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2024.10「神と共に 第1章 罪と罰」「神と共に 第2章 因と縁」「九月の恋と出会うまで」「バトル・オーシャン」「カノジョは嘘を愛しすぎてる」感想2

2025-06-13 20:12:52 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2024.10.16am2:00

「九月の恋と出会うまで」の北村さんと平野さんの最初の会話を再び観ようとして、最初を何気無く観たら、観客にもと言うべきか、北村さんの最初の言葉から始まっていた。「物語は、その恋を見つけた日から始まる」と。最後に北村さんが平野さんに一目惚れを吐くという一連だろうか。「きせきだぁぁ」は平野さん独りだけへの台詞と言うべきか。平野さん以外の人々に北村さんは、「きせきだぁぁ」ではない皆様として、礼節を弁えた「物語は、その恋を見つけた日から始まる」と義理立て型。当然その対象に皆様は含まれてないということも。


引き続き、演奏会で初めて北村さんと平野さんお互いの出会いを観る。北村さんはオナゴで、平野さんは野郎だった。


引き続き観賞会で、北村さんと平野さんのエアコンの空気穴会話を観る。

「きせきだぁぁ」とともに、「よかったぁぁ」

とまで書いて、演奏会で平野さんは北村さんに何か吐いたか気になり観るも、北村さんは演奏会では吐いてなかった。ということは、映画冒頭の台詞もあることを鑑みて、エアコン空気穴、そして北村さんにとっては1年前の平野さんと初めての会話にも、なるべくキュンキュンがいいけれども、それらしい台詞だったのかぁということだろうかと思うべきだろうか。


引き続き観賞会。エアコン付けちゃったんですかまで観る。北村さんは「え。え。あのぉ」「何か問題でも」。それほどの意味はなさそうである。


引き続き観賞会。「信じますよ。貴方は嘘をつくような人間じゃない」まで観る。平野さんは既に恋が芽生えてるとなると、ほぼその言葉を北村さんの最初の台詞という盲目状態。しかし、1年後に出会った北村さんの最初の台詞も要注意かも知れない。


引き続き観賞会。1年後に平野さんはてめぇのお部屋に居ないことの講釈も丁寧にあったのかぁと思う。北村さんの声が違うというのは、どこで整合性があるのだろうか。1年後に声質が違うことも確率は低いし、エアコン空気穴ではくぐもった声とでも言おうか、私はどちらかと言うと今回の方がより北村さんの声がエアコン空気穴の声だと思ったほどではある。先日の観賞会をふと思い返しても、声質の件に触れてたのは、エアコン付けちゃったんですかぁしかないように思う。1年後の同じ時期に北村さんは風邪を引いていたかも知れない。海辺からは過去がないというか。


引き続き観賞会。映画に納得しきれないのは何故かと思い、シラノが最初に云った言葉のそれそのものの場面はバスの社内だと思ってたら、北村さんの玄関にもあったシャボン玉ワールド中だった。平野さんが「きせきだぁぁとかですか」と全く同じ台詞だったんだぁと、その二人にキュンキュン。


一応再びそのシーンを観る。名場面だと思う。


直ぐ様名場面を繰り返し10度近く観る。名場面に語られない名場面があるのではないか。名場面と撮られてない名場面が同時で進行していたように思わなくもない。

しかしそれでは、最初の名場面前の細かい名場面ということでは、顔芸とでも言うべきか、映画名場面にその名を連ねられると瞬間的に思ってしまうほどのその名は、

とまで書いて、バス車内のパブリックと校庭内でのパブリックというより、平野さんは既にバス車内で平野がシラノであるか、シラノが確実に北村さんの1年後、その次ぎもその次ぎの誕生日も来ることを決定付ける何らかがあったのかも知れないと、暇過ぎて思う。


午前4時40分になってた。

合算で20度はシラノの最初の言葉って分かります?シーンを繰り返し観る。

一度目の観賞会で分からなかったのは、平野さんに集中してしまうわけで、「きせきだぁぁとかですか」の第一声を待ってるから北村さんを観てないけれども、劇場はそれなりに一発勝負もある部分としては、顔芸を効果的なのか、終盤での顔芸は、背後のシャボン玉が凄かったのかも知れない顔芸かも知れない。数秒間の映画名場面だと思う。

主演の二人は、高橋一生さんと川口春奈さんというらしい。製作者の名前コーナーで写真が流れるが、個人的に、撮影以外の和気あいあいな写真とかだと好みではある。

「きせきだぁぁとかですか」は、近年では、「ミィィブライアン」の名場面並みに好みの名場面だった。二度観て良かった。それを知っただけだが。


2024.10.21am9:19

なるべく「九月の恋に出会うまで」は川口春奈さんの顔芸のシーンのみをYouTubeなどでダウンロードしたいというか、そのシーンを100回以上観たい理由がある私は、それが激恋という部分としての私は、DVD(たぶんブルーレイでもっと凄い「九月の恋に出会うまで」はないと思う。)豪華版というのがあると観れたら観たいと思う。「ピーチガール」もなるべく山本美月さんの「ことわるりゆうはござーせん」と和製ジャンギャバンの「いい人ぶってんじゃねーよ、吐き気がする、三回死ね、修学旅行中に虫歯になれ」も100回以上観たいという理由がござーるけれども、「ピーチガール」も豪華版があるので、みたくないりゆうはござーせん。激愛の部分だと思う。

どちらもインターネットに、その映画史上屈指の名場面を流してないのは、映画史上屈指の名場面になる作り手への敬意、尊重と善悪なしに捉えるべきだろうか。そのピンポイントインフラのみは。

何度も観たという映画のシーン(個人的映画史上屈指の名場面)だと、「ノッティングヒルの恋人」の玄関前ボディビルダー、これは超激愛。そのシーンだけを観たのは一度か二度で、「ノッティングヒルの恋人」は全体を何度も観たということでは、それが野郎だということと、インターネットで、そのシーンだけがあるとかないとかの時代でもなかったということかも知れない。

個人的映画史上屈指の名場面コーナーを書いていこうと思う。暇を活用して。


以下。思い出した時にそれなりに随時追記。


盲愛レベル



猛愛レベル



蒙愛レベル


毛愛レベル


網愛レベル


亡愛レベル。これはそいつらの愛、そいつらの愛らしさが、私の愛の完全なる死を意味するところのレベル。勿論私の愛の完全なる死が成功したと呼べばそう呼ぶというどっかの第一次寝惚けのおっさんとして。



2024.10「神と共に 第1章 罪と罰」「神と共に 第2章 因と縁」「九月の恋と出会うまで」「バトル・オーシャン」「カノジョは嘘を愛しすぎてる」感想1

2025-06-13 20:12:18 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2024.10.12

お昼を二時間程回ったところ。今回レンタルDVDは「カノジョは嘘を愛しすぎてる」が最もキュンキュンしそうなので、最後に観る予定。


「神と共に 第1章 罪と罰」の映画紹介を全て観る。ジャッキーチェンは、随分老けたが、シルベスタスタローンにちょっと似てると思う。シルベスタスタローンも老けたが、老けたシルベスタスタローンは老けたジャッキーチェンに似てるとも言えなくもない。


観賞会開始。1593年の論介(ノンゲ)まで観る。論介というのは誰か知らん。韓国では知らない人はいないレベルの名前だろう。聴いたことも見たこと(読んだこと)もない。その消防士さんは、猟奇的な彼女の男の子の方に似てる。同じ役者さんだろうか。シンセゲ以外では韓国映画で、昔GyaO!で観れたからという理由で最も複数回観た映画なので、その主役の男女は分かる時が私はある。

直ぐにウィキペディアで珍しく途中で調べる。苦笑いというより純粋に笑う。やはりなんとなく水軍というか、そういうことはここでは書く知識が豊富でもないから書かんでおこう。


ガキンチョ大王の途中で、まさか泣くとは思わなかった。なんというか神と共にとか、罪と罰とか、仰々しいタイトルだったのと、たまたまバトルオーシャンもレンタルDVDした個人的経験則もあるから、そりゃぁ泣ける枠組みもてめぇらだろうが、こっちも泣けるとか一言も説明がなかったので、それは泣くことではないのかも知れないけれども、ガキンチョ大王がキャンディーなめてやがるのもなかなかいかした相乗効果の新たなる取り組みの過程の新機軸。


2024.10.13なりたてほやほや。

昨夜22時頃まで、お昼過ぎからすやすや眠り、起床後観賞会。砂の涙でうるうるさせやがる。くそみそ話なので、ないたらいかん、ないたらいけんよぉと思いつつ、少し泣く。第二章 因と縁は、マ・ドンソク氏が登場しない方がどういうことかということだが、登場ということだろうか。本日は第二章観賞会予定。


正午。早朝までに白猫毛皮のシーンで、極薄うるうるで、少し思ってたら正午観賞会をその件を一昔前は巻き戻り、今は早戻しらしい専門用語で観る。白猫毛皮こぇぇなと思う今日の私。


午後1時過ぎ。観賞会してて、マ・ドンソク氏の悪い人間はいない、悪い状況があるだけだというようなマ・ドンソク氏ならば吐ける白物も考えさせられたが、使者というのかの三名、二名の刺殺、刺殺で泣いたのは人生で初めての映画か小説か漫画のわなってねぇなぁ程度を個人的に理解していく能力半端じゃねぇ私は、ちょっとひっそりと狼狽える。


午後2時。テレビとか観てないので、期待度0で韓国歴代興行収入すげぇらしいとウィキペディアで読んだだけで観賞会したら私にだけも思われたくもないだろうけれども、難しいテーマと言えば、そりゃなんだって難しいテーマだけれども、フィルムの可能性、当然プロパガンダ多様性、恐らくは映画紹介ですら一つのDVD商材として懇切丁寧のいちぶぶんは徹底的、しかも第一章観賞会後ウィキペディアで読んだら韓国初のスター・ウォーズ23型、バックトゥザフューチャー23型らしい映画のようでも、それらの超映画ほど、続きがなかったら死人はちょいっと出るほどでもないことすらも視野に入れたことのインフラも使用はしとくレベルとしての誇りはよく分からないほどに、そのレベルがすげぇわけで、特に韓国映画ファンであったためしは生まれてこの方あったためしはないので、なんとも言えない「バトルオーシャン」レンタルDVDを控えている私は、そりゃぁそっちは、てめぇらというレベルしゃんりんしゃんならば平和主義の快挙の水軍の枠組みのそれでもまぬけしんしとまぬけていじょのサポーツマンコシップラにしかならぬのが生命体だけれども、


何を書こうとしてるかどうでもいいドキュメントらしい流れにのって、次は「九月の恋と出会うまで」観賞会予定。


2024.10.14

午前10時30分。24時間寝ちゃったなと思ってたら、12時間寝ちゃったらしい。今日は「九月の恋と出会うまで」でキュンキュンの目的意識が高めな私。


2024.10.15

昨日「九月の恋と出会うまで」観賞会終了。「バトル・オーシャン」ありゃぁまじかと思う、李舜臣将軍の一隻で、どう見ても武田な来島は、「七番房の奇跡」、つい最近観賞会した「エクストリームジョブ」のリーダーのように思う人のいっぱいいるお舟と戦って、朝鮮の人々が勇気盛んになる瞬間まで観る。

「九月の恋と出会うまで」でキュンキュンしなかったけれども、北村さんが、平野さんに最初に吐いた言葉にもかけられたそれに、パラドックスのようなものがあったというか、強盗殺人回避と海辺で出会うパラドックスはどうでもいいかんじにしとけばいいんだが、きせきだぁぁと言ってたのかというのが、その第一声のきせきだぁぁを私も覚えてなかったけれども、第二声のきせきだぁぁが、変質すべきものとしてのきせきだぁぁというのは、寝癖に関しては、北村さんを最初から一目惚れならば、初デートよりも前に寝癖がない常態化であるか、その時の平野さんにパラドックスがしょうじて、私は他の映画紹介と混同して「九月の恋と出会うまで」を観てたふしがあり、どうしても北村さんを救えない繰り返しをしてる映画紹介というのは、違う映画のはずで、ゲオで初めてその映画題名を観てレンタルDVDの予定になかったけれども、キュンキュンくさいなと思ってレンタルDVDしたので、何度繰り返してもオナゴを救えないんだ!のようなのは、今回のオオトリ「カノジョは嘘を愛しすぎてる」ならば、必ず早期に死んでしまうカノジョということでもないから、レンタルDVDにない「君と100回目の恋」だろうか。題名がそのようにも思えなくもない。ある意味では「カノジョは嘘を愛しすぎてる」がそれであることで、その論理でのラストシーンが超キュンキュン可能性は高めのポテンシャルはあるように思う。救えない野郎そのものの嘘よりも、オナゴに別枠の嘘を使用して、10年前にその野郎に救われていたということと、オナゴが野郎をそれでしか救えないその瞬間を繰り返すとか。


ほどなくしての午前11時前。昨日「日めくり日米開戦・終戦」を読み終え、トイレに置いたままの須賀敦子書評文庫が、気になる作家アントニオ・タブッキ前で数ヶ月経って昨晩から読み進め、ペソアの件は感心した。「日めくり日米開戦・終戦」は難しいと思うほどの知識も感性も人格もないからそれなりに読むというこではスムージーだが、ちょっと難しいという程度に雑誌とかはよく読んできた私は書評文庫はちょっと難しいと思える水準かも知れないから読み進まないから、これからトイレでは「パラスター」読書にしようと思う。北上さんと松江さんの書評で、読めたら読もう「パラスター」だったが、本の雑誌も少し何度も読んでた箇所もあったので、最近は北上さん風に、「カーネルおじさん泣けるよ」という言葉を、YouTubeで観れた国語が微妙というより国語の発展課程「僕らのごはんは明日で待ってる」を観て数日間合算で1分は思ってた。


正午を30分程過ぎた頃。包装米飯と豆腐なし麻婆豆腐を溢さず食べ終えながら「バトル・オーシャン」観賞会。

ちゃりあんねぇ

そなたの姿を見ながら

安らかに逝くよ

で、少しうるうる。

麻婆豆腐はより早くお皿を洗わないとお皿に麻婆豆腐のしつこい麻婆豆腐の垂れがそれでも落ちないのはお皿か洗剤か。


午後2時頃、「バトル・オーシャン」観賞会終了。特典映像もあったので特典映像観賞会も終了し、ウィキペディアを見る。みょぉりゃぁおという原題だろうか。バトル・オーシャンというのは危うくB級映画題名の原則の政治的意図か日本人への配慮としての平和主義的な邦題のように瞬間思う。最後の軍人以外の人民が、李舜臣将軍とかの水軍を崇めるのも少しうるうるしそうになったが、李舜臣についてだったかの特典映像での、李舜臣将軍役のチェ・ミンシク氏で名前は合ってるはずだが、正座して涙をながしてるシーンはちんこは熱くならないが、胸が少し熱くなったかも知れない。チェ・ミンシク氏が正座させられて泣かされてるわけではなかろうけれども。

本日は、キュンキュンしたがってる最近の私の今回最大のレンタルDVD目的「カノジョは嘘を愛しすぎてる」の観賞会をしようか、明日まで、違うことを思ってる風を装って生きてるだけにしとくか思案中。


午後3時。「カノジョは嘘を愛しすぎてる」観賞会開始。映画紹介を観る。「幕末高校生」の映画紹介がある。「幕末高校生」は石原さとみちゃん見たさにレンタルDVDして10分程度観て返却した最近だったか昨年だったかを思い出す。「エクストリームジョブ」もそのようにして再びレンタルDVDして観賞会したら面白かったので、観ようかと思ってもたぶん観ないだろう。「何がジェーンに起こったか」と「ハリー・ポッター」(ハリー・ポッターは数年後全シリーズを観る。一応りょうしきばかまるだしじつげんむまるだししの奴等としては、二度図書館で借りる必要が私はあることおめでとさんと、だからかぁぞくらのすけかけもちのしゅうかつのぱーけんりの奴等の人権のうわぬりもあったんだろうこともあったなと思い出す。)は全く観なかったか少し観てレンタルDVD返却を思い出す。「北北西に進路を取れ」はレンタルVHSで、ちょうどビデオデッキが壊れてビデオデッキがちょうど取り出せなくなったことも思い出した。


夕方まさか私がお買い物とは誰も思ってないはずながらお買い物という独自解釈で外出。ヤマザキテリヤキバーガーが半額手前20%でレジ回りで視界に入りやがり購入し発泡酒と食べながら、映画紹介の続きを観る。「永遠の0」まで観る。やはり井上真央ちゃんの完全な組手から繰り出される、「必ず帰ってきます」「約束ですよぉ」でその絶対的組手でも微動だにしない宮部久蔵さんのシーンは、嫌なもん見ちまったというシーンだが、映画紹介用にも効果があるシーンのように思わなくもない。私は少なくても、それで観ようと思わないけれども、居間と台所がLDKほど明確ではない「どういうことですかぁ」のげんざいのシーンが、過去のげんざいのシーンで「どういうことですかぁ」があって、「その人は一体誰だったんだろうねぇ井上真央ちゃん」が目的という些か悪趣味な動機だったかも知れないと思い出してるというよりちょっと違ったかも知れないけれども、映画紹介観賞会続きをしようと思う。


午後5時を半分過ぎた頃。

タワーレコードで、オナゴが高校生だったのに笑ったが、当映画は世界平和という聞き慣れず見慣れない言葉が出る。

思わず製作年月日を調べたく、レンタルDVDケースを観るも2014年前後らしい。

主役のイケメン野郎は随分売れっ子?頑張り屋さん?に?は付けられんな。頑張り屋さんじゃねぇ人間も生き物もいやしねぇんだが、佐藤さん。名前はまだ覚えられないけれども、私が観る邦画に少し多めに出てる佐藤さん。佐藤さんが、歌う女は好きじゃない発言が、あれは渋谷だろうか。五十嵐なつちゃん名画で五反田は瞬間的に分かったけれども、佐藤さん歌う女嫌い発言が、効いてくるということか。レンタルDVDだからか、そのオナゴらしきオナゴが歌ってる映像を観てるからオナゴが必ず歌うとしか思ってない私は、オナゴが世界平和によく似合うという筋ではないだろうけれども、一目惚れを嘘を愛しすぎてるわけでもないだろう。ちょっと疲れたので、書くのを止めて観賞会開始しようと思う。


午後6時半過ぎ。歌がどれほどうめぇのか私には分からないオナゴが、自宅に帰還まで観る。咄嗟と、トニーアルバのお父さんがお父さんだったら、そのオナゴは怒られる服装、風紀だと思いつつ、おしっこしたくなってるので、おしっこしなければならない。


午後8時過ぎ。トイレでは「ふしぎなキリスト教」を読むことにした。対話形式なので好みの書籍(新書)。


30分後。観賞会開始。直ぐ様お手々だけでバイバイシーン。ちょっとキュンキュン。川沿いでのお電話シーンで佐藤健?高倉健さんのような三文字だが、佐藤さんと、小枝さん?が同じ場所にいた時もちょっとキュンキュンした。映画紹介でレンタルDVDなるべくYouTubeとかニコニコ動画で観れたら観たいと思ったけれども、キュンキュンというより、泣けるような能書きがあったから観たいと思ったのかも知れない。キュンキュンというより、キュンキュンならずで泣けるというべきのような。とてもキュンキュンな映画のようには佐藤さん真面目な役というか、護られなかった者たちへ?護られなかった者へ?かを1年前以内だと思うけれどレンタルDVDして佐藤さんの識別がそれ以降ある私は、キュンキュンというより重厚というかの映画かも知れないと思い始める。

小枝さん?は、とても高校生の、そして男女の会話でも、そして知り合って間近のでもないような、特に佐藤さんへの守護者宣言、そしてプチ野菜をこれまでに二度佐藤さんがいる場で転がしてる。

それほどそれに頓着せずに観進めようと思う。お手々だけでバイバイは、例えばお手々だけでシコシコよりも、記憶にも、愛にも、栄養はどちらもどっこいどっこいか、勝るだろうと思う。人向けは特に。


午後11時過ぎ。約一時間前に観賞会終了。ウィキペディアも観る。


後少しで明日。ピーチガールは漫画を読めたら読みたいと思った。漫画にもちゃんと、漫画が原作らしいので、漫画で「ことわるりゆうはござぁせん」「いい人ぶってんじゃねぇよ、吐き気がする、三回死ね、修学旅行中に虫歯になれ」はあるらしいから。改めて、この二つの名言は、言う人を選ぶというか、言う世代も、80歳同士だとかだともっと面白くなる名言。




2024.10「マスカレード・ホテル」「マスカレード・ナイト」「恋空」「チェイサー」「君が落とした青空」「月の満ち欠け」感想

2025-06-13 11:20:45 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2024.10.16

本日新たにレンタルDVD。

「マスカレード・ホテル」から観ようと思う。


午後6時頃。観賞会開始。

メクラのばぁさんがチェックアウトからの長澤まさみちゃんとの件でホロホロ。インターネットの何を読んだか、映画紹介の何をもって観たいと思ったのか覚える必要がないんだが、もっと緊迫したサスペンス映画という先入観として、一応まだ会話の途中だから、メクラのばぁさんさんかいきなりでばをふりまわす可能性は0とは言えないけれども、涙度数だとウルウル>ホロホロだという個人的な知識に基づかない感覚でホロホロしちゃったので書き留める。

よく見てなかったからか、犯人の数列は座標だろうか。それを公開しても意味はなかろうが、仮にその座標上にマスカレード・ホテルではない名前のそのホテルがあるとして、それが公開されてるという前提ならば、そのメクラではないばぁさんは、犯人か、犯人らに、他の人間をぶちころさせんようにわざわざ丸腰、ステッキはそなえてはいるものの、その人道、その道徳なるものを展開させるということだと、それはそのホテルを完全に公務員というべきか、殉職が含まれるじきじきの奴等で全人員を配置させるべきということも人として誰も言えないけれども、殉職よりは明らかにそれで死んじまった方が病死だとか、変死、全く違う死因、死因すらない失踪とかありながらもとか思いつつ書いてもきりがなさそうなので書くの止める。


午後7時前。座標というより暗号が座標になるような日付の引き算らしい部分まで観る。部屋番号だろうか。そうなるとすげぇホテルでも数日で次ぎのお部屋はどこだということになるから、思い浮かぶのはちと違うけれども、そして誰もいなくなった。一度しか読んでないけれども、ほとんど覚えてない。


午後7時。お守りでウルウル。


2024.10.17pm1:00前。観賞会終了。次ぎは「マスカレード・ナイト」観賞会予定。

善意という論理を使用していたので、最終的にも善意かと途中思うも、最終的運動会の最大のリスク効率化運動会であるピンモノサツガイジケンジツゲンカというものがある筋だったから、善意の解消というものではどうなるのか見てたら、情婦型だった。単発で、私ですら分かる俳優さんは分かるほど、超有名なテレビに出てる人がいっぱい出てた。


ほどなくし、「マスカレード・ナイト」でいっぱい映画紹介があって、シン・ウルトラマンまで観る。ウルトラマン世代だけれども、ほとんど内容覚える世代でもない私ですら、ウルトラマンが凄くなってるのに、思わずポータブルDVDに「すげぇ」と呟く。ガメラのようなのがおしゃれというか洗練ガメラというようなものかと思った。ウルトラマンの暦は3分だが、この年にして初めて、3分過ぎたらシュワッチして、1秒後に、シン3分はウルトラマン難しいのだろうかと思う。或いはそれは、ウルトラマンの乱心があっても、3分では人類は滅亡はしないとしても、例えばそれがゴジラだったら、ゴジラは3分以上というより変身ではないけれどもりょうしきから変身だが、ミニラというどうしても関り合いさえしなければ可愛いゴジラの子供?要するに、空襲、開発、保存行為などと変わりはそれほどないゴジラだろうか。ゴジラを一度も観たことないけれども、最近映画観賞会での映画紹介で観た最近のゴジラは当時の気合いのはいりかたと然程変わり映えはしないように思わなくもないけれども、霊長類ではないという前提、どう夢想しても哺乳類でもなさそうな成り、ヒグマよりももぐれるというか、ゴジラならば、ゴジラで初めて巣穴から出られないと、ミニラで世の中に出ると人類にぶち殺されるかも知れないが、ゴジラでなくてもティラノサウルスが生まれたとして、それは地球上で唯一無二のティラノサウルスになるから、人類よりもではなくて人間よりもティラノサウルスが命完全に重いかもという141年目のティラノサウルスの知識が格段に重いという人格権としゃかいけんの死がたわわに実る、それはひん曲がってないということもあるやも知れないなと思わなくもない。


午後3時前。観賞会開始。「あいつだ」「あいつをよべ」キムタク登場かっちょぇぇと思うも、オケケの長さわ、散髪ですという前作のインフラだろうと思うも、メニュー画面で、今回は長澤まさみちゃんとは違うオナゴかと思ったら、完全に長澤まさみちゃん、しかも階級試験、階級闘争に踏ん張り続けたらしく、偉くなってるようでもある。続きを観よう。


午後3時ちょっと過ぎ。相棒というのがぼやけて、ピントがあったところまで観る。何度も映画観賞で見たことがあるおっさんだから、有名俳優のはずだし、前作では他の人は飲みに行くとかありつつ、一応子供をだしに帰宅なのか知らんがワインは一応飲み干す人も今回も出るらしい。散髪はもっとオケケの長さわとからめるというより、それは分かりきってる「あいつだ」「あいつを呼べ」で説明無用、問答無用ということが赴きのように思う。

前作もだが、劇場のお客様へ、超有名な俳優のつるべうちも、ご満足、無理とは決して言うつもりのない映画人の根性を、お客様に悟られさえさせずに無事に二時間を過ごさせるという映画かも知れない。殺人映画だが。


午後4時前。プロスピで、Sランクシリーズ2獲得のために温め続けた佳境の段階でもシリーズ1の連続獲得で本日もシリーズ1。ちょっと頑張ってAランクカードで、田渕くん一択といっても、田渕くんはガチャガチャやれる人向けというか、田渕くん欲しけりゃガチャガチャやれよと言わないで済ませる社会性があるはずなのだが、今回のOBガチャガチャでトリプルスリー版野村さんは大当たりしたので、超2でも育てようと思いつつ、Aランチカード獲得イベントで田渕一択でちょっとやってたら野村選手が当たり、喜ぶべきか。Sランクカード保存行為しつつシリーズ1連発で、しょんぼり連発だけれども、もう合宿所が定員いっぱいなので、選手カード抹殺、選手カード殺戮という、最悪の事態である。インターネットなのに。

満室と同じ原理主義。


午後10時。1時間前だったか観賞会終了。次の観賞会は「恋空」予定。キュンキュンというより、泣ける映画だろうか。


2024.10.18pm2:30頃。

宮部久蔵のお孫さんがお花を一応全身移動中ということで、花壇に果断なる決意をもって肥料まで用意し、これまたちょうどよく、ポッキーのコマーシャルしか見たこともないけれど、当時可愛いコマーシャル、可愛いオナゴだと思った新垣結衣さんと虹を見るシーンとともに、新垣結衣さんの恋心を鷲掴みまで観る。


午後3時。宮部久蔵のお孫さんと新垣結衣ちゃんが、早々に宮部久蔵さんの自宅ではないはずではあるこぇぇお姉ちゃんとガレージで出会う瞬間まで観る。難しいのは、2ケツのチャリンコは、スリル、よりマイノリティとリミテッドはあるにせよ、真心から二人の愛となると、2ケツは御法度、2ケツ危ない。子供もやらないし、おじいちゃんおばぁちゃんもやらない2ケツ。宮部久蔵さんのお孫さんは、お花を移動中をはなにかましたのは、それにあると言うべきだろうか。肥料となると、食事か精子か会話か。それが数分でも数年でも新垣結衣ちゃんがいきられるなんらかを、お花の移動中で宮部久蔵さんのお孫さんは新垣結衣ちゃんと数分か数時間か過ごすということだろうか。それ以上の時空間では世代としては家出の範疇。7年後の新垣結衣ちゃんは既出なので、新垣結衣ちゃんがヤンキーファッションは個人的吸収としてはないにしても、折り紙が移動中ではあった。新垣結衣ちゃんのお部屋にもあったということは、その動物?の折り紙、もしかしたらお花の折り紙の移動中ということであろうか。その移動後を宮部久蔵さんのお孫さんが鷲掴みにされるということだろうか。7年近くの空白があるのかも知れない。


2024.10.19午前7時になりかけの時。断片的に観賞会してるのはきっとキュンキュン映画ではないじゃんというキュンキュン映画目的の違いに起因することだと思うけれども、河原で指輪を投げる捕るは、どちらもプロ級の腕前だと感心した箇所まで観る。宮部久蔵さんのお孫さんに、何らかの事情が発生したということだろうか。宮部久蔵さんのその身勝手で我儘な振る舞いを他者がそれ以上のそれらによる宮部久蔵さんのお孫さんと新垣結衣ちゃんの何らかの愛の行く末の筋と思わなくもない。私は30年前位に、自発的且つ計画的に赤ちゃん前の赤ちゃんを一応殺したということはあるけれども、当映画は、あくまでも宮部久蔵さんのお孫さんと新垣結衣ちゃんへの感情移入をどうしていくか、どこかというのは映画だと映画の最後と呼べなくもないその線引きでの瞬間、映画だとそれなりに永遠的なる感情移入が、どれほど精巧、成功になるかならば、その二人の愛が花壇からの果断の鷲掴みカップルを、映画関係者、映画鑑賞者にとって、その愛も実ることがないということにあるやも知れない。愛が時代、ナチュラルに追い付けないとでも言わんがごときかも知れない。大昔からの愛と同じに。


直ぐ様観賞会再開。学園祭?で新垣結衣ちゃんコスプレでの初恋の心情アナウンスまで観る。今日日の初恋は、ラジオ、テレビ、映画、書籍などでの異性、物資、情報などに初恋という発展過程、発展課程はあるだろう。初恋をしょっとると呼べば呼べるけれども、主体と客体の差異ならば、初恋し続けるという生命論理というものもあるだろう。


直ぐ様観賞会再開。「聞かないんですか。イヴの日何であんなとこにいたのか。」「なんとなくわかる気するからな。」まで観る。それが仮に国家だとする。日本だと近代だと靖国神社とかに居たとする。国家「聞かないんですか。イヴの日何であんなとこにいたのか。」国家機能とは違う国家機能国民「なんとなくわかる気するからな。」。では国家とは何か。それを語る国家と、それを活字にしていく国家と、それを学ぶ国家と、それを読む国家と、それを国家のための国家と、それを国民国家としての国家と、


午前8時ちょい前。観賞会再開。前記はどこまで書こうとしたのか然程私に興味もなければ能力も根性もないからどうでもいいとして、小出恵介さんという新しい恋が発生。宮部久蔵さんのお孫さんの恋そのものを、その二人でということか、或いはどんどん新しい恋への社会性の勇気付け、恋っていいよねという努力賞的映画だろうか。恋によって人間は、恋だから、それが成就というのは二重の基準で、数日間の私は、ピーチガールの「ことわるりゆうはござぁせん」と、九月の恋に出会うまでのシラノの最初の言葉って分かりますか?での北村志織?ちゃんの顔芸に、恋をしてないとは断言出来るものでもない。


直ぐ様観賞会再開。花壇でばったりまで観る。その直前に、現在があるから、小出恵介さんとの恋が過去形に初めてなることを使用しての、宮部久蔵さんのお孫さんは、ガンか白血病だろうか。私のようにここ10年間になりつつあるけれども、ちょんまげと、全く毛深くないのもあるからか頭のてっぺんが格段に薄くなったのも初めての経験でのそれながら思うと、第三の男への恋よりは、宮部久蔵さんのお孫さんとの恋を、恋ではない何らかの恋としての新垣結衣ちゃんが、現在誰と携帯電話で会話し、誰へ向かっているのか。直前の直前に、ポッポに二人の人間が無差別バイバイがあるが、それが新垣結衣ちゃんの旦那方の母親と孫、要するに新垣結衣ちゃんの子供であれば、新垣結衣ちゃんもお手々をぶるんぶるん振るはずであるから、電車通行娯楽の市民権だろう。


直ぐ様観賞会再開。宮部久蔵さんのお孫さんのプロ級のスローイングの喚起まで観る。アンダースローだったのかというのと、それは新垣結衣ちゃんに渡すためとも見受けられなくもない。


午前11時になろうかとしている時。1時間前だったか観賞会終了したけれども、ミカちゃんを宮部久蔵さんのお孫さんは蜜柑のようなネームバリューとわざわざ吐かせたのは、電車通行娯楽で、幼子はそこに、それに人間が乗ってるとはまだ分からないかも知れないけれども、新垣結衣ちゃんは、そのドラマツルギーによる蜜柑というものを想起したことが強めだろうか。しかし二人でそれはやっていて、三人となると駅、あまり駅の効力を周辺事態として発揮しずらい、どちらかというと郵便ポスト型駅、いつの日か繁栄も視野に入れても、もっと発達し続ける郵便ポスト周辺事態、駅周辺事態とかそういう問題のこじつけ理論はどうでもいいとして、家族の三人にミカちゃんという蜜柑を車内の新垣結衣ちゃんが、私が蜜柑の蜜柑かぁ。人間だから駅で降りるし、走行中にばらまかれもしないしと。しかし新垣結衣ちゃんは帰還でござる。窓というか搭乗口は駅で一応勝手に開く。ということは、蜜柑からの踏み込み、野暮を勇気とした場合の一撃、移動中、ある程度であってもなくても、誰もが痛みを持ちながら目的へいきていくということが電車内だと少しは想起されやすい時空間として、蜜柑をばらまく少女、そしてそれをその少女以外に何人も知らない、そして大問題はもはやSLではない、他者により、圧倒的大多数の他者によって走り続けている人によってはたった一度の電車内と。移動中ということでは、1歳4ヶ月が既に死んだ14歳が、14歳が死んでいる140歳になるという人間という、病死ならぬ秒死というものも、時間の死と共にしか、我々は生きても死んでもいないしいかないから、時間が死なないようにしていく心がとっても優しい人間が居たとなると、それはどういうことであろうか。空間の死はないから、空間の固定か空間の不変ということか、空間の死をもって時間の死を贖うというよりセットですとなると、


午後7時半前に「チェイサー」観賞会終了。今回のレンタルDVDのシメ「君が落とした青空」のDVDの映画紹介を観終え、メニュー画面を観る。キュンキュン映画のようで少し期待度高し。見たことも聞いたこともない映画だが、ゲオにあるレンタルDVDの背中が語る雰囲気で、ほとんどレンタルする気は起きないけれども「君が落とした青空」は裏表のジャケットを観てレンタルDVD。その筋だと、アーロはジャケットで泣いていただろうか。たぶんアーロが泣いているということで観賞会が、それはある程度感傷会としての動機の喚起があるとしても、では地球が泣いているということはどういうことか。1秒が泣いているというべきか。他の惑星は、地球のような精巧と性交な生命まだまだ作れねぇという部分では、サドカイというかゼネコンというか儀式、特に141年目以降に変質して特に威力を発揮という、


2024.10.20am2:37

「君が落とした青空」観賞会開始。タイトルロールまで観る。キュンキュン映画と思う。


直ぐ様観賞会開始。ミユちゃん登校でクラスメイトと合流まで観て屁が出る。近年稀にみる、屁なので見えないけれども凄い臭い屁だったので書いてみる。そこで「チェイサー」観賞会時に、カップラーメンと包装米飯を食べながら発泡酒を飲みながらで、カップラーメンを溢す。幸い布団は少しだったのでシーツは一応洗い、カーペットは液体石鹸のようなのを最終的にかけて、フローリングに触れないようにティッシュで浮かせた。その数分後に発泡酒もちょっと溢す。「チェイサー」観賞会終了後ウィキペディアで調べると、実話は20人、その他の1人の行く末は厄介だが、どの程度か分からないその実話の方をウィキペディアでチラ見したので、再度よく読もうかと思う。

「君が落とした青空」のミユちゃんは、今のところ、ミユちゃんの最初のシーンのそれぞれが、新垣結衣ちゃんだと思う。数秒で新垣結衣ちゃんとは違うなと思う。


午前4時前。トイレで最近読み始めた「ふしぎなキリスト教」の偶像崇拝まで読む。ミユちゃんそのものも偶像崇拝ではあるせよ、新垣結衣ちゃんという偶像崇拝が先立って、ミユちゃんという偶像崇拝という、ほぼオナゴ重視のメルヘン野郎独特の思考回路を少し育む。偶像崇拝の段階も述べられていたけれども、一神教と多神教の違いも主だった箇所でもあるので、どちらかと言うと大陸というような捉え方がかなり強めな私は、ちょうど最近「日めくり日米開戦・終戦」を読み終えたこともあり、ペリーさんの国旗が、お月様ではどういうことかということと、日本そのものが三日月ならば、クレッセントに暗黙という論理が都合と想起によるフロンティアがはなからあるように思う。世界規模でその理解力なるものならば、そしてお月様で絵を残したというより、国旗を残した(残したか知らんけど、日本では間違いなく三葉虫跡と共に、アメリカ国旗というのが月面の印象派であるように思わなくもない。)、勿論英語圏以外であっても、それなりにでは、U.S.A.という文字よりは、そして恐らくはその国旗の場所なるものが、アメリカが続いていれば、アメリカの聖地のようにしか思わないだろうか。お月様全体なんですけどねというにしても、国旗ぶったてたぶっとんでぶっとんでるだけだが、次世代の国民、市民に夢はあるのではないか。平和主義だとそういうことがしずらくはなる論理もあるけれども。


午後3時40分辺り。「君が落とした青空」で、いきなり当日の早朝の目覚めに戻って驚いた。毎月1日は映画観賞会らしい二人の共通項の破綻と現実的な二人の破綻と現実的な二人の破綻の1日ということだろうか。二人の愛の破綻回避になるとしてもその何らかが恐らくは最後に示されるようなこととしてということだろうか。


直ぐ様観賞会開始。ミユちゃんではないのではないか。野郎が主体。しかしそれでは野郎が映画館での電話が下らん。となると野郎と別のオナゴ(ミユちゃんと映画館へ行く前にグループ活動中、1人二人のことか野郎を見ているかのようなオナゴ)は、ミユちゃんのための共犯だろうか。その二人も二度目の当日であるか、もっとかは、その二人だけが一度目の当日と異なるはずなので、

とまで書いたら、ミユちゃんもっとも早く、一度目の当日と異なる、カレーを食べ始めてる。


四度目のグッドモーニングまで観る。

君が落とした青空ということだろうか。写真立て。青空入りの写真と写真立てを落としてしまうと12時間戻ってどっちか死んじゃうんだから、写真立て大切にしないというか。


午後3:36観賞会終了、ウィキペディアも観る。四度目のグッドモーニングで、お母さんアイロンがけとミユちゃんのやりとりはうるうるした。


ご午後23:23

YouTubeで観れる「月の満ち欠け」観賞会し、だいたい上映時間の半分近く観る。

小学生高学年か中学生低学年までしか親の車に乗るようなことは数年前までなかったが、その頃から車に乗るとよく吐くようになった頃、車のナンバーを意味もなく書いていた時は吐かなかったのを約30年ぶりに思い出す。親類とどこかにいく私には意味のないどこかへの道中だったと思うが、ラーメン屋にいくまで車の中でナンバーを控えてて、全車控えられないなぁとか思っていたが、そういう意味もないことというよりは、走ってる車のナンバーを控えられることぐらいで、凄い自分という感覚しかなかったように思わなくもない。そういう時期だったというか。勿論見せても誰にも誉められなかった記憶はあるが、勿論誰も誉めようがない。何故そんなことを思い出したのかてめぇでもよく分からない。

有村架純さんは、謎めいた役柄が多いというか、ちょっとサービスショットもあって嬉しかったが、そしてバトンの和製ジャンギャバンのお父さん兼石原さとみちゃんの旦那さんという、ヒノマルソウルの主役になるほどの田中圭さんが、ちょっととってもいい役でないのが不満にすら感じるのと相まって、筋を読ませるような筋を使用してないだろう筋ものとしての筋があるように思わなくもない当映画で、18歳の瑠璃ちゃんが馬場のレコード店にいると思ったら有村架純ちゃんでびっくりした。子供が親を選ぶという台詞を吐かせたということは、有村架純ちゃん瑠璃ちゃんは、小学生瑠璃ちゃんが有村架純ちゃん瑠璃ちゃんではなくてというべきだろうか。小学生瑠璃ちゃんは18歳で柴咲コウお母さんと一緒に死んじゃってるわけで、有村架純ちゃん瑠璃ちゃんは、それが新婚であり、有村架純ちゃん瑠璃ちゃんは、子供がいないということでは、大泉洋お父さんと柴咲コウお母さんに子供が本来いなかったか出来なかったという何らかの目的だろうか。


2024.10 わたしの幸せな結婚→ハルチカ→エクストリーム・ジョブ→ピーチガール→トガニ→交換ウソ日記→なのに、千輝くんが甘すぎる。→僕らのごはんは明日で待ってる→幸福な食卓 感想8。追記有り版。

2025-06-13 10:51:13 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

正午に起きる。お風呂場で喫煙。映画感想から、映画解説を独り言で楽しむとはどういうことかを思うかも知れない。

伊藤正則さんの場合、CDによるというかジューダス・プリーストとジューダス・プリースト以外によるけれども、さんかというのがほぼ参加型というか人様と解説で参加してるかの如き。柔道だとほぼ指導というかいちゃもんレベル。山口さんのように、一本日本側が取れば、その瞬間だけをよしとすることを重んじるかの如き。宇津木さんになると世界最大の観客レベル。バフチンになるとこじつけの新鮮組というより新選組の如きもある。


午後1時。お風呂場で喫煙。数日久しぶりに、めぇめぇけんというのを思ってたら、140年間以内のそれよりも、公式だとか数式だとか年号、化学式などの氏名ならばクラスの全員のお名前を覚えるということもあるが、それでは数式などが生命体で141年目の氏名の生命体になるのではないか。ならば最近は特にだろうが氏名、ほとんど名だがナチュラリズムによって時代を成熟、洗練への道程であっても、クラス全員の氏名を覚えることに何の意味、利益と言ってもいいし向上となれば、氏名も人類のために、そのナチュラリズムなんぞは早すぎというか生意気というか、基本を二重の基準というかと思わなくもないと思うかも知れないし思わないかも知れない。氏名が独自性を持つ人類に相応しい時代をクソガキどもに届けるために、五歳でお友達のお名前を覚えたら掛け算の一つ覚えるという天才児。壱ノ段ちゃんとかで、名前はなげぇが、壱ノ段ちゃんがナチュラリズムでクラス全員たまたま同じ壱ノ段ちゃんだと壱ノ段ちゃん多いかもとかで、クラスで最後まで一緒にならなかったというのは学校の裁量、自由にあるとしてクラス全員壱ノ段ちゃんと同じクラスになるようにしなければならない人類の発達の責務が、100才児になった壱ノ段ちゃんは、ほぼその壱ノ段ちゃんのお名前に世話になったということにしかならないことをもクソガキに届けられるとか思わなくもないかも知れないし思わないかも知れないと思う。


午後4時。千輝くんがたぶん陸上部の大前提あんよを怪我してしまったのではないかまで観る。ぱんちゃぱんちゃイケメンは、どうもほっぺのお化粧だろうかと思ったり、千輝くんのイケメン韓国風は口紅という最近の高校生の男子もいよいよ口紅をひく時代なのだろうかと思う。

本日から個人的口癖も、いよいよ、イタイイタイでも、もういいかと思う。私は激痛ではないだけに。


午後5時半過ぎ。「なのに、千輝くんが甘すぎる。」観賞会終了。今回最も期待して、最もつまらなかったが、筋が優しくという筋ものとしては、こういうのは難しい筋だと思う。例えば登場人物の誰かが死んじゃうとか、難病とかだと、キュンキュン。平和主義の庭場になる。片思い業界というのはいいえてみょうだが、例えばセックスしてる真っ最中に、フェラとクンニは片思いというか、当然それが長引けば長引くほど、明日何を食べようかなぁとか、昨日食べたお魚美味しかったなぁとか、片思いではあると思う。

「エクストリームジョブ」の柔道部紹介、ムケタイ紹介、精鋭部隊紹介からの野球部、「ピーチガール」のことわるりゆうがござぁせんと、三回死ね修学旅行中に虫歯になれを観ようかと思う。

エクストリームジョブの隊長は、ゾンビだったが、シンカンセンのゾンビも趣向というか違う論理があるにせよ、82年生まれのオナゴといいお父さんが、トガニで、たぶんお父さんの人と人権派のオナゴだと思い、シンカンセンで人権派オナゴが出てたのかも知れないと思う。

直ぐ様ウィキペディアで調べる。

漫画原作らしく、今回は漫画原作が多めだった。千輝くんは、すいくんと呼ばれてもいたが、名前が千輝くんだと思ってたら氏だった。


午後7時。「エクストリームジョブ」のヤキュブで、穏やかにはなったものの少し笑う。「ピーチガール」は、映画史上屈指の名言が、「吐き気がする 三回死ね 修学旅行中に虫歯になれ」「ことわるりゆうはござぁせん」だったことを知るとともに、色白好きでもなかったかも知れないイケメンは、先程観賞会したリクジョウブイケメンと同じイケメンのように思う。直ぐにウィキペディアで調べたら違うイケメンらしい。ピーチガールの名言は、まだどちらも笑う。エクストリームジョブもブルーレイ限定か特典映像があるらしく、観れたら観たいとは思うものの、たぶん観ない、しかもブルーレイというブルジョア専門用。


午後10時頃。それまで、桜田ひよりのぉぉぉぼきゃぶらいだぁぁは、腹から声を出してて、「交換ウソ日記」は高校生らしい声というテクニックではないかと思う。YouTubeで「幸せな食卓」観賞会開始。大浦ってかなり貧困な頭だよね。で少し笑う。瀬尾まいこさん原作らしく、女性にしか書けない台詞だとかだと何度か思う。


2024.10.12am1:00近く。「幸せな食卓」ではなくて「幸福の食卓」観賞会終了。ねぇぇくるぅみっ♪が主題歌だとは思わなかった。

ウィキペディアで調べる。2007年公開だから私が32才の時。ねぇぇくるぅみっ♪は、もっと前にしか私は聴いてるはずはないようにしか思ってなかった。少なくてもそれより10年前位に。それにしては新しめな映画だということでは、ねぇぇくるぅみっ♪はテレビかラジオで一度か数度で耳に残るほどのお歌ということだろうか。ねぇぇむぅみんっ♪問い掛け型のフックあるお歌だと思う。

ねぇぇくるぅみっ♪

こっちをむいてよっ♪

もじもじしないでよっねぇ♪

はずかっしがらずに♪こっちむいてよぉぉぉ♪


2025.7.6

15:03

前文が視界に入る。

とても50歳前だった当時の私としても、49歳が書くことはおろか、思うようなことでもなし、そういうことを思ったらなおのこと、書くべきではないようなことをこっそり書いてあったのは、それでも後少しで、もう1年前でござる。映画鑑賞に現というよりそれなりに数十年前に出来たら良かったと初めて思うもスマホでなければきっと感想に取り組む、ほぼ映画の感想とどこを読んでも呼べない代物でしかないが、ノートとか、誠実な奴等は映画感想ノートとか作って、それこそ映画周辺を学んでいこう、知っていこうとかでの建設的なのは、それが出来るということはそれ以外のそれが出来る奴等だから、それほど映画感想ノートというのは人民に定着していないか、されていてもそれぞれのツッパリ連中の個人的ノートだから、お門違いとかでなんぼとしては、千差万別、それこそ、面白かったの一言から始まり、映画ではなくて、音響だったりスクリーンだったり恋人だったりの映画の周辺ではなくて映画鑑賞の周辺、それこそ映画より、恋人のおっぱいに💋したいということしか映画の感想にならないこととか、それはそれで映画の枠組みとしては本望となるならないはあるだろうなとか思う。

前書きが長くなったが、約二十年ぶりに、ケンタッキーフライドチキンの出前を出前館アプリにて注文し、ぼくのフライドチキンは明日で待ってるようにして、チキンフィレバーガーとフライドポテトを完食。たぶん本日中に我慢しないで明日のフライドチキンは本日中に食べちゃうような私だが、チキンフィレバーガーとフライドポテトを食べながら、ぼくらのごはんは明日で待ってるを思い出す。

相変わらず、私だけなのか、私はその国語力の社会性すらなかった、しらないでいきてくわくなのか、どうも題名の日本語が、それがキモであるはずだが、全く分からない日本語の題名だなと、映画を思い出すと、直ぐに題名の日本語としての破壊力を思うと、カーネルおじさんの場面は感動したなぁとかしか思い出さずに、題名はどういう意図、それがマイノリティとリミテッドとしてのたようせいというのもあるのかないのか、そして野郎が恐らくは思い付かない題名、女性でも、そもそも日本語の破壊力が前提としてしか恐らくそのような題名にすらならないのではないかと思うと、ご飯にしてもパンにしても、明日でということが条件、留保があるから、明日のロジックを拡大解釈上では、二千年後も明日ではある。問題のモダニズムとしては二千年前の明日の線上、ご飯にしてもパンにしても、凡そ明日にそぐわないといきなり書くと哺乳類としては難しいけれども、140年前と140年後にご飯とパンが適当ではない、無論赤ちゃんはご飯もパンも食べられないし、よぼよぼ越えの奴等にしても食べられないだろう。

ご飯にしてもパンにしても、食べられない時期がクソガキどもの基本原理原則、クソガキどもとしないで、では私としてならば、私は少なくても46億万年も食べたことがないと言うことは、46億万年が食べるということがそもそもないならば、確かにクソガキどもが食べずに生きられるならば、それこそ最高度のより完全体としてへのせっきんじだいだろうけれども、飲まず食わずならば基本原理として生産というか繁殖というかの範囲でもと思うと、地球のためになることが、必然としてしかばねのぞうかにはげむという141年目でなんぼの状態とか思いそうというほど思っちゃいねぇが、もっと映画の感想を書こうとしてたら、題名しか思わないので、特に映画について追記もない。

ああいう映画は、誰かにとって、その時々にとって、宝物のような映画、原作は小説らしいけれども、小説がどうなのか、カーネルおじさんの記述が私は見当が付かない。説明はないように思うけれども、小説のキモは別にあって、映画職人が映画のキモとしてならばカーネルおじさんというプロットだろうか。

映画だと主体はオナゴだから、それでのぼくらとしてのカーネルおじさん運搬激走の男が、オナゴとしても、カーネルおじさんはわからんが、オナゴとしての、ぼくらの部分を思いそうになると、そういうのは私がそれほど思えるようなこともなし、書いてたらペコパっちゃて、明日のフライドチキンをこれから食べようとさえ思い出す。


15:47

当映画感想のブログでは2ページ分まで読む。

書いただけで読まないから初めて読んだということになるが、私は特に恥ずかしいとか思わないけれども、恐らくは私の存在が恥ずかしいというのは別としても、私の映画感想を読むのが恥ずかしいことになるのではないかと思う。ブログに直接書いてたら、全くではないにしてもちょこっと違う感想として書いてたと思うけれども、それほど余計なことは一切書いてないということが、恰も余計なことしか書いてないというか書けないと読めば読めると、2ページ分では誤字脱字が1ヵ所だけだったのは意外だったが、手書きではないからと、タッピングと、勿論私の脳ミソのレベルだが、他人様は、2ページ分の全文誤字脱字にしか読めないということが健全であるべき論もいるのは当然だけれども、そういう輩はそもそも読まないから問題ない。読んだところで、それぞれのじじょうのためとしてクソされても、どのクソがどのクソか私は最早分かるような人間ですらない。


2024.10 わたしの幸せな結婚→ハルチカ→エクストリーム・ジョブ→ピーチガール→トガニ→交換ウソ日記→なのに、千輝くんが甘すぎる。→僕らのごはんは明日で待ってる→幸福な食卓 感想7

2025-06-13 10:50:45 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

午前11時がもうすぐ終わる前。「ピーチガール」観賞会開始。映画紹介を必ず見なければならないDVD版だった。本日超午前中に見終えた「オレンジ」で、土屋太鳳ちゃんを認識出来つつある私は、「オレンジ」で時たま思ってた、声を出すこと自体が過半数よりやや大変そうという感覚を持ったが、その個性というのは薬師丸ひろ子さんをそれはけなしてるような物言いになるんだが、余命なんたらという映画の題名だったかで、薬師丸ひろ子さんと奇跡の競演土屋太鳳ちゃん。そしてJKというのは知ってるが、最近は警察官をPと呼ぶらしい。アダルトビデオでJKのワードしか知らんが、アダルトビデオでPのワードだと意味はどうでもろくなしゅうかつにはならんというここぞのらりぱっぷしゅうかつの奴等もどうじょぅしゃかいしゅぎぶぎうぎでも、それならば、JKがそのように、あるいは、それがないような社会主義であるべきだが、それは基本としては大昔からきほんのなさきちだけれども、それならはPがない世の中になればもっと良い。ガガーリンが宇宙空間ならばそれがということもなく、ガガーリンの周辺事態、周辺機器というか、ガガーリン以外の物質の絶対というものもないわけで、確かにその時に最もPとJKから離れたというガガーリンから、隕石衝突を回避することに取り組まない楽観論というのはどういうことかを思う。地球極寒化とかも大変だろうけれども。

こしぬけりょうしん論とりょうしんしぬけこ論も久しぶりに思い始めつつあるかも知れないから、早速映画観賞会に取り組まないと。

メニュー画面で、和製ジャンギャバンが主役じゃないのが、がっかり。しょんぼりねぼけな私である。主役のオナゴは今迄拝見したことはない。イケメン二人は、どっちがどっちでとよく分からないほどにイケメンのトレンド型だろうか。野郎もオナゴのような綺麗な、ちょっとメニュー画面そのものの主要四人組がぱんちゃぱんちゃ風で、イケメンのそれそのものが演技力だろうが、それぐらいのイケメンでなければ、メニュー画面で揃って桃にぶちゅっとしても様にならんと威張れるイケメンだと思う。ある意味では、三船敏郎さんすら恐らくは出来ない、志村喬さんはもっと出来ない、しかし基本は志村喬さんは老体の時点が志村喬さん、戦場から帰還した方々のお一人だろうか。企業戦士としても七人の侍で、果たして帰還出来るかというのは然程意味はないだろう。志村喬さんは。七人の侍が、劇場で最高の帰還回数を誇りたい輩だろう。


早速観賞会開始。和製ジャンギャバンが、ももちゃんに、すけきよみたいになってるよでちと笑う。こういう映画のお客様に、すけきよが分かるのかというか、すけきよを見せたい、市川昆さんへの映画人達が生命を紡いでいくという、ピーチガールを観て、すけきよ社会主義活動家というのもあるだろうか。

私はすけきよ以外、特にトレンドワード、ガチガチの専門用語多様性では分からなかったというか、そういうのは分からないことが分からないから、ここまででも他にとっても何らかの喜怒哀楽になるようなドラマツルギー、テクストが含まれていただろうとも思わなくもない。桃ちゃんは、色白好きなイケメンが好きらしいけど、メニュー画面では、どうも校内ーのモテモテイケメンとキュンキュンかと思い込んでた私は、これから、どうやら校内ーのモテモテイケメンが桃ちゃんを好きという三角関係だと、色白好きなイケメンが和製ジャンギャバンを好きだと、和製ジャンギャバンは校内ーのモテモテイケメンを好きで、四角関係。一方通行の完全体ということもあり得る映画なのかも知れない。


直ぐ様観賞会してたら午後0時半。校内ーイケメン野郎が、桃ちゃんとの人口呼吸、桃ちゃんへの愛で、イケメンで、こんないい役は、そうそうねぇと思う。桃ちゃんが好きになるようにとかいう要素が欠落してるというか。


直ぐ様観賞会再開。人口呼吸が桃ちゃんではなくて宅八郎風だったらしく、それほどいい役ではないと思ってたら、噂を正当化活動で、和製ジャンギャバンがいい役だと思う。しかしメニュー画面だと桃ちゃんは、校内ーイケメンとまで書いて、桃ちゃんとぶちゅとするのは、校内ーイケメンと色白好きイケメンであるから、色白好きイケメンとぶちゅとが桃ちゃんあるということか。そして桃ちゃんとじきじきの恋を叶えるのが校内ーイケメンということだろうか。それでは、桃ちゃんと和製ジャンギャバンが桃を持ってるということは、それは桃ちゃんではない。人口呼吸と同じ論理だが、実際に校内ーイケメンは桃ちゃんとぶちゅと。よくわからん。


午後1時過ぎ。観賞会再開。色白好きイケメンが校内ーイケメンにクンロクまで観る。マジ、熱くなってるという解釈、受容が私には存在しない論理だと思う。色白好きイケメンのクンロクで、校内ーイケメンは、桃ちゃんへの真剣であるべきイケメン同士の解釈をしたと思わなくもない。自由権、自由主義の分野では、彼らも彼女らも、五千年前の人々と恋愛出来る機会はないし、現在進行でも、人間同士としても、特に外国という国土が違えば、ほぼその人々とキュンキュンは困難極まる。ましてや人類主義として、何人とも恋愛を出来る寿命も好みも人間というものはないはずである。1歳4ヶ月の頃に恋愛も出来ないというより、そして知らないというよりも、意味がないというか。


午後1時半過ぎ。和製ジャンギャバンの名言「すけきよ」からの第二弾名言「三回死ね修学旅行中に虫歯になれ」を繰り出しですかさず、イケメン専門用語をも知らなかった私は、書き留める。面白い映画だと思う。そのシーンで、年甲斐もなく、和製ジャンギャバンのスカートを、私がしゃがんだらパンティ見えるかと一瞬思っちまった。

しかし校内ーイケメンとキュンキュン走りで、色白のための日傘が既に桃ちゃんはないというのは、校内ーイケメンとのキュンキュンのためではなくて、色白好きイケメンに桃ちゃんに日傘は不要であるということだろうか、よく分からない。校内ーイケメンもその直前に環境公開での差異を使用してあるから、和製ジャンギャバンも何らかの環境保護活動がこれからあるのかも知れないと思う。


午後2時を回る。ボギーが「君の瞳に乾杯」を吐いて名言になるという基本原理原則が、和製ジャンギャバンにあるように思う。どこぞの140歳のじじぃばばぁがアイシャルリターンを吐いても名言にはなるんだがとは思うけれども。1歳4ヶ月の赤ちゃんらが、アイルビーバックと親指ぶっ立てて、どちらも出来る1歳4ヶ月ならばそれも名言になるけれども、どちらも強烈無比な前例があるから、アイルビービバークにして、揺り篭時代で名言か。続きの観賞会を再開しよう。


直ぐ様観賞会再開。桃ちゃん名言が出た。「ことわるりゆうがござぁせん」。キュンキュン。キュンキュン。キュンキュン。他者の論理キュンキュン。再開前に経過時間を何気なく確認したら30分しか経ってないのに、キュンキュンいっぱいある。名画でござぁる。


午後3時ちょっと前。ほとんどラストシーンでもいいと思える、校内ーイケメンとことわるりゆうがござぁせんイケギャル?イケテルギャルというのは読んだことも聞いたこともない。イケメンというのはイケテルメンズ。複数形?校内ーイケメンは、バイリンガルではないかと思う。日本語の滑舌が外国語鈍りのように思う

ここでスマホの電池が切れる。

お風呂場で喫煙しながら、イケメンというのはイケテルツラだと、オナゴにイケメンとならないのはどういう了見か。ならばことわるりゆうがござぁせんイケメンであるはずである。ことわるりゆうがござぁせんイケメンを和製ジャンギャバンイケメン、和製ジャンギャバンイケメンをことわるりゆうがござぁせんイケメンでもどちらも他の奴等よりは上出来に出来過ぎる水準の方々だろうけれども、最近どうもトイレで日めくり日米開戦・終戦を寝惚けの枠組みでは、水準高めな水準で読み込んでいる私は、チャーチルなんてピチピチ時代は完全なイケメンだし、アイゼンハワーなんてイケメンどころか超キューティメンしかも老けても。必ず最も会ってはいけない、勿論会えないわけだがなんて思いながら、観賞会再開しようと思う。ラストシーンでも良い、映画の尺としても満足だと思った私はちょうど上映時間のぴったり半分というのに、末恐ろしいキュンキュン映画だとうっすら思う。うるキュンというのはないようにも思う。胸キュンというようでもないようにも思う。キュンキュン。キュンキュン。キュンキュン。


午後3時半過ぎ。プラトウス知らんが、プラトウスまで観る。プラトンがどういう外国語でもプラトウスにはならんからプラトンではなかろう。ソクラテスはもっとならないからソクラテスでもないだろう。

新展開で、たぶん本仮屋さんだと思う女優さんを小細工なしで校内ーイケメンが好意があるのか知らんが、玉海上水しかもお一人様入水だったような校内ーイケメンとともに、和製ジャンギャバンイケメンは、プラトウスイケメンにキュンキュンのように思う。原子論の大昔の輩だろうか。ラテン語の猛勉強でその言語が手っ取り早い会話型という、ある意味では、プロレタリアブルジョア型のキュンキュン映画としての多数派、インフラといったがんばらないりゅうがござぁせんイケメンらのじきじきの夢の多様性とか。


午後4時過ぎ。校内ーイケメンとことわるりゆうがござぁせんイケメンが、レストランにお父さんとりょうさんに出会った最後まで観る。お父さんが甘いものというののみをパティシエに繋げてうるうるしちまう。和製ジャンギャバンイケメンは、雑誌の表紙を飾るほどなのに、りょうさんに認められるということでというのが、和製ジャンギャバンイケメンのポテンシャルならばその荒業が可能だろうというべきかと思わなくもない。


直ぐ様観賞会再開。ことわるりゆうがござぁせんイケメンの満足、些か突飛ではあるものの、お父さんの納得。この名画はキュンキュン。キュンキュン。キュンキュンにあらず。キュンキュン。キュンキュン。うるうるキュンキュン。


午後7時前。カップラーメンと包装米飯と発泡酒で「トガニ」観賞会開始。メニュー画面まで観る。夕方「ピーチガール」観賞会終了。ことわるりゆうがござぁせんイケメンがピーチスマイル前で泣いてて、落涙した。キュンキュンあり、うるうるキュンキュンあり、キュンキュン涙率キュンキュン。エンディングでの校内ーイケメンの投げキッスをモグモグことわるりゆうがござぁせんイケメンの二人にもキュンキュン。

映画紹介で久しぶりにチャン・ドンゴン氏の映画紹介を観た。お歳を召されたようで、ピチピチチャン・ドンゴン氏はもっとイケメンだったなと単純に思う。どの映画を観てチャン・ドンゴン氏かっちぇぇと思ったか忘れたけれども。


「トガニ」観賞会前に、ウィキペディアで「ピーチガール」を調べる。インターネットでDVD特典映像の存在を知る。観れたらとても強く観たいと思う。


2024.10.10 am0:30

「トガニ」観賞会終了。

あれこれ思い込んでたら、

地球にどっちでもたが、例えば野郎が40才オナゴが15才の二人の人類だとどういうことか。我々にその判断力はないのではないか。枠組みもなければ、発達もない二人の人類。それから屍を積み重ねていくことが人類に出来たならば、人類は屍を積み重ねていくことにかかっていく生命論理のリョウシキとして、その二人の人類に、感謝すべきときはじきじき、じきじきもなければじきじき、その屍インフラを積み重ねの拍車。100m走で、140才と1才4ヶ月が、同時にゴールインという過程のインフラがあるのか知らんが、毎年行っても面白くはないそれがある意味では、長丁場の人類ということはどういうことだろうか。


お昼前まで眠る。

名作ピーチガールで、ことわるりゆうがござぁせんイケメンも色白好きでもないようだったイケメンと、その二人以外は、林真須美型を選択し続けている人類ではあるから、どうどうじきじき、どうどうつごうなどあるわけだが、その二人こそ、それ以外が、エノラ・ゲイ型のたしゃへのすべてが十断であるべき論がある。エノラ・ゲイの全体を拡大すると人類、地球ときりがねぇんだが、国家、枠組みの段階でもほぼ十断でも、その枠組みは十団、十段である。ちょうど先程トイレで日めくり日米・開戦・終戦で1945年8月5日までを読んだところでもある。「トガニ」でも、エノラ・ゲイ型は、完全な聾である。日めくり日米開戦・終戦では、けつにオバマ大統領が広島訪問があり、謝罪の有無もあったが、原爆を使用させない謝罪は誰か、原爆を使用した謝罪は誰か、その前日は沖縄コーナーだったのもきりがねぇ。人類の子供と言っても過不足ない、過言もない、今でも今までも、これからも、140才のお誕生日は届けない子供らを人類は、その子供らに、140才ねぇよという聾である。


午後2時頃お買い物へ外出。発泡酒購入を迷うも購入。天下一品カップラーメンをも買う立場になったことはないながらも購入。道中、エノラ・ゲイが、1945年8月7日になる時空間というのはどういうことかを合算で10秒愚かにも思い込むも、よく分からないという結論から、よく分からないという結論を導き出す。正午で12時間の時差の有無の基本の社会性というか知識がない上で思い込むという寝惚けの典型的な思考手順ではある。

本日は「交換ウソ日記」観賞会でキュンキュンしようと思い込む。


早速味の素から揚げとバーリアル発泡酒とヤマザキチーズバーガーで観賞会開始。セトヤマ君と廊下で会って、イケメンアマがイケメンアマと出会うまで観る。セトヤマ君がイケメン野郎過ぎて、最初のお手紙でのセトヤマ君がセトヤマ君か、映画の題名からも、最初のシーンを再度観る。セトヤマ君が二人以上いるのかも知れないと思う。


セトヤマイケメンとクロダイケメンがカラオケ屋さんからの帰り道の途中まで観る。セトヤマイケメンはほとんどイケメンというよりのんだくれのおっさんのごとき名演技は、それまでの当映画観賞会で思ったことを何となく書き留めること以上に、私は新鮮だったので書こうと思う。当映画は野郎よりオナゴが好むプロポーションが高めなように思う。


遊園地での全員集合で、クロダイケメンとセトヤマイケメンの二着まで、天下一品カップラーメンと包装米飯を食べながら、午後4時半頃観る。交通手段、洋服、それなりに一流のヘアカットマンとか化粧マンがいるにせよ、洋服で小林幸子さんに勝てる人民はいないから、その洋服になるとほとんど身動きの問題があるほどに、いずれ地球を着るというのは、ほとんど海水浴場で、永遠の奴等も大昔からいるけれども、それは砂浜の衣裳という視点もあるけれど、地球ファッションでは、砂浜が楽なのと他者がいるということ、モルタルだと笑えないということなど、例えば今日日イケメンオナゴが、モンペに防空頭巾とか、それなりの安全対策ファッションだと、人民というかイケメンとして、そのオナゴもだが、社会を何とかより良い社会にしなければ、まだ空襲の可能性からは何ら変化のない二千年のトレンドファッショズムとして、遊園地集合ファッションというのは、そのじきじきに最善のファッションの世代、1才4ヶ月でもいいファッションでも、140才でもいいファッションでも、タンキケッセンでの脳足りんが生きていける、そのイケメンらかならば、そいつらの高校も知らん脳足りんどもの人民だし、マキシマム ザ ホルモンという名前は見たことはある私だが、やはり1才4ヶ月、140才は音楽は当然、名前は聞いても覚えるとか知ってるとかという次元でもない。ポスターも、基本は軍人だったり国家元首とか君主だが、その社会性というのは芸能人に近年は特にあるわけで、天皇陛下の御真影より、イングリッドバーグマンにある意味ではお祈りに近いというより、ちんこでしこしこした奴等はいただろう。では、天皇陛下の御真影でオナゴはオナニーしてた奴等が当時いたかいなかったか。御真影はなかった時代と、ずれる時代も日本の場合あったりなかったりか。楠木正成とか、卑弥呼とか、小野小町とか、書きようがない、勿論フィルムの意味が基本からして意味なきものにさせるほどのそれらのだが、卑弥呼が外車乗り回してる絵画だとか、小野小町が自家用ジェット機に乗ってるどころか、寧ろ操縦士か整備士での絵画だとかというモダニズムとなぞなぞかましてでも、卑弥呼が分からない以上、卑弥呼では出来ない。卑弥呼以外がほぼ出来ないと同じ理屈でもないが結果としては不可能。


明日になる前に観賞会終了。次は今回のレンタルDVDで私が最も期待していた「なのに、千輝くんが甘すぎる。」観賞会予定。「交換ウソ日記」の第一のイケメンは、NHKラジオ講座の人だろうか。ちょっと声の色気と抑揚が、第一のイケメン桜田ひよりちゃんとNHKラジオ講座桜田ひよりちゃんと結び付く声ではないように思う。たぶん桜田ひよりちゃんはえいごでぇぇぇボキャブラてんごくの声の人だから、全身の表現というものがあると映画での桜田ひよりちゃんということだろうか。秀島ふみかさんをより万人受け気味の桜田ひよりさんのような伝達の目的の生活というか向上力が頂点気味の、より若年層向け秀島ふみかさんというか。端的に書くと鼻がそれほど詰まり気味ではない秀島ふみかさん。


2024.10.11 am0:30頃。観賞会開始。

かけっこで、千輝くんらしき、なんとなく韓国風な感じなイケメンのように思わなくもないイケメンを遠くで見ているオナゴが園芸してるイケメンを見ているということだが、その第一のイケメンはぱんちゃぱんちゃしてる。第二のイケメンもイケメンというか可愛いオナゴだが、第一のイケメンはぱんちゃぱんちゃ型。


午前3時過ぎ。プロスピでOB第二弾イベント試合を行い、「交換ウソ日記」のウィキペディアを観る。桜田ひよりさんはボキャブラてんごくではなくて、ボキャブライダーの人だったらしい。もっと年齢が高めな人だと思ってたら随分若者だった桜田ひよりちゃん。ここまで書いてたら、本日真夜中の観賞会開始に麻婆豆腐と包装米飯と発泡酒で、夕方のカップラーメンと包装米飯、途中バタピーも食べながらでお腹が前に膨らんで、基本は痰が絡むんで咳き込み35年間だったが、咳き込み過ぎて麻婆豆腐を枕に一滴吐く。そう言えば麻婆豆腐を本日食べながら一滴ズボンにも溢したと思う。そしてトイレで残りのゲロを出し、うんちも出す。

「なのに、千輝くんが甘すぎる。」は、ぱんちゃぱんちゃイケメンが、片思いメモを落としたところまで観た。キュンキュン少ない映画。お寺で、お魚さんに勝ったという思考回路ぱんちゃぱんちゃイケメンは、お魚さんを見るよりという比較論という原理の皆無の瞬発力というものに魅力があるように思う。それを使用したという技術屋さんだろうか。無論ある意味では、お魚さんに限らずぱんちゃぱんちゃイケメンのお顔を見ていたいという基本原理も漂わせているだろう。確かに千輝くんはイケメンだけれども、ぱんちゃぱんちゃイケメンはイケメンだから、どちらかと言うとぱんちゃぱんちゃイケメンが大人気であるはずではないかとすら思わなくもない。


午前5時前。「交換ウソ日記」観賞会でその時に私が瞬間的に思ったことを暇すぎて書こうと思う。先ず制服がバニーガールだったらと、極め付けは、最後にキスシーンがあって、その美しいとは言える瞬間に、ちんことまんこのキスシーンという映画は可能だろうかと思った。

高校生は駄目ですとしても、青年どもが、最後の恋のキュンキュンの結末のキスシーンの時に、二人でズボン、スカートを脱いで、パンツで見つめあう。パンツが見つめあう。下着は完全には脱がないのがキュンキュン。健全と言えなくもない野郎はそれで勃起してことこそが恋の証しでもあるし、それで勃起してなければ、相手に恋はしていないとさえ思わなくもないが、それでは下半身の恋と思わなくもないにしても、パンツは降ろさずとも、勃起したちんこを出す。そしてオナゴパンツは、お尻は出さずに前面をチラリズム。しかし青年野郎の勃起では野郎がしゃがむがむしゃらで、オナゴパンツは背伸びでキュンキュンアピール。ぺたっ♪