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2024.12 カサブランカ感想2

2025-06-13 21:51:02 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2024.12.11

5:08

昨日からハンフリー・ボガートドキュメンタリー観賞会開始。カサブランカ以降まで観る。ローレン・バコールはウィアーザワールドのジェーン・フォンダ風だと思う。ジョン・ヒューストンとイングリッド・バーグマンは少しびびったというかジャイアンツ篠塚がYouTubeで話してると同じ位に話してるだけですげぇと思う。

ウィキペディアでボギーさらっと読んだがローレン・バコールと結婚せずに添い遂げたという印象派だったが別人だったらしい。カサブランカの件で脚本家がシニカルという単語があったのはなるほどと思う。どちらかと言うと数日ボギーほど笑顔が似合わない野郎はいねぇなとか、名詞の逆転があるのかとか思うも、ローレン・バコールというのはマッチョというか女性の立場がかけられた見映えが最近読んだ須賀敦子さんの文庫本でグレタ・ガルボ論があったのに私は断然マレーネ・デュートリッヒだが、

そのように書いて、これから最も肝心の件を書く前に忘れた。

肝心な件が余程私の感性、人格にそぐわないことであればあるほどだったから忘れててしまうということだろうと思う。


2024.12.12

15:41

凄い版DVDカサブランカ特典映像観賞会終了。


2024.12 カサブランカ感想1

2025-06-13 21:50:17 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2024.12.5

2:57

最近メルカリでコメンタリー版DVD購入。

風邪が少しよくなりかけで観賞会開始。

当映画も時間が経つのが早い。チャップリンとか近年で特筆すべきはザ・ロックだろうと思う。凡そ上映時間の半分を観る。ウィキペディアで読んだ部分の、イングリッド・バーグマンが結末を知っていたか知っていなかったかという件のコメンタリー版がほぼ上映時間半ばだった。

ハンフリー・ボガードは私の身長とほぼ一緒だということを知る。シチズンケーンとハリケーン、カサブランカとガサブランガは、日米の言語あほたれしゃかいしゅぎきちがいしあわせうんどうかいの違いが如実なぼんくらどものカタルシス、スムージング、ちんことおめこあるけれども、カサブランカを観てると、やはりちんことおめこに善悪がそもそもということもあるという納得というか、責められることもないが、しょうもねぇ人類主義のへたれちんぴらまるだしがまだがんばれるということにというオートマロマンチックの目的意識重視のくされにねづいた、ねづくそれいがいというちんぽとおめちょの運動会にすらへたれちんぴらはそれなりに今日日は形としてということすらもそれが正義、安全などというもっとへたれちんぴら全体主義という基本原理を忠実にということが如実というのは、カサブランカの時代背景では、それらをまるだしでやりきってた後の夢が叶った第二次世界大戦という当たり前というかを思う程度は少しある。

ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンの相性の件があったが、イングリッド・バーグマンは個人的に誰が為に鐘は鳴るが好みなので、カサブランカはハンフリー・ボガードカッチョいいというような映画ではある。今回初めてハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンはブチュッとしてたのかと思う。恐らくは今回はコメンタリー版ながらも五度は観てるからそれでもハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンがブチュッとしてる映画という記憶、印象が今回まで一切なかったのは我ながら面白いと思う。


2024.12.5

3時過ぎ。

シチズンケーンとハリケーン、カサブランカとガサブランガと書いたが、カサブランカノヤドヤドとガサブランコだったと思ったら風邪気味ながら笑う。

カメインイランカとカメインツイラクとかは最早古きよきへたれちんぴらの繋がり会えてるへたれちんぴらだが。


まだまだ3時過ぎ。お風呂場で喫煙して思う。どうしてもまだまだプロパガンダとして観ちまうと、サム。ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンが端役なほどにサムと言えばサム。

因みに冒頭のビシーさんをぼんやりと今までドゴールのような奴と見ていたこともないが、ビシーと見て観てなかったのは歴然な私だったと思う。

シチズンとしては、アドベンチャーだとかSFだとか日頃ほぼそんな言語を吐く機会がないということでは、少し譲ってゴッドファーザー、仁義なき戦いという、ほぼ内容物として何を吐いても名言というかの映画として以外で、カサブランカも確かに地下水道というかパルチザンというかというような泥臭さも端的ではあるものの、それら以外のシチズン的なるものの言語で、これほどの名言、先ずシチズン的でカサブランカのような名言を吐いたら最後、煉獄さんのように穴があったら入りたいとすら思わなくていいのはハンフリー・ボガードだけというようなことと、基本原理としてシチズンなるものは、それらの名言以上の名言に依存されるから、イングリッド・バーグマンのそれはあくまでもハンフリー・ボガードに依存されるというような筋があるようにも思わなくもないし、

とりとめもない事柄だから書くの疲れたと私は思ったから書くの止めようと思う。後でほとんど読み返さないけれども。


20:30

夕方改めてウィキペディアを読む。1942年公開というのも、それがカサブランカということすげぇが、当時の輩は先に「風と共に去りぬ」という、先なのにカラーなので新鮮組の今までもこれからも公開年度とかを知らぬ限りは、演繹的にも天才的にもカサブランカがもっと古い映画であると思うのではないかと思いつつ、公開年度からしてプロパガンダの件もあったので思う。団体さんでもいいんだが、例えばそれを愛の民主主義として

太郎さんは花子さんが大好きです。

花子さんは太郎さんよりアダムさんが大好きです。

イヴさんどう思いますか?

アダムさんは花子さんをどう思うのでしょうか。

花子さんがアダムさんと結ばれる数日或いは数年、もって数十年間のためにぼくたち、わたしたちはどうあるべきでしょうか。

金太郎さんの意見を聴きましょうか。

わしも花子さん好きです。

しかし花子さんはアダムさん以外の愛が無いことが何よりも重要ですよね。

でも花子さんとアダムさんの愛と共にある、べき論とか限り論とかより、それらの愛の発生は我々の愛の範囲には、それがなされるかなされないかでは関係性と無関係性で、愛の範囲外の部分に依拠されねばならないでしょうか。

では花子さんとアダムさんの愛と我らの愛は交わらないことを持って、そして花子さんとアダムさんが大好き同士だったならば、いつも一緒にいさせてやるほどの愛の欠落もさることながら、二人の子供、花子っこ、アダムっこが、東北地方では武器は完全な外来語と同じように、花子さんもアダムさんも民主主義がお二人にそもそもはなから存在してない基本原理の生物としてもろっこです。


下らん台詞調で気ままに書いてみた。

「日本史はこんなに面白い」を本日読んだ件を使用してみたかっただけ。


2024.12.6

2:17

YouTubeに町山智浩映画塾?のカサブランカがあったのを未だ観てなかったので、本日観賞会予定。それから続きを観ようと思う。


21:09

観賞会再開。ラインを越えてとラマルセイエーズ前まで観る。手紙の涙と件にサムとリックの友情、薄皮一枚の程度だろうそれは確かに手紙の涙の場面でのサムとイルザとリックの環境に適したドラマツルギーだと思う。

アン王女はアン王女ではなかった原理主義だと、アン王女はアン王女というか誰もアン王女になれないけれどもなりたいとは思わないわけだが、アン王女のセイトウというのが難しいなと少し思う。アン王女のジャスティスといってもそれほど過不足ない範囲。それが出来る出来ないというより、それがあるなしの範囲。相対性理論の範囲だと思う。イルザにそれがあってリックにそれがない或いは理想、目的、欲求がれによる最大の障害要因が、ビザが涙になっているためには、飛行場が雨降りでなければならないけれども、そのビザがリックというべきと思わなくもない。リックの涙。リックがハンフリー・ボガード以外ではぞっとするほどの映画だと思わなくもない。リックがスタローンならばベルリン潜入、映画ならばどちらかと言えばパリだろうか。リックがジェームズスチュワートならばそもそもイルザと恋愛になってないから映画にならない、クラークゲーブルならば。出来るように思わなくもない。ハンフリー・ボガードがレット・バトラーの方がぞっとするように思わなくもない。クラークゲーブルに地中海臭さがないと言うべきか。

ハッピーエンドがハッピーエンドになりようがないハッピーエンドとしては主流派のように思う。ハッピーエンドの対象がそもそも違うと言うべきだろうか。


越えてでなくて守れだったなと観賞会再開しながら思う。


22:17

映画評論家コメンタリー版観賞会終了。明日から映画史家コメンタリー版観賞会予定。

最後に史上最高の映画と最も好きな映画の講釈垂れてたが、史上最高の映画でぱっと思い浮かべるのは第三の男以外に先ず30年以上私はないけれども、市民ケーンという私は意味不明な映画がやはり相当すげぇらしいということも聴いたけれども、最も好きな映画ということならば、最もというのは難しいなと思う。

恐らくは今日日のインテリとクソガキが第三の男(題名変えてでも)撮れば、要するに第三の男のモダニズムとして第三の男を撮るならば大傑作になる(はず)だが、問題はオーソン・ウェルズだろう。ハリーライムというか。東北楽天イーグルス球場で恵比寿ビール飲んでとかでやれないこともないだろうけれども、大傑作の大前提ならば、ジョセフコットンという何色にならないような稀有な、ある意味オーソン・ウェルズのサスペンスよりもサスペンス色の濃い人物でも事柄でもと、顔で出来ないというか、顔にならないわけだからオーソン・ウェルズしか、それほど出てるわけでもないけれども、最近観たチェイサーという映画もそれなりにオーソン・ウェルズというか第三の男の影響ということよりモダニズムだとオマージュと言うだろうかを思わなくもなかったなと思い出せるほど最近観たので思い出せた。


21:12

映画史家コメンタリー版を、はなの君の瞳に乾杯前まで観る。映画評論家コメンタリー版は面白かったが、映画史家コメンタリー版は面白くない。つまらない。個性がないということもあるだろうが、映画史コメンタリーを面白くしようとしてないほどのコメンタリーですといったところだろうか。瞬間的な面白さだと、この場面のボギーはとか、ある意味どうでも良いんだが、世界でたった一人のボギーの思惑だとかそれによる場面の裏話は面白いだろうと思う。

回想になるところで、脚本を撮影と同時進行という凄技、当然下敷きがミュージカルだろうかあるわけだが、ボギーも当然として、イルザが晩年?ウィキペディアで読んだが、こんなにいい映画だったんですねという一言があるけれども、前夜に明日の脚本を渡されるということでも、高倉健並みの猛者に、全出演者が全く違う台詞をこなして、その猛者に台詞が出てこないと言わしめて笑いをとっても、猛者は怒るどころかそれがその猛者であるがゆえのブラック・ジョークだったことに安堵したというほど、温度差は勿論だが、カサブランカが駄作になるとはハリウッド以上にハリウッド以外は思わないということと、如何せん英語だろうなと思う。

移民がかっこわるくでもかっこがつくというのはアメリカというか、近年何冊か読んだ書籍にもアメリカなような国の特異はないとまでいうインフラ言語の方々いらっしゃるが、全くお門違いとか脳ミソが相当溶けてるとかいうよりも、


2024.12.9

18:37

映画史家コメンタリー版飛行場まで観る。

このドキュメントだったかに、第三の男はチェイサーと書いた記憶が未だあるが、市民ケーンはゼアウィルビーブラット、カサブランカはゴッドファーザー以外に特に近年ほとんど観てない近年の映画を近年観た中では思い浮かばないと思う。

後5度程度観てメルカリでカサブランカ凄い版DVDは売却しようかと思う。

たぶん5度観ないから、それまでに売却するか、5度観てないから売却してないだけがあるかといったところだろうか。


19:49

プロスピ難しいなと思いながら思う。カサブランカをポピュリズムという範囲、射程、社会性でちょっと思うと直ぐにトラジディから、トラジディより、トラジディではなくて、ハードボイルドという範囲、射程、社会性を思う。

しかしながら、現在リアタイは私は進歩は先ずしないと自覚的だが、Vロードでユーザー0%台(8%だった。盗塁も8%台で取得済み。もっとも自信ある代打トロフィーがあるので、ほぼ代打、最近は経験値獲得出来なくても、ホームラン、特に満塁ホームランが撃てるようにチョウゴウキンアーチストかチョウゴウキンパワーヒッターを代打でなるべく。勿論盗塁も出来たらしなければトロフィー獲得出来ないので脚はぇぇの。前回のリアタイ大会で初めて思ったが、最終日の終了時間前は、イベント終了前と同じように、やっつけというか時短が優先順位で高めのように思う。猛者のサブ(メインとサブで通じ合えない以上それほどはいないように思うけれど。)か知らんけども、一回で五点コールド負けで報酬だけ活動家と対戦したが、失投、ほぼど真ん中を、どうしてもそれでも撃てない私は、その猛者に死球連続だけされて、五点獲得後にちゃっちゃと試合終了させられたけれども、最近プロスピの背景がカレーのままで、どこかのイベント頑張らなくて、背景獲得しなかったようだなと思った。)の奪三振取得トロフィー獲得済み。何となく楽しいコンボだけプラチナトロフィー獲得済みながら、もっと高みを目指し続けて270コンボ獲得。




2024.7 アーロと少年、特にウォーリーが良かったので、カーズ三部作とファインディング二部作感想2

2025-06-13 21:36:45 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

9:11

サウンドオブミュージックを30年以上ぶりに、コメンタリー版で観賞会途中、ナチスそのものがそうとう後半にまるだしになる及び山越えがそうとう後半より後半なのかと思う。

イィィィヴは、宇宙船と会話をして、何百回目かの地球内生命体をかっぱらって宇宙船に帰還を繰り返しているプロットという部分において、ウォーリーという愛しかない、愛というものがあると言えるけれども、イィィィヴはウォーリーを誘っても、唆してもいない。イィィィヴが生きていようが死んでいようがウォーリーの愛はそれすらも意味すら持たないイィィィヴ愛だが、お互いに意味が全くない地球内生命体によってのみ、彼らの生命体としての大前提、第一次産業体に意味があったものは、宇宙船内の人類以外の生命体の運動第一というより、人類に着目すると地球に帰還してもあんたらろくなことはもっとなかったしなかっぺ。これがみそならば、その人類

史を過ぎた以上、地球から、その全体主義以上の何らかの人類としてになるのみの帰還からの創世記にそうとうだろうか。


2024.11.10

16:47

メルカリでウォーリーの凄いDVD購入。特にというかほとんど監督コメンタリー版目的。

そして気分よくお風呂場で喫煙。久しぶりに入浴したので浴室が濡れているので片足だけ突っ込んで喫煙。右足の足首は捻りの捻挫程度でかちこちでどうにもならんが、左足の膝は捻りのいやぁひんまげたひんまげた技なし段差なし完全にひんまげ分かる人間いやしねぇ膝がいたいいたいびょぅことはないが、スクワットで理解したことがあった。左足は甲イカにそれもてめぇでやったんだが、親指を浮かせてないといたいいたいびょぅになるはずはねぇんだが、親指に力を入れて接地していく力感だと親指から甲イカに及ぶそして裏面の土踏まずがいたいいたいびょぅになるだけだから、自覚としても無自覚としても左足親指を常時浮かせてるわけで、左足親指に力を入れないと正常な接地になってないわけで接地姓を高めるスクワットだと左足膝が、いたくないぃぃぃヴ。これから昨日今日「神々のたそがれ」という映画観賞会をしてるが、面白さが分からないし、アバウト・タイムをAmazonプライムで購入して、まだ一度も観賞会してないが、アバウト・タイムの観賞会をしようかと思い煩う。アバウト・タイムはBlu-ray限定特典にコメンタリー版があるので、観れたら観たいと思うのみにしといてやって、通常の映画版観賞会をしようと思う。ノッティング・ヒルの恋人で、監督、ヒュー・グラント、名前が出てこねぇ。

ジュリア・ロバーツ。の三人コメンタリーとか、今からでもやってくれないだろうか。

アマゾンでのカスタマーコメンタリーで印象的且つ販促的を侵さないし犯してもいない人々が圧倒的過半数だろうと思われる、おばぁちゃんが何度も観てる映画です。というのがあったが、そのカスタマーコメンタリーは、まだ一度も観たことがなかった時に購入目的があった映画で、題名はミスリトルサンシャインだったかで、笑いながら泣くという稀有な経験をした。というのと共に今のところまだ印象的だと思う。


17:30

再びお風呂場で、まだ濡れているので片足だけ突っ込んで喫煙。今度は右足だけにしてスクワット。右半身で生きてきただけだから、右足と右腕の可動域として短い空間が形作られたと思う。左半身が極力力が入ってない状態を維持していくわけだから、左半身が長めというか右半身が短め。そしてやはり体幹。どうしても前屈み、特にスケートボードは路面が見辛ぇとかもあるけれども、スケートボードが視界に入る安心感の欲求があると思う。訳もわからずスッ転びたくもない、痛いのやだよぉという個人的哲学が人一倍強めと。スケートボードと左足の接地感が希薄なための思考回路と、そもそも個人的にスケートボードもそのもでの凄技とかに興味というより能力も努力も根性もないのと、左半身が力入らないようにしてるわけだから、巧くなるはずがなかった。言い訳です。


2024.11.12

14:47

左足親指を右足と同じ程度に接地の安定を図って1日程度、しかもほとんど寝てるだけで、左足人差し指すら痛くなる。しょんべん痛みだが、ロベルト・カルロスの悪魔の左足に少し憧れた。相手にとっては天使の右足だろうか。国連レベルの相手の段階以下ならば、ロベルト・カルロスは右足も悪魔のごとき能力だろう。


2024.11.16

21:09

メルカリで購入した凄いDVD版「ウォーリー」コメンタリー版観賞会開始。巨大宇宙船に向かう最中まで観る。

キュンキュントレンドな最近、ウィキペディアにもあったキュンキュンなどを読み、確かにきぃぃみぃぃに、むぅねキュンという名曲が昔あったと思ったものの、君に胸キュンも、しない、させない、やらせないのが本質的基本であるべきだが、ウォーリーはのっけから、きぃぃみぃぃに、むぅねキュンキュンということが他者としてで成立しているようにも思わなくもない。ウォーリーに感動はしてないが、感情としてはキュンキュンだと思わなくもない私は、感動ということでは「アーロと少年」はうるうるだったからということでウィキペディアを観賞後に見たけれども、改めて見る。北米に凄い恐竜が豊富にいたらしいことも知らなかったが、他に凄い恐竜が見つけるきかいがなかったのかと何となく思う。そして大陸移動説?だろうか。それなりに大陸移動説というより大陸移動インフラだと思わなくもないけれども、ウィキペディアで少し読む。インドとユーラシアのガチガチ接近中によってだろうヒマラヤならば、それらの拡大路線である大陸移動では、その接近によって流動化があるかないかは知らんけども、ガチガチならば、ヒマラヤの高さは低地にしかならないように瞬間的に思う。ヒマラヤがまだ身長派としての成長期だとしてヒマラヤまでいったら流動化になるとなるとインドが周回活動ということだろうか。ヒマラヤにあるインドの地域がインド洋側になる。ネパールはインドの大陸なのか中国の大陸なのかも学生、学者らは知識としてはあるだろうけども、流動化にならないならば、それを山とは誰も呼べないような、大気圏は先ず間違いなく突破の新大陸というか、大気圏外にしか大陸がないというか、坂道にも程がある、斜面大陸にならんのか。

アーロと少年を思いつつあるかも知れない瞬間だからか、隕石なんてのは、どういう動力、了見なのかとか、地球のサイズでは隕石にならん宇宙なのかとか、ニュートンよく知らんけども、引力が太陽系としてあるならば、隕石のサイズはそれを凌駕可能な速さか、引力の幅にそれがないか。

地球と太陽はお手々はないが、お手々を繋げない、繋がせない、繋がないという、住むべき世界の違いというより調和としては、アーロと少年もだが、そのプロットは隕石衝突と同じプロットになる。隕石衝突がなかったならば、アーロと少年は共に生きるとはどういうことかとなれば、サイズとしてはアーロが絶対的に肉食ではないことであるわけだが、ティラノサウルスにとっては、少年はアブラムシ程度のおやつにもならないサイズならばだが、ティラノサウルスはまだ人間が食べられるかを知らない段階を表しているのかも知れない。あいつらはほぼ間違いなく調味料だとか料理は一切不要な奴等だから、ある意味では自力で宇宙へ行けたというか行くにしても、個人主義が強めで、完全な141年目種主義ということでは強めではあるということは、宇宙に脳ミソがないことでは宜しいし、地球と宇宙の間で生命を順応させる時期があったならば、地球に引き返すしかなかったのは歴然ではないか。宇宙はぱっと見、食い物ねぇなとか。


2024.11.17

2:21

ウォーリー観賞会で、今回は逆パターンも観た上で、廃棄物宇宙ゴミ箱兼ねてます型で、公開版はイィィィヴがウォーリーを助けるという、どちらがいいか選択肢があった重要な場面だったのかと思うシーンまで観る。

最近映画観賞会も、基本映画はぶっ通しで観ないと気がすまない質だったのと、一切ながらをしない、喫煙してからは喫煙のみでないと気がすまないというかテロリストにすらなる恐れすら宿る私は、映画観賞会だとポップコーンとかが定番だろうけれども、お菓子やら発泡酒やらでながら観賞会してたら、完全なる食事しながら観賞会にまで辿り着いて、食事しながらで観賞会してないと、余計なことを思わなくもないし、観賞会が物足りなくなるお決まりのながら癖という贅沢だなと思わなくもない。

トーキー映画をほとんど観たというコメントもあったほど、台詞に乏しい映画だが、きゃぷてんくっくのプラントは、黄金狂時代のくっくでもなく、名前が出てこねぇ。きゃぷてんエイハブ。1分以上その名前を思い出すのにかかるほど読破したことが一応今んとこない白鯨。漂流記だろうか。地球を知らない人類という仮定は難しい設定、前提のように思わなくもない。イィィィヴが物資として可能な人類が、宇宙船を恰も地球のようなことでないとプロットにならないとしても、宇宙船の進路が、何処にだとか、地球の進路が宇宙船だったという宇宙船のむとむとむがあるにせよ、宇宙船と言うべきか第二の地球と呼ぶべきか、宇宙船ということならば、宇宙船の進路が最大の目的だが、その最大の目的がウォーリーの場合、出地球という目的が果たされたということというプロットだろうか。宇宙船が故障しない前提だが、ウォーリーがいる地球に雨が降るということの重要度は相合い傘にもっていかれるほどであるというラブストーリーとしてのウォーリーということだろうか。

お手々を繋ぐ望みが完全なるマイノリティとリミテッド。時空間としても、それがないことに起因する望みと共に、ウォーリーとイィィィヴのその愛が、他者の愛にどのようにお手々化として機能としてなってようがなっていまいが他者に知る能力もないことで他者の愛がというナチュラリズムよりも機能性ナチュラリズムの美点を観客に伝えるようにしかならないようなことの責務で何が出来るかの勇気を讃えるべきだろうか。今回のコメンタリーで、言語化での自覚力としては、確かに顔なしで、目だけあるということかと思った。ウォーリーの場合足はあるというかガンタンクだが、鼻とか口とか耳にその形状だとか配置に意味はないわけだから、目は一応人様に映画としてということではそれなりに生命体としては上部にある状態、それ以外の機能の効率ということでもあるはずはないように思うけれども、そういうのは恐らく欠点、弱点がない生命体ならばであるから、そうなると先ず食事、排泄がないという生命体ほどそれに値することもないし、食事にされず、排泄にもされないという生命体でもなければならない。要するに先ずは急所というより、快楽にしかならない急所、内臓に匹敵レベルのそりゃぁ口内だって、バカ笑いかませば、喉ちんこという内臓とは呼ばないけれども、無防備極まりないことになるし、目玉より皮膚だとか外殻で目玉の役割なほど宜しいわけだし、

なるほど。地球は脳ミソないが、ちんこもなければ肛門もない、目玉も、そして肛門とともに、尿道、口、鼻、耳などの穴周りがないということか。地球にお口とお尻があったら、口開いたらうんちになる地球上の生命体ということになる。地球は地球の生命体に無頓着でいるということは、目的が完全に異なる。はずである。太陽と仲良くなるつもりは先ずない。太陽と仲良くなるということは、付かず離れずというよりは、それは地球上での生命体の論理であるから、地球は太陽があろうがなかろうが意味はない。少なくとももっともある意味ではか弱いことではあるということならば、地球以外の脳ミソがある輩が大昔にもほどがりすぎて誰も知らないというか。大陸移動ということならば、地球移動より、宇宙移動ということはないのだろうか。スペースプレートのような。よく分からん。


14:07

コメンタリー版観賞会終了。コメンタリー版は公開版より少し潤んだ。ワンツー理論で、宇宙船の帰還説があったが、消火器というワンツーは、宇宙での消火器のための前振りというな、それでの消火器が突飛にならず宇宙で突飛な消火器という本質的な優しい筋に起因してないと観客戸惑うし、てめぇらと同程度に暇じゃねぇとしても、植物を含めた生命体の有無を火災というより火に結びつけたと思わなくもない。ディスク2の少し興味があるコンテンツのみ観賞会もし、もっともためになった蘊蓄レベル、その知識の喜びは、ブラジャーに携わる人々の豊富さと、それがDカップであるということだった。では、チンカップなるもので、チンカップ売り場とかで、「お客様、サイズは?」「Aです。」「勃起でとのくらいでしょうか?」「20cmに満たないです。」「左様でございますか。そうしました、こちらの商品は伸縮性よりも安全性を重視し、ガトリング砲でも問題ない品質でございます。」「ちんこに当たる確率よりもそれならばそういう洋服屋さんにいくことにします。」「それでした、こちらの商品は如何でございしょう。見た目の美しさとしてもでございますが、常時勃起しているかのごときカップでございます。Gカップの男性方やJカップの殿方なんてカップだけならば小物になります。」「うん。それ買おう。」


16:11

日本語音声、英語字幕で観賞会開始。Who are you?が原語まで観る。これはどういう基本か悩む。既に日本語がWho are you?も包容されたという時代なのか。


喫煙し少し思う。カーズの場合ポール・ニューマンというカーズ以外だったら下手こきゃ死人の山は間違いのないほどインテリとクソガキは暇でもなければ都合が強すぎるから、ポール・ニューマンそのものがほぼ名場面しかもお車ということを思うと、ウォーリーはアーノルド・シュワルツェネッガーしかいなかったのではないかと思わなくもない。しかしウォーリーがアスタラビスタ・ベイベーとか、アイルビーバックの特にお手々は繋ぐことに意味があるし、アーノルド・シュワルツェネッガーが、イィィィヴというのも一大革命に匹敵しちまうから、米長ずっと棋聖流に語れば、それはきっと正しかったんでしょう。やっぱりピクサーの方が私より上ということだね。もっと言えば、ぱっとみはあくしゅ、どうみてもあくしゅだが、作ったのがピクサーだからねぇ。


2024.11.19

22:16

日本語音声、英語字幕観賞会終了。今回初めて船長が二足歩行前の二足着地で瞳に潤いが出た。発音はイィィィヴというより、イィィィヴァだった。エンディングのお歌はピーター・ガブリエルだろうか。コメンタリー版を観た限りではそのようにしか思ってないこれども、適用だとか知識だとかの納得或いは感嘆だとかは知らんけども、歴史的名画(善悪だとか、好き嫌いというようなことよりも)の一つではあるから、本日人知れずウィー・アー・ザ・ワールドを思いつつあるかも知れなかった私は、そんなはずはないレイア姫登場、いきなり飛び出たハン・ソロ、チューバッカ並みに、ウォーリーのエンディングにウィー・アー・ザ・ワールドが流れるはずもないながら、折角なので、ワンフレーズはウォーリーとイィィィヴァのデュエットをレイ・チャールズとボブ・ディラン型か、ブルース・スプリングスティーンとスティーヴィー・ワンダー型でやってもらって、当時が何年か知らんがそれほど昔の映画でもないだろうから、朝鮮だとかベトナムだとかの歌の躾と歌の勉強、訓練はウォーリーにもイィィィヴァにも恥ずかしくないということは、ほぼある意味ではそれも最悪だが、そういう人々のお歌が勿論言語で、言語が何語か難しいにしても、そして言語で取り敢えずということでウィー・アー・ザ・ワールドが、命のひとつになるならば、国柄で、相当独自性が強めな、その時期は過ぎた国柄の人民の子孫の現在の人民の過半数或いはソーシャルマイノリティ+ソーシャルリミテッドとしてのスポーツマンシップをしながらでも、お歌が言語によって、言語によってはその基本が違うということでは、ゴッドだとかベアレンツだとか突拍子もないことを、勿論エアだとかソイルだとかオイルだとかウォーターだとか、そしてプラントだとかプラネットだとか。(今回は少しちゃらんぽらんに書いてると、ちゃらんぽらん癖がついちゃう二千年モダニズムと同じになっちゃう


2024.7 アーロと少年、特にウォーリーが良かったので、カーズ三部作とファインディング二部作感想1。

2025-06-13 21:36:15 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2024.7.23

所持金33円で、スマホ決済というのを覚え、本日ドキドキしながらタッチパネルでカーズ三部作とファインディング二部作をレンタルビデオ。

モンスターズインクとMr.インクレディブルは30年前程に見もせずにDVDを購入し、凄まじくつまらなかった記憶しかないが、インターネットだと好評価なのと、最近レンタルビデオでウォーリーとアーロと少年が良かったので、見れたら見ようと思いつつある。

ファインディングニモをほぼ半分観賞会。

サメさんが、お魚さんを食べないというのは、アニメーションで出来る先鞭だろうか。ドリーも借りてるので、二部作見てからちょっと思い付いたことを書こうと思う。

カーズは主人公がマックィーンらしい。

カーズは、ウォーリーとアーロと少年を見てなければ決してレンタルビデオしないと断言出来る。

パールハーバーという私が名前は知ってるほどの超有名映画が、探せなかったのか、無かったのか、オッペンハイマーは晋作過ぎてなかったし、ハクソー・リッジという聞いたことも見たこともない映画も無かったのか探せなかった。

昨日は、人生10度目程度の観賞会をした、あなたが寝てる間にで、初めて涙が出そうになった。

初めて吹替字幕を最初に観賞会開始したもものの、とても吹替字幕があるとそのコーナーで再生すら出来るながらもそれはやっちゃいけねぇほどの代物で、それなりにDVDどこんじょうと片付ければ言い様だが、メニューに戻り日本語字幕で吹替音声で初めて観たということも一因だったように思う。

今迄決して泣けるという映画だとは当然思ってもいなかったが、案外と泣ける映画として見てる人々は今迄いつづけていたのかも知れないと思った。


2024.7.24

ほぼ半日眠りこけ、早朝起きる。

ニモの片ヒレの、ライトウイングか知らんが、そのプロポーションを思い込みつつ、よく分からないということでは、ニモならば、劇中の人類同様に、共存という形式、様式としてがあるものの、少なくても人類、歯医者さんらしいが、歯医者さんとニモというより、歯医者さんによってニモはもっとくそみそナツェつぇばへとファシりてぃ、お父さんに会いたいという、民族というより家族に目的がある。

恐らくはその片ヒレが効用になる高揚があるのかも知れぬが、ドリーというのは、ニモのようにクソガキだと思ってたら、ニモに出てきたドリーというおなご(無自覚的に、うっすらと野郎かとも思っていたけれども)が、次作のファインディング・ドリーの主人公ということだろうか。

クラゲ大好きな海亀さんが出てきたので、自ずとビニール袋を食べちゃう海亀さんを思い浮かべる。うんちにならねぇが、それを活字化すると、バディはうんちと一緒によく出してたのを思い出した。出きらないので、私がよくその半分出てるビニール袋をひっぱって出してたのを思い出した。

スケートボードのベアリングが砕けてスッ転び、外れたウィールがどうしても見当たらず、帰宅して、バディがお口を閉じたままの不自然さだったことで、お口を見たらウィールをしっかり咥えこんでいたから、ボールのように転がってたのをキャッチしたのだろうが、私が転がってもなんということもなかったバディだったのも思い出した。ウィールを離したがらなかったバディだった。真っ二つにして処分した、とても滑れるスケートボードではなかったののウィールとベアリングとトラックだったからだったか。そのウィールはお引っ越しには持ってこなかったほどだが、ツルッツルのスベッスベな路面ならば、そのウィールでも快適さがあったかも知れない。


何となく、献血場まで次回は歩けねぇなぁと思いつつ、ウェルシアでサラミ(私が知る限りでは、直径が太い。味はウィスキーでよりそれを強く思ったが、口当たりというより、何らかの優しさが備わってるかという不毛な、ややもするとということでは、それは語ってもいないし、それがなされるということはそれまでのくそみそがあるという不毛があるので、語らぬとして)。何故か暗証番号から久しぶりに今回はカードそのものが返却されたジャパンネット銀行だったが、湖池屋の大盛りポテトチップスもサラミとともに二日連続ぇ購入し、ドリー観賞会決行。

ドリーはニモでのドリーだったが、子供の頃かと思ったら、直ぐに大人になったら、ニモの物語になった途端、成る程、ニモでの劇中でのドリーのファインディングかと思ったら、直ぐにワンイヤーズレイターになって、遠足前での家族のファインディングのお話になり、そこまでで、発泡酒を一本飲み干したので二本目というのと、昨日から食べてる湖池屋ポテトチップス大盛りも食べ終えるので、そこまで観賞会して書く。

ニモでは、ウィレム・デフォー(スペルが分からないので、あの、ウィレム・デフォーだと思ったが、今回も、それだけでも驚きと、もしかしたら感動というほどでもあるかも知れないが、アニメーションというのか、それらも、ウィレム・デフォー級がいるんだろうが、分かりようがない私は、)


夕方前にドリー観賞会終了。

ダイアン・キートンはマジというか、あの、ダイアン・キートンだろうか。ウィレム・デフォーもあったので、何故かと思ってたら、クレジットのけつで、彼らのけつをふいた映画としてはあったのかと理解した。

サッチモでは、それほど映画でふかない私は、俺たちフィギュアスケーターで最近ふいたが、ふいた。

例えばそれは、サティスファクションでも、どちらかと言えばハイウェイトゥヘルでもきいただろうけれども、それを思ったら、数年前に観賞会したゾンビ映画でのブリトニースピアーズのお歌を思い浮かべる。それが世代だとマドンナとかシンディーローパーだが、歌詞がききづらいのと、リフというか刻みが緩いので、それはブリトニースピアーズの一択なのかと思った。

ウィキペディアで、あの、ウィレム・デフォーなのか、あの、ダイアン・キートンなのかを調査しようと思う。声ということでは、最近観賞会したすずめの戸締まりでの深津絵里さんだったのかぁ、声だけでも改めて聞きてぇと思わせたが、準新作を生まれて初めてレンタルビデオしたので、一応すぐ返却したが、再度観れたら観ようかとは思うのみである。

ファインディング二部作は、アーロと少年、勿論ウォーリーとでは断トツに観なくてもという感想が先立つが、その二部作を観賞会するほどの立場になったことはない私ながら、ドリーの方がニモよりは、そしてニモを観なくてもというよりもニモを観てからだと、良いのかと思ったが、新機軸だと思ったのは、ドリーの幼少期のさわりからニモでの劇中での並列が行われると瞬間的に思ったら、直ぐ様一年過ぎちまって、確かに貝殻での両親のお家、そしてファインディングそのものが、ドリーというよりも、ドリーの周辺にかかるのみであるということをかたらとしてのっかると、美的な映画だと思った。


明日からカーズ三部作観賞会予定。


かいがらは、それなりにインテリとクソガキは、特に最近はインターネットもあるけれども、教科書だとか参考書、人によっては立ち読みで見れるだろう。

えいがらはそうもいかん。

例えばそれが教科書的な、参考書的なということならば、少なくてもテキスタイルとして納得があるかだろうとしても。


2024.7.26

昨日カーズ観賞会終了。

ファインディング二部作より好みであった。

ポール・ニューマンは、あの、ポール・ニューマンか観賞会最後の三連覇のお車の声優さん、ポール・ニューマンです表示で、観賞会終了後、直ぐにウィキペディアで調査。あの、ポール・ニューマンだった。ポール・ニューマンだったので、再びポール・ニューマンの部分のみを少し観賞会した。

本日はカーズ2観賞会予定。

アンドレッティのお父さんの方と、F1の方のシューマッハーも本人らしかった。シューマッハーがフェラーリの時だろうか。ということはセナはもういないという時だろう。本人四輪乗ってるウィリアムズが反則的なほど強かった、ホンダももういない時。要するに国内レースの認知だとか人気だとかよりも、映画館の有無とDVD観賞可能社会では、少なくてもアンドレッティよりはシューマッハー。転戦の有無だろう。あっち以外はほぼアンドレッティがニュースにならないのと、映画では、アンドレッティより、ポール・ニューマンが速かったという当たり前、トム・クルーズも速かったが、トム・クルーズも四輪でもやってたが、二度観賞会してから三十年ぶり程度に近年観賞会したら、それほどとっても面白かったという記憶しかない状態で生きてたのみの私は、デイズオブ サンダーならばカーズ2で再びポール・ニューマンがというほどのトップガンとは訳が違うのではそれはないだろうか。

日本的ならば、ワムーとエシディシが出てないという気持ちが芽生えなくもないだろうか。

おちょくりの別枠での時にスポーツというのは、他のスポーツだと有名な映画はあるけども、モータースポーツで有名な映画というは私がそれも興味が低いからかよく知らない。最近観賞会したグランツーリスモ、名前は知ってるということは有名なポール・ニューマンのル・マン。日本的だとモータースポーツというよりトラック野郎一番星だろうか。

何れカーズのように、お車そのものが、シューマッハーとしてもすらのようなモータースポーツ、お車のみの、それは既にある意味では、チョロQ、ミニ四駆、消しゴム、ブリキ、ラジコンなどでは行われていたものに、意外性、ややもするとサスペンスがない、要するに可能性以外、可能性排除という、ある意味では、それでナンボという困難を描いているのだろか。それもキリがないだろう。距離でも、そういうモサモサだと、気候だとか気圧だとか風だとか、それこそ路面の違いだとか路面の曲がりの有無だとか。人間とともにいける蓄積頑張り続けてる最中の奴等か。


日中、外出し、スケートボードの練習にちょうど良いと前々から思っていた場所を思い出していってはみたものの、それほど履き替えたハードウィールが良くもないなと思いつつ、帰宅し、カーズ2観賞会開始。3分1程度観たが、ポール・ニューマンは出ないようである。死んじゃったのだろうか。それでもマイケル・ケインではないかと思うイギリス車は、声優でそれがマイケル・ケインならばだが、初めて声だけで一致出来た体験ではあると思った。

カーズ以外で、少なくてもジャケットというのか表紙に、ポール・ニューマンもやっててポール・ニューマンのポの字もないのはないだろうと思う。それが目的の何らかの奴等としてもあるんだろうけども。


2024.7.27

深夜。前日にカーズ2の観賞会終了し、ウィキペディアで1.2少し調査。

マイケル・キートンとローレルが出てるとは思わなかった。

2はあまり面白くない。

本日は、これから寝て、お昼過ぎか夕方から3観賞会予定。

久しぶりにオナニーしてからでもいいかと思う。


2024.10.4

直ぐに2024.10.5になる頃。

数日前のNHKラジオ講座で、今までずっと最後の一葉を、イチヨウと呼んでた私は、ヒトハと呼ぶらしいことを知る。

時を同じくして、お月様に文字残す奴はいねぇだろうと思うと、どうしてもお絵描きになるだろうと思うけれども、アーロは、食糧庫に家族でお絵描き、そして最後に、恐竜が最高度に発達をみせた、伝達がお絵描きで、では、お月様に地球での人類ですら文字は絶対的に全員通じないけれども、例えば鳥類を描いても、それが鳥類だと地球人は分からないでもなかろうが、鳥類のお絵描きがあるということになる。

長考は停止しようと思う。


2024.11.2

4:05

宇宙船内でのそれなりの理想郷、楽園からの反逆としての人類が再び地球に戻る、理想郷、楽園よりも、それが地球内よりも遥かに何らかが優れているとしても、地球内に帰還したその瞬間にある意味での理想郷、楽園があるだろうか。人類はどちらを選ぶか。宇宙船内のようなことへの目的はあるにせよ、それ以降、地球帰還進歩派、宇宙船保守派としてどうだろうか。地球内より圧倒的な平和が、特に何事も成さないという点において実現されているかのごとき人類同士として、ウォーリーとイィィィヴの二人が生存に適している地球内というより生存そのものも最早アダムとイヴより屈強特にイヴ且つ蛇の話通じないというよりも意味がない、そしてお互い全裸に恥じぬボディ、ウォーリーとイィィィヴは、ゴッドとしてのアダムとイヴという側面があるだろうか。人類と袂を別つ創世記。宇宙船ノアの箱船。ウォーリーのプロレタリアートより強めプロテスタントより母性としてのイィィィヴのプロテクト。人類がゴッドを創造になるから、人類がアダムとイヴを創造したと思えなくもない。人類がアダムとイヴ、ウォーリーとイィィィヴならばウォーリーとイィィィヴだが、ウォーリーとイィィィヴを創造したならば、人類がゴッドではある。ゴッドの言葉がゴッドですらないゴッドとしか最早完全無欠に思ってないけれども。相対性としてのゴッドという人情、先立つ人情と刃傷、少なくともディズニー型アダムとイヴは、死なない、殺さない、無論てめぇ同士の子孫を必ず殺さない、殺させないというそれなりに最大級のジレンマを今日日のアダムとイヴとして、それは人類のみが作り得たことであるということか。現実か非現実かという問題ではないだろう。既にウォーリーとイィィィヴの存在なるものは、それがスクリーン、私はちっちゃなポータブルDVDプレイヤーだがあるという面ではある。

仮にウォーリーとイィィィヴのプロットとしてならば、少なくてもバビロン捕囚は発生しない。イィィィヴでそれは起こらない。イィィィヴがバビロニア建国だとしても、人類の信頼は、イィィィヴ超えにあるから、数千年後にイィィィヴ超えでも、それも人類ではなくて、別の物質が早い。人類そのものでイィィィヴ超えでは、数億万年というより、光年のレベルだろう。

話が逸れすぎて、何を書こうとしたのか忘れた。




2024.11「トップガン」コメンタリー版感想

2025-06-13 20:22:42 | 映画鑑賞感想 これも意外とそれほど書いてなかった。

2024.11.18

15:46

DVD発売当時、凄い版DVDを購入しものの、コメンタリー版を観るとか観ないとかは私に全く意味はなく、たぶん一度も観ないでヤフオク!で売却したように思うトップガン。本日ゲオでレンタルDVDはトップガンのみで、ゲオでは初めて漫画をレンタルした(鬼滅の刃を読破予定。)。コメンタリー版観賞会開始。ウェルシアで半額になってた山崎春のパン祭り肉まんと手作り風ハンバーガーと発泡酒でと挑む。のっけから、意外だったが、トニー・スコットはトップガンで三度解雇されたらしいという回想、空母の上で地獄の黙示録予定だったらしい空母の上まで観る。


2024.11.19

8:06

半日一眠りぶっこいて、朝食と共に観賞会再開。マーヴェリックとグースがトップガン入学決定まで昨夕観る。トロフィーの件は、それへの競争心で殺し合いになるだろうなという率直なご感想と、アイスマンがベストという率直なご感想と、トップガンの学舎は廃校のようだったという率直なご感想はコメンタリー版ならではだと思った。


8:28

ケリー・マクギリスがマーヴェリックに、釈明前まで観る。トップガンというのも、超人的な集いというか、ネジ一つにしても超人的だろうけれども、こういう超人が、ある意味では戦争主義と平和主義という両輪としては最も直結せざるをえないということでは、それらの超人はトップガンのようなカテゴリーにぶちこむしか道、手だてがないというのも、基本原理はファックユーであるわけだが、課程としてはマザーファッカーだろうけれども、トップガンの場合マザーは美質として描かれているしかやりようはないマザーから出たての精々20年から80年程度のしょんべんはげら


13:23

メグ・ライアンが22回泣いたという、グースの死の場面まで観る。それ以来役者が信じられなくなった、そして簡単にそれが何度も出来るのは信じられないというお言葉は、トップガンそのもののあんたらということぐらいはメグ・ライアンは分かってるわけだと思うけれども、ピーチガールは傑作だと思う部分と同じような感情的な部分で、ジャンギャバンが、恐らくは他じゃ無理という、「いいひとぶってんじゃねぇよ、はきけがする、さんかいしね、しゅうがくりょこうちゅうにむしばになれ」という言葉に映画としては自害があることに、どうもピーチガールもジャンギャバンが辛いのは見たくねぇとかと同じ。グースが、メグ・ライアンが、マーヴェリックが辛い感情なのはごめんこうむりたい。その場面でたぶんコメンタリーはトニー・スコットにちょっとなっただろうコメンタリーで、筋というよりその時々の生き様のようなものがあったが、どうしても筋が、グースの筋は、トゥルー・ロマンスとかエネミー・オブ・アメリカの筋、別物だがノッティング・ヒルの恋人も同じ筋としか私はその筋としてならば思ったこともないし、捉えたこともない。国家ベースという命ならば、必ず大所帯ならば数億人単位で、亡くす、失う、会えないという磐石な今という生き様


13:41

マーヴェリックが三度、夜と死の場面で黒いお服を着用しているというコメンタリーよりも、それに続く1700回トップガンを観たけれどもというコメンタリーに、ひこう時間としてはバイだけれども、トップガンのような方々をカウチポテト族にしてある実績と信頼のトップガン


13:59

陸地なのにフックを出してる。私もそう思った。まで観る。彼らがよっぽど愛というよりロックンロール


16:55

コメンタリー版観賞会終了。通常版で名場面を見直す。最初の名場面は、トップダウンのワンコンプとワンコンプでもって、マーヴェリック、グースがトップガン入学の通告を観るに、グースが死んじゃって映画の最後のマーヴェリックと組むのは、はなからティム・ロビンスだったのだろうかと思う。空母にティム・ロビンスはずっといたということでも。ティム・ロビンスは背が高いと最後のシーンで思う。コメンタリー版で1700回トップガン観賞会をしたという人を知ったが、私は12歳位までに700回トップガンサントラ聴賞会をしたと思うけれども、CMだとかMVの制作者の監督でもあったトニー・スコットは、当時のトレンドだろうし、カセットテープ、次のCD位までは、その商品のパッケージが強めでも、それが仮になかったならばとしても、のっけのケニー・ロギンス、ラブシーンのベルリン、特に最後のアンセムというのは、経済的というより映画が歌に接近中ということのように思わなくもない。近年観た中で、随分昔のお歌らしかったがケリー、ネリー&カニエのMVはすげぇもんだなと思ったけれども、小林克也のMTVならば、基本はスリラーという革命的なMVがあったけれども、小林克也のMTVで知ったということでは、ボン・ジョヴィ、シンプリー・レッド、スキッド・ロウ、ベリンダ・カーライルはMVもまだ朧気に覚えてはいても、こんなにもいい曲があるのかと夢中になった。歌詞を覚えようとかはなから私はその気も能力も一切なかったけれども。

ウィー・アー・ザ・ワールドでは、マイケル・ジャクソンとかダイアナ・ロスとかブルース・スプリングスティーン、ライオネル・リッチー、サイモン&ガーファンクル、スティーヴィー・ワンダー、ボブ・ディラン、レイ・チャールズとか錚々たる面子よりも、ちょっとシンディー・ローパー(グーニーズの影響のみ)、それよりももうちょっとヒューイ・ルイス(バックトゥザフューチャーの影響のみ)、ほとんど、わぁぁぁケニー・ロギンスだぁぁということしか分からなかった当時の私だったように思う。ケニー・ロギンスお歌短いのに不満だったほど。

今思えば、どうしてもロバート・プラントが必須ではないかとか、マドンナとかポリス、ミック・ジャガー、ポール・マッカートニー、ウィーン少年合唱団とかもとか思う。フランク・シナトラが存命だったのかとか、ナット・キング・コール、アレサ・フランクリン、ジャクソン・ブラウンとか、ある意味では、ウィー・アー・ザ・ワールドをハイチでの新しいウィー・アー・ザ・ワールドはあったけれども、ウィー・アー・ザ・ワールドを命にしていけば、当代きっての歌い手が、各パートをそれこそサグラダ・ファミリア的にというと、ウィー・アー・ザ・ワールドというのも、やはりだんとりだから、そもそも基本がなってねぇんだが、