毒親日記

虐待サバイバー、昔の事今の事まとまりないけど書いていきます。

毒 8

2020-12-16 02:22:10 | 日記

そんなこんなで弟は保育園に行く年になった。
母は居酒屋をやめ、昼の職についたけど長く続かなかった。
けど弟は保育園に預けていた。
保育園は仕事してる人が預ける所なのにずっと預けていられたのは謎だ。

母は引きこもるようになり買い物も保育園の送り迎えもほとんど私にさせるようになった。

その頃中学になっていた私は学校遅刻し送って行き、早退してお迎えというのが多かった。

自分で反対を押しきって産んだ子をよく人に世話を押し付けたなと今ではある意味感心する。

自分が今思うのは生むのは簡単だけど育てるのはものすごく大変ってこと。

あの人は自分が都合の悪いことは全て私に押し付けた。

その頃金銭的に余裕がなかった家は借金もあったらしい。
よく借金取りから電話がきていて、毎回私に出させた。
下手なことを言えば殴られ罵声を浴びせられた。

ガスや電気だって払えなくて私に電気会社まで行かせて母が病気でお金がかかって払えないから少し電気代を待ってほしいと芝居をうたせた。

ガスの滞納も私に対応させて、私は毎回ガスの人からいやみを言われた記憶が残ってる。

もっと最悪なのは食べ物に困ったとき。

一円玉貯金を義理父がしていてそこから全部くすねて私にそれで買い物してくるように命じた。

そのときの会計は1000円ちょい
一円玉の束を見せて唖然とされたが黙って数えてくれた。
30分以上はかかったと思う。
その間私の恥ずかしさときたら、なんとも言い表せない。

昔の事だけど、思い出す度どれだけ自分が子ども扱いなんて一切されてなくて奴隷のように扱われてたのか思い知らされる。

そしてその頃の母はよく私の見た目を馬鹿にして自分と比べては私を見下した。
「みてあんたの顔。ママあんたの顔の半分の大きさしかないよ。」「ママはモテたけどあんたは誰に似たのか。ママに似れば可愛かったのに」「見て。あんたの足よりママの足の方が細いよ(鏡を見ながら)あんた私より若いのにどうしてそんな」

多分私の異常な顔面コンプレックスはここから始まった。
別にあんただって大した顔してないじゃん。

馬鹿にされる度に心でそう思った。
























































生きて

2020-12-15 15:31:54 | 日記
生きていくのに疲れてしまいました。

この見た目、性格、考え方。
全てに関して生きてる価値がないと思った結果です。

死ぬ前に準備をしなくてわね。

あたしには子ども三人、再婚した旦那がいる。
上の子たちは元旦那の子だから現旦那といるより施設に入ったほうが幸せだろう。
下の子はなんら問題なく生きていくだろう。

今日自分の生きてる価値の無さを実感した。
旦那の後輩夫婦に会っても会釈だけしか出来なく旦那たちは楽しそうに会話していた。

後輩の奥さんは美人で痩せてて高卒だ。
美人ってだけでも悲しくなるのに高卒とまで旦那に言われては虚しくなるだけ。(私が中卒なので)
おまけにその夫婦と別れてから息子にママおばけって言われた。多分その後輩夫婦の奥さんが可愛かったからだろう。


私が死ぬとしたら多分旦那のせいだ。

何かあればすぐに私をバカにして私の連れ子のことを貶しまくり、私が子どもをフォローすれば更に子どもを貶しまくり。

別れたいって何度も思ったけど逃げ道が見つからない。
お金もたまらない。


これ以上苦しみたくない。
学歴、見た目、過去の記憶全てから解放されたい。

子ども産んで無責任なんて思われるのは分かってるけどもう疲れた。

自分の荷物を減らす
少しでも子どもにお金を残す
最低限のマナーを身に付けさせる。

まぁこんな低能な人間に教わるマナーなんてないに等しいかもしれないけど

所詮旦那の三番目の嫁。
最初の嫁のその代わりの代わりの嫁ですからね。




あーもうストレス。

中学生の死にたいと思って腕を切り刻んだあの時に死ねていたら何も思い残す事はなかったのに。



































































あたしは

2020-12-04 15:05:05 | 日記
あたしはゴミ

生きてる価値あるのかな。醜くて気持ち悪くて性格悪くて親にもだから愛されなかったのかな。

完全に心が死んでいるな、あたし


毒 7

2020-11-28 21:12:28 | 日記
母に立ち向かう勇気もなく数年が経った。
相変わらず学校は行かせてもらえず、ネグレクト状態。
小汚ない子どもだった。
勉強は「学校なんて中学からはじめたって充分間に合うから大丈夫」そう言われた。
天才でもあるまいし、間に合うはずがない。

10歳の時に母は義父との間に子どもができた。
そのとき義父は60歳。
狂ってる義父は母におろせと言ったが嫌だと言い張り義父は殴って流産させようとまでした。
けど母はお腹だけは守り子どもを産んだ。

その時のことで殺したいほど義父を恨むようになった母だった。



反対を押しきり母は男の子を産んだ。
私も可愛がった。
けど、間も無く母は居酒屋を義父の命令ではじめて私が夜の間ずっとミルクもおむつも面倒見る事になった。

小さい弟は容赦なく夜でもお構い無く泣き私は寝る時間などひどく不規則だった。

義父は酔って帰ってきて何一つ弟のことをしようとなんてしない。


夜は必然的に同じ部屋に寝ることになり、帰ってきた義父と母は営みをはじめる。気持ち悪くて気持ち悪くて吐き気がして必死で寝たふりをした。

もっと嫌なのは行為が終わったあと私の布団をはぎ取りニヤニヤ笑いながら「起きてるんじゃない?」と確認してくること。

もうこの人たちに嫌悪感しかなかった。

弟は反対されて生まれたわりにはすごく義父が溺愛した。
母も反対を押しきって産んだ子ですごく溺愛していた。
きれいな服を着て清潔にしてもらい愛を注がれた。

けど私の扱いは変わらなかった。

この頃から死にたいって思いが更に強くなった。





















































無駄だけど

2020-11-26 13:08:35 | 日記
考えたって意味ない事なんて百も承知だけど、自分が普通に育てられたらって考える。

もう少しまともな人生歩めたのかなって。
弟が生まれて言われた「あんたみたいにならない様にこの子はちゃんと育てなくちゃ」

あたしはあなたの失敗作ですか。
数ある傷つく言葉の中でベスト10には入るよ。
「あんたは出来ちゃったから産んだだけで、あんたのパパも好きじゃなかった」
そうですよね、だからあたしも愛されなかったんですよね。好きになった人の子じゃないから。

子どもがいるからこんなこと考えちゃいけないのは分かってる、けど自分が子育てしていくうちにどれだけ当たり前の事をしてもらえてなかったか、愛されてなかったか毎日実感して苦しくてたまらなくなる。消えたくなる。


甘えてるのかな、あたしは。

消えたいなんていうのは、言いたいだけのかまってちゃん。そう言われるの分かってるから誰にも言えない


私はこんなに苦しんでるけど、なんの証拠もない。
だからあの人が生涯罰せられる事はない。