午前11時がもうすぐ終わる前。「ピーチガール」観賞会開始。映画紹介を必ず見なければならないDVD版だった。本日超午前中に見終えた「オレンジ」で、土屋太鳳ちゃんを認識出来つつある私は、「オレンジ」で時たま思ってた、声を出すこと自体が過半数よりやや大変そうという感覚を持ったが、その個性というのは薬師丸ひろ子さんをそれはけなしてるような物言いになるんだが、余命なんたらという映画の題名だったかで、薬師丸ひろ子さんと奇跡の競演土屋太鳳ちゃん。そしてJKというのは知ってるが、最近は警察官をPと呼ぶらしい。アダルトビデオでJKのワードしか知らんが、アダルトビデオでPのワードだと意味はどうでもろくなしゅうかつにはならんというここぞのらりぱっぷしゅうかつの奴等もどうじょぅしゃかいしゅぎぶぎうぎでも、それならば、JKがそのように、あるいは、それがないような社会主義であるべきだが、それは基本としては大昔からきほんのなさきちだけれども、それならはPがない世の中になればもっと良い。ガガーリンが宇宙空間ならばそれがということもなく、ガガーリンの周辺事態、周辺機器というか、ガガーリン以外の物質の絶対というものもないわけで、確かにその時に最もPとJKから離れたというガガーリンから、隕石衝突を回避することに取り組まない楽観論というのはどういうことかを思う。地球極寒化とかも大変だろうけれども。
こしぬけりょうしん論とりょうしんしぬけこ論も久しぶりに思い始めつつあるかも知れないから、早速映画観賞会に取り組まないと。
メニュー画面で、和製ジャンギャバンが主役じゃないのが、がっかり。しょんぼりねぼけな私である。主役のオナゴは今迄拝見したことはない。イケメン二人は、どっちがどっちでとよく分からないほどにイケメンのトレンド型だろうか。野郎もオナゴのような綺麗な、ちょっとメニュー画面そのものの主要四人組がぱんちゃぱんちゃ風で、イケメンのそれそのものが演技力だろうが、それぐらいのイケメンでなければ、メニュー画面で揃って桃にぶちゅっとしても様にならんと威張れるイケメンだと思う。ある意味では、三船敏郎さんすら恐らくは出来ない、志村喬さんはもっと出来ない、しかし基本は志村喬さんは老体の時点が志村喬さん、戦場から帰還した方々のお一人だろうか。企業戦士としても七人の侍で、果たして帰還出来るかというのは然程意味はないだろう。志村喬さんは。七人の侍が、劇場で最高の帰還回数を誇りたい輩だろう。
早速観賞会開始。和製ジャンギャバンが、ももちゃんに、すけきよみたいになってるよでちと笑う。こういう映画のお客様に、すけきよが分かるのかというか、すけきよを見せたい、市川昆さんへの映画人達が生命を紡いでいくという、ピーチガールを観て、すけきよ社会主義活動家というのもあるだろうか。
私はすけきよ以外、特にトレンドワード、ガチガチの専門用語多様性では分からなかったというか、そういうのは分からないことが分からないから、ここまででも他にとっても何らかの喜怒哀楽になるようなドラマツルギー、テクストが含まれていただろうとも思わなくもない。桃ちゃんは、色白好きなイケメンが好きらしいけど、メニュー画面では、どうも校内ーのモテモテイケメンとキュンキュンかと思い込んでた私は、これから、どうやら校内ーのモテモテイケメンが桃ちゃんを好きという三角関係だと、色白好きなイケメンが和製ジャンギャバンを好きだと、和製ジャンギャバンは校内ーのモテモテイケメンを好きで、四角関係。一方通行の完全体ということもあり得る映画なのかも知れない。
直ぐ様観賞会してたら午後0時半。校内ーイケメン野郎が、桃ちゃんとの人口呼吸、桃ちゃんへの愛で、イケメンで、こんないい役は、そうそうねぇと思う。桃ちゃんが好きになるようにとかいう要素が欠落してるというか。
直ぐ様観賞会再開。人口呼吸が桃ちゃんではなくて宅八郎風だったらしく、それほどいい役ではないと思ってたら、噂を正当化活動で、和製ジャンギャバンがいい役だと思う。しかしメニュー画面だと桃ちゃんは、校内ーイケメンとまで書いて、桃ちゃんとぶちゅとするのは、校内ーイケメンと色白好きイケメンであるから、色白好きイケメンとぶちゅとが桃ちゃんあるということか。そして桃ちゃんとじきじきの恋を叶えるのが校内ーイケメンということだろうか。それでは、桃ちゃんと和製ジャンギャバンが桃を持ってるということは、それは桃ちゃんではない。人口呼吸と同じ論理だが、実際に校内ーイケメンは桃ちゃんとぶちゅと。よくわからん。
午後1時過ぎ。観賞会再開。色白好きイケメンが校内ーイケメンにクンロクまで観る。マジ、熱くなってるという解釈、受容が私には存在しない論理だと思う。色白好きイケメンのクンロクで、校内ーイケメンは、桃ちゃんへの真剣であるべきイケメン同士の解釈をしたと思わなくもない。自由権、自由主義の分野では、彼らも彼女らも、五千年前の人々と恋愛出来る機会はないし、現在進行でも、人間同士としても、特に外国という国土が違えば、ほぼその人々とキュンキュンは困難極まる。ましてや人類主義として、何人とも恋愛を出来る寿命も好みも人間というものはないはずである。1歳4ヶ月の頃に恋愛も出来ないというより、そして知らないというよりも、意味がないというか。
午後1時半過ぎ。和製ジャンギャバンの名言「すけきよ」からの第二弾名言「三回死ね修学旅行中に虫歯になれ」を繰り出しですかさず、イケメン専門用語をも知らなかった私は、書き留める。面白い映画だと思う。そのシーンで、年甲斐もなく、和製ジャンギャバンのスカートを、私がしゃがんだらパンティ見えるかと一瞬思っちまった。
しかし校内ーイケメンとキュンキュン走りで、色白のための日傘が既に桃ちゃんはないというのは、校内ーイケメンとのキュンキュンのためではなくて、色白好きイケメンに桃ちゃんに日傘は不要であるということだろうか、よく分からない。校内ーイケメンもその直前に環境公開での差異を使用してあるから、和製ジャンギャバンも何らかの環境保護活動がこれからあるのかも知れないと思う。
午後2時を回る。ボギーが「君の瞳に乾杯」を吐いて名言になるという基本原理原則が、和製ジャンギャバンにあるように思う。どこぞの140歳のじじぃばばぁがアイシャルリターンを吐いても名言にはなるんだがとは思うけれども。1歳4ヶ月の赤ちゃんらが、アイルビーバックと親指ぶっ立てて、どちらも出来る1歳4ヶ月ならばそれも名言になるけれども、どちらも強烈無比な前例があるから、アイルビービバークにして、揺り篭時代で名言か。続きの観賞会を再開しよう。
直ぐ様観賞会再開。桃ちゃん名言が出た。「ことわるりゆうがござぁせん」。キュンキュン。キュンキュン。キュンキュン。他者の論理キュンキュン。再開前に経過時間を何気なく確認したら30分しか経ってないのに、キュンキュンいっぱいある。名画でござぁる。
午後3時ちょっと前。ほとんどラストシーンでもいいと思える、校内ーイケメンとことわるりゆうがござぁせんイケギャル?イケテルギャルというのは読んだことも聞いたこともない。イケメンというのはイケテルメンズ。複数形?校内ーイケメンは、バイリンガルではないかと思う。日本語の滑舌が外国語鈍りのように思う
ここでスマホの電池が切れる。
お風呂場で喫煙しながら、イケメンというのはイケテルツラだと、オナゴにイケメンとならないのはどういう了見か。ならばことわるりゆうがござぁせんイケメンであるはずである。ことわるりゆうがござぁせんイケメンを和製ジャンギャバンイケメン、和製ジャンギャバンイケメンをことわるりゆうがござぁせんイケメンでもどちらも他の奴等よりは上出来に出来過ぎる水準の方々だろうけれども、最近どうもトイレで日めくり日米開戦・終戦を寝惚けの枠組みでは、水準高めな水準で読み込んでいる私は、チャーチルなんてピチピチ時代は完全なイケメンだし、アイゼンハワーなんてイケメンどころか超キューティメンしかも老けても。必ず最も会ってはいけない、勿論会えないわけだがなんて思いながら、観賞会再開しようと思う。ラストシーンでも良い、映画の尺としても満足だと思った私はちょうど上映時間のぴったり半分というのに、末恐ろしいキュンキュン映画だとうっすら思う。うるキュンというのはないようにも思う。胸キュンというようでもないようにも思う。キュンキュン。キュンキュン。キュンキュン。
午後3時半過ぎ。プラトウス知らんが、プラトウスまで観る。プラトンがどういう外国語でもプラトウスにはならんからプラトンではなかろう。ソクラテスはもっとならないからソクラテスでもないだろう。
新展開で、たぶん本仮屋さんだと思う女優さんを小細工なしで校内ーイケメンが好意があるのか知らんが、玉海上水しかもお一人様入水だったような校内ーイケメンとともに、和製ジャンギャバンイケメンは、プラトウスイケメンにキュンキュンのように思う。原子論の大昔の輩だろうか。ラテン語の猛勉強でその言語が手っ取り早い会話型という、ある意味では、プロレタリアブルジョア型のキュンキュン映画としての多数派、インフラといったがんばらないりゅうがござぁせんイケメンらのじきじきの夢の多様性とか。
午後4時過ぎ。校内ーイケメンとことわるりゆうがござぁせんイケメンが、レストランにお父さんとりょうさんに出会った最後まで観る。お父さんが甘いものというののみをパティシエに繋げてうるうるしちまう。和製ジャンギャバンイケメンは、雑誌の表紙を飾るほどなのに、りょうさんに認められるということでというのが、和製ジャンギャバンイケメンのポテンシャルならばその荒業が可能だろうというべきかと思わなくもない。
直ぐ様観賞会再開。ことわるりゆうがござぁせんイケメンの満足、些か突飛ではあるものの、お父さんの納得。この名画はキュンキュン。キュンキュン。キュンキュンにあらず。キュンキュン。キュンキュン。うるうるキュンキュン。
午後7時前。カップラーメンと包装米飯と発泡酒で「トガニ」観賞会開始。メニュー画面まで観る。夕方「ピーチガール」観賞会終了。ことわるりゆうがござぁせんイケメンがピーチスマイル前で泣いてて、落涙した。キュンキュンあり、うるうるキュンキュンあり、キュンキュン涙率キュンキュン。エンディングでの校内ーイケメンの投げキッスをモグモグことわるりゆうがござぁせんイケメンの二人にもキュンキュン。
映画紹介で久しぶりにチャン・ドンゴン氏の映画紹介を観た。お歳を召されたようで、ピチピチチャン・ドンゴン氏はもっとイケメンだったなと単純に思う。どの映画を観てチャン・ドンゴン氏かっちぇぇと思ったか忘れたけれども。
「トガニ」観賞会前に、ウィキペディアで「ピーチガール」を調べる。インターネットでDVD特典映像の存在を知る。観れたらとても強く観たいと思う。
2024.10.10 am0:30
「トガニ」観賞会終了。
あれこれ思い込んでたら、
地球にどっちでもたが、例えば野郎が40才オナゴが15才の二人の人類だとどういうことか。我々にその判断力はないのではないか。枠組みもなければ、発達もない二人の人類。それから屍を積み重ねていくことが人類に出来たならば、人類は屍を積み重ねていくことにかかっていく生命論理のリョウシキとして、その二人の人類に、感謝すべきときはじきじき、じきじきもなければじきじき、その屍インフラを積み重ねの拍車。100m走で、140才と1才4ヶ月が、同時にゴールインという過程のインフラがあるのか知らんが、毎年行っても面白くはないそれがある意味では、長丁場の人類ということはどういうことだろうか。
お昼前まで眠る。
名作ピーチガールで、ことわるりゆうがござぁせんイケメンも色白好きでもないようだったイケメンと、その二人以外は、林真須美型を選択し続けている人類ではあるから、どうどうじきじき、どうどうつごうなどあるわけだが、その二人こそ、それ以外が、エノラ・ゲイ型のたしゃへのすべてが十断であるべき論がある。エノラ・ゲイの全体を拡大すると人類、地球ときりがねぇんだが、国家、枠組みの段階でもほぼ十断でも、その枠組みは十団、十段である。ちょうど先程トイレで日めくり日米・開戦・終戦で1945年8月5日までを読んだところでもある。「トガニ」でも、エノラ・ゲイ型は、完全な聾である。日めくり日米開戦・終戦では、けつにオバマ大統領が広島訪問があり、謝罪の有無もあったが、原爆を使用させない謝罪は誰か、原爆を使用した謝罪は誰か、その前日は沖縄コーナーだったのもきりがねぇ。人類の子供と言っても過不足ない、過言もない、今でも今までも、これからも、140才のお誕生日は届けない子供らを人類は、その子供らに、140才ねぇよという聾である。
午後2時頃お買い物へ外出。発泡酒購入を迷うも購入。天下一品カップラーメンをも買う立場になったことはないながらも購入。道中、エノラ・ゲイが、1945年8月7日になる時空間というのはどういうことかを合算で10秒愚かにも思い込むも、よく分からないという結論から、よく分からないという結論を導き出す。正午で12時間の時差の有無の基本の社会性というか知識がない上で思い込むという寝惚けの典型的な思考手順ではある。
本日は「交換ウソ日記」観賞会でキュンキュンしようと思い込む。
早速味の素から揚げとバーリアル発泡酒とヤマザキチーズバーガーで観賞会開始。セトヤマ君と廊下で会って、イケメンアマがイケメンアマと出会うまで観る。セトヤマ君がイケメン野郎過ぎて、最初のお手紙でのセトヤマ君がセトヤマ君か、映画の題名からも、最初のシーンを再度観る。セトヤマ君が二人以上いるのかも知れないと思う。
セトヤマイケメンとクロダイケメンがカラオケ屋さんからの帰り道の途中まで観る。セトヤマイケメンはほとんどイケメンというよりのんだくれのおっさんのごとき名演技は、それまでの当映画観賞会で思ったことを何となく書き留めること以上に、私は新鮮だったので書こうと思う。当映画は野郎よりオナゴが好むプロポーションが高めなように思う。
遊園地での全員集合で、クロダイケメンとセトヤマイケメンの二着まで、天下一品カップラーメンと包装米飯を食べながら、午後4時半頃観る。交通手段、洋服、それなりに一流のヘアカットマンとか化粧マンがいるにせよ、洋服で小林幸子さんに勝てる人民はいないから、その洋服になるとほとんど身動きの問題があるほどに、いずれ地球を着るというのは、ほとんど海水浴場で、永遠の奴等も大昔からいるけれども、それは砂浜の衣裳という視点もあるけれど、地球ファッションでは、砂浜が楽なのと他者がいるということ、モルタルだと笑えないということなど、例えば今日日イケメンオナゴが、モンペに防空頭巾とか、それなりの安全対策ファッションだと、人民というかイケメンとして、そのオナゴもだが、社会を何とかより良い社会にしなければ、まだ空襲の可能性からは何ら変化のない二千年のトレンドファッショズムとして、遊園地集合ファッションというのは、そのじきじきに最善のファッションの世代、1才4ヶ月でもいいファッションでも、140才でもいいファッションでも、タンキケッセンでの脳足りんが生きていける、そのイケメンらかならば、そいつらの高校も知らん脳足りんどもの人民だし、マキシマム ザ ホルモンという名前は見たことはある私だが、やはり1才4ヶ月、140才は音楽は当然、名前は聞いても覚えるとか知ってるとかという次元でもない。ポスターも、基本は軍人だったり国家元首とか君主だが、その社会性というのは芸能人に近年は特にあるわけで、天皇陛下の御真影より、イングリッドバーグマンにある意味ではお祈りに近いというより、ちんこでしこしこした奴等はいただろう。では、天皇陛下の御真影でオナゴはオナニーしてた奴等が当時いたかいなかったか。御真影はなかった時代と、ずれる時代も日本の場合あったりなかったりか。楠木正成とか、卑弥呼とか、小野小町とか、書きようがない、勿論フィルムの意味が基本からして意味なきものにさせるほどのそれらのだが、卑弥呼が外車乗り回してる絵画だとか、小野小町が自家用ジェット機に乗ってるどころか、寧ろ操縦士か整備士での絵画だとかというモダニズムとなぞなぞかましてでも、卑弥呼が分からない以上、卑弥呼では出来ない。卑弥呼以外がほぼ出来ないと同じ理屈でもないが結果としては不可能。
明日になる前に観賞会終了。次は今回のレンタルDVDで私が最も期待していた「なのに、千輝くんが甘すぎる。」観賞会予定。「交換ウソ日記」の第一のイケメンは、NHKラジオ講座の人だろうか。ちょっと声の色気と抑揚が、第一のイケメン桜田ひよりちゃんとNHKラジオ講座桜田ひよりちゃんと結び付く声ではないように思う。たぶん桜田ひよりちゃんはえいごでぇぇぇボキャブラてんごくの声の人だから、全身の表現というものがあると映画での桜田ひよりちゃんということだろうか。秀島ふみかさんをより万人受け気味の桜田ひよりさんのような伝達の目的の生活というか向上力が頂点気味の、より若年層向け秀島ふみかさんというか。端的に書くと鼻がそれほど詰まり気味ではない秀島ふみかさん。
2024.10.11 am0:30頃。観賞会開始。
かけっこで、千輝くんらしき、なんとなく韓国風な感じなイケメンのように思わなくもないイケメンを遠くで見ているオナゴが園芸してるイケメンを見ているということだが、その第一のイケメンはぱんちゃぱんちゃしてる。第二のイケメンもイケメンというか可愛いオナゴだが、第一のイケメンはぱんちゃぱんちゃ型。
午前3時過ぎ。プロスピでOB第二弾イベント試合を行い、「交換ウソ日記」のウィキペディアを観る。桜田ひよりさんはボキャブラてんごくではなくて、ボキャブライダーの人だったらしい。もっと年齢が高めな人だと思ってたら随分若者だった桜田ひよりちゃん。ここまで書いてたら、本日真夜中の観賞会開始に麻婆豆腐と包装米飯と発泡酒で、夕方のカップラーメンと包装米飯、途中バタピーも食べながらでお腹が前に膨らんで、基本は痰が絡むんで咳き込み35年間だったが、咳き込み過ぎて麻婆豆腐を枕に一滴吐く。そう言えば麻婆豆腐を本日食べながら一滴ズボンにも溢したと思う。そしてトイレで残りのゲロを出し、うんちも出す。
「なのに、千輝くんが甘すぎる。」は、ぱんちゃぱんちゃイケメンが、片思いメモを落としたところまで観た。キュンキュン少ない映画。お寺で、お魚さんに勝ったという思考回路ぱんちゃぱんちゃイケメンは、お魚さんを見るよりという比較論という原理の皆無の瞬発力というものに魅力があるように思う。それを使用したという技術屋さんだろうか。無論ある意味では、お魚さんに限らずぱんちゃぱんちゃイケメンのお顔を見ていたいという基本原理も漂わせているだろう。確かに千輝くんはイケメンだけれども、ぱんちゃぱんちゃイケメンはイケメンだから、どちらかと言うとぱんちゃぱんちゃイケメンが大人気であるはずではないかとすら思わなくもない。
午前5時前。「交換ウソ日記」観賞会でその時に私が瞬間的に思ったことを暇すぎて書こうと思う。先ず制服がバニーガールだったらと、極め付けは、最後にキスシーンがあって、その美しいとは言える瞬間に、ちんことまんこのキスシーンという映画は可能だろうかと思った。
高校生は駄目ですとしても、青年どもが、最後の恋のキュンキュンの結末のキスシーンの時に、二人でズボン、スカートを脱いで、パンツで見つめあう。パンツが見つめあう。下着は完全には脱がないのがキュンキュン。健全と言えなくもない野郎はそれで勃起してことこそが恋の証しでもあるし、それで勃起してなければ、相手に恋はしていないとさえ思わなくもないが、それでは下半身の恋と思わなくもないにしても、パンツは降ろさずとも、勃起したちんこを出す。そしてオナゴパンツは、お尻は出さずに前面をチラリズム。しかし青年野郎の勃起では野郎がしゃがむがむしゃらで、オナゴパンツは背伸びでキュンキュンアピール。ぺたっ♪