☆☆☆ 体外記憶装置 ☆☆☆

所感は独善的ですので予めご容赦願います(yamanozosan→yam+Z) (nexmail)

京都 【菓子・清浄歓喜団】 …追記

2008年12月27日 | 近畿地方
「清浄歓喜団」とは何やら興味をそそられるフレーズです。
これは、京都の八坂神社前の通りを下った菓子司:亀屋清永の代表的なお菓子の名前です。
十数年前に何かの歴史書の中で読み、気になっていたものですが、京都に旅行した折にこの菓子司の暖簾に書かれているのを見つけたものです。特徴のある味の菓子です。旨いというよりか、歴史を感じる味と言えるでしょう。





この清浄歓喜団は、奈良時代に遣唐使によって仏教伝来とともに伝わった唐菓子(からくだもの)「団喜」の一種です。

現在はこの菓子司のみで聖天様を祀る寺院の供物として作られているそうです。
下は唐菓子「団喜、他の唐菓子」です。
インドの菓子が奈良朝の頃、遣唐使によって日本に仏教伝来とともに伝わったそうですが、当時、8種の唐菓子と14種の果餅(かへい)がその製法と伴に伝られました。
唐菓子で今日、目にすることが出来るのは、この「清浄歓喜団」のみではないでしょうか? 京都、奈良を探せば幾つかは見つかるかも知れないので、探すのも一興です。
確か、奈良春日大社の供物に「餢飳(ぶと)」と呼ばれる唐菓子があると耳にしたことがあります。

もしかしたら、唐菓子の一つに「鐸羅ひちら」なる菓子もあるので、現在のドラヤキのルーツかも知れません。もっとも大正時代に創作されたという説もありますから、定かではありません。むしろこの「ひちら」がルーツの方が興が乗って楽しいではありませんか?。
(参)「鐸羅ひちら」→うるち米をこね、煎餅のように偏平にして、中にあんを入れて焼いたものだそうです。



そして今でも、「清浄歓喜団」は各地の「歓喜天・双身毘沙門天に限った供物として酒と大根」と供に供えられています。
大根は身体を丈夫にし良縁成就、夫婦一家の和合の功徳を表し、団喜(の形の巾着・金袋)は商売繁盛を表し、聖天信仰のご利益の大きいことを示されています。
元々は、ガネーシャ神(象頭人身)の牙が大根へ象徴変化したものとも言われます。

又、ヒンドゥー教の教義の中には「大根をリンガ、袋状の巾着をヨーニと見」、これら抽象化された両者をもって双身歓喜天を表すともいわれています。

今日、元来の理由はともあれ、各地の聖天様で「大根炊き」が開かれて、その大根と御神酒を共に参詣者に振舞う催しが開かれています。





「聖天さん」すなわち「歓喜天」は、
ヒンドゥー教の象頭人身のガネーシャ神に起源を持ち、ヒンドゥー教から仏教に取り入られるに伴って、仏教に帰依して護法善神となったと解釈され、仏法僧の三宝を守護するようになったと言われています。
ヒンドゥー教の悪神が十一面観世音菩薩によって善神に改宗し、仏教を守護し財運と福運をもたらす天部の神とされ、日本各地の寺院で祀られるようになりました。
この十一面観音がガネーシャを調伏する際に化身となって抱き合ったことから、双身歓喜天像が作造されています。
しかしながらこの双身のお姿が難を招き、明治の神仏分離令で聖天信仰が邪教とされ、多くの寺が廃寺となるなかで、双身歓喜天像が骨董市場に流出したり、公開しない秘仏となったようです。 多くの聖天様では単身立像が祀られています。
聖天様で有名な京都山科の「双林院」の双身歓喜天像、秘仏です。







(余談)
日本密教では福徳を祈る歓喜天法の本尊とされていますが、一般には夫婦和合、
子授けの神としても信仰されています。
徳川家五代将軍綱吉の生母、桂昌院が「聖天信仰」に熱心だったと言われている理由も下世話にも察せられます。
…が、俗に聖天様は人を選ぶといわれ、非道な人間には縁を結ばないなどの迷信もあります。生類哀れみの令で有名な綱吉公は嫡子六代目将軍はもとより子孫に縁の薄いままに逝かれました。


(追記)
以前、金沢の片町を訪れた際に立ち寄った真言宗の古刹鬼川聖天養智院‎も歓喜天を祀っています。
垂れ幕や門扉に「違い大根」紋があります。当時はまったく意味不明でしたが、その後「清浄歓喜団」に出会い納得がいった次第です。
石川県金沢市片町2丁目13−20‎



(参)亀屋清水 
清浄歓喜団 ¥525- 原材料は米粉・小麦・小豆餡・桂皮末・胡麻油で作られています。千年たった今も、昔の姿をそのまま伝えられ、白檀、桂皮、竜脳など仏教で言う「清め」の意味がある七種の香を入れた皮で包み、胡麻油で揚げています。
八つの結びは八葉の蓮華をあらわし、形は金袋になぞらえています。(亀屋伝)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。