上越の登山家と言っても過言ではない。
蟹江健一さん
2002年8月逝去。享年67歳。
中学の英語教諭を経て、民間企業に就職、
最後は、㈱ナルス取締役、ナルスフーズ㈱取締役社長を兼任。
本日22日、この蟹江さん宅を訪問してきた。
というよりも、知らずに訪問していたのだった・・・。
そして、家の中のあちこちに飾られる亡きご主人の登山の写真が気になり、
話しを聞き始めた直後、私も思い出したのだ。
そーいえば、蟹江さんのことを書いた本を某書店で立ち読みしたことがあった・・・。
そして、奥さまはどこかにしまってあるその本を探し出し、
私にくださるとのこと。
腰痛の治療中だというのに、
腰を支えながら1階と2階を2往復もされた・・・。
大変ありがたく頂戴した。
頸城三山、駒ヶ岳、鉢山、昼闇岳、仙丈ケ岳、雨飾山など、すごい資料を自ら作られた。
というのも、当時は未踏の地が多く残り、
そして山岳雑誌に載ることを競うように山を楽しんだ方だ。
そして、上越のテレマークスキー発祥者とも言えるべき人物であった。
しばらく読書に励みます。
蟹江健一さん
2002年8月逝去。享年67歳。
中学の英語教諭を経て、民間企業に就職、
最後は、㈱ナルス取締役、ナルスフーズ㈱取締役社長を兼任。
本日22日、この蟹江さん宅を訪問してきた。
というよりも、知らずに訪問していたのだった・・・。
そして、家の中のあちこちに飾られる亡きご主人の登山の写真が気になり、
話しを聞き始めた直後、私も思い出したのだ。
そーいえば、蟹江さんのことを書いた本を某書店で立ち読みしたことがあった・・・。
そして、奥さまはどこかにしまってあるその本を探し出し、
私にくださるとのこと。
腰痛の治療中だというのに、
腰を支えながら1階と2階を2往復もされた・・・。
大変ありがたく頂戴した。
頸城三山、駒ヶ岳、鉢山、昼闇岳、仙丈ケ岳、雨飾山など、すごい資料を自ら作られた。
というのも、当時は未踏の地が多く残り、
そして山岳雑誌に載ることを競うように山を楽しんだ方だ。
そして、上越のテレマークスキー発祥者とも言えるべき人物であった。
しばらく読書に励みます。