぽっちゃりしてたらあまり様にならないなとか思う。稀有なオナゴのお誕生日でもあったプロットはお母さんの正直で一瞬にしてキラくん御一行の外道ぶりに成り果てるドラマツルギーをちょちょいのちょいと絡ませる職人芸としての忙しい人々へのインフラのように思わなくもない。キラくんの希少なオナゴへのオナゴも恋愛余命1年でしかやる気もなけりゃする気もないのは、恋愛余命140年と違いねぇとは思う。昆虫類の営みに恋愛感情と恋愛勘定と恋愛環状が発達しただけにしかならないこともあると思わなくもない。霊長類のサイズに問題があるのではないか。あくまでもくそがきをなめなめこつづける人類存続ということの時空間に、霊長類も飛べたり潜れたりということを既に霊長類以外への突然変異は人類にはあるけれどもくそがきをうめうめこつづける人類の安全の基準だったり玉袋の中にその安全そのもので産まれた奴等はいねぇわけでもあるモダニズムならば、

19時になってたということで書くのは一時止めるほど興味も知識も根気もねぇようなことを思うか思うまいかの瀬戸際を書くのはよそう。熱唱せずして言語にしちまうことほど恥はない。言語にすらなってないという部分をいくら万年床で楽して書いたところで私の鬼にゃんま獲得欲は止められない。ほどでもない。


19:47

最近ひっそりとメルカリで購入したウォークマンもどきで日本の名曲で好みのお歌をほぼ無料ダウンロードで聴く。優里さんの名曲はカラオケで歌える代物ではないという思いを巡らせた最近だったが、点描の歌もおいそれと歌える代物ではないが、それは男と女のカラオケ努力という二人きりの営みにかけてるのではないかと思わなくもない。相当におめでたい思考回路のみで思うと。確かにプロスピのリアタイも作れる行えるような若造は最早今までの人類とは違うとしか言えない。努力でいかんともしがたいというか努力したところでの努力ならずは中村あゆみさんとかの翼の折れたエンジェルをどれほど巧く歌ったところでという神の領域というか、ほぼ当時ですら誰も翼の折れたエンジェルを歌うために努力してた人間はいなかったはずだから神の見えざる手ではあるだろう。たった一人の天才。それ以外も当時その程度の天才が多かったということもある。中村あゆみさんがお父さんの玉袋にいた頃も勿論神の見えざる手と呼べなくもないが、他者との調和というより他者に依存しなくてはならないそれなりの確信犯の奇跡的なたった一つの名曲が他者の名曲が大前提にあるという、第九とカノンは共存の取り組みがそもそも違うというか、第九聴きながらカノン聴くやつはいねぇし、第九演奏しながらカノン演奏を数の論理でしてもやるやつぁいねぇ。カノンを好きな奴等で第九聴かないやつぁいねぇ。カノンしか知らんでもどん兵衛だったかまるちゃんだったかでだいたい年越しそばの時代から年越しかっぷそばと年越しかっぷうどんは日本は第九。今は違うのだろうか。

ベルリンフィルハーモニーの演奏よりも、たった一人の、そしてそれが不細工というかベルリンフィルハーモニーと比較だとほぼ不細工であるはずなのも私はよく分からんが基本的に不細工である、個人的な感情が人情だがそれを全うしていくほどくそがきどもはそれがそもそも安全でないことが絶対条件だから安全ということはない。それが安全になるためには、少なくても天地創造からの普遍的感情であらねばならないこととしてはくそみそパッケージだと思うような感情しか私はより強固により完全に思わないことを思うか思うまいかの瀬戸際ではそのようにしか思わないような感情かも知れない。