そんなこんなで弟は保育園に行く年になった。
母は居酒屋をやめ、昼の職についたけど長く続かなかった。
けど弟は保育園に預けていた。
保育園は仕事してる人が預ける所なのにずっと預けていられたのは謎だ。
母は引きこもるようになり買い物も保育園の送り迎えもほとんど私にさせるようになった。
その頃中学になっていた私は学校遅刻し送って行き、早退してお迎えというのが多かった。
自分で反対を押しきって産んだ子をよく人に世話を押し付けたなと今ではある意味感心する。
自分が今思うのは生むのは簡単だけど育てるのはものすごく大変ってこと。
あの人は自分が都合の悪いことは全て私に押し付けた。
その頃金銭的に余裕がなかった家は借金もあったらしい。
よく借金取りから電話がきていて、毎回私に出させた。
下手なことを言えば殴られ罵声を浴びせられた。
ガスや電気だって払えなくて私に電気会社まで行かせて母が病気でお金がかかって払えないから少し電気代を待ってほしいと芝居をうたせた。
ガスの滞納も私に対応させて、私は毎回ガスの人からいやみを言われた記憶が残ってる。
もっと最悪なのは食べ物に困ったとき。
一円玉貯金を義理父がしていてそこから全部くすねて私にそれで買い物してくるように命じた。
そのときの会計は1000円ちょい
一円玉の束を見せて唖然とされたが黙って数えてくれた。
30分以上はかかったと思う。
その間私の恥ずかしさときたら、なんとも言い表せない。
昔の事だけど、思い出す度どれだけ自分が子ども扱いなんて一切されてなくて奴隷のように扱われてたのか思い知らされる。
そしてその頃の母はよく私の見た目を馬鹿にして自分と比べては私を見下した。
「みてあんたの顔。ママあんたの顔の半分の大きさしかないよ。」「ママはモテたけどあんたは誰に似たのか。ママに似れば可愛かったのに」「見て。あんたの足よりママの足の方が細いよ(鏡を見ながら)あんた私より若いのにどうしてそんな」
多分私の異常な顔面コンプレックスはここから始まった。
別にあんただって大した顔してないじゃん。
馬鹿にされる度に心でそう思った。