2024.7.23
所持金33円で、スマホ決済というのを覚え、本日ドキドキしながらタッチパネルでカーズ三部作とファインディング二部作をレンタルビデオ。
モンスターズインクとMr.インクレディブルは30年前程に見もせずにDVDを購入し、凄まじくつまらなかった記憶しかないが、インターネットだと好評価なのと、最近レンタルビデオでウォーリーとアーロと少年が良かったので、見れたら見ようと思いつつある。
ファインディングニモをほぼ半分観賞会。
サメさんが、お魚さんを食べないというのは、アニメーションで出来る先鞭だろうか。ドリーも借りてるので、二部作見てからちょっと思い付いたことを書こうと思う。
カーズは主人公がマックィーンらしい。
カーズは、ウォーリーとアーロと少年を見てなければ決してレンタルビデオしないと断言出来る。
パールハーバーという私が名前は知ってるほどの超有名映画が、探せなかったのか、無かったのか、オッペンハイマーは晋作過ぎてなかったし、ハクソー・リッジという聞いたことも見たこともない映画も無かったのか探せなかった。
昨日は、人生10度目程度の観賞会をした、あなたが寝てる間にで、初めて涙が出そうになった。
初めて吹替字幕を最初に観賞会開始したもものの、とても吹替字幕があるとそのコーナーで再生すら出来るながらもそれはやっちゃいけねぇほどの代物で、それなりにDVDどこんじょうと片付ければ言い様だが、メニューに戻り日本語字幕で吹替音声で初めて観たということも一因だったように思う。
今迄決して泣けるという映画だとは当然思ってもいなかったが、案外と泣ける映画として見てる人々は今迄いつづけていたのかも知れないと思った。
2024.7.24
ほぼ半日眠りこけ、早朝起きる。
ニモの片ヒレの、ライトウイングか知らんが、そのプロポーションを思い込みつつ、よく分からないということでは、ニモならば、劇中の人類同様に、共存という形式、様式としてがあるものの、少なくても人類、歯医者さんらしいが、歯医者さんとニモというより、歯医者さんによってニモはもっとくそみそナツェつぇばへとファシりてぃ、お父さんに会いたいという、民族というより家族に目的がある。
恐らくはその片ヒレが効用になる高揚があるのかも知れぬが、ドリーというのは、ニモのようにクソガキだと思ってたら、ニモに出てきたドリーというおなご(無自覚的に、うっすらと野郎かとも思っていたけれども)が、次作のファインディング・ドリーの主人公ということだろうか。
クラゲ大好きな海亀さんが出てきたので、自ずとビニール袋を食べちゃう海亀さんを思い浮かべる。うんちにならねぇが、それを活字化すると、バディはうんちと一緒によく出してたのを思い出した。出きらないので、私がよくその半分出てるビニール袋をひっぱって出してたのを思い出した。
スケートボードのベアリングが砕けてスッ転び、外れたウィールがどうしても見当たらず、帰宅して、バディがお口を閉じたままの不自然さだったことで、お口を見たらウィールをしっかり咥えこんでいたから、ボールのように転がってたのをキャッチしたのだろうが、私が転がってもなんということもなかったバディだったのも思い出した。ウィールを離したがらなかったバディだった。真っ二つにして処分した、とても滑れるスケートボードではなかったののウィールとベアリングとトラックだったからだったか。そのウィールはお引っ越しには持ってこなかったほどだが、ツルッツルのスベッスベな路面ならば、そのウィールでも快適さがあったかも知れない。
何となく、献血場まで次回は歩けねぇなぁと思いつつ、ウェルシアでサラミ(私が知る限りでは、直径が太い。味はウィスキーでよりそれを強く思ったが、口当たりというより、何らかの優しさが備わってるかという不毛な、ややもするとということでは、それは語ってもいないし、それがなされるということはそれまでのくそみそがあるという不毛があるので、語らぬとして)。何故か暗証番号から久しぶりに今回はカードそのものが返却されたジャパンネット銀行だったが、湖池屋の大盛りポテトチップスもサラミとともに二日連続ぇ購入し、ドリー観賞会決行。
ドリーはニモでのドリーだったが、子供の頃かと思ったら、直ぐに大人になったら、ニモの物語になった途端、成る程、ニモでの劇中でのドリーのファインディングかと思ったら、直ぐにワンイヤーズレイターになって、遠足前での家族のファインディングのお話になり、そこまでで、発泡酒を一本飲み干したので二本目というのと、昨日から食べてる湖池屋ポテトチップス大盛りも食べ終えるので、そこまで観賞会して書く。
ニモでは、ウィレム・デフォー(スペルが分からないので、あの、ウィレム・デフォーだと思ったが、今回も、それだけでも驚きと、もしかしたら感動というほどでもあるかも知れないが、アニメーションというのか、それらも、ウィレム・デフォー級がいるんだろうが、分かりようがない私は、)
夕方前にドリー観賞会終了。
ダイアン・キートンはマジというか、あの、ダイアン・キートンだろうか。ウィレム・デフォーもあったので、何故かと思ってたら、クレジットのけつで、彼らのけつをふいた映画としてはあったのかと理解した。
サッチモでは、それほど映画でふかない私は、俺たちフィギュアスケーターで最近ふいたが、ふいた。
例えばそれは、サティスファクションでも、どちらかと言えばハイウェイトゥヘルでもきいただろうけれども、それを思ったら、数年前に観賞会したゾンビ映画でのブリトニースピアーズのお歌を思い浮かべる。それが世代だとマドンナとかシンディーローパーだが、歌詞がききづらいのと、リフというか刻みが緩いので、それはブリトニースピアーズの一択なのかと思った。
ウィキペディアで、あの、ウィレム・デフォーなのか、あの、ダイアン・キートンなのかを調査しようと思う。声ということでは、最近観賞会したすずめの戸締まりでの深津絵里さんだったのかぁ、声だけでも改めて聞きてぇと思わせたが、準新作を生まれて初めてレンタルビデオしたので、一応すぐ返却したが、再度観れたら観ようかとは思うのみである。
ファインディング二部作は、アーロと少年、勿論ウォーリーとでは断トツに観なくてもという感想が先立つが、その二部作を観賞会するほどの立場になったことはない私ながら、ドリーの方がニモよりは、そしてニモを観なくてもというよりもニモを観てからだと、良いのかと思ったが、新機軸だと思ったのは、ドリーの幼少期のさわりからニモでの劇中での並列が行われると瞬間的に思ったら、直ぐ様一年過ぎちまって、確かに貝殻での両親のお家、そしてファインディングそのものが、ドリーというよりも、ドリーの周辺にかかるのみであるということをかたらとしてのっかると、美的な映画だと思った。
明日からカーズ三部作観賞会予定。
かいがらは、それなりにインテリとクソガキは、特に最近はインターネットもあるけれども、教科書だとか参考書、人によっては立ち読みで見れるだろう。
えいがらはそうもいかん。
例えばそれが教科書的な、参考書的なということならば、少なくてもテキスタイルとして納得があるかだろうとしても。
2024.7.26
昨日カーズ観賞会終了。
ファインディング二部作より好みであった。
ポール・ニューマンは、あの、ポール・ニューマンか観賞会最後の三連覇のお車の声優さん、ポール・ニューマンです表示で、観賞会終了後、直ぐにウィキペディアで調査。あの、ポール・ニューマンだった。ポール・ニューマンだったので、再びポール・ニューマンの部分のみを少し観賞会した。
本日はカーズ2観賞会予定。
アンドレッティのお父さんの方と、F1の方のシューマッハーも本人らしかった。シューマッハーがフェラーリの時だろうか。ということはセナはもういないという時だろう。本人四輪乗ってるウィリアムズが反則的なほど強かった、ホンダももういない時。要するに国内レースの認知だとか人気だとかよりも、映画館の有無とDVD観賞可能社会では、少なくてもアンドレッティよりはシューマッハー。転戦の有無だろう。あっち以外はほぼアンドレッティがニュースにならないのと、映画では、アンドレッティより、ポール・ニューマンが速かったという当たり前、トム・クルーズも速かったが、トム・クルーズも四輪でもやってたが、二度観賞会してから三十年ぶり程度に近年観賞会したら、それほどとっても面白かったという記憶しかない状態で生きてたのみの私は、デイズオブ サンダーならばカーズ2で再びポール・ニューマンがというほどのトップガンとは訳が違うのではそれはないだろうか。
日本的ならば、ワムーとエシディシが出てないという気持ちが芽生えなくもないだろうか。
おちょくりの別枠での時にスポーツというのは、他のスポーツだと有名な映画はあるけども、モータースポーツで有名な映画というは私がそれも興味が低いからかよく知らない。最近観賞会したグランツーリスモ、名前は知ってるということは有名なポール・ニューマンのル・マン。日本的だとモータースポーツというよりトラック野郎一番星だろうか。
何れカーズのように、お車そのものが、シューマッハーとしてもすらのようなモータースポーツ、お車のみの、それは既にある意味では、チョロQ、ミニ四駆、消しゴム、ブリキ、ラジコンなどでは行われていたものに、意外性、ややもするとサスペンスがない、要するに可能性以外、可能性排除という、ある意味では、それでナンボという困難を描いているのだろか。それもキリがないだろう。距離でも、そういうモサモサだと、気候だとか気圧だとか風だとか、それこそ路面の違いだとか路面の曲がりの有無だとか。人間とともにいける蓄積頑張り続けてる最中の奴等か。
日中、外出し、スケートボードの練習にちょうど良いと前々から思っていた場所を思い出していってはみたものの、それほど履き替えたハードウィールが良くもないなと思いつつ、帰宅し、カーズ2観賞会開始。3分1程度観たが、ポール・ニューマンは出ないようである。死んじゃったのだろうか。それでもマイケル・ケインではないかと思うイギリス車は、声優でそれがマイケル・ケインならばだが、初めて声だけで一致出来た体験ではあると思った。
カーズ以外で、少なくてもジャケットというのか表紙に、ポール・ニューマンもやっててポール・ニューマンのポの字もないのはないだろうと思う。それが目的の何らかの奴等としてもあるんだろうけども。
2024.7.27
深夜。前日にカーズ2の観賞会終了し、ウィキペディアで1.2少し調査。
マイケル・キートンとローレルが出てるとは思わなかった。
2はあまり面白くない。
本日は、これから寝て、お昼過ぎか夕方から3観賞会予定。
久しぶりにオナニーしてからでもいいかと思う。
2024.10.4
直ぐに2024.10.5になる頃。
数日前のNHKラジオ講座で、今までずっと最後の一葉を、イチヨウと呼んでた私は、ヒトハと呼ぶらしいことを知る。
時を同じくして、お月様に文字残す奴はいねぇだろうと思うと、どうしてもお絵描きになるだろうと思うけれども、アーロは、食糧庫に家族でお絵描き、そして最後に、恐竜が最高度に発達をみせた、伝達がお絵描きで、では、お月様に地球での人類ですら文字は絶対的に全員通じないけれども、例えば鳥類を描いても、それが鳥類だと地球人は分からないでもなかろうが、鳥類のお絵描きがあるということになる。
長考は停止しようと思う。
2024.11.2
4:05
宇宙船内でのそれなりの理想郷、楽園からの反逆としての人類が再び地球に戻る、理想郷、楽園よりも、それが地球内よりも遥かに何らかが優れているとしても、地球内に帰還したその瞬間にある意味での理想郷、楽園があるだろうか。人類はどちらを選ぶか。宇宙船内のようなことへの目的はあるにせよ、それ以降、地球帰還進歩派、宇宙船保守派としてどうだろうか。地球内より圧倒的な平和が、特に何事も成さないという点において実現されているかのごとき人類同士として、ウォーリーとイィィィヴの二人が生存に適している地球内というより生存そのものも最早アダムとイヴより屈強特にイヴ且つ蛇の話通じないというよりも意味がない、そしてお互い全裸に恥じぬボディ、ウォーリーとイィィィヴは、ゴッドとしてのアダムとイヴという側面があるだろうか。人類と袂を別つ創世記。宇宙船ノアの箱船。ウォーリーのプロレタリアートより強めプロテスタントより母性としてのイィィィヴのプロテクト。人類がゴッドを創造になるから、人類がアダムとイヴを創造したと思えなくもない。人類がアダムとイヴ、ウォーリーとイィィィヴならばウォーリーとイィィィヴだが、ウォーリーとイィィィヴを創造したならば、人類がゴッドではある。ゴッドの言葉がゴッドですらないゴッドとしか最早完全無欠に思ってないけれども。相対性としてのゴッドという人情、先立つ人情と刃傷、少なくともディズニー型アダムとイヴは、死なない、殺さない、無論てめぇ同士の子孫を必ず殺さない、殺させないというそれなりに最大級のジレンマを今日日のアダムとイヴとして、それは人類のみが作り得たことであるということか。現実か非現実かという問題ではないだろう。既にウォーリーとイィィィヴの存在なるものは、それがスクリーン、私はちっちゃなポータブルDVDプレイヤーだがあるという面ではある。
仮にウォーリーとイィィィヴのプロットとしてならば、少なくてもバビロン捕囚は発生しない。イィィィヴでそれは起こらない。イィィィヴがバビロニア建国だとしても、人類の信頼は、イィィィヴ超えにあるから、数千年後にイィィィヴ超えでも、それも人類ではなくて、別の物質が早い。人類そのものでイィィィヴ超えでは、数億万年というより、光年のレベルだろう。
話が逸れすぎて、何を書こうとしたのか忘れた。