午前2時半。なほちゃん(広瀬すずちゃんだろうか)が、翔くんを好きになって、現在だろうかまで、ずっとそれなりにキュンキュンしながら観てた。
そしてらなほちゃんは、赤ちゃん出来てて、スワくんが旦那さんで、赤ちゃんが翔くんで、えぇぇとちょっと不満の感情になる。最初の二週間欠席の翔くんは、病弱で或いは翔くんの周辺が病弱という事情があったのだろうか。カレーパンの件もよく分からない。現在に翔くんはもういないということだろうか。赤ちゃんの翔くんはいるわけだが。制服の濃緑ブレザーはハイセンスファッションだと思う。なほちゃんが10年前のてめぇに手紙を出せる能力はどうでもいい感じか説明責任を果たすそのものに意味があるならばあるとして、なほちゃんを含めた五人衆が、翔くんが恐らくはふじのやまいやまぁちゃんとしての周辺事態活動家ということだろうか。なほちゃん以外に、現在でも手紙の存在の無自覚化があるように思う。
午前3時過ぎ。なほちゃん早くお弁当を渡して!と心でいい続けて観てたら、渡した時の翔くんが、ぱんちゃぱんちゃしてやがると思う。なほちゃんは、ぱんちゃぱんちゃという感じではないが、何故か当映画では、現時点では現時点をお弁当を受け取った翔くんに最大のぱんちゃぱんちゃ効果があるように思う。
ということは、現在の赤ちゃん翔くんがぱんちゃぱんちゃしやがるラストシーンがあるのだろうか。
午後5時過ぎてた。なほちゃんと仲間たちが翔くんの家族に合いにいったときのご家族は翔くんの母親なのかおばあちゃんなのか疑問と思う。
なほちゃんが、なほちゃんからのお手紙で、サッカー部に入りたい翔くんを、救うよ というのに、うるうる手前だったら、翔くんサッカー部に入ってて、なほちゃん未来を変えたということだろうかまで観る。翔くんはサッカー部を辞めることがないようにということでもあるだろうか。
だめ まで観る。キュンキュン映画でござる。キュンキュン。
翔くんが他の女の子とお付き合いになって相合い傘まで観る。
未来のなほちゃんは、翔くんがなほちゃんを好きということに、なほちゃんが翔くんの短い命の期間お付き合いを、しても後悔しなくても後悔型として、翔くんがなほちゃんが好きということを事後に知ったのではないか。なほちゃんのための手紙ではなくて、翔くんのための手紙内容型。
しかしタンキケッセンでは、翔くんはなほちゃんに承認という体裁で、そしてなほちゃんは キュンキュン返事 だめ。これは、翔くんはなほちゃんに短い命でのお付き合いをしたくてもするわけにはいかないという、なほちゃん世界型でもあるかも知れないと思わなくもない。
午後5時を一時間回る。野暮というよりタブー、嗜みでは、お手紙を最初に読破してないのか、翔くんのお母さんが自殺と他殺のりょうしきで死んじゃって、基本原理としては、死因は不明な赤ちゃんの集いの人類のような筋はどうでも、何故か脳裡に、観賞会再開時に、生まれて初めて、浴衣、着物ってのを着たことねぇなと思ったからか、例えばリョウシリキガクの一つとして、言葉として、魚類や四つ足に、ごめんなぁ、人類のためになぁ、と毎度声かけるのは、どういうことなのかというのを、翔くんがお母さんとの状態をなほちゃんに語る件で思う。全く関係ないとも言い切れないだろうが、読解力、感受性が明後日というか。もし、現在のなほちゃんがお会いした相手が翔くんのお母さんだったならば、現在も既になほちゃんの知る過去とは違うのという何らかの筋があるのかも知れないなどとも思わなくもない。そのように活字にして初めて、10年間で翔くんのお母さんはそこまで老けないだろうと思う。翔くんが亡くなった過去がまだなほちゃん出来てなくて、その悲しみによる老け込みならば頷けなくもない。
直ぐ様観賞会再開。現在シーンになり、翔くんのご家族は、おばあちゃんだったらしい。翔くんはトラックにぶち当たって、へたこいていきずに、その運動ならばうまくくたばったらしいが、トラックの運転者は、人殺しにさせんなよというか、その自筆公正自死ょの存在に翔くんはあるとしても、なほちゃんという存在がある。長くなるのは結構だが、長くなり過ぎる能書きになりそうで疲れちゃうなぁと思い観賞会再開しようと思う。
直ぐ様観賞会再開。現在も過去のようである。その筋をかけるだろうか。そこで初めてなほちゃんは、なほちゃんに私達となるなほちゃんとなほちゃんというお手紙が、なほちゃんとなほちゃんが私達としてなほちゃんになる筋だろうか。
直ぐ様観賞会再開。直ぐ様、現在も翔くんの命日に翔くんのおばあちゃんに会ってるわけで、その命日に合わせて、そのお手紙にそのシーズンには翔くんは死んでないけれども、その日付をなほちゃんは知るという手筈だろうか。続きを早速観る前にお風呂場で喫煙しようと思う。
午後5時を一時間半回った頃、お風呂場で喫煙を終え観賞会再開。スター・ウォーズで、レイア姫やらハン・ソロ、チューバッカやらで最近癖が付いたポータブルDVDプレイヤーに向かっての驚嘆のおぉぉとか、えぇぇとかが、須和くんにもお手紙が届いてた時に思わず出た。てっきり須和くんは、なほちゃんを信じるとかだとかの先走り思考の余裕を私に与えている時間差攻撃もあってか、まだ差出人まで観てないけれど、恐らくはなほちゃんが、なほちゃんと須和くんにも出した。そして、私達が飛び出したということは、友達全員に出してる可能性大だろうか。その時の須和くんもぱんちゃぱんちゃ気味ではある。早速続きを観よう。
早速続きを観たら、須和くんがお手紙を須和くんに出してる。キュンキュン映画なので、余計に驚いた。早速続きを観よう。
午後5時を二時間も回った頃。リレーメンバー選出会議で涙ぐむ。他の三人はお手紙なかったようだったが、リレーメンバーをお友達で固める作戦らしいと思う。
他者にとっては、ポコチンの一種だが。
午後5時を二時間半も過ぎた頃。翔くんの御褒美まで観る。お父さん、お母さんはいっていないが、赤ちゃん時代にちゅうちゅうしてる奴等も多いけれども、リレーでの翔くんの伝言リレーが一人一人伝言というより、独自性になってたのかと思ったが、翔に伝言ではうるうるした。その伝言が一貫していて、尚且つその一言が号泣してしまうかも知れないと思った。リレーでのその伝言が最後になほちゃんから翔くんへの伝言というのも難しいだろうか。須和くんからで、最後になほちゃんだから、好きだとかでもあったかも知れないけれども、みんな翔をというのは既にリレーメンバーが翔くんのお友達のみの独占リレーメンバー主義の確立でもあるのは翔くんほどそのインフラの独自性は強かろうと思う。糸電話が控えているのだろうか。
午前9時半まで少し眠る。ウィキペディアで調べる。なほちゃんは広瀬すずちゃんではなくて土屋太鳳ちゃんという人らしい。ラストシーンで道路の真ん中でみんなで抱き合うのは、トラックが通り過ぎたとはいえ、早く道路の真ん中からみんな離れた方がいいと思った。野暮の部類だろう。
原作は漫画のようである。漫画を読んでみたいと思う。読まないだろうとも思う。
本日は「ピーチガール」観賞会予定。
午前11時過ぎ。にっちゅうさめっぱだちゃんの営みの特に46年間を思ってたら、
第二次世界大戦なれのはてなちゃんょ♪
という、それなりにそれは市民権インフラも大昔からあるわけだけれども、例えば
神は神を創造した。
二人の神は、神に尋ねた。
神よ。私達が神ならば、何故生き物にホラ、ヌスミ、コロシをつみかさねつづけて、それを糞に作り替える、そして何となくですが、躓くようになったり、体の節々が痛くもなってきたり、遠くが見えなくなってきているようにしか思えません。
神曰く。我は神。そなたらも神である。神になるべく神として神になる神として神になるのに少なくても1億万年はかかるように思うかも知れぬが、それではそなたらのような神が神ではないというのは愚問である。既に神のそなたらは、数十年であの世いきなのだから。
こういうことは、もう少しでもいい位に思うかも知れない程度にちょいと思って改めて活字にしようかしまいか。たぶん書かないし、意味もない。